1頁目 「月の光の下で、彼女は夜に明るい微笑みを照らす」
春の麗らかな陽気に包まれ、教室の窓から暖かい風が優しく頬を撫でる……なんて、まるで卒業式の統辞みたいなセリフを吐くには俺は似合わなすぎる。
二年へと進級し、人によっては忙しくもあった四月も月末に差し掛かったこの頃、俺は窓際の席で頰杖を付いている。「はあ〜」と、ひと度ため息をつけばどこからかーー。
「おいどうした名取ー、カッコつけやがって!」
肩をがっしりと組まれ、予想していた出来事が起きた。もはや予想通りすぎて未来視レベルに達しているのではと察してしまう。
「別に何もねーよ。今日は良い天気だしな、軽く黄昏れるくらいいいだろ。断じてかっこつけている訳ではない」
「何だ随分と爺臭いな。お前だけ時の流れ早くね?」
「いや年食ってねーわ。今どき草食系男子が多い時代、ちょっとくらいおっさんみたいな発言をするんだよ。今の若者は」
なんて、効果の薄い詭弁を披露するものの、言った本人がそれを否定したくなるのはどうなのだろうか。だが実際、そんな詭弁を口ずさんでしまうくらい、昼下がりのこの時間はとても心地良い。まして今日は晴天のポカポカ日和だ。心身共にだらけてしまうのは罪に問われてしまうのか。いいや否である。
昼休み、程良くガヤガヤしているこの教室の空気も居眠りをするBGMとして丁度いい。睡眠欲求が高まるこの時間は、どうしてもぼーっとしてしまう。
「ま、次の体育はバスケだからな。そのボケっとした面も多少マシになるだろ」
前の席の椅子を逆にしてそいつは俺と面と向かう形で購買から買ってきたであろうサンドイッチを頬張っていた。折角の癒しの一時だったが、こうも目の前で食事をされては流石に気が散る。かといってどけと言うのも申し訳ない。そこまで強制する気も起きない今の俺は、そんな目の前の友人の勝手な行動も許してしまう。
「授業の時はいつだってマシになるさ。俺も体育は好きだしーー」
「ああ、そうだよな。わかるぞ。なんなら女子のパイオツがバウンドする光景も拝める。これは俺に与えられた試練なのか? 相手の女子のディフェンスに回ったはいいものの、目の前でバウンドする三つのボール。一体どのボールを弾けばいいのか、刹那に要求されるそれは寧ろ俺の胸の内が弾けそうにーー」
「キモすぎだろお前! つーか男子と女子はそれぞれ別で試合すんだろーが!」
「あ、そっか」
どうやら春の陽気はこいつの頭の中も温めてしまうらしい。いや、それはあまりにも春に対して失礼だ。
全国の春好きの諸君に謝罪しよう。ただ単にこいつの頭がおかしいだけだ。
緩やかに流れていった昼休みの時間が終わりに近づいたことで続々とクラスの生徒が着替えを始める。俺も着替えを済ませ、未だ眠気が覚めぬ体を引きずって体育館へと足を運ぶ。
◆◆◆
「今日は以前から伝えた通りバスケットボールをする。男子と女子に分けれて各自チームを組め。因みに無いとは思うが、男子は勝手に最強チームとか訳の分からんチーム編成はするなよ。ちゃんと平等に組むことだな」
誰がどう見ても体育教師にしか見えないガタイのいい安田にそう注意喚起された。この安田だが、昼休みに生徒が職員室に伺ったところ机の上にサラダチキンとプロテインが置かれていたそうだ。この先の自分の未来も心配だが、個人的にこの教師の今後の進路も気になる。
「おい名取、俺と勝負しようぜ!」
「何で俺が……と言いたいところだが、挑まれてしまっては断る道理も無いな。お前の顔面に華麗にシュートを叩き込んでやるよ」
「お前これから何のスポーツやろうとしてんの?」
そして安田の指摘どおり、活気に満ち溢れているこのクラスの男子は話を聞いていなかったのか最強チームを結成しようとしていたのだが、見かねた安田にどぎつい視線を送られその計画は頓挫する。
だがここで一つの問題が発生する。チームを三つに編成しようとしたのだが、その内のひとチームが一人足りない事態に陥る。しかしそのような時には別のチームから一人借りてくればいいことなのだが。ここの男たちは少しばかり様子が違う。
