1 俺の可愛い可愛い妻
続編始めました。
よろしくお願いします!
「王宮に呼ばれた?」
「はい」
ソファの隣にかしこまって座る可愛い可愛い妻が、やけにきらきらした目をしながら俺を見上げている。
「ユスティーナ妃殿下が、ぜひにとおっしゃっているそうなのです」
「なんでまた」
「レイラ様がユスティーナ妃殿下の補佐役を兼ねて王宮に上がってから、しばらくたちますよね? とても親しくされているそうなのですが」
「らしいな」
「ユスティーナ妃殿下は隣国アンドゥーネから嫁がれたので、同年代のお友だちがあまりいらっしゃらないとのことで。レイラ様が私たちのことをお話しされたら、自分も会ってみたいとおっしゃったそうなのです」
相変わらずの真顔ではあるものの、体全体で「行きたい」「行きたい」と訴えているアスタ。
あまりに可愛らしいその様子に、ついつい腕を伸ばしてすっと抱き寄せる。密着したアスタからいつもの甘い匂いがして、大きく息を吸い込むと同時にこのままなし崩し的に押し倒したくなってしまう。
やばいやばい。アスタが可愛すぎて話がちっとも頭に入ってこないじゃねーか。なんて罪作りなんだよ、俺の妻は。
「リディア様もいらっしゃるそうですし、三人で会うのは卒業以来ですし」
「……まあ、そうだな」
必要以上に元気な煩悩やら衝動やらをひた隠して曖昧な返事をする俺になど気づく様子もなく、薄っすらと笑みを浮かべたようにも見えるアスタ。
アスタが学園を卒業し、俺たちが結婚してすでに数カ月がたった。
結婚する前から侯爵邸で一緒に暮らしていた俺たちではあったが、結婚し、夫婦になってからの生活は想像以上、期待以上に甘々である。いや激甘である。人前ではできるだけ冷静さを保つよう自制しているが、二人きりになった瞬間これまで以上にアスタをでろでろに甘やかし尽くしている俺。
そのおかげもあってか、アスタの表情筋が時折仕事をするようになっている今日この頃である。
そんな中、アスタの友人であり、第三王子アイザック殿下の婚約者でもあるレイラ・イースディル公爵令嬢から一通の手紙が届く。
学園を卒業してまもなく、王宮に上がることになったレイラ嬢。結婚はアイザック殿下の来年の卒業を待つことになっているが、それまでの間隣国アンドゥーネから輿入れしている王太子妃のユスティーナ妃殿下を補佐することになったらしい。そのユスティーナ妃殿下たっての願いで、アスタともう一人の友人であるリディアが王宮でのお茶会に誘われたというのだ。
十八歳で嫁いできたユスティーナ妃殿下は、現在二十歳。アスタたちの二歳年上である。
この妃殿下に関しては、実は以前から王太子のエリック殿下に半ば無理やりに近い形であれこれ話を聞かされていた。
同い年のエリック殿下は何かと俺にちょっかいを出してくる物好きな王太子だが、多分あいつは俺に対して勝手に共感を抱いているのだ。それは『年の差のある相手と結婚(婚約)した』ことに加えて、その相手が『極度の人見知り』というとんでもない共通点を有していたからだ。
エリック殿下曰く、ユスティーナ妃殿下という人はかなりの引っ込み思案でとにかく自分に自信がなく、控えめで内向的で、そのうえ人に対する警戒心が強いらしい。
その人物像は、確かにかつてのアスタを彷彿とさせる。幼い頃に生死の境を彷徨ったことで、人や物に残る『記憶の残滓』が見えるようになってしまったアスタ。人の記憶に付随する強い感情にさらされ続けた結果、他人に対して強い恐怖心を抱くようになったばかりかその表情は固く凍りついてしまう。でもアスタはわりと早い段階から俺のことだけは絶対的に信頼していたし、成長と共にその特殊能力をコントロールしようと努力を重ねてきたのだ。その甲斐あって、今では人に対する恐怖心はだいぶ和らいでいる。おまけに去年の騒動では人前で堂々と持論をぶちかますほどのたくましさを見せつけ、そのおかげでレイラ嬢やリディアという友人を得るに至っているわけだから、以前ほど『人見知り』要素が見受けられないのも事実なのである。
一方のユスティーナ妃殿下は、嫁いで二年たっても夫であるエリック殿下と心から打ち解けることができずにいるらしい。エリック殿下自身「いまだに見えない壁を感じるんだよ」と嘆くのだから、その人見知り属性はだいぶ筋金入りと言えるだろう。
しかし、一国の王太子妃がそれではまずい。いずれは王妃となって国内の社交界を統べ、国の内外から憧憬と崇拝の念を寄せられるべき存在だというのに。
そこで妃殿下を補佐し、頼れる身近な話し相手としてレイラ嬢に白羽の矢が立ったのだ。レイラ嬢は周囲の期待以上の立ち回りを見せてユスティーナ妃殿下の信頼を見事勝ち取り、今では妃殿下も全幅の信頼を寄せているんだとか。それこそ、夫であるエリック殿下よりもレイラ嬢を信頼しているらしいユスティーナ妃殿下。気持ちはわからないでもない。エリック殿下は、ちょっと胡散くさいからな。
そんなこんなで、人見知りを克服し、人脈を広げるためという大義名分を掲げてまずはレイラ嬢の友だちであるアスタたちに声がかかったらしい。まあ、それ自体は悪いことではない。むしろ名誉なことではある。王太子妃とお近づきになれるんだもんな。ありがたい話だ。
