11頁目 「そうして一人、また大切な名前が容量を圧迫する」
人が絶句する時、それはどんな状況だろうか。
基本は嬉しさか驚きの二択になるだろう。じゃあ驚いて絶句する時のパターンとは何か。
予想だにしない出来事に出くわすこと。はたまた予想の上をいかれること。大体はこの二パターンだろう。
俺は今、その前者に当たる場面に直面している。
「――やあ、名取君。こんにちは」
「……は?」
休日である土曜日、我が家に尋ねてきたのは思いもせぬ人物――神崎小折と、その他大勢だった。
「こんにちは、名取さん」
「お~ここが名取ん家かー!」
「あぢぃ~」
「いつまで玄関先で待たせるつもり? 暑いから早く中に入れてほしいんだけど」
何処で俺の住所を突き止めたのか、普段学校で良く見る顔ぶれが勢揃いしていた。
開いた口が塞がらないとはこのことなのだろうか。余りにも唐突すぎる訪問に、ただでさえ茹った頭が更に熱を帯びてしまう。
暑さでイライラを募らせた花崎がジト目で早く中に入れろと目と口で訴えかけているが、このまま玄関先で放置したらどのような反応をするだろうか。少し想像するだけでも、この灼熱の大地が煉獄の大地へ変貌する未来が垣間見えてしまうのがもう辛い。
俺は深い溜息をついた後、呆れ気味で中に入れた。
「ほれ、早く入れ」
「おじゃましまーす」と律儀な挨拶が聞こえたのか、リビングからアイスを咥えた姉が顔を出してきた。
「あれ? もしかして、ともの友達!? え、こんなに友達いたの!? すごーい! いらっしゃい!」
「お姉さん、お邪魔します。この間はお世話になりました」
「おー神崎ちゃん、いらっしゃい! いや~やっぱかっこかわいい~! 家教えといて良かったわ~」
(おめぇかよっ!)
何処で神崎と姉が接点を持ったのか分からないが、どうやら我が家の住所をバラしたのはこの能天気な姉のご様子。友達と分かったならそのショートパンツとスポーツブラの部屋着は少し恥じらいを覚えた方がいいのではないか。見慣れた俺でさえ目のやり場に困るのだ。思春期真っ盛りの河野と山本が見たら――おっと、もう遅かったようだ。既に二人の鼻の下が伸びきっている。
「な~んだ~。友達が来るならそう言えばいいのにー。今日は何するの?」
「いやこれアポ無しなんですけど。だから俺はこれから何をするか一切知らないんですけど……」
もしかして俺が学校での会話の内容を聞き逃していたのかもしれない。ここ最近の会話で俺の家で皆で集合するから、みたいな内容があったかもしれない。だがどうにも、過去の記憶をこじ開けてもそれらしい内容の会話が見当たらない。これも暑さ故の記憶障害なのか。
「本日は期末試験のお勉強をご一緒にする予定なのです。それと夏休みの計画も兼ねての」
「うわー何それ青春じゃんか! くっそ、家の中なのに日差しが眩しく感じるぜっ!」
「ぐわー!」と青春の光を前に顔を手で覆う。
そんな青春、微塵も興味がない俺は反対に戸惑いでしかない。人の家に勝手に押しかけてきて勉強するのが青春なら俺はいらない。そもそもこんな冷房が効いているとはいえ、こんなクソ暑い中で六人が密集して勉強会なんて想像しただけでもむさ苦しい。
「――じゃあともの部屋は二階だから、勝手に入って良いよ~」
「は? 何で俺の部屋? リビングでいいじゃん」
「アンタ分かってないな~。こういうのはその人の部屋で集まるのが定石なのよ。いいからはよ部屋に通しな。後でお茶持ってってあげるから」
「マジか……」
恰も常識のような話し方にたじたじになってしまうが、後ろを振り向くと早く部屋に入れろと言わんばかりに目をキラキラさせている連中。このままでは暴動が起きそうなので仕方なく俺は部屋に招き入れた。