「やっべーー! 俺らのチーム一人足りねーじゃん! あーどうすっかな〜。他所から一人欲しいけど、疲れちゃうだろうしな〜。いやー困ったもんだなー!」
「だよな〜。別に何もしなくてもいい。立ってくれるだけでいいから誰か来てくんねーかな〜」
絶望的に演技力が皆無の男二人がわざとらしく声を張り上げる。それも早速隣のコートで試合をしている女子たちへチラチラと視線を送りながらだ。あからさまな確信犯、見通せるほど純粋な下心。ここまで際立った下劣なお誘いに女子たちの反応はもちろんーー。
「は? なにそれキモ」
「下心見えすぎてキモ」
「ただただキモい、死ねばいいのに」
これがドMならば土下座して感謝したい程に歓喜するのだが、研ぎ澄まされた言葉の刃が肉体と精神を切り裂いていくのみ。肩を落として落ち込んでいるが、ここまで分かりきっていた結末なのに、本気で落ち込むクラスメイトを横目にため息をつく。しかしもう見てはいられず慈愛の声を掛ける。
「なら俺で良ければーー」
「じゃあ、ボクが入ってもいいだろうか?」
ハスキーな声が俺の声を遮るように駆け抜ける。
思わぬ申し出に驚き、声の方へ振り向く。声の主は神崎小折。スラリとしたスタイルの良い、女子では長身のボクっ娘だった。
「え〜コッコ大丈夫なの? あんなゲスの巣窟に行くなんて」
「そうだよそうだよ。死んじゃうよ?」
それは女子でありながら圧倒的に女子の人気を勝ち取る美少女。この場合は可愛いとかではなく、カッコいいとか美人が表現としては最適だろうか。宛ら女版白馬の王子様のような人気ぶり。男すら脱帽する男らしさと美貌を兼ね備えている。
途中、何やら彼女を取り巻く女子の会話から不穏な言葉が聞こえた気がするのだが、敢えてスルーしよう。気持ちは少し分かるからだ。
「大丈夫だよ。それにボクも男の子と一緒にスポーツをやってみたいんだ。あっちはあっちで面白そうだからね」
「いよっしゃぁーーー! 神崎だ! 野郎ども、神崎が来たぞー!」
思わぬ大物が釣れたことで男子のテンションは一気に限界点まで到達する。
神崎の人気は何も女子だけではない。男子からの人気も熱く、彼女の振る舞いから男も、本当は自分は女なのではと錯覚するくらいの良い意味でのデバフの持ち主なのだ。
そして今となっては神崎が自チームに入ることで強烈なバフがかかっている。彼女が仮に俺のチームに入っていたのなら自分も瞳に炎を宿すようになるのかと思うと恐ろしいカリスマ性がある。俺も一人の男として、神崎のような人気がある女子が同じチームとなればテンションが上がるというもの。こればかりはどうしようもできない男の性なのだ。
早速試合開始のホイッスルが鳴り、いきなり神崎率いるチームと対決することになる。
速やかに神崎へとボールが渡り、女子とは思えぬ速度でこちらへと駆けて来る。しかしこちらもバスケ部員がいる故に、いかに運動神経が良い神崎でもこれを突破するのは厳しいだろう。俺は味方が神崎からボールを奪うことを想定して敵陣のゴール下へと急ぐ。
だが、ダンダンと重いボールが地面を叩く音が鳴り止まない。気になって後ろを振り向くとそのバスケ部員は神崎の猛進をスルーしていたのだ。その男子の顔はふしだらにだらけきっている。
(あんの馬鹿野郎! 腕組しながら何ぼっ立ちしてやがんだ!)
恐らく彼は別のボールに気を取られていたのだろう。全くその場から動く気配がない。
全速力で戻り、何とか神崎に追いついて男女平等ディフェンスを仕掛ける。
「名取君か。誰であれ抜かせてもらうよ」
「悪いが俺はそこの馬鹿と違ってな。相手が女だろうと手は抜かない主義なんだよ」
「それは助かるよ。女だからってボクを贔屓されては困るからね」
男としての誇りを賭けて何としても食い止めようとボールへ神経を集中させる。素人ではなかなか出来ない背後でバウンドさせて翻弄してくる芸当をするが、それでも動じない。だが何故だろうか。ボールが背後に移動したことで視覚情報が減り、違う箇所に意識が持っていかれる。その場所はバスケットボールとはまた違う、不規則に柔らかく揺れる二つの球体へと向けられる。
(おい畜生何だこれ、どうしちまったんだ俺!?)
