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 私がそんなふうに悶々としている間に、むしろそういう時のほうがはかどるものなのか、とうとう全てのコピー用紙を折り終わってしまった。

 そして二人を見ると、どちらもちょうど終わるところだった。

 三人の手元に、A4サイズの紙束が大量にできた。

私が、ページ順に正しく紙を並べて厚紙の表紙をつけたお手本を一冊作り、それにならって、二人も同じものを作成してくれる。これは紙を折る作業よりもさらに早く終わり、テープの貼りつけによる仕上げにこぎつけた。背表紙代わりに貼るテープは、これが曲がってしまうといかにも雑な見た目になってしまうので、しっかり集中して貼っていく。

そしてついに、夕方を待たずして、コピー本ができ上がった。


「で、できた~! 製本がこんなに早くできたの初めて! ありがとう、二人とも!」

「どーいたしまして。あたしもけっこう面白かったよ」


「おれは、感無量です。この手で、『罪と蜜』の製本を手掛けることができたなんて……」


 壮弥くんはそんなことを言いながら、自分の両掌を見下ろして、小さく震えている。


「えっと、では、お二人とも。よかったら、今回の私の新刊、受け取ってください」

「へっへー、実はそれが楽しみだったんだよね。いくら?」


「これはお金いらないよ」

「えー、気が引けるよ。イベントだと値段ついてんでしょ?」


「そうですよ、ツ……三織さん。対価は受け取らないと」


 二人は当たり前のような顔でそう言ってくる。

 確かに一理あるんだけど、同人作家には同人作家の理もあるのだ。


「でも、サークルの売り子さんとか手伝ってくれたスタッフに本をあげるのは、珍しいことじゃないんですよ。今回はコピー本で単価が安いっていうのもありますけど、イベントで(スペース)がお隣さん同士のサークルで、値段に差があっても交換したりしますし、同人誌の値段なんてあってないようなものだと私は思ってます。今回は私の気持ちだと思って、受け取ってください」


「三織……」

「三織さん」


 ふっ、と恵美ちゃんが笑った。


「これであたしが受け取らないと、壮弥くんは受け取りようがないか。おっけ、分かった。ありがたくもらうよ」

「三織さん……おれ、今日のことは、ずっと忘れません……」


 そう言って、二人は本を受け取ってくれた。

 よかった。手伝ってくれることになった時から、こうしたかったんだよね。


「三織と壮弥くんはさ、この後予定とかあるの?」

「私はないよ。今夜はもともと作業予定だったけど、それが終わっちゃったから」

「おれもバイトは休みですし、特に用事はないです」


 私と壮弥くんは、そろってかぶりを振る。


「あ、そうなんだー。もうすぐ夕飯時だけど、あんたたちお腹すかない?」


 確かに、外に出て散歩でもすれば、少し早めの晩ご飯くらいの時間になる。


「私はそうでもないけど、ご飯食べに行こうか?」

「あたしは近場がいいなー」


「あ、台所貸していただければ、おれ何か簡単なもの作りますよ。アンドロアンサスのメニューで軽食くらいなら作れるよう仕込まれてますんで、お腹の具合に合わせて」


 それを聞いたあんなちゃんが、ふんふんとうなずいた。


「へえ、壮弥くん料理できるんだ? 三織、それでどう?」

「ええ、でもお客さんにそんなことさせるのも」


 壮弥くんが、平手でぽんと胸を叩く。……いまさらながら気になったのだけど、壮弥くんが女装する時って、ブラジャーとかしてるのかな。


「おれのことなら心配無用です。料理はけっこう好きなので」

「おー、ありがとう。三織、冷蔵庫の中見てもいい?」


 あんなちゃんが冷蔵庫を指さした。


「いいけど、全然大したもの入ってないよ。お米はあるけど」


 私は壮弥くんと一緒に冷蔵庫を開け、あるものを適当に数える。

 壮弥くんはふんふんとうなずいてから、


「これだと、ザ・簡単なものの代表格、チャーハンがよさそうですね。卵とネギにベーコンもあるし」

「ほ、本当に作ってくれるの? お客さんなのに」


「それを言ったら、家主さんにやらせるのはどうかとも言えますよ。きりがなさそうな時は、やる気のあるやつに任せてください。では失礼して、台所お借りします」


 壮弥くんは手早く冷蔵庫の中から材料を出し、まな板と包丁も取り出した。

 かわいい服が汚れてはならないと、エプロンも渡す。

 私がレンジで温められるご飯のパックを出して、「時間かからないからこれ使おうか」と言うと、早くも洗い終わったネギに包丁を入れようとしていた壮弥くんが、いいですね、とうなずいた。


