15頁目 「『ご主人様、こちら地獄行きの片道切符になります。』」
夏休みに入り、一週間が過ぎようとした頃、物静かだったスマホに一件の着信が届く。
送信主は河野から。何度か適当な返事をしている途中、不意に送られたとあるメッセージに俺は大きく目を見開いてしまう。見間違いかと思い、目を擦って改めてその文章を見返してみるがやはり見間違いではない。
これは由々しき事態である。
後日、事の真相を確かめるべく、俺は河野に指定された場所へ足を運んだ――。
◇◇◇
「――ここか」
集まったのは俺と河野、そして山本のいつも通りのメンツ。
ここは駅前の商店街。カラオケや飲食店、スーパーや雑貨店など、多くの店が立ち並ぶストリート。夏休みであるため、通りは学生が多い。
そして俺たちの前に堂々と立ちはだかる、周りと比べて一際異彩を放っている店舗がある。全体的にピンクで染め上げられた商店街に似つかわしくもありながら妙に溶け込んでいるそれに、思わず固唾を飲んでしまう。
「……なあ、ホントに間違いないのか?」
「多分ここだと思うんだけどな~」
「いいのか? 入っちまったら引き返せねぇぞ」
重くのしかかる重圧。
これ程までに店の前で立ち往生する機会が今まであっただろうか。しかし俺たちは真実を確かめなければいけない。これは己に課せられた使命でもある。だが、例えそれが本当だったとして、俺たちは一体どういった反応をすればいいのか。
「――よし、俺が殿を務める。お前たちも付いて来い」
「待て名取、ホントに大丈夫なのか? もしこれが真実だとしたら先に逝かれるのはお前なんだぞ」
「今更何を言ってんだ。怖気づいたのか? そもそもおれはデマだと思っている。これ以上まやかしに付き合ってられない。ちょっと中の様子を見てさっさとずらかればいい」
「いいんだな? 俺は保証しねぇぞ」
そんな二人の心配を肌で受け取り、俺はこくりと頷いて硬い意志を示す。その覚悟を見てか、これ以上は何も言ってこなかった。
この扉を潜ればそこは未知なる戦場が待っている。目の前まで来たのだ。もう引き返すことなど出来ない。
俺は今一度深く深呼吸し、扉に手を掛ける。
ガチャリと重い音と共に扉が開く――。
「お帰りなさいませっ! ご主人さ……ま……」
新世界への扉の向こうに現れたのはまるでメイドのような――いや、メイドの格好をした少女が挨拶に出迎えてくれた。しかし俺たちの顔を見た途端にその勢いは失速し、顔つきが徐々に強張っていく。
「あ、すみません。取り敢えず一緒に手でハートの形を作ってもらえません――」
「何でアンタたちがここに居んのよ!」
そう、出迎えてくれたのはメイドの姿をした花崎美咲である。
普段のヤンキーでクールな面持ちからは想像できない風貌。メイド服に身を包んだその姿はまさしく男が一度は夢見る専属のお目付け役。
しかし、“ご主人様”と敬称が付くには些か疑問視するほどに、そのメイドは俺に掴み掛ってきた。
「河野が友達から花崎らしき人がメイド喫茶で働いてると報せあがったらしくて――」
「淡々と説明すんなロリコンっ!」
「……理不尽じゃね?」
そしてかつてないほどの傍若無人っぷり。可愛い装いは外見だけで中身は今まで以上に凶暴性を増したそのメイドに俺たちは手足どころか言葉も出ない。
「おいおい、ここってドS喫茶なのか……」
河野の呟きも、これでは理解せざるを得ない。俺たちが来店したのはもしかするとSMクラブだったのではないかと。
しかしここは正真正銘、健全なるメイド喫茶。店の看板にも間違いなくそう書いてあった。つまるところ、予想外の来訪者に花崎がテンパっているのが現状だ。だがどうやらそれが本人を逆撫でしてしまったらしく、逆上したメイドが出来上がってしまった。
これは来店する際に気を付けていたことなのだが、こちらの予想以上に花崎の手が出る速度が早く、対応に困っている。
「と、とにかく俺たちは客だ。早く席に案内してくれないか?」
このまま取っ組み合いをしては埒が明かない。
店内には他の客も多数いる。玄関先でこれだけの騒ぎを起こしているのだ。店内がざわつくのも無理はない。
その様子に花崎も落ち着きを取り戻したのか、一度周りを見渡し、客の視線が自分に集まっていることに気付く。それに対し顔を真っ赤にしながらコホンと咳払いを一つ打つ。
