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2 噂の伯爵令嬢

「ラナルフ様。エイブリル様を覚えてらっしゃいますか?」



 アスタに問われたその名前には、確かに聞き覚えがあった。でもすぐには思い出すことができず、しばらく頭の中の記憶をあちこち探し回ってようやく見つけ出す。



「……あ、ジェラルドの元婚約者か」

「そうです。そのエイブリル様です」



 エイブリル・レミントン伯爵令嬢。



 現宰相家の長男でありながら、去年の一連の騒動の中心人物と親しくしていた責任を問われて廃嫡されたうえ、自領で半ば幽閉されているらしいジェラルド・ナイトレイ公爵令息。その婚約者だった令嬢、である。



 去年の騒動の中心人物であり、数多の令息をたぶらかした挙句アスタの誘拐という犯罪行為を企てたモニカ・ラッセル男爵令嬢は最終的に北の修道院へと送られた。そのため彼女の取り巻きと化していたジェラルドたちは、直接犯罪行為には関与していなかったもののなんらかの処罰・処分を受けることになってしまった。当然彼らの婚約はすべて破談となり、婚約者だった令嬢たちは別の男性と新たな婚約を結んだはずだが。



「そのエイブリル嬢がどうかしたのか?」

「去年の騒動のあと、実はエイブリル様だけ卒業間近になっても新たな婚約者が決まらなかったのですが」

「え、そうだったのか?」

「はい。ナイトレイ公爵家が破談の責任を感じて親戚筋の令息を何人か紹介したそうなのですが、エイブリル様は結局そのどなたとも婚約されないまま卒業してしまったのです」

「……まじか」



 この国では、ギデオンたちのように幼少期から婚約を結んでいる場合も多いが、学園在学中に婚約が決まるケースもまた多い。そうしてほとんどの令嬢令息の婚約が学園在学中に決まってしまうため、誰とも婚約しないまま卒業を迎えてしまうというのはなかなかに由々しき事態なのだ。まともな縁談に出会える確率は、どんどん減っていくわけだから。



「それでも、ナイトレイ公爵家がなんとかするのだろうと思っていたのです。今回の婚約解消に関してエイブリル様に一切非がない、というのはもはや自明の理。ナイトレイ公爵家が代わりの縁談を紹介するのは義務ではないとはいえ、何もせずに放ったらかしでは信用や評判がガタ落ちになります」

「それは、そうかもな」

「ところが、レイラ様の話によるといまだにエイブリル様の婚約が決まっていないらしくて」

「いまだに?」

「はい。公爵家がどんな縁談を持ちかけても、エイブリル様は首を縦に振らないそうなのです」



 話を聞きながら、俺は学園で何度か見かけたエイブリル嬢を思い出していた。



 エイブリル嬢の生家であるレミントン伯爵家は建国当時から続く由緒正しい家柄であり、代々外交手腕に長けた人材を多く輩出している。現伯爵自身も我が国の外交を一手に引き受けており、エイブリル嬢とジェラルドとの婚約はナイトレイ公爵家と外交を担うレミントン伯爵家との政治的な結びつきを強固にするために決まった婚約だったはずだ。



 だからジェラルドとの婚約が破談になったとしても、公爵家としては親戚筋の令息との婚約を勧めてレミントン伯爵家とのつながりを維持したい思惑があるのだろう。アスタの言うように信用や評判といった側面もあるのだろうが、本当はもっと明確な政略的意図があるに違いない。



 それにしても。



 一体なぜ、エイブリル嬢はそこまで頑なに婚約を拒んでいるのだろう。




「……まさかとは思うが、エイブリル嬢はジェラルドに対してまだ恋情を抱いているとか……?」

「いえ、それはないと思います」



 とんでもない、とでも言うように首を振りながら、アスタは迷いなくきっぱりと言い切る。



「去年の騒動の際、モニカ様たちに因縁をつけられていた令嬢の中でもエイブリル様は殊の外苛立ちを露わにされていましたから。こんな辱めを受け続けるのは耐えられない、さっさと婚約を解消してくれればいいのにと友人たちにお話しされていたのを聞いたこともありますし」

