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 すると別の男子が、


「なんだよ、今度の子は他校生かよ。緒田、ほんと女途切れないし回転いいよな」


 と笑った。

 どう対応していいか分からずに、壮弥くんを見上げる。

 壮弥くんは、真面目な顔をしていた。


「回転てなんだよ」


 壮弥くんの低い声に、五人が笑うのをやめる。


「いや、だってお前、一念の時から彼女何人目だよ? はええ時、一ヶ月くらいで別れてたじゃん。だからさ」

「回転、か……。そんなふうに言われてたってのは、知らなかったな」


「あ、緒田、悪い。今の、おれが悪かった。ちょっと羨ましかったのもあって、つい」

「いや、おれがちゃんと説明してこなかったせいでもあるから。……つき合ったわけじゃないのにいつの間にか彼女とか元カノって言われる女子がいたのは、それが分かった時ははっきりそうじゃないって言ってたつもりなんだけど、みんな笑ってあまりとり合ってくれなかったりもしたからさ」


 五人組は、壮弥くんと私をきょろきょろと見比べた。

 見た感じ、文化祭でハイになって口が滑ったのを、今猛烈に反省しているように思える。


「みんな、この人は三織さんていって、おれの大事なお客なんだ。おれの落ち度は謝るよ。だから、この人への失礼についてだけは頭を下げてくれないか」

「え、壮弥くん。いいんですよ、私、そんな」


 でも五人組は、次々に私に謝ってくれた。

 本当に、大して失礼だなんて思っていなかった。気になっていたのは、もっと別のこと。


「行きましょう、三織さん。ごめんな、みんな」


 壮弥くんは廊下をかつかつと歩いていく。

 急いで後を追いかけた。壮弥くんといて、こんなことは初めてだった。

 今まで、私が見たことのない壮弥くん。

 それも、私がきっかけで。

 私は、なんとか追いすがると、壮弥くんの右手を握った。


「三織さん」

「……今日は、かじょじょですから」


 舌が絡まった。


「かじょじょ?」

「彼女っ」


 壮弥くんの顔が見られない。

 彼女などと言い放ったので恥ずかしかったのもそうだけど、今は、壮弥くんは顔を見られたくないんじゃないかと思った。


「……三織さん。おれ、今日はこのまま、早退しちゃおうかな。模擬店の片づけは明日ですし」

「そうなんですか。でも、打ち上げとかあるんじゃないんですか?」


「あります。でも、もっと大事なことがある気がして」


 もっと?

 反射的に、壮弥くんの顔を見上げた。


「今日、おれの家まで、一緒に帰ってもらえませんか?」



 壮弥くんがかばんを取りに行き、私はもちろん、自分の服に着替え直してから。

 私と壮弥くんは、秋葉原から、千葉方面の電車に乗った。日曜日の電車は、中途半端に混んでいる。一つだけ空いた席に、壮弥くんが座るよう勧めてくれたけど、かぶりを振って二人で並んで立った。

