Feather 5 ଓ 寄す処 〜〝key〟〜
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〝――エリン、出掛けてくるわね〟
〝神殿〟から帰って数日後。アリィーシュがそう言って聞かせると、エリンシェはあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべた。
分からなくもない、とアリィーシュはすぐに思った。――エリンシェが今すぐにでも〝神殿〟へ赴いて、強くなるための修行を始めたいと思っていることが、アリィーシュには手に取るように分かっていた。
――エリンシェは平穏な日常が続く間に、できることはしておきたいと考えているのだ。だからこそ、だ。〝彼女〟の思惑と同じように、アリィーシュも今のうちに行動しようという決心を固めたのだった。
エリンシェからの痛い視線を受け流し、アリィーシュはすぐに「移動」する。向かうのは天界。ほんの少しでも〝神格化〟の手掛かりを掴むために、アリィーシュはその地へ赴くのだった。
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〝転翔〟を用いて、アリィーシュは天界へとたどり着いていた。
天に近いところに在り、大神・ディオルトにより守護され、何人にも侵されない処に存在する場所――天界。アリィーシュ自身もテレスファイラの守護神となり、封印されて以来、天界を訪れる機会は少なくなっていた。
〝神格化〟のことを調べるにあたって、何度か天界に来ていたものの、いつも大した収穫はなく、残った時間はガイセルを手伝うことしかできていなかった。……けれど、今回ばかりはそうもいかない。必ず、何かしらの手掛かりを掴んでみせると、アリィーシュは意気込んでいた。それに、残された時間は限られているのだ。
まず、アリィーシュは「女神の花園」と呼ばれている場所へと向かった。
その名の通り、花に囲まれた美しい場所で、多くの女神達が其処に暮らしていた。また、女神の花園は女神達にとって、其処を守護する女神により様々なことを教わり、成長する場所でもあった。いわば、女神達のある種の「故郷」と呼んでも過言ではなかった。
色とりどりの花園の入口に立ち、アリィーシュはその中心へと向かう。そこには美しく咲き誇る一輪の蒼い〝薔薇〟が在った。
〝ただいま、「蒼薔薇」〟
当然のように、アリィーシュはその〝薔薇〟――〝蒼薔薇〟に挨拶をする。
〝やぁ、おかえり、アリィーシュ〟
そして、〝蒼薔薇〟も若い男性の声で、彼女に応える。――その〝薔薇〟には「何か」が宿っていた。詳しいことは多くの女神達にもあまり知られていないが、〝番人〟と同じ役割をもつ「もの」がその〝薔薇〟に居るのだと噂されていた。
〝――ヴェルファーナ、アリィーシュが帰ったよ〟
ふと、〝蒼薔薇〟が誰かに呼び掛けた。アリィーシュが振り返ると、そこには、長い金色の髪の美しい女神が微笑みながら佇んでいた。
彼女の名はヴェルファーナ――〝蒼薔薇〟と共に女神の花園を守護する存在であり、多くの女神に様々なことを伝授している女神その人でもある。
ヴェルファーナは全ての女神を慈しんでいたため、多くの女神から親しまれていた。女神の花園に棲まう女神からはまるで「母」のように、彼女から教わった女神からは「姉」のように――いわば「家族」のような存在として、ヴェルファーナは女神から慕われていた。
もちろん、アリィーシュもその一人である。ヴェルファーナのことを「姉」のように慕い、同時に尊敬もしていた。そんな彼女に一礼すると、彼女も微笑んで挨拶を返した。
〝ただいま戻りました、ヴェルファーナ様〟
〝で、どうです? 何か進展はありました?〟
ヴェルファーナからそう尋ねられ、アリィーシュは渋い顔で首を横に振る。それを見たヴェルファーナが残念そうに〝……そうですか〟とつぶやいた。
天界に赴いた時、アリィーシュは必ず女神の花園へ立ち寄ることにしていた。以前に来た時に、ヴェルファーナと〝蒼薔薇〟にはエリンシェのことと、〝神格化〟について調べていることを打ち明けていた。もしかしたら、何か知っているかもしれないと一縷の望みに賭けたのだ。……だが残念なことに、何の手掛かりも得ることができなかった。
〝けれど、今日は少しでも手掛かりを得るために此処《天界》へ来ました。 ――何か掴むまでは決して帰りません〟
ヴェルファーナにそう宣言しながら、アリィーシュはその決心を強く固めていた。――女神の花園で何も得られなくても、他の心当たりでも探してみるつもりだった。
〝誰も知らない、ということは私達の知らない時代のことかもしれませんね。 ――私達神々はいくら永い生命をいきているとはいえ、「力」や「心」に限りが存在していますからね。 そう考えると、ずっと昔――「創生」まではいかないでしょうが、「太古」の時代の出来事なのかもしれませんね〟
アリィーシュの宣言を聞いたヴェルファーナが、助け舟を出すようにそう話した。
なるほどと納得し、ヴェルファーナの話を反すうしながら、アリィーシュは思考を巡らせる。「太古」の出来事ならば、大神であるディオルトが、〝神格化〟が存在しているかどうか知らなくても無理の話だった。頻繁にある事例ではないが、「大神」もまれに「代替わり」するのだ。――ディオルトが「大神」になる前の話ならば、その存在について知り得るはずもなかった。
……しかし、「太古」ともなると調べるのも一苦労しそうだった。恐らく、その時代を知る神達は「力」も気力も失い、「隠れ」ているものがほとんどだろう。見つけ出して話を聞くには時間が足りなかった。そんなことを考えながら、アリィーシュはガイセルのことを思い浮かべていた。――彼に〝神格化〟が存在していたのは「太古」かもしれないと伝えれば、テレスファイラの歴史の中から数少ない文献を見つけ出してくれるだろうか?