「三織さんはご飯少なめですね。あんなさんはどうしますか?」


 私の横で、振り向いた壮弥くんが怪訝そうな顔をする。

 私も振り返ってみた。

 すると、あんなちゃんがすっかり帰り支度を済ませて立っていた。


「あんなちゃん?」

「いっけないあたしこの後約束あるんだった! じゃあ申し訳ないけど壮弥くん、三織の夕飯お願いねー」


「あんなちゃん!?」

「断る理由ないわよねー、材料もあれば作り始めもしちゃって、二人はこの後用事もないんだもん。じゃ、三織、また」


 そう言って、あんなちゃんは帰ってしまった。

 なんだなんだ、もう。

 これじゃ、私と壮弥くんが二人になってしまう――

 ――二人になってしまう。


 あんなちゃんを見送ったドアの前で、私はぶんと首を振って、台所を見た。

 壮弥くんが「参ったな」とつぶやいて、卵を割っている。


「すみません、三織さん……今日あんな話をしたばかりだったのに」

「う、ううん! これはあんなちゃんがやったことなので……!」


 壮弥くんも、さすがにここで帰るわけにはいかないのだろう、手際よく調理を進めていく。お鍋を傾かせながら揺する左手の動きや、お醤油をさっと一たらしする慣れた動作に、本当に料理ができるんだなあと思わされる。

