14頁目 「青を纏った彼女の瞳は震え、俺もまた、彼女を見つめ続ける」
――そして誘いの電話から一時間後、俺はいつものコンビニの前に来ていた。そこが神崎との合流場所だからだ。
いつも夜にしか会わないコンビニで、昼間からここで会うのは何だか不思議な感じもする。夏の日差しが照り付ける中、ただ外でじっとしているだけでも汗が次から次へと頬を伝っていく。コンビニの中で涼みながら待ってても良いのだが、何も買わないのに店内をうろつかれても迷惑になるため、ここは我慢して神崎が来るのを待っている。
これがいつものテンションなら我慢などせずギリギリまで家に居るだろうけど、今日の俺は一味違う。何故なら神崎の水着を選ぶという壮大なるミッションが俺を待ち受けているからだ。その過程で例え日差しに焼かれようと、後々の鼻血大噴火イベントのことを考えればこの暑さなど容易いもの。今の俺に夏の太陽はもはや敵ではない。
幾つか頭の中で神崎に似合う水着をシミュレーションしていると、「おーい!」というハスキーで涼しげな声色を放つ少女が俺に駆け寄ってきた。
とたとたと駆け寄って来る――夏の暑さなんてもろともしない軽やかな足取りで手を振る様はまさに青春の一ページそのもの。
「すまない、待たせてしまったかな」
「大丈夫だ、三十分前に来たからな」
「三十分!? 何でそんな早く――というか、そこは『今来たとこ』って言うのが紳士の男というものではないか?」
神崎の指摘はごもっともで、幾ら性格がひねくれていたとしても、流石にその程度のお約束は俺もわきまえている。しかし、この炎天下で三十分も待っているとなれば、その気遣いも汗と共に流れ出すというもの。
因みに俺が三十分前に来た理由は他でもない。神崎の水着選びがちょっとだけ楽しみだっただけ。
人間という生き物は不思議なもので、楽しみな出来事を前にすると、予定よりも早く行動するのだ。本人が早く動いたところで、その先の未来が早まることなんて殆どないのに。それでもそのような行動を取ってしまうのは、やはり心拍数の急上昇が足取りを早めるのだろう。
「それはすまなかったな。取り敢えず早く行こうぜ。こんなとこにずっといたら溶けちまうよ」
「そうだね。それじゃあ行こうか」
向かう先はバスで二十分のところにある大型デパート。
服や靴、飲食店や映画館といった様々なテナントが並んでおり、週末は友達や家族連れで混み合う。しかしこれといって特に用事がない俺は未だ数回しか足を運んだことが無い。
神崎の水着選びとはいえ、これはまごうことなき『デート』と呼ばれる行為に当てはまる。エスコートすらままならない俺が彼女と一緒に歩いていい場所ではないのだ。
バスの中では学校のことや日常のことなど、誰でもするような他愛のない話をし、あっという間に目的地に到着する。
◇◇◇
「――やっぱり今日は平日だからそこまで人が多くないね」
「いいんじゃないか、これくらいで。歩きやすいし」
デパートの中は今日がまだ平日のため人もそこまで多くはない。それでも駐車場は他県のナンバーを多く見かける。実際中に入ってみると、想像していたよりは人が多い。ここは様々な店舗が軒並み連なっているデパートだ。平日とはいえ、客足が遠くなることはないのだろう。
暫く歩いていると同じ学校の生徒や他校の生徒もチラホラ見かけるが、特に同じ学校の生徒はまずい。
「――あれ? 神崎先輩じゃないですかー! え~すごい偶然ですね! お買い物ですか?」
ほれ見たことか。制服は同じであるが口調から察するに後輩だろう。女子の二人組が神崎に近寄ってきた。
「ああ、ちょっとね。君達も買い物かい?」
「はい! あ、ちょうどこの後に映画見ようって話していたんですけど、もしよろしければ神崎先輩もご一緒にどうですか?」
何やら勝手に話を進めてはいるが、もしやこの後輩女子、俺も事が見えていないのか。いや、見えていないならそれでいいのだが、俺の影の薄さが役に立て何よりなのだが、それでも俺に一瞥もくれないの果たして後輩としてどうなのだろうか。
別に寂しい訳ではない。ただこのまま神崎が後輩に連れられ、剰え水着選びまでご一緒しようものならいよいよ俺の出番がない。じゃあ一体俺は何しに来たのか、みたいな状況に陥ってしまう。
そんな俺を気遣ってか、神崎はチラリと俺を見た後でこう答えた。
「すまない。実はボク、彼と用があるんだ。気持ちは嬉しいけど、また今度予定が合う時で良いだろうか」
