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10頁目 「花の未練は過ぎ去り、雨の未練が胸の内を伝う」

 季節は春から夏へと移り変わり、そこかしこで虫の音が一層暑さを際立させ、じめじめとした纏わりつくような熱気が鬱陶しさを感じさせる今日この頃――俺は放課後にふと、野球部の練習風景を眺めていた。


 夏の大会に向けてより熱が入り、いつもに増して気合の入りようが違って見える。

 そんな俺とは全く無関係な、アオハルを謳歌している砂埃を被った野球部員。これは野球部に限らず、あらゆる部活が大会に向けて日々練習に励んでいる。


 視線をサッカー部に移すと、そこにはボールを必死に追い駆ける河野の姿があった。三年が引退し、二年が軸となっている中、彼は声を張り上げてチームの士気を上げていた。


 時々俺はこうして、意味もなく彼らの練習風景を眺めている。彼らが流す汗の一滴一滴が努力の結晶とも言えるだろう。スポーツにおける努力の表れが一番顕著に目で見てわかる。

 思うところがないわけではない。そうでなければわざわざ部活の練習を眺めたりはしない。俺はただ、彼らを見ていると勝手に比べてしまうのだ。俺は何処まで行っても彼らには敵わないと。何もかもから逃げてしまった俺が到底同じ土俵に立つことは出来ない憧れの彼方。


「――おーい! 名取ー!」


 そんな俺に気付いた河野が手を振ってきた。


「またそんなとこで何やってんだー! 早く帰れよー!」


 煌めく汗が頬を伝わせながらにこやかに俺の帰宅を催促させてきた。俺は無言で手を上げて返事の意思を示す。

 河野の言う通り、無所属の俺がいつまでも突っ立っていては目障りだろう。彼らの練習に集中してもらうため、俺は速やかに帰宅しようとした。


「――ちょっと良いかな?」


「はい?」


 校門へと足を向けた途端、爽やかな声が俺の足を引き留めた。

 振り向くとそこに立っていたのはまさかの生徒会長である荒木太輝(あらきたいき)だった。


「いや、何してるのかなと思って」


「はぁ……まあ、ちょっと部活の練習風景を見ていました」


「ふぅん……そうか、彼らは頑張っているよね。かくいう俺も、元はバスケ部員だったんだぜ?」


「そうですか……」


 いまいち会話が繋がらない。繋げようとも思わないのだが。

 荒木先輩は生徒会長を務めているが、もうじきその座から降りる予定になっている。生徒会選挙が始まれば、この人も栄光から退くからだ。そんな彼を俺が苦手とする理由はナルシストにある。偶に見かける時、鏡を見つけては髪をセットする徹底ぶり。何故だか腹が立つその光景が目障りで、業務用扇風機の突風でその綺麗にセットされた髪を吹っ飛ばしたいくらいに。

 そんな先輩について余り心地良い話は耳に届かず、良くない噂話だけが独り歩きしている。


 内容は女絡みだ。


 どうやら女をとっかえひっかえしているらしく、そこに学年の垣根は存在しない。可愛ければ、綺麗だったら誰でもいいという適当な人間――そう河野から聞かされていた。

 そんな俺とは全く接点の交差をしようがない彼が何故俺に声を掛けて来たのか。


(暇人なのか……?)