「そうか。まあ、そうなるよな」

「はい。だからこそ、エイブリル様がどんな縁談も受け入れず、いまだに婚約が決まらないというのはどうにも不可解すぎるのです。レイラ様もリディア様も、そこまで親しい間柄ではないとはいえかなり心配されていて」



 それはそうだろう。



 元婚約者たちから侮辱され、蔑ろにされ続けたレイラ嬢やリディア、エイブリル嬢はいわば同じ被害を受けた者同士。各々はそこまで顔見知りではなかったらしいが、お互いの中に薄っすらとした連帯感が芽生えていたとしてもおかしくはない。だからお茶会の席でも、エイブリル嬢のことが話題に上ったのだろうし。



 でも俺にしてみれば、非常に申し訳ないのだが、まったくの他人事である。へえ、そうなのか、という程度の薄いリアクションしかできない。



 そんなことよりも、俺としては真顔で眉を顰めながら何やら考え込んでいるアスタがまたとんでもなく可愛くて、どのタイミングでキスしようかなんて邪なことしか頭にない。





 でも早々に、そんな悠長なことは言ってられなくなるのだ。






◇◆◇◆◇






 それから数日後。



「ラナルフ様。よろしいでしょうか?」

 


 執務室のドアがノックされ、返事をすると執事長のバートが顔を覗かせる。



「どうした?」

「アスタリド様とラナルフ様にお会いしたいというご令嬢が突然いらっしゃいまして……」

「……先触れもなしにか? どこの令嬢だ?」

「レミントン伯爵家のエイブリル様と」

「は?」



 つい先日耳にしたばかりの令嬢の名前に、俺は面食らう。



「用件は?」

「それが、ただお二人にお会いしたいとおっしゃるばかりでして……」



 直接対応したバートも状況が飲み込めないのだろう。怪訝な顔を隠さない。



「わかった。すぐ行くから応接室に通しておいてくれ」

「承知しました」

「アスタは?」

「自室にいらっしゃるとのことでしたので、リーンが向かいました。まもなくいらっしゃるかと」



 俺はペンを置き、机の上に広げていた書類を軽く片づけて立ち上がる。



 すぐに廊下に出ると、ちょうど急ぎ足でこちらに向かってくるアスタに出くわした。



「ラナルフ様」

「ああ」

「一体どうしたのでしょう? 突然いらっしゃるなんて」



 いつもの無表情ながらも、アスタの声には戸惑いの色が滲んでいる。

 


 何度も言うようだが、俺はもちろんのことアスタだってエイブリル嬢とさほど面識があるわけではない。去年の騒動でエイブリル嬢がラッセル男爵令嬢やフレデリク殿下たちにいわれのない不当な非難を受けていたとき、アスタがその窮地を幾度も救ったことはあるにせよだ。それでも、先触れもなしにほいほい訪ねてくるような間柄ではない。



 応接室の前まで来た俺は、疑念と警戒心からアスタを自分の真後ろに立たせる。



 そしてゆっくりと、ドアを開けた。



「ガルヴィネ先生……! アスタリド様!」



 目が合った途端、淡い金色の髪をした令嬢が感極まったようにがばりと立ち上がる。



「あ、すみません、もうガルヴィネ先生ではないのですよね。えっと、ミルヴォーレ小侯爵様、アスタリド様もお久しぶりでございます。先触れもなしに突然訪問する無礼をお許しください」



 やや興奮した様子ながらも、優美な仕草で貴族令嬢らしい丁寧な挨拶に徹するエイブリル嬢。さすがは由緒正しいレミントン伯爵家のご令嬢といったところだろうか。



「エイブリル様、お久しぶりです……!」



 さほど面識がないとはいえ久々に会えたのがうれしかったのか、我慢できなかったアスタが俺の背中から勢いよく飛び出す。



「一体、どうされたのですか?」



 飛び出して即ストレートな質問を繰り出すアスタに、エイブリル嬢はアスタ以上の真剣な真顔になって答えた。



「実は私、家出してきたのです……!」














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