すると後輩女子はようやく俺の存在に気付いたのか、一瞬だけ目が合い、凄まじい速度で神崎に向き直った。
「あ~先約がありましたか。いえいえ、全然大丈夫ですよ! またその時よろしくお願いします!」
その後、暫く後輩女子二人の後姿を眺めていたのだが、何やらコソコソと話していたあげくチラリとこちらを見てきた。「もしかしてアレが神崎先輩の彼氏?」「いやありえないでしょ」みたいな会話が勝手に脳内再生されてはいるが、どうか間違いであることを祈るしかない。分かっているから。力量の差が顕著に出ていることくらい本人からしたら理解せざるを得ないから。
「君、今ちょっと寂しがっていただろ。そんな顔しなくても今日は君と一緒に居るから大丈夫だよ」
「いや何も気にしてないんだけど。てかあの後輩ちゃん怖くない? 神崎と話してる時全く俺のこと見てなかったんだけど。人って視界に邪魔ものがいると無意識に排除する仕組みになってんの?」
「そ、そんなことは無いと思うのだが……」
その前に俺が寂しがっている顔をしていたってどんな顔よ。神崎が取られるかもと思っていたのか。そもそも神崎が俺のものではないし、そんなこと言ったら本格的にあの後輩女子が俺に手を出しかねない。この場合の手が出るというのは、あの子が俺に告白するとかではなく人体に影響を及ぼす方面のことである。
嫉妬を極めた女子とは怖いもので、殺人鬼を超えるサイコパスに脳内回路を繋ぎ合わせる必殺技を元から習得している生物である。そして女子にあらぬ誤解を招くのも偏見を極めたものの思考回路でもある。
「さっさと行こうぜ。こんなの繰り返されたらいよいよ取り返しのつかないことになるからな」
「そうだね、早く行こうか」
これがあのクズ会長にも出くわしたら花崎の二の舞になりかねない。荒木先輩じゃなくても変な噂が出回るのは確実だろう。なんせ俺の横を歩いているのはあの神崎小折だからだ。普段から何かと神崎と接する機会も多いことから忘れてしまっているが、この少女は学年だけでなく学校内で絶大な人気を誇る美少女だ。取扱いに注意しなければいけない。
人通りを潜り抜け、左右どちらを見ても女性の服や下着の店が立ち並ぶようになっていた。これも俺の偏見だが、こういったデパートは女性ものの店が男性の店よりも店舗数が多いのは気のせいだろうか。この世界は余りのも女性に優遇されているという、俺のドス黒い何かが勘違いを起こしているのだろうか。いいや否である。こういったものに無駄に執着する俺はきっちり店舗数を数えている。するとやはり女性関係の店が少し多い。ねちねち系男子の完成である。
「――うわ、すっげぇ……」
女性の水着専門店に到着し、シンプルな感想が口から零れる。
多種多様な、オーソドックスなものから際どいものまで女性のニーズに合わせたたくさんの品揃いに面食らってしまう。徳を積んで天国に至ることが出来れば、このような楽園に足を運ぶことが可能なのだろうか。
ただ忘れてはいけないのが、俺は男であるということ。そんな場違いな輩がうろうろと彷徨ってはいけない場所なのだ。その為できるだけ神崎の近くで行動し、周囲には恰も彼氏でいることに徹しなければいけない。さもなければ通報されて楽園から地獄に叩き落されかねない。楽園とは常に地獄と隣り合わせなのだ。
「凄い量の種類だな。思わず目移りしてしまうそうだよ。……えっと、どれがいいかな?」
「ていうか、別に俺の好みじゃなくてもいいんじゃね? 自分の好きなもの選べばいいだろ」
これは俺の本意のセリフではない。これは選択を神崎に与えているのだ。そして神崎が取った選択が――
「それだと君を連れてきた君がないじゃないか。まずは名取君の好みを選んでみてくれ。取り敢えずは試着してみるからさ」
そう、これを待っていたのだ。
神崎の水着選びという目的とは言え、いきなり俺があれやこれやと選んでいてはただの変態。その為、ここはもう一度神崎の了承を得て、言質を取ることで改めて変態の称号から遠のくことが出来る。全国の詰めが甘い諸君は俺を是非見習っていただきたい。
とはいえ、女子の水着を選ぶのは今回が初めて。難易度的には夏のコーデよりハードルは低いだろうが、俺の好みで今後の神崎へのイメージが大きく左右されてしまう。俺好みとは言いつつも、その辺を配慮しなければ紳士として名乗りを上げることは出来ない。
「……名取君、流石のボクもそれは着れないよ」
