15 没落貴族の末路
「幼馴染? 親友?」
エリック殿下はユスティーナ妃殿下と床に押さえつけられているフランカに目を遣りながら、唖然としている。
「フランカと私は同い年、父親である元侯爵が王宮で財務の仕事を担っていたこともあって、幼い頃から顔を合わせることも多かったのです。引っ込み思案な私のことを、面倒見のいいフランカはいつも気遣ってくれました。フランカのおかげで同い年の友だちもできましたし、学園に入学してからはますます一緒にいることが増えました。私にとっては、唯一心を許せる親友でした」
ふと、以前アスタがユスティーナ妃殿下とのお茶会に行ったあとに話していたことを思い出す。
人見知りで引っ込み事案で友だちなんか一人もいなさそうな妃殿下にも、意外なことに幼い頃から親しくしていた仲の良い令嬢がいたという。あれは、このフランカのことだったのだろう。
「ところが学園の最終学年のとき、ダールベック元侯爵の国庫横領が明るみに出ました。以前から怪しいと目をつけられていて、騎士団が粘り強く捜査を続けていたようです。元侯爵は長年にわたって国庫を横領し、夫人と共に私腹を肥やしていました。長きにわたって悪辣な犯罪行為を繰り返していたこと、また横領した金額が想像以上に多額だったことで元侯爵と夫人は処刑され、ダールベック侯爵家は爵位を剥奪されて――」
「なにが親友よ!」
それまでずっと口を閉ざしていたフランカが、突然牙を剥く。
「今更親友だなんて、片腹痛いわ! あのとき何もしてくれなかったくせに、親友だなんてほざくんじゃねえ!」
怒りに任せて元令嬢とは思えないほどの罵詈雑言を浴びせたフランカは、エリック殿下の近衛隊に一層強い力で押さえつけられ「うっ……!」と呻き声を漏らす。
悲痛な表情を浮かべる妃殿下をいたわるように、その肩にそっと手を置くエリック殿下。
そのとき不意に、廊下から人の声がしたかと思うとバタバタと行き交う複数の足音、そしてドアをノックする音が――――。
「エリック殿下。クヴィスト商会の者とフレデリク殿下が登城されました」
「通してくれ」
衛兵の背後から現れたのはにこやかな笑みを湛えるロドニーと、多少疲れた様子の見える第二王子フレデリク殿下だった。
「兄上!」
顔を覗かせたフレデリク殿下はエリック殿下の無事を確認するとすかさず走り寄り、「よかった……!」と声を詰まらせる。
「フレデリク、今回は助かった。恩に着る」
「そんな……。もったいなきお言葉……」
実をいうと、アンドゥーネの使節団が王宮に到着するタイミングでクヴィスト商会の強者たちが西の塔へと向かい、フレデリク殿下と使用人たちを救出する手はずになっていたのだ。
ベイロン商会の手の者が何人使節団として潜入するつもりかわからないものの、自ずと西の塔の監視は手薄になるはずと見込んだがゆえの作戦だった。
「エリック殿下。本物の使節団の方々も西の塔に監禁されてましたんで、ついでに解放して一旦クヴィスト商会にお連れしています」
「そうか。よくやった」
恭しく報告するロドニーに、エリック殿下は満足そうな笑顔を見せる。
兄弟の感動的な再会とクヴィスト商会の快進撃とを目の当たりにして、悔しそうに舌打ちしたのはフランカだった。
「え、お前……、もしかしてベイロン商会の……?」
「さすがですね、こいつの正体をとっくに見破ってたなんて」
フランカの存在に気づいてまじまじと見入っているフレデリク殿下とは対照的に、ロドニーのほうはすでに情報を掴んでいたらしい。感服しましたとばかりに、俺やエリック殿下に賞賛の視線を送る。
「お前も知っていたのか?」
「いえいえ、俺たちが情報を入手したのはついさっき、ここへ来る途中だったんですよ。アンドゥーネ国内を密かに探らせていたうちの商会のやつがようやく突き止めまして」
言いながら、噛みつくような目で威嚇するフランカをじっと見返している。
