4頁目 「その姉、空間を掌握する」
「ーーどうやらボクはまだ、自分の理想とする告白されたいシチュエーションがないみたいでね。だからここは敢えて、ボクがしたいと思っていることをさせてもらうよ。それがこれさ」
「だから壁ドンってか。これは本来男がやるべきものだと思っていたんだがな」
「壁ドンは男じゃなきゃダメなんて定義はないさ。無論、ボクにこんなの似合わないのは知ってるよ。でも憧れたものは仕方ないじゃないか。昔の少女漫画で主人公の男の子がヒロインに壁ドンをしているのを見てね、ボクもやりたくなってしまったのさ」
そんなの思いっきり似合ってるに決まっているだろう。仮に俺が壁ドンしたらこんなに様にはならないだろう。一体こいつはどこまで男の尊厳をコケにしたら気が済むんだ。
確かに男じゃなければ壁ドンしてはいけないなんて道理はない。今は俺が神崎よりも身長が高いがためにこれで済んでいるものの、身長が低い男子なら間違いなくこれでイチコロだろう。世の中にこんなあざとい一撃必殺があってたまるか。
俺と神崎の唇は距離にしてほんの数センチ。微かな吐息さえも首元を優しく巻き付け、呼吸音さえもまるでASMRのように耳に入ってくる。
明らかにこれはまずい。男としての第六感が直感的にそう告げている。全身がミミズ腫れに絡まれ、グシャグシャに掻き毟りたくなるような醜い衝動が全身を駆け巡る。
「ただ一番の欠点としては、こんな大胆な行動を取っても振られてしまうことだがね。力技と言っても否定できないこれを振り払われてしまっては、ボクは生涯消えない傷を刻むことになるだろうな」
「だったらやらなきゃいい。そういう汚れ仕事は男が引き受けるもんだ。そんな見栄を張らなくても相応の態度ってもんがあんだろ。つまり何が言いたいかと言うと、早く俺から離れてくれ。じゃないとこの薄っぺらい虚勢が保てそうにない」
「おや、強がっていたのかい? じゃあやはり壁ドンは男の子にとっても効果的ということになるな。それが知れただけでも僥倖さ」
「アホ抜かせ。こんな姿誰かに見られたら神崎が大変だろうという俺の細やかな気遣いだ。断じて効果的ではない」
「……ふーん。ならその虚勢の厚みがどれ程のものか、確かせてもらおうかーーそうだな、あと五分くらいは粘ってみようか。いや、十分かな?」
「ごめんなさい。正直に申しますともうかなりキツイです。これ以上は色々と可怪しくなってしまいそうなので勘弁して下さいお願いします」
「ふふっ、見栄を張っていたのは君だったようだね」
そう言うと神崎はようやく俺から離れ、何やら勝ち誇ったように薄く笑みを浮かべる。
季節はまだ春の走り。それなのに背中にびっしょりとかいた汗は何かを物語っている。背中を預けていた木にはうっすらと色が濃くなっており、これが消える間はここで何かあったことを証拠として残ってしまう。そんな小さな証明が彼女にとっては嬉しかったのだろうか。本意は定かではない。いや、実際はそんなに難しいことではない。俺をからかえたことに一縷の喜びを感じているのだ。こんな美貌を晒しておいてSっ気混じりの性格は大層たちが悪い。
「お前これ絶対女子相手にやんなよ? お前の意図しないところで無慈悲な愛をバラ撒くようなもんだからな」
「そんなことはしないさ。言っただろう? これはボクがしたい告白のシチュエーションだと。気軽にやろうとしないよ」
そんな言葉を誰が鵜呑みにするのかと、という疑いの目を彼女は見てくすっと笑った。
「さて、もう昼休みも終わってしまうな。すまない、ボクのせいで君の時間を奪ってしまった。午後の授業、お腹が空いてしまったらごめんね」
「いいよ。腹なら満たされた」
人間は食事以外でも空腹が満たされると思い知った。その証拠に今はおにぎりの一つも胃に運ぼうと思わない。再びお腹が空く頃には、この時間のことを忘れているだろうか。とてもじゃないが無理である。
「じゃあ教室に戻ろうか」
そんな名取と神崎のやり取りの一部始終を廊下の窓から見ていた一人の影。
「ーーへぇ」
◆◆◆
「ーーあっぶな! いやその攻撃パターンは分かんないって。あれ体力以上削られるからできるだけ喰らわないようにしないとな」
現在夜の七時前。
俺は待ち望んでいたゲームのアプデによる追加モンスターに悪戦苦闘している。
大げさな反応。独り言にしては大きい声量。近所迷惑すれすれでゲームをしている俺は画面にのめり込むようにプレイしている。
「あっ! いや今の避けれないのマジか〜。やべーよあと一回しか死ねないじゃんか〜」
そう、今は夜の七時。
一般家庭は夕食にありついている時間。それを差し置いて名取はゲームに夢中になっている。
「ーーおねーちゃーん。そろそろ智くん呼んできてくれるかしら」
「あいよ〜ーーったくしゃーねーな〜」
お姉ちゃんと呼ばれた女性は階段を登り、名取の部屋の前に着く。扉には『配信中』と書かれた紙が貼られている。
