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「あ、でも、だめか。余計に奇異の目で見られるかもしれませんもんね。すみません、思いつきで言いました。忘れてください」


 そう言う壮弥くんの、ロングドレスの袖をつかんで、私は繰り返す。


「女装状態の……スイさんと……」

「え、ええ。でも、女性ではありませんから、やっぱりちょっと無理が」


 私は、すっくと立ち上がった。


「無理!? なにを言うんです、それはスイさんの個性じゃないですか! スイさんはとってもきれいです! そんなスイさんと一緒に街を歩けるなんて、壮弥くんの時とはまた違った僥倖というものです!」


 こぶしを握り締めて言い放った私に、壮弥くんは若干腰を引かせながら、

「ど、どうも? では、なるべく、悪目立ちしないようにしますので、オーケーということで……よろしいですか?」

「よろしいですとも」


 お店の中の視線が私に集まるのを感じて、咳払いしながら着席した。

 すると壮弥くんが、手を顎に当てて思案顔になる。


「あ、でもツミさん、今原稿の追い込みなんですよね……直近では無理か……」


 いいえ。大丈夫です。

 お酒を飲んだわけでもないのに、また、私の顔は上気して、頭はのぼせてしまった。

 その日は、家に帰ると、かつてない勢いで原稿に取り組んだ。

 予定を大幅に前倒しできることを確信して、壮弥くんにメッセージを送る。

 かくして。

 私は次の週末、女装状態の壮弥くんと、特に目的もなく、お昼ご飯とお茶を共にすることになったのだった。



「お誘いしておいて、なんなんですが。ツミさん、原稿のほうは本当に大丈夫なんですか? イベントってほんの数日後ですよね。もしこれで新刊落としたなんてなったら、おれはツミさんのファンに申し訳が……」

「いえ、これが、自分でも驚いているんですけども。ほとんどの作業が、すでに終了しました。やればできるものです」


 昼下がりのカフェの中で、そんな会話をする。

 この日の壮弥くんは、ウィッグはライトブラウンのセミロング。白地のシャツの上にジレを羽織り、エメラルドグリーンの模様が大きく入ったキャミソールワンピースで、肩や足が出ないようにしている。

 確かに身長はあるけど、丸みのある動き方や、全体的に内向きの姿勢は、いかにも女の人らしい。足音も、身長のある男の人特有のゴツゴツという音がしなくて、軽やかだ。

 時々道行く人が振り返るけど、女装だと思って見られているのか、単に目を引かれてそうしているのかは分からない。おかげで、すぐに人目が気にならなくなった。


 この日は、十一時に柏駅で待ち合わせをした。

 壮弥くん時間と場所は壮弥くんの提案だったのだけど、


「ツミさんお疲れでしょうから、近場のほうがいいかと思って」


 とのことだった。

 女装姿の壮弥くんは、明るい日差しの中でも、大変美しい。アンドロアンサスのお店の中もいいけど、明るくて広いところで会うのって、なかなかいいものだ。

カジュアルなイタリアンで少し早くお昼ご飯をとり、駅の近くの画材屋さんで変わった紙などを買ってみつつ、街歩きをして交差点の露店で鯛焼きを食べた。……ここまで、一応の遠慮はしたものの、なんだかんだでおごられてしまった。

少し汗をかいたのでなにか飲もうと、ちょっとお高めのカフェに私から誘って、さすがにここは私のおごりにさせてもらった。

 座ってしまうと壮弥くんの身長の高さがあんまり目立たなくなるのか、外を歩いている時ほど人から見られない気がする。

 壮弥くんがストレートの水出しアイスコーヒーをストローで吸いながら、喉ぼとけが動くのを絶妙にウィッグの毛先で隠していて、こういう細かい工夫の積み重ねがこの美しさの秘訣なのかな、なんて思った。


「ツミ先生に下賜されたコーヒーは、最高ですね」

「べ、別に下賜はしてませんっ。四民平等ですっ。ていうか学生同士なんですから、そんなに一方的にお金を出すことはないんですよ」


「無理してるわけじゃないですよ。できる範囲でやってますから、ご心配なく」


 壮弥くんは、今日は、抑えた声音で低くゆっくりとしゃべる。彼いわく、「高い声より低い声のほうが、周りに聞き取られにくいんです」とのことだった。

 私はアイスティの氷をストローで軽く混ぜながら、ぽつりと言った。


「こんなふうに、特別な用事がなくても、誰かと一緒に過ごしていいものなんですね……」

「人と遊ぶ時なんて、そんなものなんじゃないでしょうか」


「遊ぶ……。時々、『誰々さんと遊びに行く』みたいな言動を人の口から聞くことはあるものの、遊園地に行くとか、映画を見に行くとか、そういう明確な目的なく『遊ぶ』というのがどういうものなのか、いまいち抽象的でよく分からなかったんですけど。今日、少し理解できた気がします」