「まさか、『見目麗しい細身の若い男』がアンドゥーネの元侯爵令嬢だとは思いもしませんでした。しかも話を聞く限り、相当理不尽な扱いを受けてきたみたいじゃないスか」
「理不尽な扱い? なんだそれは」
「こいつの父親である元侯爵は財務担当という自分の立場を利用して国庫を不正に流用し、夫人と共に私利私欲に走っていたらしいんですけどね。娘であるフランカ・ダールベックには一銭も渡していないんですよ」
「は? どういうことだ?」
「フランカは、ダールベック元侯爵と前夫人の間の子どもなんスよ。二人は完全なる政略結婚で冷ややかな夫婦関係だったうえ、前夫人はフランカが四歳のときに急死してしまったんです。その後、ダールベック元侯爵はだいぶ年の離れた平民の愛人と再婚した」
「じゃあ、元侯爵と共に私腹を肥やしていたというのは……」
「元平民の後妻ですね。フランカとは一切血のつながりのない女です。しかも、夫婦二人で長年贅沢三昧しておきながら、フランカは屋敷の隅に追いやって冷遇していたらしいんスよ。そして罪が暴かれ、下された処分は二人の処刑と爵位剥奪。犯罪に加担していなかったフランカも侯爵令嬢としての身分を剥奪され、平民として市井に放り出されることになった」
「それは、しかしあまりにも……」
「そうなんスよ。親戚筋の貴族たちは、誰もフランカを助けようとしなかったんです。自業自得だとかかかわりあいたくないとか言ってね。だからフランカは、いきなりたった一人で平民として生きていくしかなくなったんスよ」
年若い貴族令嬢が突然その身分と立場を失い、一介の平民として生きていく。しかもたった一人で、助けてくれるものなど誰もいない。
それがどれだけの苦難と試練とをもたらすのか。
フランカの悲嘆と絶望、怒りや無念を思い、息を呑む。
「ボロボロの状態で貧民街にいたところをたまたまベイロン商会のやつに拾われて、そこからはまあ、己の才覚だけでのし上がっていったようですがね。男と偽っていたのもそのほうが何かと都合がよかったからでしょう。そうして、今に至るというわけです」
ロドニーの虚ろな視線がフランカに落ちても、誰も言葉を発することができない。
押しつぶされそうな沈黙を突き破ったのは、フランカの悲鳴にも似た叫び声だった。
「そうだよ! 誰も助けてくれなかった! あたしは何もしちゃいないのに、親戚も使用人たちも、みんなかかわりあいになりたくないって冷たくあしらった! あたしがどんな思いでここまで生きてきたかわかるか!? それもこれもユスティーナ、お前のせいじゃねえか!」
「え……?」
「あたしは何度も王宮へ行ったんだよ! 王女であるお前ならなんとかしてくれる、助けてくれると思って! でもお前は何もしてくれなかった! そのせいであたしは落ちぶれて、裏社会で生きていくしかなくなったんだよ! お前があのとき、助けてくれなかったから……!」
「そんな……。ちが、違うのよ、フランカ……」
「うるさい! 何が王女だ! 何が親友だ! ふざけるな!」
激昂し、肩で息をするフランカに、平然としたロドニーの声が横槍を入れる。
「……あのー、水を差すようで悪いんですがね」
申し訳なさそうな顔をしながらも、一歩も引く様子はない。
「ユスティーナ妃殿下は何もしなかったわけじゃない。そうですよね?」
「……え……?」
「いやだって、いくら横領していた額が半端なかったからって、爵位剥奪のうえ処刑ってちょっと罰が重すぎると思いませんか? なんとなく不自然だなあと思ったんで調べてみたら、元侯爵たちの犯した罪は横領だけじゃなかったとわかったんスよ」
「そ、それは……」
「その罪を公にしないこと。ユスティーナ妃殿下は、アンドゥーネの国王や姉である王太女殿下にそれをお願いしたんですよね?」
「その罪とはなんだ……?」
エリック殿下の掠れた声に、なんだか嫌な予感がする。