 いつも送ってもらうばかりなので、私が送るのは初めてだ。

 地下を走っていた電車が、外に出た。外はまだ明るい。

壮弥くんの最寄り駅は、柏の隣だった。着くまでには、三十分以上かかる。

 その間、とりわけ人の少ない位置に移動してから、壮弥くんは自分の話をしてくれた。


「おれは、決して、女子ととっかえひっかえつき合ってたとか、そういうわけではなくて」

「はい」


「ただ、交際したことはあります。何人かと。あ、全部、一対一ですよ」

「……はい」


今の彼女。

 今度の子。

 あの五人組の男子たちの、軽い調子で吐かれた言葉が、思いがけないほど私の胸に突き刺さっていた。

 壮弥くんが、今まで誰ともつき合ったことがないなんて思っていたわけじゃない。

 むしろ、彼女がいるほうが自然だとさえ思う。

 けれど、私の知らない壮弥くんの生活を直に知っているのだろうクラスメイトの、ざっくばらんな言葉は、そのせいでかえって大きな痛みを生んだ。

 その子たちは、かわいいんですか。

 二人で、どんなところへ行って、どんなことをしたんですか。

 聞きたいけど聞きたくない。

 勝手だな、とは自分でも感じる。

 そんな私の都合は、今は無視して、壮弥くんのために言えることを言わなくては。


「でも、全然悪いことじゃないですよ。好きなら、いいじゃないですか」


 好き、という言葉を口にするだけで、胸がちくりと痛んだ。本当に、物理的な痛みを感じた。どうなってるんだ、人体。


「好き、だったのかどうか、今ではおれには分かりません。ただ、つき合うべきだと思って、自分の意志でつき合いました。それは本当です」

「つき合う、べき?」


「……女子って、理不尽なことが多くないですか?」

「へ?」


 話が飛んで、間抜けな声が出てしまう。


「月に一度、何日も体調を崩すのもそうです。出産、なんかはおれにはまだ分からないことが多いので、簡単には言えませんが、少なくとも男は体験することはない。それに、そう、文字」

「文字、ですか?」


「女子って、特に習字の経験とかなくても、自然に男子より字が上手くて当たり前みたいな印象ありません?」

「あー、それはなんだかある気がします! 私字が下手なので、学級新聞の字を書いてくれって言われてすごく嫌だったの覚えてます!」


 あの時、確か、女子なのに字が下手だなと言われた気がする。……もしかしてこれって、私だけじゃないんだろうか。


「でも、字の上手い下手に、性別って関係ないですよね。ほかにも、同じくらい子供部屋が散らかっていても、男の子ならそんなもんだしょうがない、女の子なら女子なのにだらしないな……みたいに言われそうなイメージが、おれにはあって」

「そっ……それもなんだか、分かるような……」


「だから、中学の時に初めて女子から告白された時は、凄くうれしかったし、がんばろうと思ったんです。おれにできることはなんでもしたいと思ったし、それを苦になんてしなかった。もちろん、女の人を哀れんだりしていたわけじゃありません。ただ、理不尽な苦労を取り除きたくて、そのための努力ができる人間でありたかった」


 自分の中学の時を、思わず振り返る。

 そんなことは、たぶん、思ったこともない。性別には独特の苦労がついて回るな、とはなんとなく感じていた気がするけれど。


「最初は、優しいって言われましたよ」


 私もそう思います、と言いかけて。


「でもしばらくすると、気詰まりだったり、申し訳なくなるんだそうです」


 慌てて、言葉を飲み込んだ。


「なんとか適度に調整したかったんですけど、なかなか上手くいかなくて。……三織さんは今のところどうですか?」

「私は、そういうことはないです」


 これははっきり言う。


「そうですか。よかった」


 今まで何度も壮弥くんの笑顔を見てきた。

 でも、こんなに寂しそうなのは初めてだった。


「今まで、壮弥くんの接し方がちょうどいいっていう子はいなかったってことですか?」

「中には、単純に気が合わなくて別れたり、飽きられたりして終わったのもありますから、全員そうだったわけじゃないんですけどね。つき合い出してからのほうが距離を感じて素っ気なく思うようになったとか、もっとなんでもイケイケだと思ったとか、意外な理由を言われることもありましたね」


