6 人形夫人の策略
その日は、公爵家の別邸に泊まることになった。
ジェラルドの乳母もその子息もジェラルドの『友人』が訪ねてきたことを大いに喜び歓迎してくれて、ぜひにと引き留められたからだ。
ジェラルドは「友だちじゃない!」と散々わめいていたが、あの親子は一向に耳を貸さず、それどころか「坊ちゃんはほんと素直じゃないんだから」なんて軽くあしらっていた。さすがに、手慣れている。
気兼ねなく楽しげにやり取りする三人を見ていると、ジェラルドがあの親子にどれだけ心を許しているのかがよくわかる。あいつが言う以上に、この別邸での暮らしは性に合っているのだろう。
一方、応接室から飛び出していったエイブリル嬢はアスタに宥められて落ち着いたようだが、夕食のときにはジェラルドのほうを一切見ることなく、話をしようともしなかった。
ジェラルドはそんなエイブリル嬢に何度か話しかけようとして、その都度見事に撃沈していた。あまりお目にかかれない珍しい光景をずっとニヤニヤしながら見ていたら、「ラナルフ様、面白がりすぎです」なんてアスタに可愛く怒られた。
そして、夜。
俺たち夫婦は広めの客室に案内されて、ソファに座りながら食後のお茶を楽しんでいたのだが。
「ラナルフ様」
隣に座るアスタがずずずっと顔を近づけて、もったいぶるように声を潜める。
「このままエイブリル様をここに置いて、さっさと帰りましょう」
「は?」
「明日の朝早く、私たちだけで出発してしまうのです」
どういうわけか、勝ち誇ったような目をしているアスタ。なんでそんな、自信満々なんだ。
突拍子もないことを思いつく奇天烈さという点では、アスタの右に出る者などいない。こんなことは日常茶飯事だし俺だって慣れっこだが、さすがに話が唐突すぎる。
俺はアスタのほうに体を向けて、同じように声を潜める。
「そもそもお前、ジェラルドのことだっていきなりすぎるだろ。『記憶の残滓』を見るなら見るで、前もって教えてくれよ」
「いえ、見るつもりなどもちろんなかったのです。でも偶然ドアに手をついたときに、ジェラルド様がエイブリル様を想って絵を描いているところが見えてしまって……」
「やっぱりそうか」
「はい。それで驚いて、壁やら調度品やらにそれとなく触れてみたのです。そしたらもう、あのアトリエのあちらこちらにジェラルド様のエイブリル様への想いが溢れていて」
そうして真実を知ったアスタは、エイブリル嬢に背を向けようとするジェラルドの急所を躊躇なく突いたというわけだ。
「それにしたって、エイブリル嬢を置いて帰るってどういうことだよ?」
「エイブリル様はここに残って、ジェラルド様ときちんとお話ししたほうがいいと思うのです。私たちはお邪魔でしょうから、早々に退散すべきかと」
「いやでも、エイブリル嬢が何て言うか……って、あ」
「なんですか?」
「さっきエイブリル嬢と話して、何か言われたのか?」
アスタの顔を窺うと、気まずそうに視線を逸らして「言われたというわけではないのですが……」と答える。
「……号泣するエイブリル様に突然抱きつかれてしまいまして……」
ああ、そういうことか。
いきなり抱きつかれる、つまりは触れてしまったことで、エイブリル嬢の『記憶の残滓』が見えてしまったのだろう。号泣した状態なんかで触れられてしまったら、強い感情を伴う記憶の波が押し寄せて防ぎようなどなかったはずだ。
ジェラルドの事情を探ったのは意図的でも、エイブリル嬢の『記憶の残滓』は見ようという意図があったわけではない。それでも、友だちの心の中を覗いてしまったことに罪悪感を覚えているらしいアスタ。
「そんなのは不可抗力だろ? 見ようと思って見たわけじゃないんだから、アスタはなんも悪くない」
「……そうでしょうか?」
「俺が許す。アスタは一ミリも悪くない」
俺があっさり言い切ると、アスタは少し微笑んだように見えた。たまらなくなって、そのこめかみにちゅっとキスをする。恥じらいながらもうっとりと蕩ける瞳に引き寄せられ、その細い首筋に顔を埋めてからやばいやばい、ここ人ん家だったわと理性を総動員させる。
「……で、何が見えたんだ?」
できるだけ平静を装って尋ねると、アスタはおずおずと話し出す。
「そうですね……。いろいろ見えたのですが……」
「うん」
「エイブリル様とジェラルド様が初めてお会いした日の記憶も見えましたし、モニカ様が来るまではお二人が存外仲睦まじく過ごされていたのも見えましたし」
「へえ」
「モニカ様が編入してきたあと、お二人が最後に話した日の記憶も見えました」
「最後に話した日?」
「はい。その日を境にジェラルド様はモニカ様の取り巻きと化して、エイブリル様とはほとんど話をしなくなってしまったようです。ジェラルド様にとっては、恐らく決別の意味があったのでしょう。別れ際に切なそうな顔でエイブリル様を見つめて、『リル、ごめん』と……」
言いながら、アスタの目が俄かに潤む。
ジェラルドがどこまで想定していたのかはわからないが、醜態を重ねることで父親に見放されれば当然エイブリル嬢との未来はない。あのまま何も考えずにその立場を受け入れて、公爵となり宰相になる道を選んでいればエイブリルとだってずっと一緒にいられたのだ。
でも、あいつはそうしなかった。
自分の想いと国の将来とを天秤にかけて、すべてを捨てる決意をしたのだ。
己のみが泥をかぶるその決断を、極端すぎたのではと質すこともできる。でも、責める気には到底なれない。
