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それから数日経っても、エリンシェが目を覚ますことはなかった。
ガイセルから、眠っている間、エリンシェをそのまま研究室で預かるという説明を聞いて、ミリアは毎日のように彼の研究室へ通うことになった。詳しい説明をされた訳ではないが、エリンシェはずっと危険にさらされていて、ガイセルと大賢者であるグレイムが〝彼女〟を守るために「何か」しているのだろうと、ミリアはそう考えていた。
ぴくりとも動かないエリンシェを見ていると、ミリアはどうしようもなく不安に駆られていた。それと同時に、ジェイトに頼るしかなく何もできなかった自分を責めてもいた。初日はそんな思いがこみ上げ、柄にもなく泣きそうになり、ミリアは自分自身を嫌悪すらしていた。けれど、それを知られたくなくて、見栄を張って何ともない表情をしようと努めていた。
……誰にも見透かされていない。ミリアはそう思い込んでいた。――が、二日目以降はカルドが必ず見舞いについて来るようになった。時折、ジェイトも一緒についてくることもあったのだが、ふたりきりになる時は必ず、カルドはミリアに寄り添うようにして、そばを片時も離れようとはしなかった。
「……大丈夫だ。 ――絶対、大丈夫だ」
時々そうつぶやいて、ミリアを励まそうとしていることもあった。そんなカルドがそばにいると、ミリアは安心することができていた。
……思い返すと、「事件」の時も――どうしようもない不安に襲われた時にも、無意識にカルドの元へ行きたいと思わずにはいられなかった。そして、彼の顔を目にした瞬間、たまらず涙があふれて、そのまま、その胸の中に飛び込まずにはいられなかった。
そんなことを考え、ミリアは思わず赤面する。……いつの頃からだろうか、カルドのそばにいるととてもあたたかい気持ちになっている。――そばにいたいと願ってしまっている。……カルドのことは「親友」であり「相棒」のような存在だと思っていた。だが、今はどうだろうか? ……ひょっとすると、変わっているかもしれない。
思いがけない「答え」が浮かんで、ミリアはさらに顔を赤くする。……もしかして。――もしかすると、あたしはカルドのことを……。その先を考えかけて、ミリアは思考を止める。
……仮に「そう」だとしても、今はどうこうできる問題ではない。このおもいを伝える時が来るのならば、それはエリンシェとジェイトのふたりのことが済んでからになるだろう。――だから、それまでは「親友」兼「相棒」でいなければならない。……今はまだ芽生えた「おもい」をそっとしまっておくしかない。――ミリアはそんな決意を固くするのだった。
何日かが過ぎてようやく、エリンシェが夜遅くに目を覚ました。いつものように、〝彼女〟の見舞いに来ていたミリアはほっとして胸をなでおろした。
数日眠っていたにも関わらず、何ともなさそうなエリンシェを見て、ミリアは思わず〝彼女〟に抱きついていた。本当はゆっくり話をしたかったが、ガイセルに報告するのか先だと思い、ミリアは率先して彼を呼ぶことにした。
ガイセルを連れて戻ると、エリンシェが何か物思いにふけっているのがミリアの目に入った。不思議に思っていると、ガイセルが不意に「さあ、ふたりとも」と、その場に残っていたカルドとミリアに声を掛けた。
「――今日はもう遅いし、お見舞いは明日ゆっくりとにしないか?」
……都合良く理由を付けられている。ミリアはすぐにそう感じて、「でも……」とつぶやいて抗議した。カルドも気が付いているのか、戸惑ったような表情を浮かべている。
「私は大丈夫だから。 明日、ねっ?」
ガイセルを後押しするかのように、エリンシェがそう言って微笑んでみせた。
……エリンシェにそう言われてしまえば、納得はいかないが引かざるを得ないだろう。渋々、ミリアはカルドを連れて、研究室を出ることにした。けれど、やはり後ろ髪を引かれ、最後にもう一度エリンシェを振り返る。
微笑んだままのエリンシェが目に入って、ミリアは仕方なく、カルドと共に研究室を後にしたのだった。
「……追い出されちまったな」
少し歩いた後、ふとカルドがつぶやいた。
