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――ある日突然、「事件」は起きた。
ミリアはエリンシェとレイティルと共に、飛行学の授業を受けていた。その日はあいにくの曇り空で、今にも雷雨がありそうな空の模様だった。
皆が不安がる中、ミリアはというと、熱心に飛行学の授業を受けていた。エリンシェやレイティルを気にしながら、飛行用の練習道具にまたがり、空を飛ぼうとしていた。
先に、宙に浮かんだのはエリンシェだった。追い風に乗り、気持ち良さそうに飛ぶ〝彼女〟の姿を見て、ミリアも負けじと意識を集中させる。
――その時、突然、まぶしいほどの稲光が走った。
あちこちから逃げ惑う他の生徒達の叫び声を聞きながら、ミリアははっと顔を上げた。……嫌な予感がする。
ミリアは慌ててエリンシェを探すが、辺りにその姿は見当たらなかった。まだ、飛んでいるのかもしれない。おまけに、先程まで一緒にいたはずのレイティルまで見失ってしまった。……まずい、まずい。
なぜか、エリンシェのどこか儚いあの姿がミリアの頭に浮かんでくる。――それが、どうしようもなくミリアの不安をかき立てる。……守らなきゃ、あの娘を!
ミリアはふと、遠くの方にエリンシェがうずくまっている姿を見つけた。すぐに駆け出そうとするが、それよりも早く、目がくらんでしまうほどの稲光が再び走った。
反射的に目を閉じてしまったミリアだったが、とどろきが起こり、なぜか、【ソレ】がエリンシェを奪い去ってしまうような錯覚を覚えて、すぐに目を開けた。
――その瞬間、ミリアの瞳に、背中から〝羽〟を生やした〝彼女〟の姿がうつった。
思わず、ミリアは息を呑んだ。
……一度も考えたことがなかった訳ではない。――〝彼女〟が、エリンシェが〝特別〟な存在ではないか、と。それが、まさか、本当に、目の前で〝そう〟なのだと示されようとは思っても見なかったのだ。
一瞬戸惑ってしまったミリアだったが、すぐに思い直す。……けれど、〝そんなこと〟関係ない。エリンシェという人物を一目見て、ミリアは親友になりたいと心の底から思ったのだ。
……エリンシェがどんな存在だろうと、関係ない。エリンシェはエリンシェだ。――この先ずっと仲良しでいようと約束した、たったひとりの親友なのだ。
そうと思えば、ミリアの決断は早かった。――エリンシェを助けなければならない。けれど、現在のエリンシェに、ミリアの「声」は届きそうになかった。
ならば、どうすれば良いか。そう悩んだ瞬間、ミリアの頭にジェイトの姿が真っ先に思い浮かんだ。……そうだ、エリンシェを助けられるのはきっとジェイトしかいない。なぜか、そんな確信がミリアにはあった。
けれど、ジェイトだけでは少しばかり不安だった。……こういったことに精通していそうなのは世界学の賢者であるガイセルだろうか。そう考えながら、ミリアはレイティルを探す。
「レイ、レイ!!」
「――ミリア!」
一か八か、名前を呼ぶと、どこからか、レイティルが駆け付けた。ミリアはほっとしながら、彼女にガイセルを呼んでくるよう指示する。
その直後、ミリアも駆け出し、ジェイトの元へと向かった。エリンシェのことも心配に思うのと同時に、どうしようもない不安に襲われ、思わず涙がこみ上がって来る。
慌てて目元を拭いながら、ミリアはひたすら走った。――ジェイトと、頭に浮かんで消えない「彼」の元へと急いで向かうのだった。
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……「事件」の予兆を、カルドは何となく少し前から感じていた。――近頃のジェイトに何だか落ち着きがなかったからだ。
カルドの予想だと、一度エリンシェと話してしまえば、ジェイトはもう少し積極的になるのではないかとにらんでいた。――が、それに反して、ジェイトはエリンシェと話をすることもなく、何かを思い詰めだ様子で〝彼女〟を見つめるようになっていた。
ジェイトの「異変」は予知学の授業以降起きていた。……エリンシェと話したのと同時に、あの時「何か」視たのかもしれない。そう思って、カルドはジェイトにどうしたのか聞いてみたことがある。だが、〝彼〟はただ口を閉ざして、首を横に振るばかりで何も語ろうとしなかった。