「――と、とにかく、早く入りなさい。“一応”アンタたちはお客さんだからね。無下に扱う訳にはいかないわ」
「いや無下どころか今確実に手が出てたんですけど……」
俺たちの思い描いていたメイド喫茶は想像でしかないらしく、人殺しの目つきで一瞥したあと、顎でくいっと席を指した。このぞんざいな扱いにもはやご主人と呼ばれていいものか。店のコンセプトを覆す目の前の魔人にそんな悪態を付ける訳もなく、とぼとぼと重い足取りで席に着く。
「それで、ご注文は?」
普通なら、この店内に居る限りは明るく可愛らしいトーンで客に語り掛けてくるのだが、今のこのブチギレメイドにそんな常識はまかり通らない。
「ねえ、ほら早く」
とんとんとボールペンをテーブルに叩いて注文を催促してくる。
だがこちらはもう既に決まっている。メイド喫茶と言えば定番の――伝統あるメニューを頼むのがお決まりだ。
「オムライス三つで」
「チッ、はーいかしこまりましたー! 少々お待ちくださいねー!」
何やら舌打ちが聞こえた気がするのだが、気のせいだろう。こう見えて花崎はツンデレのような一面を持っていたりもする。何だかんだ言いつつ、もしやこれは投げキッスなのではと勘違いしてもおかしくはない――と、流石にそのようなお花畑な思考を働かせるほど俺も馬鹿じゃない。今のは紛れもなく正真正銘、本物の舌打ち。
それでも内なるメイドが少しでも残っていたのか、ようやくメイド喫茶らしい一面が垣間見えた。目が一切笑っていなかったのを除けば。
「な、なあ、オムライス来たらさっさと食って帰ろうぜ。俺サッカーできなくされちまうかも」
「そうだな。こんなとこに長居したら、いってらっしゃいませを聴けない体にされそうだ」
「彼方に似合うかどうか考えてたんだが、あれ着ると性格変わっちまうのか?」
一人だけ会話に参加していないロリコンがこの中にいるが、確かにこのままでは命が幾つあっても足りない。だがせっかく勇気を振り絞って来店したんだ。少しでも爪痕を残さないと割に合わない。
「――お待たせしましたー! こちら、特製元気フルパワーオムライスになりまーす!」
そういって運ばれてきたのは普通のオムライス。元気フルパワーの源となる要素など、何処を見ても皆無だ。
「はーい、それでは愛のマジカルケチャップでメッセージを書いていきますねー!」
そして花崎はケチャップを手に取り、古来より伝わる伝説の一芸を披露した。
勢いよく飛び出した赤い調味料のそれを、腕を大きく振って豪快に文字を書き出した。描き出された文字は二文字。それも三人とも同じ文字という、書かれた文字によって争いを避ける丁寧な配慮が施されている。
だが書かれた文字というのがとても感情の籠った『死ね』の二文字。
「……ダイイングメッセージって知ってる?」
「ではでは~、これから魔法の言葉でよりおいしくしちゃいましょー!」
リミッターが外れた暴走した機関車はツッコミなんかでは止まることを知らず、そのまま終点まで駆けようとしている。
「それではご主人様たちもご一緒に~。さん、はいっ! 死ね死ねキュンキュン! 美味しくな~れっ!」
「「「しねしねキュンキュ――え?」」」
魔人メイドの呪文に続けようとしてた俺たちの詠唱が同時にピタリと止む。何かがおかしいと。
テレビでもメイド喫茶特集とかでこのような共同作業は見たことあるし、何ならメイド喫茶で一番有名な行為であると理解している。しかしテレビで見たメイドはこんな死の呪文を唱えていただろうか。こんなの、腐敗したゾンビ向けに改良された呪文だと言われても文句は言えないだろう。
それなのにこの目の前の魔人は、どうしてこんなに煌びやかな笑みを浮かべることが出来ているのか。最早ハナから俺たちのことは死人としてしか見ていない。さもなければこんなアンデッドみたいな呪文は唱えないだろう。まさに墓守の魔人。
俺たちが本当にゾンビなら確かにこの少女の笑顔はさぞ地獄に舞い降りた天使に見えるのだろう。まあ今この場が地獄と化しているのであながち間違いではない。
「あれ~? どうしたんですかご主人様~。一緒に魔法の言葉を掛けてくれないとお料理が美味しくならないですよ~?」
歯抜け声でそう催促してくるが、自分が食べる料理だからこそこんな呪文まがいなことは出来る訳がない。
だが怖くて言い訳が出来ない俺たちに、勇気ある河野が名乗りを上げた。