「それなら、今度は遊園地に行きましょう。おれは、男の格好でも女装でも、ツミさんのご要望に合わせますよ」


「ゆう……えんち……?」

「ええ。嫌いですか?」


「いえ、それは、……とても楽しいような気がします……」

「よかったです。イベントが終わったら、計画を練りましょうね」


 そう言って彼はにっこり微笑む。思わず喉を鳴らしてしまい、アイスティを吸った。


「壮弥くんは、五月の連休中は忙しいんですか? 同人イベント、行ってみますか?」


 ほかのことならともかく、これに関しては壮弥くんをエスコートできる自信があるのだけど。

 壮弥くんは、かぶりを振った。


「行きたいんですけど、ゴールデンウイーク中はアンドロアンサスでのシフトが目いっぱい入っているんです」

「そうか……スイさん、人気ですもんね」


 実際、お店で壮弥くんと長々と話していると、彼目当ての女性客からねだるような視線が送られてくることは珍しくない。

 エースとまではいかないまでも、しっかり中堅以上の位置には、かれはつけているのだった。


「この前も、女の子三人に囲まれて、もみくちゃにされてましたね……スカートめくられちゃったりなんかして」

「あ、あれは、一応下にショートパンツを穿いているのを、彼女たちも知っているんです。だからこその悪ノリでして」


「スイさんのお客さんて、特別かわいい子が多いような気がします」

「えっ? そうですか? おれは、でも……」


「でも?」

「い、いえ、なんでもありません。……どうかしたんですか、ツミさん?」


 かっ、と顔が赤くなったのを自覚する。

 自分でも気づかないうちに、どんな心理状態になっていたのかを、ようやく理解したからだった。


「……私は、……」

「ええ」


「私は、壮弥くんが、家にきてくれたことがあります」

「……はい。そうですね? ……?」


 壮弥くんが、先を促しているのは分かる。

 まだ話が続くと思っているのだ。でも、私が言いたいことは今ので終わりだった。

 言いたいことと、言わなくてはいけないこと、本当に伝えたいこと。それらは時にばらばらで、どれも私の胸の中から生まれたものなのに、全然一つにまとまってくれなかったりする。

 ひとまず、言わなくてはいけないことを言わなくては。


「引かないでくださいね……いえ、もう、引いてもいいです。私、対抗心を抱いていました、ほかの子に。私だってただの『お客C』みたいなものなのに。つまんないやつです。軽蔑してくださいっ」

「たぶんおれは今のお話あまりよく理解できていませんが、とりあえず軽蔑はしません。……先生って、けっこう、自分を卑下しがちですか?」


「はっきり言ってしがちです。直したいので鋭意努力します。うう、壮弥くんに、こんなこと言いたくない~」

「多かれ少なかれ、ある程度、誰にでもあることだと思いますよ。むしろ、ご自分の頭の中じゃなくて、おれといる時におれに言って欲しいです。都度対抗しますから」


 私は頭を抱えるポーズを解いて、壮弥くんを見た。


「対抗とは……? 私なんて、地味だし、根暗ですし」

「穏やかで、思慮深いんですね。いいではないですか。あと、個人的には、根暗だって言ってる人のほうが、面白い人が多い気がしています」


「そ……」

「そ?」


「それに……嫉妬深い、ような気がします」

「人間らしくていいと思います」


 壮弥くんは微笑みながら、でも真面目な口調で言った。


「……私、今、かなり、甘やかされようとしていますか? 駄目人間にならないでしょうか?」


 いつの間にか、スイさんではなく壮弥くんと呼んでしまっていることに、ようやく気づいた。


「なりません。おれは本音しか言ってませんしね。嫉妬についても、おれはどちらかというと、執着がなくて怒られるタイプなので」


「え」


 その時の壮弥くんの顔には、一瞬、今までに見たことのないかげりを感じた。

 でもその影はすぐに鳴りを潜めて、いつもの笑顔に戻ってしまう。


「そんなわけで、おれでよければいつでも使役してください」

「使役を」


「ただ、……そうですね、これは、おれがツミさんに言わなくっちゃいけないことだな……。おれの――おれみたいな人間と交流を持つ時の、注意みたいなものなんですが」


 壮弥くんは、少し困り顔になった。


「と言いますと?」

「おれの一人称は『おれ』ですが、こんなふうに、女の人の格好をすることがよくあります。というか店では当然、常にこうです」


 うなずいて、聞く。


「そうすると、どうしても、男くささが弱まります。あえて男っぽく振舞う芸風のキャストを除いて、基本的には女性化するわけなので。そうすると、性別がなんとなくあいまいになりますよね」