まるで幻覚でも見ているかのように視界が揺らぐ。いや実際に揺れているのは眼前にある胸なのだが。何とか下卑た視界を正常に戻し、再度改めて本物のボールを見ようとするも、そもそももうその場に神崎の姿は無かった。
「ごめんね、名取君。先にポイント先取させてもらうよ」
気がつけば既にゴール下まで移動しており、成す術もなくそのまま先制点を許してしまう。ほぼ単独でのゴールに観戦していた男女ともに歓声が沸き上がる。
「う、嘘だろ……」
何とも情けない自分の脳に不意に昼休みに言っていたあいつの言葉を思い出す。
『なんなら女子のパイオツがバウンドする光景も拝める。これは俺に与えられた試練なのか?』
(ああ、そうか。お前の言う通り、俺にも試練が与えられたよ……)
結果、神崎参戦によるバフ効果により実力以上の力量を見せた男子により圧倒され、完膚なきまでに撃破されたのである。
俺自身、醜態を晒してからの勢いの失速はそれはもう凄まじく、相手は抜かせないわドリブルとシュートをミスるわで見せ場が全くと言っていいほど無く、不完全燃焼で体育の幕引きとなった。
ふと、ちらりと神崎に視線を移すとタオルで汗を拭う姿があった。まるで汗の一滴一滴が光で反射してスポーツドリンクのCMのような演出になっていた。俺ビジョンでこうなのだから、他の男子から見ればこれ以上のキラキラ演出が見れるのだろうか。
いずれにせよ、この落ち込みから立ち直るには時間がかかりそうだ。
そんな俺の肩に優しくポンと手が置かれる。その手は何かを察したようにうんうんと頷く友人の手だった。
「……何か言ってくれよ」
無様な醜態を晒した俺にたった一人寄ってくれた唯一の人間だが、無言で接するのは今の俺にはとても辛いことなのだ。
◆◆◆
今日は金曜日であることから、毎週恒例の夜更しが始まる。俺はこれからやることに備えて夜食を買いに出かける。
今の時間は夜の十時前。コンビニへと続く夜道は人ひとりすれ違うこと無く、こちらを向く野良猫がたまに見かける程度。等間隔に配置された街灯と近所から漏れる光で照らされた道を暫く進むと、一箇所だけ眩しく光り輝くコンビニに到着する。
「いらっしゃいませー」
何やら心地良い店員の声をしっかりと耳に入れ、買い物カゴを手に取って雑誌コーナーを横切ろうとしたところで立ち止まる。
目に止まったのはグラビア雑誌。いつもなら間違いなくスルーするのだが、今日ばかりはそれに妙に惹かれてしまった。認めたくはないが理由は明白。それは体育の時間に起こった神崎との対面によりものだ。ブラックホールのように視線が胸から離れなくなってしまったことが原因である。
今やこのような雑誌はデジタル媒体で見るのが主流になっているのだが、変に覚醒している今の俺は顎に手を当てて購入するか悩んでいる。一冊手にとり、一ページだけめくる。そこに載っていたのはビーチで如何わしい格好をしている水着姿の女性。何よりも注目すべきはその胸にある。グラビア特有の常人離れした巨乳がたわわにお披露目されている。
そっと雑誌を閉じ、一度深く深呼吸する。そして普段はしない険しい表情でそれをカゴに入れ、続いて本来の目的であるお菓子とジュースもカゴに入れてレジへと真摯な足取りで向かう。
ーーさあ、いざ尋常に勝負だ。
「あれ、名取君?」
カゴをレジに置いたとこで聞き覚えのある声が不意に鼓膜を叩いた。
「え?」
「やっぱり名取君じゃないか。こんな時間に買い物に来るなんて、これから夜更しでもするのかい?」
「な、何で神崎がここに? ここでバイトしているのか?」
思わぬ邂逅に思考が一瞬停止しかけるが、それよりも大事なことが起ころうとしている。
「そうだよ。最近ここでバイトを始めたんだ。まさか君がここのご近所だったとは思わなかったーー」
バーコードを読み取っていた神崎の手が止まる。当然であろう。何故なら彼女が手に取ったカゴの中には呪物が仕込まれているのだから。それも知り合いに見られるという最悪な場面で。
「こ、これは。名取君……?」
この反応も至極当然。言い逃れをするには困難を極める。ならここは変に言い訳をせず、真正面から突破するのが最も合理的だと判断した。
「グラビア雑誌だ」
「い、いや、それは分かっているのだがーー」
「グラビア雑誌だ。誰が何と言おうとこれはグラビア雑誌だ。それ以外何がある?」
掛けていないメガネをくいっと押し上げる動作をし、俺は鋼の精神を持って全く動じない。
これは作戦だ。男ならこのような雑誌を買うことは全然おかしくない。それに加えて思春期ど真ん中の俺がちょっとエッチな雑誌を買うことは世間から見ても何ら違和感はない。あるのは羞恥心だけ。