そんばことを考えている俺の前にはグラビア撮影でしか着ないであろう殆ど布としての機能を果たしていないハイレグの水着の前で唸っていた。
「ああいや、違う! たまたまだ!」
「ん~ホントかな~」
「取り敢えず何着か適当に選んでくる。おっと、大丈夫だ。紳士の名を冠する俺だ。ちゃんと神崎にベストな水着を選んできてやるよ」
「心配だ……」
そして俺はじっくりと水着を吟味しだす。布の割合や飾り具合、彩色など。ありとあらゆる観点から頭の中でこれらを着た神崎を想像する。すると何故だろうか。俺の選んだ水着を着た神崎が、海辺で俺の名前を呼びながら駆け寄って来る姿が毎回想像されてしまうのは。これは俺の本能かもしれない。少しでも青春を謳歌しようと抗う俺の脳が見せるイメージなのか。
何やら他校の女子二人組が俺のことをチラチラと見ているのは気のせいだろうか。「何かちょっとキモくない?」と聞こえるのは耳垢が良い具合に音を反射して耳に届いているからだろう。
しかし当の俺は至って真剣だ。誰にも邪魔される道理はない。
そして三着ほど選び、神崎に試着をお願いした。
「意外と普通なのを選んできたんだね。じゃあ少し待っててくれないか。今着替えてくるから」
「ああ」
神崎が着替えている間、まるで警備員かのように両手を後ろで組み、目を瞑って着替えが終わるのを待つ。何て有意義な待ち時間なのだろうか。これ程までに退屈しない時間が存在して良いのだろうかと再三自分に問いかけるのだ。自問自答に時間を消費し、ついに一着目がお披露目される。
「――じゃーん! どうかな? どうかな? このフリルが付いた水着、とっても可愛いじゃないか!」
開いたカーテンから覗いたのは白を基調とした少し幼くもあるフリルの付いた水着。
これはまずいとすぐさま脳内の危険信号が赤ランプを点灯させる。白い肌に寄り添うような白い水着。少し揺れるだけでひらひらと舞うフリル。そして何よりも、女子高生が持ってはいけない立派な胸の谷間がこれでもかと主張してくる。
「お、おう……スー……いいな」
語彙力は何処へやら。いざ自分が選んだものを目の前にするとこんなにも言葉を失ってしまうものなのか。それとも神崎小折という素材が強力すぎて逆に俺の目が霞んでしまったのか。こんな美少女が都会にいたら間違いなくスカウトされるだろう。それ程に今の神崎は輝きを放っているのだ。
「マジで良い。いやめちゃくちゃ良いよ。もうそれしか言葉が出てこない」
「そ、そうか。そんなに良かったか……。ああ、じゃあまた試着するから、申し訳ないが待っててくれ」
「お、おけ」
いちゃもんを付けてくると神崎が読んでいたのか、珍しくも顔を真っ赤にして勢いよくカーテンを閉めてしまった。
これがあと二回も行うとなると、いよいよどうにかなってしまうそうで怖い。『水着選び』というイベントを軽い気持ちで挑んだ自分に早くも後悔の念が押し寄せてしまう。
ここは一旦気持ちを落ち着かせるしかない。
まずは冷静になるのだ。海のように広く寛大な仏になりきるのだ。仏教の道を歩む者――お釈迦様が説いた教えを忘れてはいけない。集中するのだ、我は仏。全てを悟りし慈愛の釈迦。
「我、おっぱいを愛し、おっぱいを愛する者。全てのエロの宗派を収めし仏なり」
「――え? 何か言ったかい?」
「え? あぁすまん。何でもない!」
余りにも唐突すぎる念仏に思わずひょっこりと神崎がカーテンから顔を出してきた。
どうやらなりきったのはエロ神だったらしい。しかも全てのエロい宗派を収めた特大のドスケベ神。どうやら俺の脳内は既に手遅れのようで、冷静になればなるほど研ぎ澄まされた煩悩が支配する仕組みになっている。
「そうかい? もう少し掛かるから待っててくれ」
「あぁ、ごゆっくり」
(あっぶな。店員に聞かれていたら確実に俺が南無阿弥陀仏されるところだった……)
やはり信頼できるのは無の心のみ。人間は全てを投げだそうとする時、まずは思考を投げだすものだ。俺はすーっと目を閉じ。意識を暗闇の遥か遠くへ置き去りにする。煩悩は捨て、座禅ならぬ立禅をする。
するとどうだろう。音すらも遠ざかる世界に、何やら聞き覚えのある声が聞こえてくるではないか。
「――あーここだ、ここ」
「わ~凄い数の水着ですね。目移りしてしまいそうです」
その声の方に薄目で見てみると、まさかの天宮、そして花崎とエンカウントしてしまった。しかし向こうはまだ俺に気付いていない様子。
「なあ神崎、天宮と花崎が来たんだが。あの二人も呼んだのか?」