いや、ガイセルならば、あるいは……。そんな淡い期待を抱きながら、アリィーシュは天界から帰り次第すぐに、彼に会いに行こうと心に決めるのだった。
〝あるいは、リムゼールに逢えると良いのですが……〟
渋い表情を浮かべながら、ヴェルファーナがそうつぶやいた。
アリィーシュもうなずきながら、リムゼールか……と考え始める。――リムゼールは転生を司る神の名前だ。しかし彼女には、そうやすやすと逢うことはできない。――来る日も来る日も、リムゼールは転生するもの達を彼女の居るべき処で見守っているからだ。
そういう理由で、リムゼールがひょっとすると意外な人物に逢ったことがあるかもしれないと、アリィーシュも一度は考えてみたことがある。さすがに、「大神」と同じで「転生の神」にも「代替わり」があるため、「太古」の人物とは逢っていないだろうが……。誰か一人くらい、〝神格化〟に関わる人物と逢ったことがある――かもしれないと考えられないこともなかった。
……とはいえ、現在の段階ではそれが「誰」か分かっていないのだが。そこまで考えて、アリィーシュは次の心当たりである神に逢いに行こうと思い立った。
〝ヴェルファーナ様。 私、そろそろ次のところへ出発しようと思います〟
アリィーシュの言葉を聞いたヴェルファーナが唐突に〝あら〟と素っ頓狂な声を上げる。そして、すぐに後ろを――女神の花園に棲まう女神の巨大で美しい殿を振り返ると、苦笑いを浮かべてつぶやいた。
〝私はいいのだけど、彼女達が……――〟
それと同時に、殿から〝アリィーシュ!!〟と口々にしながら、大勢の女神が駆け寄ってきた。
――女神の花園に一度でも関わったならば、その全員が「家族」と同然の存在。そのことを忘れていたわけではないが、ほんの一日くらいは許されるかもしれないと、アリィーシュは甘い考えを抱いていたのだ。
……仕方ない、諦めるしかないか。腹をくくって、アリィーシュは迫りくる女神達を迎えるのだった。
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アリィーシュが女神達による質問攻めから解放されたのはしばらく後のことだった。
充実した時間ではあったが、本来の目的ではなかったため、アリィーシュは少し慌てながら、次の場所へと向かった。
――目的地は大神・ディオルトが拠点を置いている処。事前に話を通していたわけではなかったが、少しでも情報を得るため、そして早くエリンシェの元へと帰るためにも、一番手掛かりに近い位置にいるディオルトと話をしてみようと、アリィーシュは考えたのだった。
アリィーシュが其処を訪れると、ディオルトはまるで来ることを分かっていたかのように、彼女を出迎えた。
〝突然すみません〟
謝罪の言葉を口にするアリィーシュに、ディオルトは微笑んでみせ、奥にいる〝誰か〟に声を掛けた後、改めて彼女の方へと向き直った。
そんなディオルトを目で追いながら、アリィーシュは思わず身を乗り出して、その〝誰か〟の姿を一目見ようとした。――今まで、ディオルトが誰か側に置いている話を聞いたことがなかったからだ。
よく見えずに終わってしまったが、一瞬だけ、アリィーシュはその姿を垣間見ることができた。……その〝誰か〟は彼女の知る「誰か」に似ている気がした。――身なりは不自然なほど小さく見えたが、黒髪を一つに結んだ男性の姿のように見えた。気のせいだろうか、その手には、彼には大き過ぎる本が握られていたような……。
〝――少し理由があってね、私の側に置いているのだよ〟
アリィーシュがそこまで考えたところで、遮るかのようにディオルトがそう口にした。……微笑んではいるが、彼の表情はそれ以上の追及を許さないと言わんばかりだった。
仕方なく深追いすることを諦めて、アリィーシュは本題に入ることにする。
〝大神様、今日は少しでも「神格化」の手掛かりを得るために此処へ来ました〟
すぐに、ディオルトが分かっていると言わんばかりにうなずいてみせた。彼はやはり此処へ来ることを予知していたのかと考えながら、アリィーシュは先ほどヴェルファーナから得た情報について確かめてみることにした。
