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4 公爵令息のその後

 ナイトレイ公爵領は、王都から程近い場所にある。エリック殿下の話だとジェラルドは自領の公爵邸ではなく、そこからだいぶ離れたところにある別邸で数名の使用人と共にひっそりと暮らしているらしい。



 ちなみに、俺たちの公爵領行きを許可したことをエリック殿下はナイトレイ公爵にそれとなく伝えたそうである。公爵は一瞬眉間に皺を寄せたものの、



「……あれはすでに我が公爵家とは無縁の者ですので。お好きにどうぞ」



 仏頂面で偉そうに言いやがったらしい。それを聞いたアスタは「なんか、ひどくないですか……?」と不信感を露わにしていたし、エイブリル嬢に至っては「だったらさっさと会わせてくれてもよかったのに!」なんて不満を爆発させていた。まったくだ。



 宰相家としては醜聞にまみれた長男のことなんか最初からいなかったことにして、その存在自体を自分たちの記憶から抹消したいのかもしれない。だからエイブリル嬢の要求でさえも、無関係だと拒み続けてきたのだろう。でもエリック殿下にしゃしゃり出てこられては否やを唱えることもできず、渋々ながらも承知するよりほかはない。



 ただ、ジェラルドがそんなふうに育ったのも最終的にはこんな結果になったのも、公爵家にだって責任の一端があるんじゃないかと思うんだけどな。そういう自覚はないんだろうな。





 朝早くに出発し、ナイトレイ公爵家の別邸に着いたときにはすでに夕方近くになっていた。



 今、俺たちの目の前にあるのは「公爵家の別邸」と言うにはあまりに簡素な一軒家である。辛うじて庭と呼べるスペースのある二階建ての家屋は、ちょっと裕福な平民が住んでいると言われればそうだろうなと思ってしまう程度のこじんまりとした存在感である。



 正直言って、本当にここに我が国の宰相家の長男が? と疑いたくなるレベル。



 困惑ぎみにお互いの顔を見合わせながら玄関に向かうと、予想外に扉が開いた。



「ようこそ、いらっしゃいました」



 言いながら、目の前の婦人は恭しく頭を下げる。どこでどう聞きつけたのか、俺たちが来るのを待ち受けていたかのようにも見える。



「あの……」

「お話はうかがっております。坊ちゃんにお会いになりたいのですよね?」

「坊ちゃん……?」



 坊ちゃん。



 この文脈で、坊ちゃんとは恐らくジェラルドのことなのだろうが。



「申し遅れました。わたくしはここで坊ちゃんの身の回りのお世話をしております、乳母のシーラと申します。坊ちゃんはアトリエにいらっしゃいますので」



 ん? アトリエ?



 坊ちゃんだのアトリエだの、聞き慣れないワードのオンパレードに不意を突かれる。エイブリル嬢だけは「あ」と言ったきり、どこか懐かしそうな顔をしている。



 ひとまず乳母に促されるまま廊下を進み、奥まった部屋に案内されると。



「坊ちゃん、お客様ですよ」

「は? 客? ……え?」



 大きなキャンバスに向かっていた見覚えのある神経質そうな顔が、俺たちに気づいてぽろりと筆を落とした。






◇◆◇◆◇





「これは一体、どういうことですか?」



 「アトリエ」と呼ばれた部屋から応接室らしき部屋に移動した俺たちは、さっきの神経質そうな顔と対峙させられていた。



 ジェラルドは不愉快極まりないといった様子で、俺たちを順番に睨みつける。



「ご説明いただきたいのですが」



 咎めるような尖った声に、俺は平然と、臆面もなく言い放つ。



「エイブリル嬢がお前とちゃんと話したいって言うから、連れてきたんだよ」



 その言葉にジェラルドはなぜか息を呑んで、それからゆっくりとエイブリル嬢に視線を向ける。



「……アベニウス伯爵家との縁談が決まったんだろう?」

「え?」

「あいつは、ダニエルは俺より三つ年下だが、人懐っこくて明るくて面倒見もいい。君もきっと幸せになれるはずだ」

「……決まってないわよ、その縁談」

「は?」

「アベニウス伯爵家とかエクダル侯爵家とかバックマン伯爵家とか、ほかにもいろいろあったけど全部断ったわよ。ジェラルドとのことが決着ついてないのに、次に行けるわけないじゃない」

「俺とのことなんて、とっくの昔に決着がついてるだろう? 俺は公爵家を廃嫡された身で、恐らくこの地から生涯出ることも叶わない。だから君との婚約だって解消になったんじゃないか」

