8.5頁目 「聞こえない程度で、口ずさむように」
前回の話の短い後日談です。
あれから一週間が過ぎ去ろうとしている週末の金曜日。
衝撃の結末を迎えた月曜の残り香は未だ霧散することを知らず、体に纏わりついている。
だがクラスの連中はもうそれが遠い過去のように、散漫した新たな空気に馴染んていた。その影響を顕著に表れていると感じたのは、自分への反応の変化によるものだ。
今まで話し掛けてこなかったクラスメイトに声を掛けられ、放課後にはさよならの言葉を交わしてくる。そんな唐突な環境の変化が逆に恐怖感を仰いできたりもする。
「――花崎さーん」
昼休み、暫く適当にスマホを弄っていると後ろの方からおっとりした女子の声がアタシの名前を呼んできた。
「お昼食べましょう。こちらにいらしてくださーい」
声の方へ振り返るとそこには二人の――今や友達とも呼べる二人の女子が手をこまねいていた。
「分かってるって、今行くよ」
名前を呼ばれ、一緒の食事に招待されるだけで口角が上がる。
そんな身も心も柔らかくなった自分に気持ち悪いとさえ感じる。歪みに歪みまくった心が矯正され、平衡感覚が呼び覚まされるギャップに酔ってしまったのか、正直まだ気持ちの整理がついていない。当然だろう。近寄りがたい見た目と、それにお似合いの噂が蔓延る中でアタシなんかに近寄ってくる人間はいなかった。アタシ自身、いつしかそれが当たり前と錯覚していた。だからだろうか、誰かにお昼を誘われる小さな出来事に照れ臭さが混ざってしまう。
そんなアタシは自作のお弁当と照れを携えて友人の元へ歩み寄る。
その途中、とある男たちに目が止まる。
「俺この間ロリコンのエロ漫画読んでさ~。もうすっげぇロリが巨乳なんだぜ? 知能に先んじて胸が先に成長しとるやんみたいな。名取は読んだことある?」
「いやロリコンのやつは読んだことないな。でも結局は胸がデカくてエロかったら何でもいいってことなんじゃね? そこんとこどうなんですか、ロリ本大臣」
「誰がロリ本大臣だ! んなこと俺が知るわけねぇだろ。現実で手出さなきゃ別にいいんじゃね?」
「と、常日頃ロリに手出してる大臣が申しております」
「ぶっ殺すぞッ!」
ギャハハと、真昼間から人目も気にしない下卑た会話をあっけらかんとひけらかしていたトライアングルバカの姿がそこにあった。
でも、こんな馬鹿たちでも誠に遺憾ながら感謝せざるを得ないことは事実。そこのロリ本には何もされていないけど。
いくら底なしの馬鹿でも、そんな馬鹿だから救われる世界線もあるんだなと思ったりもする。
「ま~でも俺の最近のお勧めは――って、花崎!? 何だそのゴミというかゴミ以下を見るような目は!」
どうやら感謝の気持ちとは別にアタシの体は正直のようで、どれだけこいつらに徳を積まれようと馬鹿どもを見下すアタシの目つきは変化しなかったらしい。それでも以前に比べて小さじ一杯程度の優しさは加わっているはず。
「はあ~……。こんな時間から――いや、まあ何でもないわ」
そこでアタシはお弁当のゴムを取って蓋を開けた。これはどういう訳か、ただただ本当に気まぐれで、魔が差したのだろう。偶然にも卵焼きを普段より三つ多めに作ってきていた。
「ほらアンタたち、黙って口を開けろ」
「何でだよ!」「急にこえーよ!」なんて声も聞こえるが、そんな相手の心情なんて知ったことじゃない。
「いいから早く口開け。開かないと歯一本ずつ折っていきまーす。はい三秒前~に~いーち――」
脅しに耐えきれなくなった馬鹿三人は一斉に口を開いた。
「ほれほれほれ」
そして目にも止まらぬ早業で次々に卵焼きを口に放り込んでいった。
「ん? 卵焼きか? 旨いなおい!」
「おーホントだ、うめぇ――おい名取、どうした? なんか微動だにしないけど」
「ウオォェェェェェェーーッ!」
名取が卵焼きを口に入れて数秒後、急にティッシュを取り出して吐き出した。
「ちょ、お前これワサビか……!?」
「そう、一つだけ大量のワサビを入れたのよ。ロシアンルーレットね。どう、刺激的だった?」
「いや量ヤバいだろこれ! もはや致死量なんですが!?」
「あっはっはっは! 良かったわー、アタシの許可なく勝手にレディの会話を録音したアンタに当たって。いやー仕返しが出来てせいせいしたわ」
「お前それ出来レースじゃねーか!」
苦しむ名取とそれに爆笑する二人をよそに、アタシは心底満足してその場から立ち去った。
そんな、わちゃわちゃと騒がしいトライアングルバカに聞こえない程度に小さく感謝を述べる。
「――ありがとう、馬鹿ども」