ミリアはうなずきながら、エリンシェのことを思った。……心配だ。――「何」が起こっているのか分からないだけに余計不安だった。エリンシェとも話をしたかったが、事情を知っていそうなガイセルにも色々と聞いてみたかったと、ミリアはそう強く感じていた。
その上、ミリアはどうしようもなく不甲斐ない気持ちに襲われてもいた。……あの「事件」以来、エリンシェは遠いところへどんどん行ってしまっている気がする。そして、そこは彼女の手が本当に届かない領域で、ミリアは、「力」になりたくてもなれないと思うと、とても歯がゆい気持ちに陥っていたのだ。
おまけに、エリンシェには小さい頃から、何かあっても誰にも打ち明けず、独りで抱え込んでしまう癖があった。そんな時はいつも、〝彼女〟がいつかのように、儚げに見えてしまうので、何度でもミリアは必ず、エリンシェを助け、その手を離すまいとしていた。けれど、今度ばかりはどうしようもない。……何もできない。
「――そんなことはないんじゃないか? ただそばにいるだけでも、案外『力』になれることだってあると思うぞ」
ふと、ミリアの考えていることを見透かしたかのように、カルドがそんなことを口にした。
思わず、ミリアは顔を上げ、カルドの方へと視線を向けた。するとすぐに彼と目が合う。その次の瞬間、カルドがぱっと微笑んで、うなずいてみせた。
……あぁ、カルドは理解してくれているのだ。彼のその表情を見た瞬間、ミリアは心が穏やかになっていくのを感じていた。それと同時に、ミリアは顔が熱くなるのに気付いて、誤魔化すようにカルドから顔をそむけた。
「……でもまぁ、とりあえず今のところ、実質エリンの『力』になれるのはジェイトだけだからな。 帰ってあいつの背中でも押すことにするよ。 ――だからさ、ミリアもあんまり考え込まずにさ、一緒に帰ろうぜ」
ふと、カルドがそんな言葉を口にしながら、軽い足取りで跳ぶように、少し先まで歩き出した。思わず、ミリアは立ち止まったまま、彼の方へと目を向け、その姿を追いかけていた。
ミリアが着いて来ないことに気が付いたのか、カルドは不意に彼女の方へ振り返ると、またぱっと微笑んでみせると、「ほら」と手を差し出す。
また顔が熱くなるのを感じつつも、ミリアはカルドのその手を取りたいと思わずにはいられなかった。「……うん」とうなずきながら、ミリアは手を伸ばして、その手を掴むのだった。
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あの日、ミリアが泣いている姿を目にして以来、カルドの中で「何か」が変わっていた。――ジェイトほどではなかったが、なぜか、ミリアの気持ちが手にとるように、理解できるようになっていたのだ。
カルドがそのことに気が付いたのは、エリンシェが「事件」に巻き込まれ、しばらく目を覚まさなくなった時のことだった。――エリンシェのそばから離れようとしないミリアを見つめていると、何か違和感を覚えたのだ。
一見、ミリアが何ともない表情を浮かべているように思えるのだが、カルドには彼女の表情が少し違ったものに映ったのだ。……何か、ミリアは思い詰めていて、それを必死に隠そうとしている。――カルドにはそうだとしか思えなかったのだ。
「それ」を、エリンシェの見舞いに行った初日に感じて以降、カルドはミリアから片時も離れないことを決心していた。そして、彼女が目を覚まさないエリンシェを見てつらそうな表情を浮かべている時には必ず、「……大丈夫だ。 ――絶対、大丈夫だ」と言い聞かせて励まそうとした。
何度かそんなことを繰り返しているうちに、カルドは自分自身の中で「何か」が変化していることに気が付いた。――ミリアが泣いている姿を見たくないと強く感じていると、そう覚ったのだ。
カルドにとって、「女の子」という存在は苦手なはずだった。けれど、ミリアにだけは――いつの間にか「特別」な感情を抱くようになっていた。
「その感情」が「何」であるかは、カルドにはまだ、よく分からなかった。……けれど、ミリアをまもりたいと思う気持ちは確かなものだった。――「それ」が一体「何」なのか、理解できる時までミリアのそばにできるだけいようと、カルドは心に決めるのだった。
そんなある日の夜、エリンシェがようやく目を覚ました。