「えっと……もっと他の魔法の言葉はなかったりしないですかね……な~んて……」
「は? あるわけないでしょ。アンタらにはこれで充分だっつってんのよ。いいから早く言え」
ビクッと河野の肩がガタガタと震えている。無理はない、余程怖かったのだろう。
だが河野、俺と山本は瞬殺されるのを見越して声を上げなかったのだ。
その様子を傍から見ていた客が「ちょっと興奮するかも」と、小声で性癖を吐露しているが、ここは性癖をあぶり出される場でもあるのか。たらりと涎を口の端から流して羨望の眼差しを向けてはいるが、これはそんな中途半端なMに耐えられるほど優しいもんじゃない。
この少女が本気になれば相手のヘルスなど考えないで悍ましい策を実行したりもする。何も知らない部外者が憧れてはいけない領域なのだ。
願うならば、俺たちがこの呪文の詠唱を終えてしまう前に救世主が現れることを祈るしかない。
「「「し、死ね死ねキュンキュ――」」」
「花ちゃーん、着替え終わったけどどうすれば――って、何で名取君たちがここに居るんだ!?」
そして本物の救世主とは、本当に窮地に立たされている時に現れるのだ。
「あぁ……メシアよ……」
俺はすかさずその聖女の前で片膝をついて手を取った。まるで片田舎の村人が助けを請うかのように、俺はその聖女――神崎小折に跪いた。
「ちょっ、な、何だいきなり! どうしたんだ!? 何で河野君と山本君もそんな救われたような顔をしているんだっ!?」
「あーあ、良いとこだったのに。神崎が居て良かったわね、アンタたち。まあ、今日のことはこれで許されるとは思わないことね」
「は、花ちゃん……? 一体みんなに何をしたんだ……」
「ちょっとお灸を添えてやったのよ」
「――お待たせしました~――ってあれ? 何で皆さんがここにいらっしゃるのですか?」
そして神崎の後ろから天宮が登場した。それも二人ともメイド服に身を包んだ状態で。眼福の極みであるこの光景に少し下がっていた視力が回復したと錯覚してくる。
「いや、逆に何でお前らが居やがる。ここで働いてんのは花崎だけじゃねぇのかよ」
そう、河野から通達されたのは花崎がここでバイトをしているという情報のみ。だから俺たちはその真実を確かめ、ちょっとからかい――様子を見に来たのだ。断じて花崎のメイド姿が見たかったわけじゃない。断固として、花崎のメイド姿が見たかったわけじゃない。
「花ちゃんが最近ここでアルバイトを始めたと聞いてね。ボクも興味がって話してみたら、どうやら職場体験が出来るらしくてね。今日一日、ミヤちゃんも一緒にここで働くんだ。ちゃんとお給料もくれるらしい」
そうして神崎はその場で一回転をし、ウインクをしながら人差し指を口に当てた。
「ふふっ、どうだろう。この服、可愛くないかい?」
腰に手を当てて前屈みになったその姿勢の破壊力はそれはもう凄まじく、俺は無意識にスマホを取り出して思わずシャッターを切っていた。
「チェキは有料よっ!」
シャッター音と同時に拳が頭上から降り注がれ、脳天から響く痛みに苦痛の声が漏れる。
しかし俺の美的感覚はやはり間違っていないようで、メイド姿の神崎と天宮に他の席から小さな歓声が上がっている。二人も多少恥ずかしながらもそれに応えるように手を振り返し、それに対して何かにトキめいてしまった瞬間の顔を俺は奇跡的に目の当たりにした。ああ、あの人は堕ちてしまったと。
「それにしても、名取君はこういうのが好みだったりするのかい?」
「え? ま、まあ、男なら誰もが憧れる格好だったりもするわけで――ていうか、何で俺に聞くんだよ」
「はーい、それよりも料理が冷めるから早く食べて帰ってくれない? アンタらに何時までも居られるとやりずらいんだけど」
「そ、そうだな。早く食って帰ろうぜ。身がもたない」
河野は早速デスメッセージ付きのオムライスを頬張りだした。それに続くように俺と山本も少し躊躇いつつ食べ始める。
その姿を確認すると天宮と花崎は他のテーブル客へと足を運んで行った。
だが一人だけ――俺の耳元に近付けた口からそよ風が吹き付けたような語り口で、そのメイドは囁いた。
「――その写真、花ちゃんには内緒にしてあげるから、持って帰っていいよ」
振り返ると、その少女は既に背を向けて他の席へと歩いていた。
だけど一瞬、誰にも気付かれないように横目でこちらを向いた少女は、口に指を当てて小さく微笑んでいた――。




