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――ザシュ、ザシュと斬りつける音が辺りに響き渡る。
暗く、月の光だけが差し込む神聖な教会に、それはあまりに似つかわしくない異音だった。
目を紅く光らせた【オンナ】が、怯えきった〝男〟の上に馬乗りになり、彼がまとう白い衣を何度も何度も斬り刻んでいた。
【……つまらない。 つまらないつまらないつまらないつまらない】
〝男〟がひいっと悲鳴を上げる。それを煩わしいと言わんばかりに、【オンナ】が彼の顔すぐ近くに、叩きつけるように【短刀】を振り下ろす。
【……本ッ当、つまらない。 この国に大きな〝力〟があるっていうウワサを聞きつけ、わざわざやって来たっていうのに。 てっきり守護神であるお前のものかと思いきや……。 まさか別の者だったとはな。 おまけに、お前はお前で「糧」にもならない、微々たる〝力〟で……。 よくもまぁ、そんなつまらない〝力〟でこの国を守護できるものだなッ!!】
言いながら、【オンナ】がもう一度〝男〟――魔法王国の守護神に向かって、【短刀】を勢いよく振り下ろした。その瞬間、情けない声で、彼がひいっと叫ぶ。
【――言え!! 〝力〟を持っているのはどこのどいつだ!! お前が大事に守っているのは一体誰なのか、苦しみたくなければおとなしく吐け!!】
悲鳴を上げるばかりで答えない〝男〟の眼前に、更に畳み掛けるかのように【オンナ】が【短刀】を突きつけた。するとついに堪えきれられなくなったのか、〝男〟が声にならない声で何かを口にする。
【……そうかそうか、王国の姫か。 よく答えてくれた】
それでも【オンナ】は〝男〟の答えを聞き逃さなかった。
これで助かる――そう思って安心しきった表情を〝男〟が浮かべる。――が……。
――ザシュっという音が再び辺りに響き渡る。
呆気に取られて何が起こったのか理解していない〝男〟が、遅れて自分の〝心〟に【短刀】が突きつけられているのを目の当たりにした。瞬間、大きな叫び声を上げる。
……そう。【オンナ】は「助ける」とは一言も口にしていなかった。ただ「苦しまずに済ませる」とだけ言ったのだ。
【お前の〝力〟なぞ微々たるものたが、利用する余地はあるからな。 ――そのためにもお前には消えてもらう】
【オンナ】が言い終えるよりも先に〝男〟が霧散する。そして、その直後、【短刀】にはまるで血のように、白い〝光〟が少量まとわりついていた。
その〝光〟を見つめた後、【オンナ】は鼻を鳴らして、【短刀】を口元へと運んだ。そして、〝光〟を喰らうかのように【短刀】をぺろりと舐める。
【……つまらない】
不満げに、【オンナ】がつぶやく。
【オンナ】が【短刀】をしまい、踵を返そうとしたその時だった。
――教会の扉が開かれる。
そして、振り返った【オンナ】と教会の外にいた「男」達が【邂逅】する。
後に、この時の【邂逅】が数奇な運命となり、旧魔法王国を破滅へと導いてしまうことになるのである。
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……ずっと、理解し切っていたことなのに。
何かがきっかけに、何処かで、心の均衡が崩れ去ってしまった。
――どうして、自分は「姫」に生まれ落ちてしまったのだろう。どうして、自分には「自由」がないのだろう。どうして、自分は「普通」には生きていけないのだろう。どうして、どうして、どうして……。
次々とそんな疑問が浮かんでは消える。エルフィナはその全てを拭い去るかのように首を横に振り、鏡の前に立つ。
其処には、長い金色に輝く薄黄の髪で美しく整った顔立ちの「姫」が居た。
「…………」
エルフィナは其の「姫」をじっと見つめた。
……そう、此の「姫」は自分なのだ。――「姫」は常に王国と民のことを思い、守っていかなければならない。そのことを決して忘れてはいけない。
「――私はエルフィナ、この王国の『姫』……」
頭でも考え、更に口にも出して、その「事実」を自分自身にも言い聞かせ、強く刻み込む。エルフィナは何度も何度もその言葉を繰り返した。
――決して、見失ってはいけない。いくら、心の奥底で「普通」に大切なひとと生きていきたいと本心が叫んでいたとしても、だ。
(……いい、エルフィナ。 あなたは一日だけ「自由」に過ごして、その「自由」だった思い出だけを大切にして、後は「姫」として生きていくの。 ――どこかの相応しい「相手」と結婚して、「女王」になってこの王国の人たちを幸せにしていくの。 それがあなたの「役割」――それくらい理解してるでしょう)
……それに、きっとそばにはジェナティスがいてくれる。結ばれることはできないが、彼は生涯賭けて守ってくれる。大切なひとがそばにいてくれるだけで十分幸せじゃないか。
再び言い聞かせて、エルフィナは大きく息を吸い込む。――まるで、自身に課せられた「役割」をのみ込むかのように。