つまり、本来なら俺が恥ずかしがるところを我慢して普段と変わらない状態を維持し、そんな当たり前のことをわざわざ指摘して意識している神崎を逆に辱めるという超最低な高難易度テクニック。心理学を応用した駆け引きである。保健体育で教わるべき戦術だ。
「あー……」
(その絶句と軽蔑した眼差しは止めてくれ。めちゃめちゃ効くから)
「……クラスのみんなには黙っておくよ」
「……ありがとう」
無事に緊急任務を完遂した俺は目頭が熱くなってしまう。これは嬉しさ故か、はたまた別の感情かは考えたくもない。
(やーっべ、マジで死にたい……)
重い足取りでコンビニを後にしようとしたところで店内から神崎の声がした。
「神崎ちゃん、そろそろ時間だから上がっていいよ。今日もありがとね」
「はい、お疲れ様でした。お先に失礼します」
着替えのためか、レジの奥へと入っていた神崎の姿を見送った後、俺は何を思ったのかもう一度店内へと足を運んだ。
「ーーあれ?」
「よう」
「名取君? まだ帰ってなかったのか」
「靴紐が解けてしまってな。結ぶのに時間が掛かったんだよ……ほれ」
「これは?」
「差し入れだ」
神崎へ渡した一本のカフェオレ。本日二度目の予定にない出費。何故このような奇異な行動に出たのかは本当に俺にも分からない。
「ふふっ」
「な、何笑ってんだ?」
「ああ、ごめん。いや何、カフェオレなんて君のカゴには入ってなかったからね。わざわざ買ってくれたのかい? ありがとう」
素直な感謝の言葉に顔が赤くなってしまう。
彼女は早速カフェオレを一口飲み干す。何てこと無いありふれた行為。なのにまじまじと見つめてしまう。
「折角だし、一緒に帰ろうか。ボクの家もここから近いんだ」
「お、おう」
◆◆◆
そしてこれも予想していないイベントだ。まさかクラスの人気者と夜道を歩くことになるなんて。一体何の徳を積んだらこんなことに繋がるのか。悲しことにそんな聖人のような人生を歩んじゃいない。
「ーーここには最近引っ越してきたんだ。で、近くにあるあのコンビニでバイトをしているんだ」
「なるほどな。道理で今まで見たこと無かった訳だ。ま、そもそも知り合いがいる店に俺は行かないしな」
「え? もう来てくれないのか?」
「ん?」
これが友達ならともかく、知り合い程度しかない関係の人がいるとこにわざわざ足を運ばないだろう。コンビニならまだ近所にあるのだから。
「ボクは知り合いが来ても気にしないよ。まあ君が気にするというのなら仕方ないが。折角学校以外でも話す機会ができたんだ。それが無くなってしまうのは少し寂しいな」
これは本音なのだろうか。顔を俯かせて落ち込んでいるように見える。しかし、先程の失態を内密にしていてくれる手前、罪悪感を感じてしまう。逆に考えれば人気者とプライベートでも話せるのだ。それだけでもクラスの男子に誇れる。
「いや、俺も気にしない。神崎なら俺は気にならない」
「本当か!?」
余計な一言も付け加えてしまった気もするが、当の彼女は気にしていないようなのでセーフだ。
それにしても、そんなキラキラとしてた目で見つめられると反射的に目を逸らしてしまう。
「まあ、俺はいつも大体今日のこのくらいの時間にしか来ないからな」
「そうか、ふふっ」
今日は本当に珍しい一日だ。何せ神崎相手にここまで話しているのだから。一年の頃はこれといった接点もなく、会話した記憶も殆ど無い。何か悪い歯車でも狂ってしまったのか。いや、噛み合っているのか。心理は定かではない。
「ならその時はまたこうして一緒に帰ろう」
「は!?」
「嫌、なのかい?」
今度は眉を八の字にして困らせてしまう。
それより嘘だろ。マジで何なんだ今日は。今までより神崎と接することができただけでなく、バイト帰りに帰宅を共にすることを約束するなど、これからどんな天変地異が待っているのか。これの返答をノーで返す男子はもれなく煉獄へと送られるだろう。
「嫌じゃない! 寧ろ神崎が嫌じゃなければ全然、俺はいいよ」
「そうか。じゃあまた一緒に帰ろうか、名取君っ!」
これまでに見たこと無い、いやどこかで見過ごしていたのかもしれない神崎の眩しい笑顔。女版王子様と言われてはいるが、この笑顔だけは正真正銘、普通の可愛い女の子。
月の光に照らされ、より一層輝いて見えるその笑顔は目にカメラが仕込まれていれば間違いなくコンクールに出展できるベストショットが撮れていたことだろう。
何かが変わり始まろうとしている。
良い意味か、悪い意味か。
この夜道は高校生活で一番心に残るだろう。
そんな刺激的な一日が、思わぬ形で過ぎ去ることになったーー。
毎日投稿は難しいですが、なるべく定期的に投稿しようと思っています。