……誰にも言いたくない。――「現実」になってしまうのが恐ろしいから。だから、お願いだから、聞かないでほしい。――ジェイトの表情がそう語っているのが分かった。そのため、カルドはそれ以来、何があったか聞けないままでいたのだ。
だがその日、ジェイトの様子がいつもより増して、落ち着きがないように思えた。――青ざめた顔で、空と野外施設とを見つめていた。
「ジェイト、どうした?」
無駄だとは思ったが、カルドはジェイトにそう声を掛ける。やはり、〝彼〟はうつむくばかりで、答えようとはしなかった。
――と、その時突然、乱暴に寮室の扉が開け放たれた。
驚いて、カルドは扉の方へと振り向いた。そこには、慌てた様子ではあるが、泣きそうな表情を浮かべているミリアが、息を切らしながら立っていた。
「お願い、助けて!」
悲痛そうなミリアの叫びに、誰よりも早くジェイトが動いていた。事情を聞くより先に、部屋の外へと飛び出していった。
取り残されたカルドはミリアの方へと視線を向けた。すぐに彼女と目が合い、その瞬間ミリアの顔が崩れていった。
「ミ……っ――」
カルドはミリアの名前を呼ぼうとしたが、「衝撃」が走り口をつぐんだ。――気が付くと、ミリアが泣きじゃくりながら、胸の中に飛び込んで来たからだ。ほとんど無意識にミリアを受け止めたものの、どうすれば良いか分からず、カルドは目を泳がせる。
少し悩んで、カルドはミリアの頭を優しくなでた。そして、彼女を落ち着かせようと、背中をぽんぽんと叩きながら「どうした?」と尋ねた。
「何があった? ……大丈夫か?」
不意に、ミリアがばっと顔を上げる。まだ泣いていたが、少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら、小さな声で「……ごめん、大丈夫」とつぶやいた。
「つい、不安になっちゃった。 だけど、あんたの顔見たら、ちょっと安心した。 ――……って取り乱してる場合じゃなかった! エリンシェが大変なことになってるの!」
カルドはすぐにうなずいてみせると、一刻も早くエリンシェの元へ向かおうとミリアに目配せした。それにミリアも即座に応じて、ふたりは野外施設へとすぐに向かった。
「それで、何があった?」
「分からない……。 分からないけど、エリンシェには何か〝特別〟な〝力〟があって、危ない目にあってるみたいなの」
その途中、カルドは走りながら、ミリアにそう問いかけた。彼女自身も何が何だか分からない様子で、それだけ言うと少し不安そうな表情を一瞬見せた。
――が、すぐにそれを打ち消すかのように、乱暴に頭を横へ振った後、「でも!」と顔をばっと上げて強い決意を口にする。
「でも、そんなの関係ないの! 〝特別〟だろうとそうじゃなかろうと、エリンシェはあたしの大切な親友なの! だから、絶対助けなくちゃ!!」
先程までの不安そうなものとは打って変わって、強い意志を感じるミリアのその表情に、カルドは「……そうだな」とすぐにうなずいてみせた。
……もし。もし、ミリアと同じ立場だったとしたら、カルドも彼女と同じく、どんな事情があろうとたったひとりの親友を大事にしようと思っただろう。ミリアのそんな気持ちがひしひしと伝わり、カルドもエリンシェが〝特別〟だろうと、ミリアと共に〝彼女〟を助けようと心に誓った。
――が、それと同時に、カルドは少々不安な気持ちを抱いてもいた。……気になっていたのはジェイトのことだった。真っ先に、エリンシェの元へ向かったジェイトだったが、〝彼〟に〝特別〟だという〝彼女〟を助けることができるのだろうか。
「……とりあえず、エリンたちのところへ急ごう」
そんなことを考えながら、カルドはミリアにそう呼び掛ける。
お互い、ふたりはうなずき合うと、急いで野外施設へと向かうのだった。
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野外施設に出ると、そこにいたのはジェイトとガイセルだった。二人はエリンシェ――〝羽〟を生やし、苦しそうな顔を浮かべ、宙に浮かんでいる〝彼女〟を見上げ、必死に呼び掛けていた。