 男女交際については、私が壮弥くんにアドバイスできることなんてなにもない。

 ただ、聞くのみだ。


「おれの悪いところも、自分で分かってます。つき合ってる相手にも胸襟を開かないというか、一線を引いているところがあるので」


 なるほど。そういうのは、女子は敏感なのかもしれない。一応私も女子なのだけど、どうしてもこのあたりは「かもしれない」止まりになる。


「三織さん」

「はい」


「実は、その一線というのは、おれの家なんです」

「家、ですか?」


「ええ。おれは、今までにできた彼女の誰も、家に呼んだことがありません」


 へえ、そうなんだ、としかこの時は思わなかったけれど。


「でも、三織さんには、見て欲しいんです。おれの家を」

「え、はい。私でよければ。ちゃんとご一緒しますよ」



 流山市の駅で、電車を降りた。

 駅前には大きなショッピングセンターがあり、関東平野の視界が遮られるほど、たくさんのマンションがある。


「こっちです」


 壮弥くんに促されるまま、歩き出す。

 十分ほどすると、やや寂しい一角に着いた。

 このあたりの家は、木造の一戸建てが多いみたいだった。

 そのうちの一つ。平屋の家の前で、壮弥くんが足を止めた。建物は古くて、ところどころ壁が傷んでおり、土だけの植木鉢が五六個乱雑に置かれている。


「ここです。汚いでしょう?」

「年代を経ているな、とは思いますけど、汚いかどうかは分かりません」


 壮弥くんが小さく笑った。

 そして、何度か深く呼吸をしてから、意を決したように引き戸を開ける。

 がらがら、と音がした向こう側は、電気がついていなくて薄暗い。いや、かなり暗い。


「三織さん、ここで少し待っていてください」

「? 分かりました」


 とりあえず言われて通りに、玄関の横で待機した。

 壮弥くんは、靴を脱いで、中に上がる。


「父さん。いる?」


 え、お父さん。そうか、日曜日だもん、いるか。いきなりご家族と会うとは思わなかった。そういえば、壮弥くんて一人っ子なのか、きょうだいがいるのかも、私は知らない。

 髪の先を整えたり、無駄に眼鏡を直したりしていたら、家の中の空気が、そろりと外ににじんだ。

 独特のにおいが感じ取れる。これは、アルコールだ。

 壮弥くんのお父さん、けっこうお酒飲むのかな。


 がん。

 と音がした。物がぶつかるような。


「父さん、危ないよ。日曜日は飲まないって約束しただろう」


 がしゃがしゃ。

 なにか、瓶や缶が転がるような音がする。

 それに交じって、男の人のうめき声。


「なあ、立てる? 今日、父さんが素面だと思って、お客さん連れてきたんだよ。玄関まででいいからさ、ほら、上着て。ね?」


 壮弥くんの声ははっきり聞こえる。


「ほら、顔洗って。……真っ赤じゃん。朝から飲んでたの? ……約束、したのに」


 声が上ずり出した。


「おれが、……尊敬してる人なんだよ。バイト先でもお世話になってるんだ。……頼むよ。父親だろ? ……挨拶くらい、してくれよ!」

「壮弥くん」


 思わず、名前を呼んでしまった。

 壮弥くんの声がやんだ。

 今度は小さな物音がいくつかして、そして、壮弥くんが出てきた。


「すみません、三織さん。……行きましょう」


 そう言って駅のほうへ歩き出すので、ついていく。


「いいんですか? 帰ってきたのに」

「いいんです。あれ、見てください」


 壮弥くんは、立ち止まって、斜め上方向を指さした。

 背の高い(何十回建てなのか数えるのも難しい)マンションがある。


「あのあたりに、離婚した母親が住んでいます。いろいろ援助はしてくれるので、生活には困らないで済んでます」

「近っ……そして高っ!?」


 失礼ながら、今後にしてきたばかりの平屋との格差が凄すぎて、叫んでしまった。

 壮弥くんは苦笑しながら歩き出す。


「父親はあれで腕のいい建築士で、けっこう稼いでたみたいなんですけど、今はたくわえを食いつぶして酒浸りです。離婚して、あの家に移り住みました」

「壮弥くんは、お父さんについていったんですか」


 これも失礼ながら、お母さんのほうについていったほうがよかったのでは、などと思ってしまう。


「おれもそう思います。でも父親には、恩も愛着もいい思い出もありましたし、母親も建築士なんですが子供の面倒を見ている余裕はなさそうだったし、父のほうを選びました。……そのころには酒量がだいぶ増えていたので、目が離せなかったのもあります」

「今までの彼女さんを、家に呼ばなかったのは……」


「あの父親を、見せられなかったんですよね。あのアル中の息子とつき合っていくのかと思いながら我慢して交際してほしくはなかったし、かといって父を悪く言ってもらいたくもなかった。……三織さんには、見せてしまいましたね」