「はい、それが魅力だと思いますし」


 アンドロアンサスでの壮弥くんは、明確に女性化するというよりは、「男性が女性用の服装やメイクをしている」という感じなので、肩や手の甲などの男性らしい体のパーツは独特の魅力になっている。一方で、そういう部分を上手く覆い隠し、ほとんど女の子にしか見えないキャストさんもいる。

 こうした個性も、お店の魅力の一つだと思う。


「それが、女性側の警戒心を緩めてしまうことがあるんです。おれは性自認は完全に男性で、恋愛対象の性別は女性です。そういう男に対して、普通なら抱く程度の警戒を、見た目の性別が緩和してしまうことがある。度を越えて、安全だ、と誤認させてしまうことがあるんです。……中には、それを悪用しようとする女装だっているかもしれません」

「それは、……分かる気がします」


 アンドロアンサスにくる女性客は、見ていて大丈夫かなと思うくらいに、あけっぴろげにキャストさんにアプローチしていくことが時々ある。まるで、女の子同士にするみたいに。

 これってキャスト側がその気になれば、女子はけっこう危ない目に遭ってしまいうるのでは……なんて考えては、私って失礼かなと思ったこともある。


「男は、女の人を、女性として容易に傷つけてしまえる性別です。その逆だってあるんでしょうけど、おれの場合は、自分が男なので、前者について多分に配慮すべきだと思うんです。だから、……ツミさんに、言っておきたいのは」

「あ、はいっ」


 話に聞き入っていたので、いきなり自分の名前を呼ばれて、慌てて背筋を伸ばす。


「おれがツミさんと、こうして交流を持とうとするのは、決して、その、悪いことを考えているんじゃないんです。この関係を、悪用なんてしたくない。だからツミさんも、必要以上におれに気を許さないでください。それをおれは、失礼だなんて思いません」

「……もしかして、壮弥くん、うちに上がったことを気にしてますか?」


 壮弥くんの顔が、真っ赤になった。

私も顔が熱くなっている時、こんな顔をしているんだろうななんて思っていたら、自分まで赤面してしまった。


「あの時は本当に舞い上がってしまいました……」

「でも私は壮弥くんに感謝してますし、きてもらってよかったと思ってますよ」


「うれしいです。でも、ツミさん。ああいう状況や手当の必要がなければ、出会ってから一ヶ月も経っていない男を、部屋にあげたりしないでしょう?」

「壮弥くんだから上げたんですよ。ほかの男の人なんて、引き合いに出したってだめです」


 いつの間にか、私は怒り顔をしていたらしい。

 壮弥くんが慌てて、すみません怒らせるつもりでは、と頭を下げてきた。私も慌てて、頭を上げてもらう。……なんで私、そんな顔になったんだろう?


「その後、あのストーカー男はどうですか?」

「あれから一度も見かけてません。懲りてくれたんじゃないでしょうか」


 その時、私のスマートフォンにメッセージが届いた。

 あんなちゃんからだ。


「あ、あんなちゃん、今日うちにくるみたいです。同人誌作りが佳境だって言ってあったので、コピー本折るの手伝ってくれるって。……ん?」

「どうしました?」


「人出が多いほうがいいだろうから、壮弥くんにも手伝ってもらったらどうか、と……。今日壮弥くんと会うことも言ってたから」


 そんなわけにはいかないよ、と口に出しながら返信する。

 すぐにまた返信がきて、「ていうかあたしが会ってみたい。アンドロアンサスの子でしょ?」

 壮弥くんをちらりと見る。きれいだ。この壮弥くん――お店用ではなくて、プライベートでの女装状態――を、あんなちゃんに見せてあげたい気もする。


 それを言うと、壮弥くんは思案顔になった。


「おれは全然構わないんですけど、それって、ツミさんの家でってことですよね? さっきの話の後で、またお邪魔するっていうのも……」

「今度は二人きりじゃないですし、まだ明るいですし。それに、……」


「それに?」

「私の原稿を見て、壮弥くんが、凄くうれしそうにしてくれたので、……今度は、完成品を、最初に壮弥くんが見てくれたら、私もうれしいなあ、……なんて」


 制作の途中を見られたからなのか、今回仕上げた作品の最初の読者に、壮弥くんがなってくれたらいいな。そんな気持ちが降って湧いた。

 壮弥くんはイベントにはこられない。できることなら、私が壮弥くんに私の本を手渡ししたい。それも、イベントが終わった後じゃなくて、始まる前に。それはささいかもしれないけど、私にとっては特別な気がした。


