私の人生が崩れたあの日
~2023年の10月~
親の離婚が決定する前から離婚の件は聞いていました
家の空気、雰囲気、親同士の会話がなくなっていく日々
私は何となく察してはいました
けれど、親問題なら私が割り込んで話をするのは違うと思いあえて触れませんでした
「もう、母とはやっていけない。離婚しようと思う」
そう、父から告げられました
私はかける言葉が見当たらず、ただただ無言で聞いていました
けど、話を聞いていくうちに家族全員で楽しかった日々が脳内に出てきて
気づいたら泣いていました
「もうどうしたらいいのか」
「ほかに何かできることはないのだろうか」
私は私自身を恨み、妬み、自分の首を自分で締めていました
家に帰った後も何度も何度も泣き、あくる日は部屋にこもり泣き崩れてました
そう、ここから私は変わってしまったのです
話を聞いた翌週
いつも通りに学校に行きました
けれど、部活には行かず、教室には行かず、職員室に行きました
担任の先生を呼び私は週末に聞いた話を先生にしました
先生は私を責めるわけでもなく、ただ静かに話をうなずきながら聞いてくれました
そんな優しい先生に対して、そして離婚という現実を見て私は泣いてしまいました
この日は学校を早退して、家に帰りました
ここから私は学校に行けなくなってしまいました
10月から11月中旬にかけて私は不登校になってしまいました
~私の過去、そして今~
2023年1月
人生で初めて心療内科に行きました
そこで告げられた言葉は
「ここで見ることはできません。大学病院に行ってください」
ここから私の心療内科通院が始まりました
親の離婚なんか考えたことなんてなかったこの時から私の中で何かが変わっていたのです
自傷をする日々
希死念慮はこの時から持っていました
けれど、一時期はそんなことが嘘かのように消えて通院は中断となりました
時が進み2023年11月
心療内科の通院が再開しました
私はこの時主治医の先生に言われました
「心が相当の鬱状態になってるね
限界はとっくに超えてるはずなのに無理してるでしょ」
私は先生の言っていることが的中していたため、静かにうなずきました
そして、この時のもう一つの悩み
「夜寝ることができない」
このことも話しました
そしたら言われた言葉は
「不眠症だね」
この通院の日から私は眠剤に頼る日々でした
うつ病、不眠症
私はどうしてしまったのだろうか
これからどうなってしまうのか
自分自身が嫌いになってしまい
自傷をしてしまう日が増え
希死念慮が強まり実行しようと思った日だってあります
私の人生一度きりなのはわかっていても心が理解をしてくれなくて
私は私であることが嫌になって
何をどうするのがいいのか
わからなくなって泣く日だってあります
でも今こうして生きているからこの小説が書けている
私は私でいて、今ここに入れて本当に良かったです