 ……今度、私からもなにかご馳走しよう。


「三織さん、お皿ありますか?」

「あ、今出しますっ」


「本当は家庭用の火力だと一人分ずつ作ったほうがおいしいんでしょうけど、とりあえずおれの全力で作りました」


 壮弥くんがお皿にチャーハンを盛りつけた。私のはやや少なめだけど、壮弥君の分もあんまり多くはない。小食なんだろうか。


「でき上がりです。おかずに、ほうれん草を炒めました」

「わあ、いいにおい……!」


 二人でローテーブルに向かい合って座り、いただきますと手を合わせる。

 クッションに腰かけた壮弥くんは、斜めに足を流して座り、そうした所作は一つ一つが女の子っぽくて柔らかく、向かい合っていてどこか気持ちがいい。

 チャーハンを口の中に運ぶと、香ばしい油の香りに卵の香り、パラリとしながらふっくらしたお米の粒、そしてさわやかなネギの香りがあいまって、とてもおいしかった。


「うわあ、とってもおいしいです。壮弥くん、お料理上手なんですね……!」

「これはもう、慣れですね。どんどん、調味料が目分量になっていきます、あはは。あ、よしよし。今日はできがいいです。よかった」


「冷蔵庫にあるものでこんなこと、私が高校生の時はできなかったですよ」

「そういえば今の倍とやる前も、調理実習の時、先生から筋がいいと褒められました。向いているのかもしれません」


「壮弥くんと同じ班になった人たちが羨ましいです」

「三織さんがおれと同じクラスいてくれたら、凄く楽しいでしょうね」


 私は、自分が高校生の時の様子を思い出した。

 誰かに楽しいと思ってもらえた覚えは、あんまり、ないなあ。


「それはどうでしょう……私、対人能力低いので、班内でのおしゃべりとか下手ですし、つまらないですよ」

「物静かな人、いいと思いますよ。ほかの人はともかく、おれと話してもらえれば満足ですしね」


「あ、『対抗』されてしまいました……」


 とりとめもなく話していたら、夕食は、あっという間に終わってしまった。

 後片づけをしようとする壮弥くんに、さすがにそれは自分でやるからと言って、コーヒーを入れて差し出す。


「ありがとうございます、三織さん。……暗くなってきてしまいましたね」

「はい。イベント前に、こんなにゆとりのある夜を迎えることができるなんて、思ってもいませんでした……」


 遠くを見てそうつぶやく私に、壮弥くんが小さく吹き出す。


「三織さんの本、帰ってからゆっくり読みますね。しっかり浸って、ばっちり世界観に溺れたいので」

「ふふ、私も、目の前で読まれたら恥ずか死するので、そのほうがありがたいです」


「まじめなトーンで恥ずか死っていうワードが出るの、同人作家さんぽいですね……」


 そうかもしれない。

 今、私はたぶん、製本が終わってだいぶハイになってしまっている。


「では、おれ、そろそろ失礼します。今日はいろいろ貴重な経験ができて、最高に楽しい一日でした」

「それは、こちらこそですっ」


 本心からそう答える。

 靴を履く壮弥くんの背中のすぐ後ろに立って、彼のウィッグの後ろ髪が上下に揺れるのを見ていた。

 寂しい。

 まだいて欲しい。

 でもそれは言えない。

 この間の、壮弥くんを見送った時のことを思い出した。

 今引き留めたって、そう遠くない時間に、必ずこの人をここで見送らなくてはいけない。

 うちにきてもらうのは構わない。むしろ何度でもきて欲しい。用事なんてなくたっていい。

 でも、その度にこの玄関での別れを迎えるのは、考えただけで、なかなか苦しい。

 今日はまだ時間は遅くないし、駅まで送りましょうか。

 そう言いかけた時、壮弥くんが振り向いた。


「三織さん、駅まで送ろうかとか思ってるでしょう」

「うっ!? なぜそれを!?」


「三織さんのほうが先輩ですし、おれがあなたを尊敬しているのは確かです。でも、おれ、男ですから。そうはいきませんよ」

「でも今は、女の子の格好してるじゃないですか……変質者でも出たら」


「骨格も身長も変質者相手のメンタルも、おれのほうが三織さんより上です。というわけで、ご心配なく。おれと三織さんの間での送った送られたは、おれがあなたを送るのみで、逆はありません。だから気にしないでください」


「あ」

「はい?」


「……いえ、いいです。変なこと思いついちゃっただけなので」

「どんなです?」


「……笑いませんか? あきれない?」

「誓って」


 本当に、自分でもなんの意味があるのかよく分からないので、もう頭に浮かんだことをそのまま口に出してしまうことにした。


「壮弥くんが、私を送ってくれるんですよね? なら、私がこれから壮弥くんと柏駅まで一緒に行って、その後もう一度壮弥くんがここまで私を送ってくれれば、まだ一緒にいられるなあって思ったんです。……でもこれ、壮弥くんが無駄に駅とうちとを一往復するだけですよね……」

「三織さん……もしかして、一人取り残されて寂しいですか?」


「割と。今日は、ずっと人といたので……」

「そうか、あんなさんもいてにぎやかでしたもんね。おれは平気です、三織さんがよければ」


 バッグを左手に持った壮弥くんが、右手を「行きましょう」というふうに外へのべる。

 私は、ローファーを履いて、壮弥くんと一緒に外に出た。まだ昼間の暖かさが残っていて、でも空は暗くて、黄昏時独特の不思議な感覚に包まれる。

 道に出ると、ちらほらと人通りがあった。でも、顔までは見えない。そのせいか、この街には私と壮弥くんしかいないような気持になった。


「壮弥くん、すみません。変なこと言って」

「おれは、三織さんと過ごす時間が延長できて、なんの文句もあるわけがありません。……あの、おれも、三織さんに一つ、言いたいことがあって。……いいですか?」


「いいですとも。なんなりと」

「いまさら、なんですけど。……あんなさんがいなくて、三織さんと二人の時でも、あなたのことを、三織さんと呼んでもいいですか?」


 壮弥くんの声が、最後のほうはかすれて聞こえた。


「はい。一度本名で呼ばれると、ハンネで呼ばれるほうが変な感じがしますから。いいですよ、そうしてください」


 はっきりと肯定したので、打てば響くような反応を予想していたのだけど、壮弥くんは少しの間沈黙していた。


「壮弥くん?」

「あ、いえ。今のはけっこう頑張って言ったので、そうあっけらかんと返答していただけたことに、ちょっとこう、戸惑いと言いますか」


 そうだ。

 壮弥くんは、(おこがましいようで自分では言いにくいけど)私のファンなのだった。私だって、尊敬している漫画家さんを本名で呼ぶ機会なんてあったら、緊張する。自分から言い出す時はなおさらだろう。

自分から口に出してくれただけで、壮弥くんは充分立派だ。


「もう、遠慮なく呼んでくださいっ。私は前から、壮弥くんを下の名前で呼んでますしね!」

「はい……ありがとうございます」


 小さいため息が聞こえたような気がしたけど、気のせいだろうか。

 柏駅に近づくにつれ、どんどん人通りは増えていった。街の灯の中で、たくさんの人の顔が行きかっては通り過ぎていく。

 その中の誰より、壮弥くんの姿は際立っていて、眼差しがきらめいていて、存在感が抜きん出ていた。ただ単に彼の容姿が優れているからじゃなくて、この街で一番尊い存在が私の横を歩いている感覚に、私は何度もぼうっとしてしまった。