「……分かりました。おれでお役に立つなら、うかがいます」

「はいっ」


「でも三織さん、おれのことを安全だとは思わないでくださいね」

「……正直に言うと、壮弥くんはとても安全な人だと思ってしまっています」


 壮弥くんが、顔をやや前に突き出した。


「おれはツミさんと出会えたことに感謝していますし、ツミさんを大切にしたいと思っています。でも、もう一度言いますが、男の服を着ていないからって、男としての欲望が希薄だとは限りません。おれの周りではですけど、女装はそういうのがむしろ強めな人のほうが多い気さえしますしね」

「そういう、の」


 指示名詞で逃げようとしたけれど。


「性欲、です。もう、これははっきり言います。ツミさんのためですから」

「は、はいっ。気をつけます。私も、壮弥くんとの関係、大切にしたいので!」



「うっわ、かーわ。かわいいじゃん、背の高い子の女装っていいねー! モデルみたい!」


 あんなちゃんは、私たちがうちに着いてからすぐに到着した。

 ドアを開けて壮弥くんが目に入った、第一声がこれである。


「ありがとうございます。あんなさんも今日の服とっても素敵ですね。あ、髪、お店にきていただいた時とは違う巻き方にしてます?」

「お、目ざといねえ。ありがとー、当たり。どれどれ、三織、マンガ見せてよー」


 私は、ローテーブルに積んだ紙の束をあんなちゃんに見せる。すでに原稿はコピー済みで、残るは製本作業のみなのだ。


「折る方向と順番は決まってるけど、それさえ確認したら、あとはひたすら折るだけだよ。それが終わったらページ順に並べて、ホチキスで止めて、テープで押さえれば出来上がり」

「うわー、三織のマンガの実物初めて見るわ。え、かなり上手いんじゃないの、これ」


「そうなんです、あんなさん。ツミさんのマンガは、絵も話も最高なんですよ! その誕生の瞬間に居合わせることができるなんて、幸せだな……。さあ、どんどん折りましょう」


私たちは三手に分かれて、作業を始めた。

ただとにかくA3のコピー用紙を二つ折りにしていくだけなんだけど、できる限り丁寧に仕上げたいので、集中すると口数が減る。

しばらく三人とも黙々と手を動かしていたら、ふいに、あんなちゃんが口を開いた。


「そういえば、壮弥くん、でいいかな? さっき三織のこと、ツミって呼んだよね」

「ええ。それがツミさんのペンネームなので」


「あたしは三織って呼ぶからさー、同じ人がすぐ横で違う呼び方されてると、気になっちゃうんだよね」

「ああ、分かるような気がします。……ん? そうしますと?」


 あんなちゃん?


「壮弥くんも、三織のことは三織って呼んでくんない?」


 あんなちゃん!?

 さすがに、壮弥くんが驚いて、手の動きが止まっている。


「それは、ちょっと……」

「なんで? 三木元さん、てのもよそよそしいしさ。今のあんたたちの親しさからいくと、ツミさんでも三織さんでも問題ないんじゃないの?」


「え、あんなちゃん!」

「ん? 三織はいや?」


「い、……」いやかと言われれば、「いやでは……ないけど……」

「だって、壮弥くん。ほらほら。第一、あたしのことはあんなさんって呼んだじゃん」


「そ、それはそうですけど……。で、では。三織、さん」

「はいっ」


「あ、いえ、用事があったわけでは。続けますねっ」


 そう言って、壮弥くんは再び手元に視線を落として紙を折り続ける。

 あんなちゃんはというと、素知らぬ顔で、やっぱり紙を折り出していた。

 下の名前で呼ばれるくらい、全然いいんだけど。ペンネームやハンドルネームも、本名に準じて使っているんだし。でもなんだか、ペンネームの時にはあったオブラートが溶けてしまったようで、一抹の心細さのようなものがある。

 それまで一歩分の距離を置いていた人が、今はすぐ隣にいるような、自分の体温が感じ取られてしまいそうな、不安のようなもの。


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