「おいともー。夕飯だぞー、さっさと降りてこい」
『うっはー! 今のクリップ行きだろ! 初見でこれはなかなかの神プレイ。これいけるか? いけるんじゃねーか!?』
「なぁおいともー。母さんが呼んでっから早くーー」
『あ、弱った! やっと弱ったー。このままゴリ押しでーーいや、こういう時こそ慎重に行こうか。焦らず忠実に、確実に倒すのが定石よ』
どんどん激しくなるドアのノックとそんな彼女の声を他所に自分の世界にどっぷり肩まで浸水しきっている部屋の主にイライラを募らせた血管が徐々に顔に現れ始める。だがそれも我慢の限界の様子。とうとう痺れを切らした彼女は勢いよくドアを開ける。
「コルァァァァ! 飯の時間だっつってんだいい加減返事の一つでもよこしやがれーっ!」
「バーー何勝手に入ってきやがんだ! ドアのノックという当たり前の常識を忘れたのか!」
「何回もしたっつーの! いつまでゲームやってんだ! また飯温め直すのめんどくせーから早く降りて来いって言ってんだよ!」
「ドアに貼ってあった紙の字が読めねーのか! 『配信中』って書いてあっただろが! 何回姉フラすりゃ気が済むんだ!」
俺は動画配信サイトでゲーム実況者として活動している。
登録者数もそこそこ多く、動画投稿とライブ配信も相まって収入はかなり得ている。ゲームのジャンルはアクションやRPG、FPS等、幅広く配信している。
そんな今の時代に憧れの職業を生業にしている俺の配信に一つの悩みがる。それが今まさにこの状況だ。時折、姉が何の断りもなく配信中に乱入クエストを仕掛けてくるのだ。今となっては最早お家芸と言われているが、最初はかなり焦った記憶が鮮明に刻まれている。しかし、だからといって姉フラしていいとは思っていない。
「そんなアンタの事情なんか知るかよ。いいからさっさと切り上げて下降りて来いって言ってんだよ」
「ちょっと待ってろって! 今めっちゃいいところでーー」
慌てて画面に向き直すと、操作していたキャラクターが仰向けに倒れ、画面の真ん中に『力尽きました』という今最も見たくない文字が表示されていた。
「アァァァァァァァァァーーーーッ!」
どうやら少し目を離していた間に戦っていたモンスターに撃破されてしまったらしい。いや、この場合はゲームのモンスターというより俺の後ろでつまらなそうに壁に寄り掛かっているモンスターに俺が討伐されたと言っていいだろう。
崩れ落ちた俺を鼻で嘲笑うこの悪魔を祓うためにエクソシストにこいつを討伐してもらおうかと本気で考える程だ。
そんな俺の苦労とは別にコメント欄では別の盛り上がりを見せている。
『お姉ちゃんキターーーーー』
『乱入クエスト開始!www』
『また姉御の声が聞けて嬉しい』
などと何故か俺のリスナーには姉のファンも一定数獲得しており、視聴者数が一気に跳ね上がるというもどかしい現象が起こる。
「おーおー、アタシの登場でコメントが盛り上がってんじゃねーか。良かったなアタシのお陰でリスナーが増えてよ」
「ふざけんな! 配信者にとって家族の乱入は本来死活問題なんだよ!」
「良いじゃねーか。増えるに越したことねーだろ。ほら、お前らの大好きなお姉様が来てやったんだ。晩飯代くらい落としていきやがれ」
「何いってんだてめぇ! そんな乞食みたいな発言に釣られるわけ無いだろう!」
一般的に配信サイトには"投げ銭”なる機能があり、視聴者が任意で配信者に対してお金を課金できるシステムが有り、それの何割かがその配信者の懐に集金される仕組みだ。
なのでただの配信者の家族である姉の発言に釣られるわけがないと踏んでいた俺の読みが甘かった。どうやら俺のリスナーは思った以上に姉に飼いならされているらしく、その一言で高校生には有り余る大金が動く。
『姉フラ感謝代 ¥5000』
『推し代 ¥3000』
『これで良いもの食べて下さい! ¥10000』
といった投げ銭が飛び交っていた。配信者としてこの投げ銭は嬉しいのだが、心境としてはとても複雑である。恐らく、俺より姉がもし配信したとしたら俺より人気が出るだろう。そんな想像はより自分を虚しくさせるだけなのだが、俺一人では到底集まらない額に分かりやすい現実を突き付けられる。これが『見える化』というやつなのか。
「あはははははっ! 随分とアタシに忠実で物分りが良いリスナーたちだな。もう少し遊んでやりたいがけど、あくまでもアタシはこいつの姉だからな。関係ない奴はさっさとご退場するよ。お前も早く下こいよ〜」
それはそれはとてもご満悦そうに部屋を出ていった悪魔は、今頃母さんに自慢しているだろう。無駄に露出したカリスマ性がまさか俺のリスナーにまで侵食されるとは、恐るべし俺の姉。
未だコメントの盛り上がりが止まないリスナーを他所に、かなり温度差のある俺が若干テンション低めに配信の終了を告げる。