「エイブリル様の記憶を見て思ったのですが」
アスタがそっと、俺の手に自分の手を乗せる。ひんやりとしたその手を、優しく握ってやる。
「エイブリル様は、口では『早く婚約を解消してほしかった』とか『百年の恋も冷めた』とかおっしゃっていますが、やっぱりジェラルド様への気持ちが残っていたのではないかと思うのです。想いがなければ、最後に会って話したいとは思わないのではないでしょうか」
「それは、そうかもな」
「ジェラルド様の行動がすべて演技だったとわかった今、そしてジェラルド様の本心がわかった今、エイブリル様も素直になるべきだと思うのです。お二人はもう、相思相愛なのですから」
「でもそんな簡単な話じゃねーだろ。あれがすべて演技でわざとだったとわかったとしても、ジェラルドがエイブリル嬢を傷つけ続けた事実はなくならないし、そもそもジェラルドは父親の跡を継ぎたくなくてここまでのことをしでかしたんだからさ。ジェラルドの廃嫡が取り消されることはないだろうし、そうなると二人の婚約が元に戻ることもない。あの二人が相思相愛でやっぱり一緒にいたいと言い出したって、もう立場と状況が許さないだろ」
「それは、そうなんですけど……」
「でもまあ、ひとまずエイブリル嬢は置いていくか」
「え?」
話の流れから俯き加減になっていたアスタの瞳が、一瞬にして輝き始める。
「これまでのこともこれからのことも、あいつらがちゃんと話し合って決めればいいだけのことだ。いろいろ拗れちゃってるから、多少時間も必要だろうしな」
「いいのですか?」
「お前がこうしたいって言ったことを、俺が止めたり拒否したりしたことがあるか?」
「……ないです」
「だろ? お前の望みを全力で叶えるのが俺の趣味なんだよ。まあ、エイブリル嬢にちゃんと話して納得してもらってからだけどな」
「ラナルフ様……」
「……そんな可愛い顔して見つめられると、いろいろ我慢できなくなるんだけど?」
ニヤリと笑って抱き寄せると、条件反射のように顔を真っ赤にして「え、あの……」と挙動不審になるアスタ。
そのすべてが愛おしすぎて、侯爵邸に帰ったら思う存分構い倒そうと決めた俺だった。
◇◆◇◆◇
数日後。
俺は王都のレミントン伯爵家を訪れていた。
家出娘を預かっていたのに勝手に連れ出して元婚約者に会わせたうえ、なんの許可もなくしれっと置いてきたのだ。一応エリック殿下のお墨付きがあったとはいえさすがに知らんぷりはできないし、それ相応の責任を追及されるのは覚悟していた。
ところが、である。
真正面に座るレミントン伯爵の言葉に、俺は毒気を抜かれてしまった。
「よくぞ置いてきてくれました」
柔和な表情は、その言葉が決して嫌味や皮肉ではないことを示している。想定外の反応に戸惑う俺を満足そうに眺めて、伯爵は続ける。
「娘がまだジェラルドへの想いを断ち切れずにいたことを、私たち家族も気づいていたのです。娘自身は、過剰なくらい否定していましたがね」
「そうだったのですか?」
「はい。あの男爵令嬢が学園に編入してくる前は、ジェラルドもよくこの伯爵邸を訪れていましてね。家族全員が二人の様子を微笑ましく見守っていましたし、どちらかというとジェラルドのほうがエイブリルに夢中だったのですよ。だから学園での話を聞いたときには信じられなかったし、何か事情があるのではないかと思ったこともありました。ジェラルドが廃嫡され、婚約が破談になってナイトレイ公爵家から新たな婚約の話を提示されても、エイブリルはもちろんわたしたちも実は釈然としなかったのです」
伯爵は手にしていたティーカップを口元に運び、ひと口だけ飲んでため息をつく。
「しかも、エイブリルがジェラルドときちんと話をさせてほしいと願い出ても公爵家からはぞんざいな対応をされるばかりでね。いくら公爵家に相応しくない悪評を買ったのだとしても、実の息子をまるで最初からいなかったかのように扱う公爵家にどんどん不信感が募っていたのです。しかし立場上、面と向かって公爵を批判することもできなくてね」
「……お察しします」
「そうこうしているうちに、痺れを切らした公爵がアベニウス伯爵家との婚約を強引に推し進めようとしたのです。そこでエイブリルは思い余って出奔し、そちらにお世話になったわけですが」
「え、もしかしてあれは、伯爵の指示だったのですか?」
「いえいえ、そうではありません。でも婚約を強いれば、あの無鉄砲な娘はどこかへ逃げるか、あわよくば自力でジェラルドに会いに行くだろうとは予想しておりました」
「え……」
「ジェラルドが何を思い、何を意図してこんな事態になったのか、私だって直接話を聞きたかったくらいですから当事者であるエイブリルがそう思うのは当たり前のことです。しかしその気持ちを軽んじる公爵家のやり方には、憤りすら感じていました。ですから、私たちの代わりにエイブリルの願いを叶えてくれた小侯爵には感謝のしようもありません。本当に、なんとお礼を言ったらよいか」
「あ、いや……」
予想外の賛辞はかえって落ち着かないし、なんだか身の置きどころがない。
そんな俺の様子に頬を緩めるレミントン伯爵は、最後にこう言った。
「外交というのはね、突き詰めれば人と人とのつながりの上に成り立つものなのです。言うまでもなく人にはそれぞれ心があり、それを無視してはつながりを築くことさえ覚束ない。心を無視し、蔑ろにするような相手と仲良くしたいとは思わないでしょう?」