「単刀直入に聞くけど、君は神崎さんのお友達だよね?」


「はい?」


 神崎という人間について俺は一人しか知らない。もしかするとこの学校には他に神崎という生徒がいるかもしれない。それでも俺が知る神崎の名前の生徒は、神崎小折ただ一人。


「あれ、違ったかな。この前、君が昼休みに神崎さんと話してるとこを見かけてね」


「友達っていうか、ただの知合いですけど。それで、神崎がどうしたんですか?」


 そう問うと荒木先輩はスマホを取り出して俺に向けた。


「彼女の連絡先、教えてくれない?」


「……え?」


 あろうことか、この先輩はそう申し出てきたのだ。最初から神崎の連絡先目当てで俺に近寄ってきた。だがお生憎、俺にはそれを断る明確な理由がある。


「いや、神崎の連絡先知らないんですけど、俺」


「え~ホントかな~。嘘ついても俺にはわかっちゃうんだけどな~」


「本当ですよ。言ったじゃないですか、俺と神崎はただの知合いなので連絡先は知らないんですよ」


「ふーん……ただの知合いねぇ……。じゃあこれを見てもまだそう言えるのかい?」


 そうして荒木先輩はスマホを弄り、俺に一枚の画像を見せてきた。

 そこに映っていたのは、俺と神崎が急接近している写真。それはこの前、神崎が俺に壁ドンをしてきた瞬間の激写によるもの。盗撮ではあるが、更にたちが悪いのがその写真は学校の廊下から撮られているものと思われ、恰も俺と神崎がキスをしているようにも見える。


「これをバラされたくはなかったら――分かるよね?」


 要はこの写真と引き換えに連絡先を寄こせとの脅しだろうけど、本当に俺は神崎の連絡先を知らない。どうにかこの場を打開するには、俺も確固たる証拠を提示する他にない。


「じゃあ俺のこれ、見てくださいよ」


 俺もスマホを取り出し、メールアプリを開いて荒木先輩に差し出した。


「これは?」


「そこに神崎の連絡先があるか確認してください。それが証拠ですから」


「へぇ、どれどれ――確かに神崎さんのは無いな。でもスマホ自身に入ってるかも――あれ? 無いな……」


「これで分かりましたか? 本当に神崎のは知らないんですよ。友達じゃなくただの知合いなんで。じゃあ俺もう帰っていいですか?」


 証明が完了し、呆れ気味に小さく溜息を吐いた。

 これで俺への用事は済んだはず。神崎の連絡先が知らないと分かった今、これ以上俺と話す要は無いはずだ。


「まあ待ちなよ――この写真、仮に俺がバラしちゃったらどうする?」


「……何でそんなことされなきゃなんないんですか?」


 人として終わっていると声を出して断言できるこの先輩に、気付かれない程度に若干キレ地味で聞き返した。答えは聞かなくても分かる。


「君が神崎さんから連絡先を聞き出し、俺に提供すればこの写真は削除すると約束しよう。勿論、君の目の前でね。でも断るというのなら、この写真は多くの生徒の目に留まるだろうね」


 大方そんな最低な提案が出ると予想はしていた。

 これが俺だけならまだいい。そんな噂が垂れ流されたところで誰も俺のことは気に留めないから。しかし厄介なのがその相手が神崎ときた。赤の他人相手なら別に気にしないのだが、特別な存在へと進化を遂げている神崎からしたら誰もが目を引く話題だ。当然、本人も気に病むだろう。

 打つ手が無くなり、うーんと頭の中で唸っていたのだが――


「そういやこのやり方で実際に写真をバラまいたっけな。偶然にもおじさんと歩いてるとこを見てね。だから彼女には写真とセットで援交の話をでっちあげて拡散してやったよ。確か君の同級生だったと思うけど、随分と評判が良かったみたいだ――」


「アンタ、それでも本当に生徒会長か?」


 俺は荒木先輩の胸ぐらを掴み、全力で引き寄せた。


 彼が話した内容は花崎のことだろう。写真をバラまき、おかげでクラスメイトから疎外された過去を持つ少女。元々は彼女の人間性もあってのことだったが、その事件が引き金となって本格的に一人になってしまった。

 恐らく、荒木先輩は花崎にも声を掛けたのだろう。見た目だけなら周りから可愛いと評価されてもおかしくはない容姿をしているから。それでも花崎の性格上、この人に全く興味を持たなかった彼女は誘いを断ったのだろう。そして今回と同様に交換条件を申し付け、それも断った。あの惨劇の正体はそれによるものが原因だと分かった。