二人のいる位置より少し前で、ミリアとカルドは思わず立ち止まっていた。――その場の物々しい雰囲気に気後れしてしまったからだった。……それに、自分たちの声はもはや〝彼女〟には届かないと、不本意ながら、ふたりはそう感じてしまっていたのだ。
「ジェイト……」
ふと、カルドが心配そうにそうつぶやいた。うろたえながら、その愛称を呼ぶ姿を見る限りでは、〝彼女〟を助けることができない――そう感じたからだろう。
ジェイトとガイセルが名前を呼び続けるも、やはり二人の声は〝彼女〟に届きそうもなかった。時間ばかりが過ぎ、ついには、〝彼女〟が頭を抱え始めたのがその場にいた全員の目に映った。
「ユーティス君、頼む! 私じゃ駄目なんだ、きちんと呼んでくれないか!」
そんな〝彼女〟の様子を見かねたように、ガイセルが勢いよくジェイトの肩を掴んで言った。
……あぁ、やはりそうなのだ。ガイセルのその言葉を聞いた瞬間、ミリアとカルドはそう思った。――やはり、エリンシェを救うことができるのはジェイトだけなのだ。
「お願い、ジェイト……。 あの娘を助けて」
思わず、ミリアもそうつぶやいていた。けれど、〝彼女〟がいなくなってしまうような――そんな不安が未だ拭えそうになかった。……気が付くと、ミリアはすがるように、カルドに震える手を差し出していた。
カルドの方もすぐそれに気付き、ミリアのその手をしっかり握って包み込んだ。そして、彼女をそのまま引き寄せ、大丈夫だと言い聞かせるように深くうなずいてみせた。
「ジェイトやれ――やるんだ」
そんなふたりの思いを知ってか知らずか、ためらっていた様子だったジェイトが何かを決心したかのような顔付きを見せた。そして、〝彼女〟の方を見すえると、〝彼女〟の名前を叫んだ。
「エリンシェ――――!!」
――――リィン。
ジェイトが叫ぶと同時に、辺りに鈴の音が響き渡った。
はっとして、その場にいた全員が顔を上げる。見ると、宙に浮かんでいた〝彼女〟が先程とは打って変わって、落ち着いた表情を浮かべているのが目に入った。
安堵してつかの間、ふと白い閃光が走り、エリンシェがゆっくりと下降し始めた。すぐさま、受け止めようと、ジェイトが走り出した。
すぐにその後を追いかけようとしたミリアとカルドだったが、ふとガイセルが何やら深刻な表情を浮かべて立ち止まるのが目に入り、彼の様子をうかがった。
「ユーティス君、彼女を安全なところへ運ぼう」
――が、ガイセルは顔を上げ、そう声を掛けながら、エリンシェとジェイトの元へと向かい始めた。
ガイセルのそんな様子を見たミリアとカルドは思わず、顔を見合わせた。だが、それよりも今はエリンシェの無事を確認するのが先だ。そう考えて、ふたりは走り出した。
エリンシェは無事にジェイトの元へと降りていた。そんな〝彼女〟の顔色を、ミリアとカルドはおずおずとうかがった。
ジェイトの腕に抱かれているからだろうか、心なしか、エリンシェは穏やかな表情を浮かべていた。
「ユーティス君、ソルディス君、二人で彼女を僕の研究室へ運んでくれ。 フェンドルさんも一緒に向かって、彼女をみていてやってくれ。 僕はちょっとグレイム様のところへ行ってくる」
そこへ遅れてやって来たガイセルが、ミリア、カルド、ジェイトの三人にそんな指示を出した。三人はすぐにうなずくと、急いで行動に移った。その間、ひたすらエリンシェの無事を祈り、言葉を交わすことはなかった。
「ありがとう、ジェイト、エリンシェを助けてくれて」
「ジェイト、よくやったぞ」
――が、その途中、ふと思い立って、ミリアとカルドはジェイトにそんな言葉を掛けた。
ジェイトはただ首を横に振ると、何かを考えている様子でエリンシェをじっと見つめて、黙り込んだままでいた。
同じように、ミリアとカルドもエリンシェをじっと見つめた。――どうか、エリンシェが無事でありますように。
ミリア、カルド、ジェイトの三人はそのままエリンシェに目を配りながら、ガイセルの研究室へと向かうのだった。
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そして、その後、エリンシェは無事に目覚め、「事件」はいったん幕を閉じた。
また、それ以降、ミリアとカルドのふたりに、また少しずつ変化が生じ始めるのだった。