「――おー意外と綺麗にしてんのな~」
「普通じゃね? 散らかるような物買ったりしないしな」
ベッドの上のタオルケットは乱れてはいるが、特にこれといって散らかっているわけではない。部屋にいる時間は長いものの、ゲームやスマホを弄ることしか意外とやることのない部屋が汚れることは殆どない。
そんな俺の部屋を隈なく散策していた彼らとあるモノに目が止まる。
「てかこれなんだ? パソコン? なんかめっちゃ機材多くないか?」
山本がそう指摘したのはデスク周りのパソコン周辺機器。他の四人も興味津々にデスク周りをまじまじと見つめている。確かに今時の高校生でもここまでデュアルモニターやらマイクやらのデバイス環境が整っているのは中々いないだろう。
だがこうなっては俺が配信者としてバレてしまう恐れがある。できるならそれは避けたい。身バレ防止、なんてのはこの連中なら心配はいらないが、単に恥ずかしさが勝っているのが要因である。
「ゲームは好きだからな。どうせなら機器類もちゃんとしたものを揃えたくて」
「うっはーすげ~。ガチなんだな――よし、じゃエロ本探すか」
「は!?」
じゃあ勉強するか、みたいな発言を期待した俺が馬鹿なのだろうか。だが言われてみれば、知り合いの部屋に来たのならエロ本やDVDを探すのも定石だと言える。焦りからか、脂汗がツツーと頬を伝っているのが分かる。
しかし今の時代、そんな代物は部屋には存在しない。今やデジタル媒体が主流になった今の時代、そういった夜の産物はスマホやパソコンに保存されるケースが大半だろう。つまり、誰かが俺のパソコンを弄らない限り証拠はないのだ。
「――あれ、これって」
安心しきった矢先、不意に花崎の何かに気付いたような声が届く。
花崎が何やら汚そうに指でつまんで見せたのは一冊のグラビア雑誌だった。
「そ、それは――!」
「ん? これって確かあの時の……」
そう。それはコンビニで初めて神崎と偶然にも邂逅した時に購入したグラビア雑誌。汚そうにつまんではいるが、特にこれといって何やしたわけでもない。あの日以降、触れずにそのまま棚にしまっていた呪物が、まさかこんな形で公の場に晒される事になるとは思わなんだ。
見てみろ、この女性陣たちの蔑んだ眼差しを。残念ながら俺はM気質ではないため、これをご褒美と受け取ることは出来ない。だから是非ともそのご褒美の瞳を無駄打ちするのは止めていただきたい。その横で天宮が顔を赤く染めて俯いている様子がまた良心の呵責に耐えかねない。
「やっぱ名取もちゃんと男なんだよな~」
「お前人のこと散々ロリコンとか言ってるけど、実物晒される方がキツくないか……?」
「ぐうの音も出ない……!」
言い訳の余地も許さないこの状況で、少々大きめのしこりが残る中、期末試験に向けてのお勉強会が始まった。
テーブルを二脚用意し、夏に六畳一間に六人が密集して勉強するという異様な光景にやはり暑苦しさを感じてしまう。
「――てか何で急に勉強会? しかも俺ん家で。どっかの図書館とかでやった方が良かったんじゃね?」
「夏休みの予定も兼ねてと言っただろう? 図書館では他の人の迷惑になるからな。それに君、中間考査では余り点数が良くなかったそうじゃないか。これも良い機会だし、少しは点数アップのためにも皆で頑張ろうじゃないか」
「まあ俺だけじゃなく花崎もいるからまだ良いけど。俺一人だけ成績悪いのも居心地悪いしな。同じような人が居るとなれば少しはモチベも上がるというもんか」
「あのさ、その言い方だとまるでアタシも成績が悪いみたいに聞こえるんだけど気のせいだよね。悪いけどアンタより遥かに頭の出来は良い方なんだけど」