〝ディオルト様。 ヴェルファーナ様は「神格化」が「太古」の時代に在ったものだと考えておられましたが、本当にそうのてすか?〟
〝そう……だな、私も同じように考えている。 けれど、少なくとも、私の知る限りでは「神格化」をした者はいない。 はっきりとしたことは分からないが、「創生」より後――私の「先代」が治めていた「太古」の時代の出来事である可能性が極めて高い〟
唸りながらもディオルトがそう返す。……やはり、ガイセルにテレスファイラの「太古」の歴史を調べてもらう方がいいだろう。そんな決心を更に固め、アリィーシュは話を続ける。
〝「先代」に話を聞いてみたことはないのですか?〟
〝……あったかもしれない。 ――が、正直に言うと覚えていないのだ。 「大神」という存在を継ぐにあたって、他にも成さねばならないことが山程あったのだ。 おまけに「先代」は、現在はもうすっかり隠れてしまって、私も知らない静寂の地で休んでいるのだ。 きちんと話を聞いておけば良かったという後悔が残るが、もはや話を聞くことも難しくなってしまっているのだ〟
ディオルトの言葉を聞き、アリィーシュは落胆したが、それと同時に仕方がないという思いが湧き上がって来た。……想像すらできないが、「先代」が「隠れて」しまうほど、「大神」という存在は責務がとてつもなく大きいのだろう。
〝――そういう理由で、「太古」のことを詳しく知ろうとするのは難しいと言えるだろう。 けれど、諦めずに探究を続ければ、ほんの少しでも情報を得ることができるかもしれない。 もしくは……――〟
〝もしくは?〟〝――もしくは、リムゼールに逢うことができれば、手掛かりがあったかもしれぬ〟
またもや、ヴェルファーナと同じく、ディオルトも転生の神であるリムゼールの名を出した。……ヴェルファーナと違って、彼の口からその名が出るということは「何か」あるのかもしれない。アリィーシュは怪訝に思いながら、〝……なぜです?〟とディオルトに尋ねた。
〝アリィーシュ、君がテレスファイラに守護神として降り立つ前、旧王国時代であった頃―――その時代に居たのだよ。 ――「彼女」と同じように「力」を持った者が〟
ディオルトの口から語られた初めて知るその事実に、アリィーシュは息を呑む。……ということは。もしや、天界でもあまり詳しくは語られていなかった、襲撃の渦中にいた、あの――。
〝――旧王国の姫、ですか?〟
〝左様。 ――姫には「彼女」と同じように「力」があり、それが理由で邪神に襲撃を受けたのだ。 だが、先にも述べたように、姫は「神格化」をしていない。 あくまで、「太古」に居た「神格化」をした者と姫に何らかの関係があるのではないか、と私が勝手に解釈しているだけで、少なくとも話を聞くことができれば、何か得るものがある――かもしれないと考えただけの話だ。 リムゼールなら、姫のことを知っているだろうからな〟
思いもよらない事実に、アリィーシュは舌を巻くばかりだった。けれど、少し思考を巡らせて、やはり、ヴェルファーナと話をしていた時と同じく、リムゼールと逢うのは極めて難しいという結論に至った。
……結局、手掛かりらしい手掛かりは見つからなかったものの、少し――ほんの少しではあるが前進することができた。ひとまず、ガイセルに「太古」のテレスファイラについて、調べてもらうことにしよう。そして、合間があれば彼のことを手伝うことにしよう。アリィーシュはそう決心して、一旦天界を離れることにした。
〝大神様、ありがとうございます。 とりあえず、今の段階で手掛かりに一番近い「太古」について、調べてみることにします〟
うなずくディオルトに別れの挨拶をして、アリィーシュはテレスファイラに帰るため、〝転翔〟の準備を始める。
ふと、アリィーシュは「何か」を感じて、顔を上げた。……なぜだろう、それほど長く離れていたわけでもないのに、妙な胸騒ぎがする。突然の出来事に戸惑いながら、アリィーシュは一刻も早くエリンシェの元へ戻ろうと、天界を後にするのだった。