ミリアがそのことにいち早く気付いて、〝彼女〟のことを保護していたガイセルの元へと急いだ。その間、エリンシェは何かを考えている様子で辺りを見回していた。その途中、カルドの姿を見つけると、「――ジェイトくんは?」と問い掛けた。
時々、カルドとミリアと共に、ジェイトもエリンシェの見舞いについて来ることがあった。その日も実は、少し前まで〝彼〟もエリンシェのそばにいたのだが、運悪く、ジェイトがちょうど自室へ戻ると離れた時に〝彼女〟が目を覚ましたのだ。
詳しい理由はカルドも知らない――というより聞いていないのだが、ジェイトには何か思うところがあるようだった。――「事件」が起こる前までは落ち着きがない〝彼〟だったが、エリンシェの意識のない状態を目にしたことにより、ジェイトの中で変化が起こり、「何か」決意をしたらしかった。
……ひょっとすると、ジェイトはエリンシェが目を覚ますことを少しばかり予感していたのかもしれない。何か思い立ったように、「ちょっと部屋に戻ってくる」と言い残して、ガイセルの研究室を後にしていたのだった。
ジェイトのその行動が、エリンシェに関するものだと勘ぐっていたカルドは思わず、「あー……」と言葉を濁していた。……きっと本人には言わない方が良いはずだ。
「さっきまではいたんだけどな。 ちょっと今は外してるんだ。 エリン、元気になったみたいだから、呼んで……――」
カルドがそう言い掛けたところで、ガイセルを連れたミリアの姿が目に入った。それと同時に、エリンシェが首を傾げているのが見えたが、深く追及されずに済んで、カルドは内心ほっとしていた。
その少し後、他にも何か気になることがあったのだろう、エリンシェは物思いに耽る様子を見せると、ふとガイセルに目配せをした。
「さあ、ふたりとも。 今日はもう遅いし、お見舞いは明日ゆっくりとにしないか?」
いち早く、エリンシェの目配せに気付いたガイセルがカルドとミリアにそんな声を掛けた。……上手く言って、追い返そうとしている。カルドはすぐにそう思ったが、どうすることもできず、成り行きに身を任せた。
けれど、ミリアは納得がいっていない様子で、抗議の声を上げていた。けれど、そこに、エリンシェがガイセルを後押しするかのように、「私は大丈夫だから」とミリアに向かって微笑んでみせていた。
エリンシェに言われると引かざるを得ないのだろう、ミリアは渋々と行った様子でカルドと共に研究室を後にした。
一歩外に出た瞬間、ミリアが複雑そうな表情を浮かべて歩き出した。すぐに、カルドは彼女のその様子に気付いて、ミリアに掛ける言葉を探した。
……恐らく、ミリアは何もできないことを歯がゆく感じている。――エリンシェが〝特別〟な存在であることに少なからず戸惑いを感じていて、それまでのように〝彼女〟を助けることができず、何もできないと思い込んでしまっているのだろう。
――けれど、決して、「何もできない」ということはないはずだ。……きっと、ミリアがエリンシェのそばにいるだけでも、何か〝彼女〟の役に立つことがあるはずなのだ。ミリアは小さい頃からのエリンシェの親友だ――ミリアという存在が少なからず、エリンシェの中で大きなものになっているはずなのだ。
「……追い出されちまったな」
カルドはそんな考えをまとめながら、少し経ってもまだ複雑な表情を浮かべているミリアの気を、わずかでも紛らわそうとして、そうつぶやいた。――が、うなずくだけで物思いに耽り、ますます険しい顔になっていくミリアに、カルドは内心気が気でなかった。
「――そんなことはないんじゃないか? ただそばにいるだけでも、案外『力』になれることだってあると思うぞ」
正直、先ほどまとめた考えが合っているかは分からなかったが、カルドはそう言って、ミリアを励まそうとした。
その言葉に、ミリアがはっとするように顔を上げ、カルドの方へと視線を向けた。目が合うとすかさず、彼は微笑んでみせた。……ミリアには泣いてほしくないから――わらっていてほしいから。
ミリアの表情は見る見るうちに明るくなっていった。カルドはほっとしていていたが、ふと何を思ったのだろうか、ミリアが彼から顔をそむけるのが目に入った。
……ひょっとして、ミリアはまだ納得がいってないんだろうか。なぜ、ミリアがそんな行動をとったのか分からず、カルドはどうすれば良いのか、すぐに考える。