「違うわよ、そういうことじゃないの。私が聞きたいのは、私のどこがダメだったのかってことよ」

「え?」

「私のどこがダメで、どうしてモニカ様に負けたのか、それを知りたいの。ジェラルドがモニカ様のどういうところに惹かれたのか、きっちり説明してほしいのよ」

「え……?」



 ジェラルドはあからさまに狼狽える。一方のエイブリル嬢は最初に侯爵家(うち)に来たときと同様、必死の形相である。



「なんでそんなこと聞きたいんだよ……?」

「だって納得いかないじゃない。私があんな女に負けるなんて」

「え」

「モニカ様が来るまで、私たちそれなりにうまくいってたじゃない。でもあの人が来てからジェラルドはずっとモニカ様のそばにいるようになって、私とはろくに話もしてくれなくなった。あなたがモニカ様を好きになったのは仕方がないけど、私には何が足りなかったのか知りたいのよ。そうじゃなきゃ、新たな婚約者が決まったとしてもまた嫌われたり捨てられたりするんじゃないかって……」



 毅然としたエイブリル嬢の声に、予期せぬ悲壮感が漂う。



 そのことに一番驚いたのはジェラルドだったらしい。「あ……」とか「それは……」とか言い淀み、答えに窮している。



 しどろもどろになって目を泳がせるジェラルドを見かねて口を開いたのは、アスタだった。



「あの、ジェラルド様」

「な、なんだ?」

「ジェラルド様は、絵をお描きになるのですか?」



 あまりに唐突なアスタの問いに、ジェラルドは身構えることすら忘れたのか素直に答える。



「あ、ああ、まあ……」

「以前から絵を描くのがお好きだったのですか?」

「まあ、うん、そうだね……。幼い頃は、暇さえあれば絵を描いていたね。でも成長するに従って親やまわりからはあまりいい顔をされなくなって、だんだん描かなくなったんだが……」

「先程のアトリエと呼ばれた部屋は、絵を描くためのお部屋なのですか?」

「そうだよ。本来はこの家の主人の部屋だったんだ。だいぶ前に他界してしまったから、シーラが使っていいと言ってくれて」

「シーラ様が?」

「ああ。この家は、もともとシーラの家族のために父上が建ててやったものなんだ。シーラは俺の乳母でね。母上は公爵領(ここ)で俺を産んだんだが母乳の出が悪かったらしくて、ちょうど同じ頃子どもを産んだシーラが乳母として雇われたんだ。シーラの夫が早くに他界したあとは公爵邸でメイドとして働いてくれて、シーラの息子も厨房の料理人として雇われていて」

「では、今この家にはジェラルド様とシーラ様、それにシーラ様のご子息とでお暮らしに?」

「そうだね」

「不自由などはないのですか?」

「ないよ」



 思いがけないジェラルドの即答と真っすぐな笑みに、俺は目を見張る。



「君たちはこんな質素すぎる家なんて見たこともないと思うから、信じられないだろうけどね。意外に快適だし、楽しいんだよ。俺も自分のことくらいは自分でできるようになったし」



 それは決して、見栄や負け惜しみではなかった。



 ジェラルドは心の底から、この質素な別邸での暮らしを謳歌している。子どものようにはしゃいだ様子で目を輝かせるジェラルドなんて、学園ではついぞ見たことがない。



 そんなジェラルドを横目に、アスタはいつもの無表情で意味ありげに背筋を伸ばす。



「ジェラルド様。では、先程アトリエでお描きになっていた絵を見せていただけませんか?」

「え……?」

「どんな絵を描かれているのか、ぜひ拝見したいのですが」

「いや、それは……」



 どういうわけか尻込みするジェラルドと、妙に落ち着き払っているアスタ。



 対照的な二人を見比べて、俺はようやく気づく。




 アスタのやつ、もしかして何か『見た』のでは……?




 この別邸に到着し、アトリエに通され、応接室に案内されてからもずっと、やけに大人しいなとは思ってたんだ。あと、なんだかずいぶん難しい顔をしてるなとは思っていた。



 きっとアスタは明確な意図をもって壁とかドアとか調度品とかいろんなものにじかに触れ、そこに残る誰かの『記憶の残滓』を見たに違いない。



 そして、知ったのだ。



 あの自信に満ちたコバルトブルーの瞳が、確固たる事実を突き止めたことを雄弁に物語っている。それはジェラルドにとって都合の悪い、もしかしたら誰にも知られたくない秘密だったのかもしれないが。



 アスタの無機質な真顔が、何かに怯えるジェラルドを逃すわけがなかった。





「ジェラルド様。先程描かれていたのは、エイブリル様の絵ですよね?」

















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