3 エイブリルの言い分
「は? 家出?」
「はい」
「どういうことですか?」
エイブリル嬢は真剣な表情のまま、意を決したように話し始める。
「私の婚約がいまだに決まっていないというのは、すでにお聞き及びのことと思うのですが……」
「ああ、まあ」
「お聞きしています」
「ジェラルドとの婚約が解消になってから、ナイトレイ公爵家は代わりの縁談を次から次へと持ち込んできました。さすがは王家に次ぐ権勢を誇る天下の宰相家、親戚の数も多く、まだ婚約の決まっていない年若い令息が何人もいたようで」
「ほう」
「でも私、次の婚約者を決める前にジェラルドと直接話をさせてほしいと何度も公爵家にお願いしていたんです。それなのに公爵家からは『ジェラルドのことは忘れてほしい』と言われるばかりで……。このままでは、どうしても納得がいかなくて」
「納得、ですか?」
「はい。私とジェラルドとの婚約は学園入学前に決まったのですが、はじめはそれなりにいい関係を築けていたのです。ジェラルドは幼い頃から自分の出来の悪さを自覚していて、だから素直じゃないしだいぶひねくれてましたけど、それでも私に対しては優しいところもあったりして」
「へえ」
ちょっと意外である。横を見ると、アスタも意外そうに目を丸くしている。
「でもモニカ様が学園に編入してきて、ジェラルドはモニカ様に夢中になってしまって……」
「……もしかして、エイブリル様は今でもジェラルド様のことを……?」
アスタが躊躇いがちに尋ねると、エイブリル嬢はけろりとした顔であっけらかんと答える。
「いいえ、まったく」
「え」
「いや、だって、さすがにあんな扱いを受け続けたら百年の恋も冷めますよ」
「……ですよね」
「確かに、はじめはすごくショックでした。だからジェラルドとちゃんと話をしたいと思ったんです。でもジェラルドはモニカ様から離れることはなくて、話しかけても邪険にされることが多くなって。結局、ジェラルドとはまともに話すことのないまま終わってしまいました」
「そうだったのですね……」
「だからこそ、納得がいかないんです」
「え?」
「ジェラルドがモニカ様を好きになってしまったのは百歩譲って仕方のないことだとしても、なんの説明もないのはおかしいと思うのです。モニカ様のどこがよくて、私の何が悪かったのか、きっちり説明してもらいたいといいますか」
「えー……?」
「そもそも、蔑ろにされ続けたことに対してジェラルドからはなんの謝罪もないのですよ? ジェラルド本人からちゃんと謝ってもらわないことには、私の気が済みません」
「……はあ」
さも当然といった様子で主張を展開するエイブリル嬢に対し、アスタは戸惑いぎみに返事をすることしかできない。
「まあ、気持ちは理解できるけどさ」
つい口を挟んだ俺に、エイブリル嬢がきりりと表情を引き締める。
「そのことと、家出して侯爵邸に来たこととはどういう関係があるんだ?」
「……あー、それはですね……」
一気に挙動不審になって、きょろきょろと視線を泳がせるエイブリル嬢。そのまま目を合わせることなく、気まずそうに話し出す。
「公爵家から次々に縁談を持ち込まれてもジェラルドと話をさせてもらえないことを理由にずっと断り続けていたのですが、さすがにそろそろ限界で……。父からも『いい加減決めろ』と強く催促されてしまいまして」
「だろうな」
「このままでは、ナイトレイ公爵家の親戚筋であるアベニウス伯爵家との縁談が決まってしまいそうだったのです。それで断固拒否する意味合いも込めて家を飛び出したのですが、行く当てがあるわけでもなく、そしたらアスタリド様のお顔がふと頭に浮かびまして……」
そろそろとアスタの表情を窺うエイブリル嬢だが、アスタの真顔は変わらない。変わらないが、あれは内心「え、私のことを!?」なんて飛び上がりたいほど喜んでいるに違いないのだ。だってあんなにもわかりやすく、高揚した様子で前のめりになってるんだから。
「それに、アスタリド様の旦那様はガルヴィネ先生です。お二人に相談したら、何かいい知恵や打開策が見つかるのではないかと思いまして……」