最後にもう一度自分の姿を見てうなずいた後、エルフィナは鏡から離れる。そして、身支度を整えるため、その場を離れるのだった。
――そして、建国祭当日。
エルフィナは祭りに参加するため、群衆に紛れても目立たない格好をして城を出た。もちろん、すぐそばにはジェナティスが控えていた。彼も同じような格好をして、剣を隠し持っていた。
「役割」を言い聞かせ自分を戒めつつ、エルフィナはジェナティスと共に、初めて外へ出る。
声が飛び交い、笑顔がこぼれ、賑わう人々。――城下はエルフィナがいつも上で眺めていた時よりもずっと活気にあふれていた。
その笑顔を横目で見ながら、エルフィナは再び自分に言い聞かせる。……ほら。この笑顔を守るためにも、自分は「役割」を果たしていかなければいけないのだ。――また強く、刻み込む。
あちらこちらに出ている店を眺め、そこで交わされる会話を耳にしながら、エルフィナはその表情ひとつひとつに目を向ける。そうしていくうちに、その全てが愛おしく感じた。
……あぁ、やはり、自分は「姫」なのだ。もしかすると、自分の持つ「役割」を見失いかけていたのかもしれないと不安になっていたが、そうではなかったのだ。
そうだと分かって、エルフィナは大手を振って建国祭を楽しむことにした。
だが……――。
――その時すでに、魔法王国の「運命」は狂い始めていたのだ。
【オンナ】により、守護神が消え、その加護がなくなってしまったせいなのか。
はたまた、「姫」の奥底に眠る「思い」が解き放たれてしまったせいなのか。
それとも、【オンナ】が「とある人物達」と邂逅し、そして、「姫」の〝力〟のことを知ってしまったせいなのか。
――どのみち、その全てが重なり、魔法王国は着実に破滅へと向かってしまっていたのである。
何事もなく無事に一通り建国祭を見学し、エルフィナは満足して、城へと帰ろうとした。
――その時である。
「ねぇ、願い事決めた?」「ううん、まだ」
ふと、エルフィナの耳に、仲良く連れ添う女性二人の会話が入る。
……なぜだろう、その内容がすごく気になる。思わず振り返り、エルフィナは足を止め、二人の会話に聞き耳を立てることにした。
「えーっ、早く決めなよ。 毎年言ってるでしょ。 建国祭の日、教会に行って王国の守護神様に願い事をすれば、必ずそのお願いを聞いてくれるんだよって」
「あんただけでしょ、そう思ってるの。 私はあんまり叶えてもらったことないもん」
必ず願い事が叶う? そんなことが本当にあるのだろうか?
そんな疑問を抱いたエルフィナに、【翳り】が襲う。
「――ウソじゃありませんよ。 試しに貴方も願ってみるといいですよ。 ――その奥底に眠る『思い』の中にある、貴方の真実の望みを」
――突然、エルフィナのすぐ耳元で【オトコ】のささやきが聞こえた。
エルフィナは小さく声にならない悲鳴を上げ、振り向こうとする。
……が、できなかった。第一、エルフィナに近付いただけで、ジェナティスが黙っているはずがないというのに。彼が気付かないということは、この【オトコ】はもしかして…………。
エルフィナがそこまで考えたところで、【オトコ】が動いた。【何か】を彼女の耳元でささやき、エルフィナの「全て」を封じる。
ビクンっと身体を震わせたかと思うと、エルフィナは虚ろな瞳を浮かべて、その場に立ち尽くした。
「――貴方が本当に望むこと。 それを『神』に願いなさい。 そうすれば、きっと聞き入れてもらえますよ」
ククッと可笑しそうに笑い声を漏らして、【オトコ】はエルフィナにささやき掛ける。
「私の……本当の願い……」
「――えぇそうです。 きっと叶いますよ」
繰り返すエルフィナに何度もうなずいてみせた後、【オトコ】はほくそ笑むように、最後に付け加えた。
「――その願いだけは、ね」
――エルフィナが二人の会話を耳にした時点で、魔法王国の命運は尽きていた。――もうすでに、手遅れだったのである。
【オトコ】のその言葉を耳にするより早く、エルフィナは正気を取り戻す。
「……エルフィナ?」
少し前で、ジェナティスがエルフィナの方へと振り返り、訝しんだ表情を浮かべていた。
先程までの記憶はエルフィナから消えていた。ただ、うっすらと残っていたのは……――。
「……教会」
――教会に行って「願い事」をしなければ、という思いだった。
「ねぇ、ジェナ。 最後に教会へ行ってもいい? ――私、やりたいことがあるの」
戸惑うような表情を浮かべたままのジェナティスに、エルフィナは盲信的にそう頼み込む。
――【翳り】は未だ、エルフィナの心に残っていた。
エルフィナは本当の願いすら見失っていたのだ。
現在の彼女にあるのは、ただ「逃れたい」という思いだけだった。
いつもとは違うエルフィナの様子に、ジェナティスは不安を感じずにはいられなかった。けれど、彼女の眼差しが真剣そのもので、応じないわけにもいかなかった。
「……分かりました」
――そして、ふたりは教会に赴くのだった。