「はい。しかと」


 壮弥くんが、再び足を止めた。


「三織さん、どう思いました?」

「前に、割のいいアルバイトをしていると言っていたのは、お父さんが関係あるんだろうか、と思いました」


 壮弥くんが、驚いた顔で私を見る。


「そうです。おれの学費のほとんどは父親が出しました。今の父が社会復帰するのはまだ難しいですが、その元手になるように、おれにくれた学費くらいは返してもいいのかなと思って。……どうも、満額は難しそうですが。できる限りは」

「なるほど……」


 私は繰り返しうなずいた。


「え。三織さん?」

「はい?」


「それだけですか?」

「もちろん、いろいろなことを思っています」


「そう、ですよね」と壮弥くんが目を伏せる。

「たとえば、アルコール依存症からの回復方法を、具体的に調べたいなと思いました。『飲まない』以外に方法はないと聞いたことがありますけど、どうすればそれがやり通せるのか、実例を知りたいですよね」


 壮弥くんが、あっけにとられた顔になる。


「壮弥くん」

「は、はい」


「壮弥くんは、私を助けてくれたじゃないですか。痴漢のことだけじゃありません。私が何年もため込んでいた苦しみを、壮弥くんは晴らしてくれました。今度は、私の番です」

「三織、さん」


 日曜の午後。空はまだ明るい。

 夕暮れまでは遠かった。

 だから、彼の顔はよく見えてしまった。

 笑い顔は何度も見た。朗らかな微笑も、苦笑いも、寂しそうな遠く距離を感じる笑顔も。

 でもこの顔は初めてだった。

 雫が一筋の尾を引いて、頬から顎先へ流れていく。

 私はハンカチを出して、彼の涙を吸わせた。

 壮弥くんが私の手を取った。

 二人で手をつないだ。

 私がそうしたくなる理由と、彼がそうした理由は、少し違うんだろうなと思った。

 それでも私たちは同じだった。

 うぬぼれかもしれないけれど、たぶん、同じくらい、私たちはお互いが大切だった。

 マンションが多いせいか、ビル風のような強い風が時折吹きつける。

 その中を、私たちは歩き出した。

 風が強いね、と笑いながら。



 壮弥くんの涙はすぐに止まった。

 私たちは、駅の近くまで戻ってきていた。

 壮弥くんがさっき指さしたマンションは、駅のすぐ近くだ。


「近づいてみると、改めて、大きいですね……」

「はい。中に入るにも、なんだかいろいろハイテクなんですよ」


 ついふらふらと、マンションのエントランスを覗き見てしまう。

 ちょうどそこにいた、高校生くらいの女の子と目が合ったので、慌てて視線を逸らす。

 ……ん?

 女の子のほうは、じっとこちらを見たままだった。

 あれ、もしかして、不審者だと思われたかな。


海未(うみ)」と言ったのは、壮弥くんだった。


 唐突に海の話が始まったわけでないだろうから、なんのことかと思ったら、壮弥くんはあの女の子を見ている。

 どうやらあの子の名前らしい、とようやく気づいた。


「壮弥」


 海未と呼ばれた子は、壮弥くんにそう答えた。

 そして、つかつかと私たちのほうに歩いてくる。幾何学模様の柄が入った赤いスカートの裾がはらはらと揺れていた。上は白いノースリーブで、白くて丸い肩が初夏の陽の光を反射している。

 彼女が壮弥くんと名前で呼び合っていることに、少しだけ狼狽していると、壮弥くんが「いとこです。同い年の。(しの)海未といいます」と教えてくれた。

 ……あれ。この子、どこかでみたことがあるような。気のせいかな。

 海未さんは私よりやや背が高くて、落ち着いた栗色にグラデーションした髪は、かわいらしくゆるく巻かれている。目元が壮弥くんと似ていて、少し切れ長だった。そのせいで見覚えがあるのかな。


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