期待に満ちた表情で俺たちを交互に見つめるエイブリル嬢と、頼りにされてまんざらでもない雰囲気のアスタ。ここにきて、俺はなんだか嫌な予感がしてきた。
いや、これはもう、確実に、嫌な予感しかしない。
「ラナルフ様」
その声色で、俺はアスタが次に何を言おうとしているのか否が応でもわかってしまう。
「なんとかするしかないですね」
……ほらな。
思った通りの展開に、俺はついついため息を漏らしそうになる。
「…………なんとかって、なんだよ?」
「せっかく、エイブリル様が私たちを頼っていらしたのです。期待に応えてさしあげるのが筋ではないでしょうか」
「だから、どうやって?」
「それはですね……」
アスタは感情の見えない無表情で数秒考え、すぐさまぱっと顔を上げる。
「ナイトレイ公爵領に行きましょう」
「は?」
「ジェラルド様は公爵領にいらっしゃるのですよね? エイブリル様はジェラルド様とお話しされたいのですから、公爵領にお連れするしかありません」
「……お前な、友だちの家に行くようなノリで簡単に言うなよ」
俺の容赦ないツッコミにも、アスタは怯む様子がない。むしろ「ラナルフ様ならどうにかできますよね?」的な圧を感じる。そしてこの期待を宿して煌めくコバルトブルーの瞳に、俺がめっぽう弱いことをアスタは知っている。
さっきこらえたはずの盛大なため息が、つい口から漏れてしまった。
◇◆◇◆◇
「ナイトレイ公爵領に?」
数日後。
俺は王太子であるエリック殿下に訝しげな顔を向けられていた。
「なんでまた」
「エイブリル嬢が、ジェラルドに会いたいらしい」
「……へえ」
あのあと、家出してきたエイブリル嬢はしばらく侯爵邸で預かることになった。一応レミントン伯爵家に使いを出したところ、『ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします』なんて丁寧な返事をもらったのには驚いたが。無理やり連れ戻しにくるとか、アベニウス伯爵家との婚約を承諾するよう説得してほしいと頼んでくるとか、そういったこともなかった。
「公爵家が持ち込む縁談をエイブリル嬢自身がことごとく断っているとは聞いていたんだが」
「ジェラルドに対して恋情が残っているとかそういうことではないらしいんだけどな。直接話をしないことには納得できねーんだってよ」
「納得ねえ」
「まあ、彼女なりにけじめをつけたいんだろ」
「なるほど。それで公爵領に行きたいのか?」
「勝手に連れていってもいいんだが、なんせ相手はナイトレイ公爵家だ。あとで面倒くさいこと言われても困るしな。お前のお墨付きがあれば、誰も文句は言えないだろ?」
俺が事もなげに言い切ると、エリック殿下は呆れたような、それでいてうれしそうな、なんとも言えない顔をする。
「ラナルフってほんと、嫌味なくらい私の使いどころをわかっているよねえ」
「この前ユスティーナ妃殿下のところに俺のアスタがわざわざ出向いてやっただろ? 妃殿下もずいぶん喜んでたみたいだし、それくらいの見返りがあってもいいんじゃねーか?」
「ああ、まあ……」
妃殿下の名前を出した途端、エリック殿下はなぜか悩ましげに目を伏せる。
「確かにあの日は、ユスティーナも珍しく楽しそうだったよ……」
「そりゃよかったな」
「公務の合間に、お茶会の様子をこっそり覗きに行ったんだけどね。あそこまで屈託のない笑顔を見たことがなかったから、逆にショックでね……」
「へえ」
「ラナルフ。どうしたら、ユスティーナは私にも心を開いてくれるのだろうか……?」
「は?」
「結婚してもう二年だよ? それなのに、ユスティーナのよそよそしさは全然変わらないんだよ……! もうすぐ建国記念のパーティーだってあるのに、一体どうしたらいいんだよ……?」
「……知らねーよ」
それから小一時間、俺はエリック殿下の愚痴と悩みを散々聞かされる羽目になった。
でもその忠心(?)が功を奏したのか、数日後には俺とアスタ、そしてエイブリル嬢の三人でジェラルドがいるというナイトレイ公爵領へ向かうことを許されたのだ。