「へぁ!? ミヤちゃんと花ちゃん!? い、いや、呼んでないが……」
「え? いやでもいるぞ、目の前に。呼んでこようか?」
「ちょ、待って! 一旦こっちに来てくれ!」
「うおっ!」
カーテンの隙間から伸びた手に首根っこを掴まれ、強引に試着室へと拉致される。
目を開けると、目の前には着替えを済ませた神崎が照れ臭そうに顔を俯かせていた。青を基調とした水着に身を包み、腰には花柄のパレオを巻いている。先程とは打って変わって大人の印象が顔を覗かせていた。
鏡を背にして見る神崎の後姿が妙に艶やかで、腰からお尻にかけてのラインが強制的に視界に映される。そして何よりも、この狭い空間での密着。互いの息遣いが、体温が、触れなくても伝わるくらいに感覚が研ぎ澄まされる。
「何で隠れようとするんだ。あいつらを誘ったんじゃないのか?」
俺は声を押さえてできるだけ小さい声で話し掛ける。
「さ、誘ってはいない。今日は……君しか誘ってないんだ……」
「な、何で――」
「てか神崎も来れば良かったのになー。水着持ってんのか?」
「お誘いはしたのですが、今日は何やらご用事があるそうで」
「ふーん。まぁいいか、取り敢えず選ぼうよ。こんだけ種類があれば一日試着会でも出来るかもよ」
「ふふふっ、それも面白そうですね」
一日試着会というこの状況において悪魔のような言葉を口にする花崎。
だが神崎があの二人をではなく、何故俺だけを誘ってきたのかは分からない。寧ろ今回は俺ではなく、天宮と花崎と来るのが自然の流れ。今にして思い返してみれば、神崎の誘いも強引に思えてきたりする。
「どうすんだ神崎。あいつらが去るまでここにいるつもりか?」
「し、仕方ないだろう。そうでもしなければバレてしまう。こんなところ見られたらまずいだろう……!」
「バレたらもっとまずい状況にしたのはお前だけどな……」
兎にも角にも、ここまで来たからには神崎の言う通りにするしかない。確かにこの状況は非常にまずい。あの二人ならまだしも、店員や他の客に見られるのはリスクが高すぎる。ここは事が過ぎるまでおとなしくするのが最善の一手だろう。
「花崎さん! こんなのはどうでしょうか!」
「うわっ、アンタ結構えぐい趣味してるのね……。自分から男を誘ってるようなもんじゃない」
「あ、あれ? そうでしょうか……」
そんな二人の会話を盗み聞きし、やることのない俺は少しだけカーテンから顔を覗かせようとする。
「ダメだ! 見てはいけない!」
それは神崎の手によって制止されてしまう。
俺の頬に両手を当てて無理やり神崎へと向き直させされる。顔を赤く染めながら、しかし確かな意思を宿した瞳がうるうると揺らめていている。緊張からか、少し掌が湿っている。
何秒間見つめ合っているだろうか。俺の短い人生において、かつてこれ程に女子と見つめ合った記憶など存在しない。神崎もまた、決して目を逸らさず、ただ俺の目を一点に見つめ続ける。
店内のBGMすら遠ざかるこの空間に俺は成す術もなく、それに応えるのみ。言葉を発することが許せない沈着。交わすのは言葉ではなく、互いの視線のみ。
「なとりく――」
「あーそういえばまだアタシお昼食べてないんだよね。お腹空いちゃったな」
「そういえば私もまだお昼は食べていませんでした。一旦フードコートでお食事を済ませてからにしても良さそうですね」
「そうだな。じゃあ何か食べに行くか」
「はい、そういたしましょう」
神崎が口を開いた途端、花崎がそれを遮るように会話を始めた。内容からするに今はもうここにいないのかもしれない。ゆっくりと神崎の手が俺の顔から離れ、自由になった俺はカーテンから改めて顔を覗く。すると予想通り、二人の姿は無くなっていた。それどころか、今はタイミングが良いことに他の客の姿も見当たらない。抜け出すには絶好の機会。
「おい神崎、今なら出ても大丈夫そうだ――」
「名取君……その、この水着はボクに似合っているだろうか」
「うん?」
再び神崎は顔を俯かせていた。正直、神崎ならどの水着も似合うだろうけど、今着ているのは恐らく、どの水着よりも遥かに似合っていると断言できる。それだけは嘘偽りないと言い張れる。
「ああ、似合ってるよ」
「そうか……! ならボクはこれを買ってくるよ。……ありがとう」
こうして刺激的でもありながらハラハラとした緊張感も味わえた水着選びは、何とか誰にもバレずに事なきを得たのだった――。