でも、久しぶりに友だちと会えることになってテンションが上がっているアスタを見ているのは、なんだかこう、絶妙に面白くない。いや、喜ばしいことではあるんだが。でもな。
複雑な気分で腕の中の可愛い妻をじっと見下ろすと、コバルトブルーの瞳が瞬いて不思議そうに首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「……アスタが俺のことを忘れてるみたいだから、このまま押し倒そうか悩んでる」
目を見開いたまま顔を真っ赤にしてしまう俺の妻が、世界で一番可愛すぎた。
◇◆◇◆◇
翌週。
「ラナルフ様。ただいま帰りました」
早速王宮に出向いて行ったアスタは、帰ってくるなり俺の執務室に顔を出した。完璧なまでの無表情ではあるものの、その目はわかりやすくらんらんと輝いている。今すぐにでもお茶会の様子を話したくて、うずうずしているのが手に取るようにわかる。
ふふ、と笑いながら、俺はアスタに声をかけた。
「ちょうど休憩しようと思ってたんだ。お茶会の話を聞かせてくれるか?」
「もちろんです」
俺がソファに移動すると、アスタはいつものようにつつ、と近づきかしこまった様子で隣に座る。
そしてお茶の用意を終えた侍女が退出した途端、堰を切ったように話し出した。
「レイラ様もリディア様もとてもお元気そうでした。レイラ様はすでに王宮に移り住んでいて、ユスティーナ妃殿下の補佐をしながら親交を深めていらっしゃるそうなのです。アイザック殿下もお元気だとお話しされていました」
「あいつ、髪の毛を金髪に染めるのやめたんだってな」
「そのようですね。学園では一時期物議を醸したようですが、レイラ様の『私は焦げ茶色のほうが好き』というひと言が決め手だったそうですよ。それに焦げ茶色のままで過ごすようになったら、親しみやすさが増したと評判も上々のようなのです。身長に関してはまだ誤魔化していらっしゃるようですが」
「でもそれだって、レイラ嬢は気づいてるんだろ?」
「もちろんです。『背なんか高かろうが低かろうがどちらだって構いませんのに』とレイラ様はおっしゃっているのですが、アイザック殿下の踏ん切りがつかないようですね。お茶会の途中でアイザック殿下が学園から帰ってこられて顔を出されたのですが、相変わらずレイラ様との仲睦まじい様子が拝見できて、リディア様と二人で『よかったですね』と話し合っていました」
「一時はアスタに婚約を迫ったくせにな」
「ふふ。そんなこともありましたね」
「リディアは相変わらず元気だっただろ?」
「はい」
アスタがリディアに会うのは卒業以来だが、俺のほうはわりと頻繁に会っている。卒業後もギデオンの稽古は続けていて、リディアは律儀にも毎回挨拶に来るからだ。
代々当主が王立騎士団長を務めるウェイド侯爵家の令息で、俺の一番弟子でもあるギデオン・ウェイドとその婚約者だったリディア・オルブライト伯爵令嬢は学園卒業後すぐさま結婚した。俺たちもアスタの卒業後速攻で結婚したが、あいつらもそれに次ぐ早さで結婚した。
俺たちの結婚式の際、この先もお互いを「リディア嬢」「ガルヴィネ先生」と呼び合うのはおかしいよな、という話になって、その後は「リディア」「ラナルフ様」と呼び合うようになっている。ギデオンのほうは卒業と同時に王立騎士団に入団したのはいいのだが、自ら警ら隊に志願して、王都の街の治安と秩序を守るために奔走しているらしい。ウェイド侯爵家の令息は通常騎士団の花形といえる近衛隊に配属されるのが慣例だから、これは異例中の異例といえるだろう。まあ、ギデオンは根が真面目だからな。
「リディア様、ラナルフ様によろしくお伝えくださいとのことでしたよ」
「どうせまた来週会うのにな。それで、肝心のユスティーナ妃殿下はどうだったんだよ?」
今回のお茶会の主催者だというのに、なかなか話題に上らない最重要人物の名前を出してみる。「あ」と一瞬狼狽えたところを見ると、友だちの近況報告に夢中ですっかり失念していたらしいアスタ。
おいおい、可愛すぎるだろ。
「あの、ユスティーナ妃殿下は、流れるような銀髪に美しいラベンダー色の瞳をしたとても麗しい方でした。はじめはだいぶ緊張されていた様子でしたが、レイラ様がうまく話を振ってくださって、だんだん打ち解けて話してくださるようになったんです。時折お見せになる笑顔もまたお美しくて」
「へえ」
「私たちの学園時代の話を、殊の外喜んでお聞きくださいました。妃殿下のほうもアンドゥーネでの学園時代のお話をいろいろとお聞かせくださって」
「妃殿下の学園時代ってどうだったんだ?」
「仲の良い令嬢が数人いらっしゃったようですよ。特に幼い頃から親しくしていたご友人がいらっしゃって、人見知りが発動する隙もなかったとおっしゃって」
「なんだ、友だちいたのか。ちょっと意外だな」
「でもあの、その話の流れでちょっと気になることをお聞きしたのです」
楽しげな様子から一変。なぜだか唐突に、アスタの真顔が不穏な翳りを帯びたように見えた。
全16話、毎日更新の予定です!