「何だ、冗談で部屋の風通しを良くしてくれようとしてんのか。気持ちは嬉しいけど、自分で惨めな気持ちになるからやめた方がいいそ」
「えっと……名取さん? 花崎さんは嘘は言ってませんよ? 実際に学力は私や神崎さんよりもよろしいのです。山本さんとも余りお変わりありませんし……」
「え、ホントに……?」
こくこくと天宮は頷き、山本もそれについては否定していない。山本は何気にクラスでトップの学力を誇っている。そんな山本と大差ないというと本気で花崎は偽り無しの成績優秀者となる。そんな悪い冗談は身内ネタに留めてほしいと思っていたところだが、そんな雰囲気でもない。
こんな髪を明るく染めたギャルが、実は頭が良いなんてこの世界のデバッカーは何をしているのだろうか。
つまり、この六人の中で落ちこぼれは俺一人ということになる。六人もいて腫れ物が俺一人なんてどんな人付き合いをしたらこんな構成になるのか。類は友を呼ぶなんて素敵な言葉は何処へやら。この中からすれば俺はその類に含まれていないということになる。あぁ、何て世界は残酷なのだろうか――なんて、嘆いている余裕は本格的になくなってしまった。
「普段はロリコンだなんて馬鹿にされてはいるけどよ、分らないとこがあったら聞けよ? 俺もこの勉強会は面倒だったんだが、折角こうして開催したんだ。お前が赤点取って夏休みに補習なんて、こっちが後味悪いからな」
「ま、そういうこった。大船に乗ったつもりでいてくれよ、名取。折角の夏休みに補習なんてだるいだろ? 夏休みは遊んで遊んで、遊びまくるんだよ!」
バンバンと背中を叩いて鼓舞しようとする河野だが、生憎俺は背中にやる気スイッチは存在しない。だけどこんなクソ暑い中、わざわざ夏休みに学校行ってまで補習を受けるのは流石に地獄すぎる。大船に乗って、なんて御大層なことを語ってはいるが、俺も久々に真面目に勉強に取り組もうかと思った。
以前までならそんなことを微塵たりとも思わなかったが、今はどうしてだろうか。少しでも何かを頑張りたいと思うのは。これも環境の変化というやつなのか。まさかこれを、成瀬先生がハナから見通していたのだろうか。
「――あ、名取君。そこ殆ど間違ってるよ」
「え……」
どうやら確実に答えへと導く公式は曖昧な俺とは相性が悪いらしい。
そんなこんなでお勉強会は順調に事を運んで一時間が経過した頃、何処からかすーすーと息漏れが聞こえてきた。
隣を見ると河野と山本がテーブルに突っ伏して肩を僅かに上下させながら寝息を立てている。その前には天宮と花崎が横になって堂々とお昼寝をしている。花崎に至っては天宮に抱き着くような形で、まるでぬいぐるみを抱いているかのようだった。丁度良くクーラーが効いた部屋で勉強ともなれば眠くもなるだろう。だが主催者たちが先に寝落ちするとは一体どういう了見か。
そんな彼らを見ていると、指にツンツンとシャーペンで突かれた。
「皆寝てしまったな」
「神崎は起きてたのか」
「眠くはなったが、ボクも寝てしまっては君の勉強を見る相手が居なくなるだろう。今日はボクたちが強引に押し寄せたんだ。せめてその責務は全うするさ」
「律儀なこった。眠いなら気にせず寝ればいい。まだまだ日は浅いんだ。ひと眠りするには充分だろ」
そう言うと神崎もテーブルに突っ伏した。でも顔は上げたまま、まるで俺の顔を覗き込むかのように。
「な、何だ。じろじろと見られながらでは集中できないんだが……」
「あぁすまない。眠気はあるが君の顔を見ていると眠れる気がしなくてな」
「さり気ないディスはやめてね」
「ふふっ、そうじゃないよ――あ、そういえば、君にボクの連絡先を教えていなかったな」
