Feather 6 ଓ 【侵蝕】 〜【encroachment】〜
ଓ
〝――エリン、出掛けてくるわね〟
……なぜだろう。いつもなら、どうということはないのに。――彼女が出掛けていく理由をちゃんと理解しているはずなのに。どうしてだろう。やけに胸が騒ぐ。
アリィーシュのたった一言だけで、エリンシェは気持ちが塞いでしまった。それが表情に出てしまったのだろう、彼女が少し困った顔を浮かべている。
理由が分かっているだけに、アリィーシュを困らせるわけにもいかない。そんな気持ちとは裏腹に、エリンシェは彼女を目で追ってしまう。……行かないで。なぜか、そう叫びたい気持ちでいっぱいだった。
おそらく、アリィーシュはエリンシェが修行できないことに不満を抱いていると思い込んでいるのだろう。目をそらし、エリンシェの方を見ようともしなかった。
……そういう気持ちが全くないと言えば嘘にはなるが、今はそれどころではないのに。エリンシェは諦めずに目だけで訴え続けた。――が、その思い虚しく、アリィーシュはそのまま天界へと出掛けてしまった。
エリンシェは肩を落とし、途方に暮れる。直接口で言えば良かったのだろうが、〝彼女〟自身、その不安が「何」による「モノ」なのか分かっておらず、上手く伝えられそうになかったので、視線を送ることしかできなかったのだ。それに、これも何の根拠もなかったが、言葉に出すこともなぜかはばかられたのも一つの理由だった。
そういう理由で、こうして独りになってしまった今も、エリンシェは止まない胸騒ぎにどうすることもできずにいた。……何かを感じているのか、エリンシェを気にしている様子のミリアに相談することもできない。かと言って、アリィーシュと同じくどう伝えれば分からないため、ジェイトを頼ることもできない。
何をしても手につかないだろうと思い、エリンシェはひとまずベッドに横になる。しばらくすると、ミリアからの視線を感じなくなった。おそらく、エリンシェが疲れていて横になったとでも考えたのだろう。心配を掛けずに済んだことに胸をなで下ろすのと同時に、エリンシェは更に胸騒ぎが大きくなるのを感じていた。何とかそれを落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。
そうしているうちに、エリンシェはひどく疲れを感じ始めた。そして、いつの間にか、誘われるように眠りに墜ち、とある【夢】を見るのだった。
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【其処】にひろがるのは闇、闇、ヤミ……。底の知れない【闇】がどこまでも続いている。……【其処】に一人、気を失っている少年が【闇】に絡め捕られていた。
――そんな場景を、〝彼女〟は見下ろすようにして眺めていた。……何だ、コレは。猛烈に嫌な予感がする。【夢】……だとは思うが、一向に醒めない。おまけに、【夢】が妙に現実味を帯びているためか、〝彼女〟自身も【闇】に絡め捕られているような錯覚に陥った。
「ぐ……っ」
ふと、少年が意識を取り戻した。すぐに自分が置かれている状況に気が付き、彼は【闇】から逃ようとあがき始める。けれど、暴れれば暴れるほど、【闇】はますます彼を呑み込んでいった。
「おい、いい加減にしろよ! ゼルグ、居るんだろ!?」
暴れるのを止め、少年が大声で呼び掛け、虚空をにらみ付ける。少しすると、【闇】の中から、くつくつと可笑しそうに笑いながら、邪神ゼルグがあらわれた。
【やぁ、ヴィルド。 気分はどうだい?】
「見れば分かるだろ!? ――最悪だっ!! お前、何企んでる!? ……一体、ボクのカラダをどうするつもりだ!?」
どれだけ少年――ヴィルドがわめき散らしても、ゼルグは涼しい顔をしていた。それどころかむしろ、ヴィルドの暴れている様子を愉しんでいるかのように眺めている。
【そう……だねぇ。 もうすぐ時機が来るから、そろそろキミのカラダをもらおうと思ってる。 ――ただ、ソレだけの話】
しばらくそうした後、ゼルグは顔色一つ変えずにそう言ってみせた。すぐにヴィルドが「ふ、ふざけるな!!」と叫んだが、やはり動じず、冷たい微笑を浮かべて彼を見据えていた。
「――ボクはボクだ! そうである限り、このカラダもボクのモノだ! 今後はボクの許しなく、カラダを使うのも止めてもらおうか! カラダを使われる度、まるでボクがボクでなくなっていく――そんな感覚に陥るんだ! それもまっぴらごめんだ!」
……なぜだろう。ヴィルドのその言葉に、ゾクリと悪寒が〝彼女〟に走った。その上、嫌な予感が更に強まった気がする。コレをきっかけに、今から恐ろしいコトが行われる――そう思えて仕方がなかった。
【ねぇ、ヴィルド。 ――キミ、誰に向かって、命令してる? ……一度だけなら許すけど、二度はないよ】
冷たく微笑ったまま、ヴィルドに近付き、彼の顔を指で弄ぶようになぞりながら、ゼルグは妙に優しい声音で彼に言い聞かせた。――まるで、あくまで主導権は【彼】にあるのだと、ヴィルドに教育するかのように。
有無を言わせず、ヴィルドの顔をなで回した後、ゼルグは何かを思い出したかのように【……あぁ】とつぶやいた。
【キミが気にしてるのはひょっとして「取り引き」のこと? それなら心配いらないよ。 ――ボクはウソをつかないから】