エリンシェのそばにいられない今、できることはたった一つしかない。――唯一、〝彼女〟のことを救うことができるジェイトを支えることが、今できる精いっぱいだろう。
「……でもまぁ、とりあえず今のところ、実質エリンの『力』になれるのはジェイトだけだからな。 帰ってあいつの背中でも押すことにするよ。 ――だからさ、ミリアもあんまり考え込まずにさ、一緒に帰ろうぜ」
そんなことを考え、口にしながら、カルドは軽い足取りで跳ぶように歩き出した。――ミリアがそれを見て、思わず吹き出すのを少し期待したのだ。……けれど、カルドの予想に反して、ミリアはその場に立ち止まったままだった。
少ししてから、それに気付いたカルドは振り返ると、まだ何か考えている様子のミリアに、また、ぱっと微笑んでみせながら、「ほら」と手を差し出した。
先ほどまでとは少し違った複雑な表情を浮かべながら、ミリアが「……うん」とうなずいて、カルドの手をとった。どうして、彼女がそんな顔を浮かべているのか不思議に思っていたカルドだったが、そのままミリアの手を握ったまま、寮室へと戻るのだった。
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寮室に到着すると、カルドは扉を少しだけ開いて、一度ジェイトの様子をうかがった。
ジェイトは「何か」を大切そうに握りしめていて、ちょうどガイセルの研究室に戻ろうとしていたところだった。――どうやら、何か決心を固めていたところらしかった。
「それじゃあ、ミリア。 あとは俺がジェイトの背中押して、明日エリンのところへ行くよう言ってくるから。 ……だから、さ。 あんまり深く考えずに、とりあえずゆっくり休めよ」
ジェイトに目配せをした後、カルドはミリアの手をそっと離しながら、そう言って優しく声を掛けた。――が、ミリアはそれでもどこか物憂げな表情を浮かべてうなずくばかりだった。
そんな彼女のことが気に掛かって仕方がなかったカルドは、ミリアを隣まで送り届けるとようやく、寮室の中へと入った。今にも部屋を飛び出していきそうなジェイトに、「エリン、目、覚ましたぞ」と声を掛けながら、扉の前に立って〝彼〟を制した。
「だけど、今日はもう遅いからって帰されたんだ」
ジェイトがそれを聞いて、落胆した様子でため息を吐いた。――が、少しすると、「ありがとう。 仕方ないから明日朝一番に行って来るよ」と自分にも言い聞かせるかのように、カルドにそう言ってみせた。
カルドはそんなジェイトをじっと見守った。……やはり、すぐにエリンシェの元へ駆けつけたかったのだろう。床についても、ジェイトは終始そわそわして眠れない様子だった。
「慌てることはないぞ、ジェイト。 エリンの方もお前に何か話したがってたみたいだったからな。 明日ふたりでお互いの思いをゆっくり話して合ってくればいい」
そんなジェイトを見かねて、カルドはそう言って聞かせた。すぐに、ジェイトが「……うん」と答えるのを聞きながら、カルドは物思いに耽る。
……お互いの思い、か。少しミリアのことが理解できるようになったとはいえ、ガイセルの研究室を追い出されてからの彼女の行動は、カルドには分からないことだらけだった。けれど……。
――けれど、思い返してみると、カルドは自分自身がミリアのことばかり考えていることにふと気が付いた。そして、いつの間にか、ミリアにはいつも通りに明るく、やはりわらっていてほしいと、強く願っていることにも……。――「女の子」という存在に、そんなおもいを抱くのはカルドにとって初めてのことだった。
そこまで考えて、カルドはふと「あること」に思い至る。……まさか。――いや、まさか? あり得ない、とカルドは思わず、小さく首を横に振っていた。だが、いくら否定しても、ミリアがカルドにとって「特別」な存在であることは――特別な「おもい」を抱いていることには変わりなかった。
……ミリアのことは「親友」であり「相棒」のような存在だと思っていた。だが、どうやら実際には少し違っていたらしい。けれど、その時のカルドにはまだその「おもい」が「何」なのかを知るよしもなかった。
カルドはひとまず、ミリアに対する「おもい」が一体「何」なのか――その「答え」を、少なくとも、ジェイトとエリンシェのふたりのことが無事に済むまではじっくりと、探していこうと心に決め、眠りにつくのだった。