「まあそうだけど、別に困るもんでもないしな。今日みたいに集まる機会があったとしても、河野か山本から連絡はくんだろ。別に緊急でお前に連絡する予定もないしな。それに、俺が神崎の連絡先を知ったら荒木先輩へ唯一の切り札が無くなってしまう。またあの人が俺に近寄ってこないとも限らないしな。あんまり有名人の連絡先を持っていると色々と厄介なんだよ」
高校生になってから、女子とは誰とも連絡先を交換していない。それどころか男子でも、河野と山本の二人しか連絡先は知らない。俺のスマホには家族とその二人――それとあともう一人だけ。何て寂しい連絡網なのだろうか。だがそれでもこの約一年半、特に困ったことはない。それに、神崎の連絡先を知っていても、俺が神崎にメールを送ることなんて殆どないだろう。寧ろ、他の連中が喉から手が出るほどの産物だ。学校でオークションを開けばどれだけの値が付くか。そんな最低な思考が頭をよぎってしまう。
「いいじゃないか。減るものでもないんだし。それに、ボクは君の連絡先を知りたいからね」
「何に使うんだよ……」
「勿論、連絡を取り合うのにさ。ほら、早くスマホを出してくれ。断っても構わないけど、それなら君のお姉さんから聞けばいいだけだしね」
俺の姉は何故か神崎にぞっこんだ。聞かれれば俺の意思など関係なく教えるだろう。どのみち、俺の連絡先が神崎の手に渡るのは時間の問題。いろいろ屁理屈を並べてはいたが、本気で断る理由は無い。ただ、一人、また一人と、誰かの名前が入った情報が俺のスマホに追加されることが怖くも思ってしまうのだ。
「……ほれ」
俺は神崎にスマホを差し出した。画面に開かれたコードを神崎がスマホで読み取ると、俺のスマホに神崎小折と書かれた名前が出てきた。恐る恐る追加のボタンに触れたと同時に、一件の通知が入った。差出人は目の前にいる神崎から。
『これからよろしくね。名取君』
そんな一言が添えられていた。
ちらっと前を見ると神崎はこちらを見てニヤニヤしていた。まるで赤子をからかうように。そんな神崎に対して照れ臭さが残る中、『よろしく』とだけ打って会話を終了させた。
「暇な時にまた連絡するよ」
「いやしなくていいから」
「いいじゃないか。ボクだって暇な時はミヤちゃんや花ちゃんに送ったりするよ?」
「ならその二人で済ませよ。俺なんかとやり取りしてもつまんないだろ」
「それはボクが判断するし、君と話してつまらないと感じた事は一回もないよ。偶にのおやすみくらいの会話はさせてくれ」
「……偶にならな」
そんな、確約できない約束を聞いた神崎は自分のスマホを抱いてどこか嬉しそうにしていた。神崎なら男の連絡先なんて腐るほどあるだろう。今更一人増えたところで嬉しさなんてあるはずがない。そう思いつつ、暫くそのたった二言の短いやり取りを眺めた後、俺はそっとスマホの電源を切ったのだ。
名取と神崎がやり取りをしている間、河野と山本、花崎はその頃同じ考えを抱いていた。
(((起きるタイミングがないっ!)))
寝たふりをした河野はテーブルの下でスマホを弄り、山本にメッセージを送った。
『おいどうすんだよこれ、俺らいつ起きればいいんだよ!』
『そんなの知るか! 別に起きてもおかしくはないだろ。俺らが変に気を使ってる方がおかしいんだよ!』
メールでやんややんやと誰が先に起きるかと言い合いをしている中、全く同じことを花崎は天宮にメッセージを送った。
『ちょっと天宮! あんた先に起きてきなさいよ! アタシもすぐ起きるから!』
しかしそのメッセージにはいつまで経っても返事はなく、怪しいと思った花崎は天宮により体を抱き寄せた。すると返ってきたのはメールの文字ではなく、等間隔で繰り返される心地の良い寝息だった。
(まだ寝てるしっ!)