「あるとき横領してることがバレそうになって、元侯爵夫妻は秘書官と使用人とを始末してるんです。つまり、二人も人を殺してる」
「あ……」
「そのことを公表しないでほしいと国王陛下と王太女殿下にかけあった。親友を、人殺しの子どもにしないために。そうですよね? 妃殿下」
「ああ……!」
ロドニーの言葉で、ユスティーナ妃殿下はその場に頽れる。
それを見た途端、フランカは呆然として「嘘……」とつぶやいた。
「いくら冷遇されて、蔑ろにされていたとはいえ親は親です。夫人はともかく元侯爵が人を殺していたなんて知ったら、フランカはどう思うだろうって……。この先一人で生きていかなきゃならないフランカに、人殺しの子どもなんて不名誉な烙印を背負わせたくなくて……。でもそれだって、本当に正しいことだったのかどうか……!」
涙を流し、嗚咽の声を漏らしながらも妃殿下の懺悔は続く。
「本当は私もフランカを助けたかった! 貴族令嬢として生きてきたフランカに、たった一人で、しかも平民として生きていけなんて酷すぎると何度も進言しました。でも陛下も姉様も聞き入れてはくれず、もう私にはどうすることもできなくて……!」
「そ、そんなこと今更言われたってどうしろってんだよ! あたしは何も悪いことなんかしちゃいない、それなのにとばっちり食らってこんな目に遭ってんだ! 結局はお前が何もできなかったことに変わりは――――」
「そうでしょうか」
俺はぎょっとした。
隣を見ると、ずっと大人しく成り行きを見守っていた無表情のアスタがなぜか当たり前のように一歩前に出る。
その瞳は静かに、そして挑むようにフランカを見つめていた。
「あなたは先程から、妃殿下が何もしてくれなかった、自分がこうなったのは妃殿下のせいだと何度も主張しています。確かにあなたは元侯爵夫妻が犯した罪とは一切関係がなく、むしろ家庭では虐げられていたのですからこんな酷い目に遭うなんてさぞ無念だったことでしょう。その後どれほど過酷な生活を強いられることになったのか、私には想像がつきません。でも妃殿下が何もしなかったわけではないということは今の話で明白ですし、妃殿下は妃殿下なりに、親友を救おうとできる限りのことをしていたのです。『何もしてくれなかった』というあなたの主張は間違っているとは思いませんか?」
「そ、そうだとしても! あたしはティーナに見捨てられたんだよ! 王女なのに助けてくれないばかりか、最後は罪人の娘になった私を見捨てたんだ! 親友だと思ってたのに!」
「……あなたは、親友を救えなかったと悔やむ妃殿下の苦しみや痛みを想像はしなかったのですか?」
「え……?」
獣のように尖った視線が、急に行き場をなくしたように宙を彷徨う。
「いくら王女とはいえ、できることには限界があるとあなただって想像できるでしょう? それでも方々手を尽くし、ありとあらゆる手段を講じたのに結局はあなたを救うことができないと知ったそのとき、妃殿下がどれだけ傷つき、どれだけ悔やみ、どれだけ自分を責めて絶望したのか。あなたにはわかるのですか?」
「え……?」
「わからないでしょうね? だってあなたは、そんなこと想像もしなかったでしょうから」
「だって……」
「本来強大な力を持つ立場でありながら、肝心なときには何もしてあげられなかった無力感と自責感とを妃殿下は一生背負うことになったのです。そんな友だちの痛みを知ろうともしない、そればかりか何もしてくれなかったと一方的に責め立てる。確かにそんな関係、友だちでもなんでもありません。『親友』を語る資格がないのはあなたのほうです、フランカ・ダールベック」
アスタの鋭い声に、フランカは虚を突かれて凍りつく。
そして次の瞬間。
「だって、そんな……。どうすればよかったのっていうのよ……!」
崩れ落ちるフランカの慟哭の声は、いつまでも部屋に響いた。