もちろん、ゼルグの言う通り「取り引き」について心配していたわけではないだろうが、【彼】の意外な言葉にヴィルドが呆気にとられ、訝しむように眉をひそめた。
【キミはすごくボクの役に立ってくれたからね。 そんなキミの願いを無下にするワケにはいかないよ。 ――あの時、取り引きした通り、〝彼女〟を手に入れてあげる】
ますます怪訝そうな表情を浮かべて、ヴィルドがそう話すゼルグをしばらく見つめる。どう考えても「裏」があるとしか思えない――そう結論付けたのだろう、「で、でも……」と口を開いた。
――が、すかさず、ゼルグはそんなヴィルドの口を人差し指で抑え、強制的に黙らせる。そして、また冷たい微笑を浮かべ、口を開いた。
【……キミは、人間にしてはおもしろい存在だった。 欲しいモノはどんな手段を使っても手に入れる――そんな卑しい欲望を持っている存在。 だけど、キミの奥底に在る邪悪な心こそが、ボクをどんどん強くして、「力」をも与えてくれた。 ――本当に、キミという存在に邂逅できたことがボクの幸運だった。 それに、キミのカラダはボクにとてもよくなじんでくれた。 キミと一心同体になるうち、ボクもいつしか〝彼女〟という存在に興味が湧いて、キミと同じように〝彼女〟を手に入れたい、とそう願うようになっていた。 ――必ず、ボクは〝彼女〟とこの世界全てを支配する。 だから、さ】
話し終えると同時に、ゼルグは片手でヴィルドの顔を思い切り引っ掴んだ。
突然の出来事に言葉を失うヴィルドだったが、次第に、先程までの威勢がなくなっていった。それどころか、はかり知れないゼルグの行動に怯えきった表情を浮かべていた。
そんなヴィルドの様子を愉快そうに眺めた後、ゼルグは【鎌】を取り出し、彼に突きつけると、その言葉の続きを言い放った。
【――だからさぁ、キミのカラダをもらうよ!!】
ドンッという衝撃音が〝彼女〟の耳には聞こえた気がした。
けれど、ゼルグもヴィルドも全く動いていない。それなのに、すさまじいほどの恐怖が〝彼女〟になぜか襲い掛かっていた。
「……ア」
不意に、ヴィルドが声をもらす。
「アアアアァァァァ――――ッ!?」
それを皮切りに、――「カレ」は苦しそうな叫び声をあげ始めた。
――断末魔だ。「カレ」に異変が起きていたのだ。
ぐにゃり、と「カレ」の顔が歪む。
最初に【変化】が訪れたのは、【闇】に呑まれていた「カレ」のカラダだった。「カレ」のカラダは黒い【霧】のようにとけ、顔だった部分――ゼルグの手へと流れていく。
そんな「カレ」とは対象的に、ゼルグの姿はどんどん象られていく。……見るとゼルグは勝ち誇ったように微笑みを浮かべていた。
とけた「カレ」の「顔」は次第に集結して、漆黒の「玉」へと変化していった。わずかに残っていた「カレ」の「欠片」は何か言いたげにゼルグを見据えていた。――もはや残っているのは「目」だけで、声を上げることもできなかったからだ。
「そんなカオするなよ。 決して損はさせないよ。 ――ヴィルド、キミはボクになるんだ。 キミはキミでいた時よりもずっと素晴らしいモノを見せてあげる! ――キミはボクとしてキミが欲しがっていた〝彼女〟を手に入れ、この世界をも支配するんだ! これ以上にないくらい最高だろォ!?」
興奮気味にそう話すゼルグを、「カレ」は未だ冷ややかな「目」で見据えていた。――が、その最後の「抵抗」も虚しく、「カレ」だった「モノ」は完全にとけてなくなり、「玉」と化してしまった。
――その瞬間、ゼルグが高笑いを上げた。
しばらくして満足そうに「玉」を眺め始めたゼルグの姿を目にしながら、〝彼女〟はおさまることのない恐怖に震えていた。
……これから、もっと恐ろしい「コト」が行われるに違いない。そう思えて仕方ないのに、なぜか目をそらすことが――「カラダ」を思うように動くことができない。
フッと笑いをこぼし、「玉」を握りしめた後、ゼルグは唐突に、「玉」を真上に放り投げた。そして、その軌道を正確にとらえ、大きく口を開けた。
「玉」はそのままゼルグの口へと落下していき、そして――……。
「――ごちそうさま」
ゼルグはヴィルドだった「玉」をのみ込んで、満足そうにつぶやいた。
文字通り、ヴィルドと一心同体になったゼルグの姿に少し変化が起きていた。少し――ほんの少しではあるが、ゼルグの「顔」にヴィルドの「面影」がみえるようになっていた。それだけでなく、ゼルグの【力】は以前にもまして強大になっていた。
「あぁ……ヴィルド、本当にキミはボクの役に立つねぇ。 人間からカラダを奪うのは、ボク達邪神がカラダを得る当たり前の手段ではあるけど、キミはそうするよりもずっとボクという存在を強く、確かにしてくれる。 まぁとにかく、これでキミはボクになった。 ……さて」
上機嫌につぶやくゼルグがふと、とある方向を見据えた。
それに気付いて、すぐに〝彼女〟は息を呑んだ。
……見ている。――ゼルグはこちらを見ているのだ!
「――次はキミの番だ。 じきにキミはボク達のモノになるんだ。 ――決して、キミはボク達から逃れないんだよ」
ゼルグからの宣告に、〝彼女〟は絶望する。
……嘘だ、ウソだ! 私は……帰ってきたはずだ!
勝利を確信したようなゼルグの高笑いに、〝彼女〟は恐怖する。
けれど、もし、このまま目覚めることもできなかったら? そんな最悪の想像さえしてしまう。
あまりの恐怖に、〝彼女〟は悲鳴を上げるのだった。