 だからどうしようにも、憤りを感じずにはいられないのは可笑しなことだろうか。


「お、おいおい、俺は先輩だぜ? この学校の生徒会長なんだぜ……? 君に俺が殴れるのか?」


「殴れますよ。あまり法だけで身を守りきれるとは思わない方がいいですよ」


「お、俺は生徒会長だぞ! この学校の秩序だって守っている。風紀を正すことも生徒会の務めだろ……?」


「あなたに正される風紀なら俺はいらないですね。なら俺があなたの風紀を正しましょうか」


 そんな様子を見てた部活動の生徒がこちらを見てざわついていた。当然、横から見れば俺から荒木先輩に喧嘩を吹っかけているように見えるからだ。明日には噂になっているだろうか。だが今はそんなことはどうでもいい。

 俺は目の前にいる一人のクズにどうすれば落とし前を付けられるかで頭がいっぱいだ。世界における誰かが似たような被害を受けたとしても、心が荒んでいる俺は全く響かない。しかしこれは違う。偶然にもクラスメイトが被害に遭い、今となっては普通に話すようになった彼女がこの男の魔の手にかかったのかと思うと反吐が出る。


 過去と直結する似たような場面で、今回は最適な解決方法を見出せるだろうか。


「――あれ、名取君? まだ帰ってなかったのかい?」


 そこで聞き覚えのあるハスキーな声が聞こえた。


「何をしているんだい? 帰りもしないで」


 荒木先輩の後ろから神崎と天宮、花崎が歩いてきた。

 彼女らの登場によって俺は掴んでいた胸ぐらをすぐさま離す。これはとても見られてはいけないから。


「生徒会長に神崎の連絡先を教えてくれって耳打ちされてたんだよ」


「ちょっ、僕は――」


「え、ボクの?」


「あれ、てか盗撮会長じゃん。何? 今度は神崎狙ってんの?」


「き、君は――!?」


 荒木先輩の目には動揺の色が現れていた。当然の反応だろう。日常を破壊したはずの彼女が今こうして三人で下校しようとしているのだ。決定的な切り札を武器に自分の都合の良い様に二択を迫ったはいいものの、結果として自分の思い通りになっていないのだから。


「な、何でだ――あんなに皆から避けられていただろ! そんな君が何故神崎さんたちと一緒に居るんだ!?」


「いろいろとご縁がありましてね。どこぞのおせっかいな人たちによって寧ろ前より気分よく日常を謳歌できてますよ。その点でいえば感謝ですかね、ヘタレ会長?」


「へぇ……あなたが花ちゃんの件の……」


「ご連絡先をお教えしてしまうのですか?」


「まさかね。それこそ天変地異があってもあり得ないよ。そもそも自分から聞いてこない時点でボクはお断りするし、何よりも友達を陥れた人だ。連絡先どころか声を聴くのも煩わしいよ。あなたにボクの聴力が少しでも割かれていると思うと虫唾が走る。金輪際、ボクたちの前に現れないで下さいね」


 俺は神崎のその目を知っている。それは本当に拒絶した人に向けられる眼差し。希望は無く、決してその相手には開かれることのない心の閉塞。

 こんなにも神崎が本気で激怒している姿を見るのは初めてだった。


「くっ……くそ――っ!」


 拳を地面に思いっきり叩きつけ、ふらふらと起き上がったクズ会長は朧げな足取りで校舎へと引き返していった。


「お前マジでモテモテだな」


「あんな人に好意を寄せられても嬉しい訳がないだろう」


 呆れ気味な神崎に対して「確かに」と頷きつつ、俺は花崎へと視線を映し、親指を立てた。


「良かったな。気持ちのいい仕返しが出来て」


「――ッ! ふんっ! あんなクズみたいな人間、最初から眼中にないわよ――でも、まあ――」


 そう言いつつ、若干顔を赤く染めながら花崎も小さく親指を立てた。


 そんな様子を後ろで眺めていた一人の少女。

 和やかな雰囲気に笑みを浮かべるも、その口角は徐々に下がっていく。そして下がった口角とは反対に両手がぎゅっと胸の前で組まれる。


 それは何かを願うように、祈るように――。

 固く噤んでいた彼女の口から小さく、そよ風が吹けば音が流されてしまう程の声で、誰かの名前を寂しげな声色で呼んだのだ――。

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