「三織さん?」

「あ、は、はいっ。あっ!?」


 足元に注意がいっていなかった。歩道の段差につまづいて、たたらを踏んでしまう。


「危ない、大丈夫ですか?」


 壮弥くんが、私の手を取った。

 そのまま優しく握って、ゆっくりと前に進む。私はそれに引かれて、とことことついていく。


「気をつけてください。暗いですし、人が多いですから」

「はい……」


 柏の駅の周りは、暗くなんかない。

 足元も人波もよく見える。

 ただ、私の五歩前を歩く人の姿が眩しくて、ほかのものが見えなくなる。なにを言っていいのかも分からなくなる。

 壮弥くんは振り向かなかった。今、どんな顔をしているんだろう。振り向かないでくれるほうがいい。私はきっと、自分でも見たことのない顔をしている。

 駅に着いて、引き返す。

 さすがにいつまでも沈黙していてはいけないと思い、適当な話題を振った。まだ手をつないでいる。手のひらの温かさに、頭が回らなくなる。

 壮弥くんは笑って受け答えしてくれた。いつもと変わらない笑顔だった。

 私の家に着く。

 ずっとつないだままだった手が離れた。

 私は部屋の中に入り、壮弥くんは部屋の外に立つ。


「では、三織さん。おやすみなさい」

「おやすみ、なさい」


 声がかすれた。

 ドアが閉じた。

 足音が遠ざかっていくのを、少しの間聞いていた。

 不思議だった。

 さっき、同じ場所に立っての別れ際は、あんなに寂しく思ったのに。

 今は、頬の紅潮と、壮弥くんの面影で頭がいっぱいいっぱいになって、寂しいどころじゃない。

 同人イベントは、三日後だ。

 今までなら、イベント直前は楽しみのあまりほかのことは全然頭に入らなかったりしたのに、今日は逆にイベントのことが頭に浮かんでくれない。


「なんなんだろう、これは……!」


 ベッドに飛び乗って、枕を顔に押し当てる。

 さすがに、思い当たることはあった。

 男子に対する免疫が、豊かなほうではないのは自覚している。それでも、私が壮弥くんに対して抱いている好感は、単に顔が格好いいとか、女装が似合っていて見目麗しいとか、ファンだと言われて浮かれてしまうとか、そういうものではない気がする。

 でも、慎重にならないと。

 本当にそうだとして、私のファンだと言ってくれている年下の子に、そんな気持ちで圧迫感を与えたくない。

 今は、壮弥くんといられる時間が楽しい。失いたくない。彼の望まないことをしたくない。

 ちらりとローテーブルの上を見た。コピー本が積み重なっている。

 あんなちゃんも、壮弥くんも、今日これを読んでくれるかな。

 楽しんでくれるといいな。

 今日、いい日だったな。

 ここのところ、そう思える日が、今までにないくらい増えている。



 あんなちゃんが、このファミレスのメニューの中でも特に好評だというポテトフライをつまみながら、


「あー、じゃ、なにもなかったんだ?」

「あったらどうしたの、もうっ」


 コピー本ができた次の日。再びあんなちゃんが柏にきてくれて、私たちは一緒にお昼をとっていた。

窓の外の空は曇っていたけど、日差しがきつくなくて、私としては晴れの日よりありがたかったりする。雨さえ降らなければ。あんなちゃんは、すでに湿度が気になるらしく、何度も髪の先を指でつまんでいる。

 私の本を読んだので感想を言いたいとのことだったけど、それだけなら直接会う必要はないので、きっとなにか別の用事もあるんだろうな、と思っていた。

 あんなちゃんは、注文したパスタが運ばれてくる前に私の本への感想をとうとうと語ってくれた。


「面白かった」「めっちゃ才能あるじゃん」「最初と最後のページがつながってんの、見たことないわけじゃないけどこんなにあっと思わされたことなかった」「ていうかシンプルに絵がかわいい」


 一通りの誉め言葉に、私は赤くなりながらアリガトウゴザイマスと繰り返した。お世辞を言う人じゃないので、きっと全部本音で言ってくれたんだろう。

 そうして、食事が済みかけたころ、昨日の話になったのだった。


「いやーしかしマジでかわいかったね。男の子が無理に女に寄せてんじゃなくて、ちゃんと男らしいとこ男らしいまんまかわいくなってんの、いいねやばいね」

「うん。私も、壮弥くんの女装はよく似合ってると思う。完全に女の子になろうとするんじゃなくて、壮弥くんなりに美しくなってるのがいいっていうか」


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