Feather 3 ଓ 予兆 〜ill omen〜
それから、何週間か経って。エリンシェは忙しいながらも、充実した学舎生活を送っていた。
あの時――ガイセルの研究室に招かれた時以来、エリンシェは、世界学の授業を終えた後に彼の元を訪れ、その日の内容をより深く教わるようになっていた。そうしている内に、エリンシェはガイセルと親交を深め、彼のことを「せんせい」と親しく呼ぶようになった。そして、今はまだ、授業の補講だけしか教わることしかできないが、いつかはもっと詳しく教えてもらうことを約束していた。
一方で、隣の二人――ジェイトとカルドとは式で初めて会った時以来、何の進展もなかった。……せっかくの隣同士だから、仲良くしたい。エリンシェはそう思っていたが、中々二人と話せずにいた。
ミリアの方はというと、かなりカルドと仲良くなっているようで――――。
「ねぇ、エリン、次の薬学、カルドと座ってみたらどう? 薬学、苦手なんでしょ? あいつ、得意みたいだから教えてくれるよ。 大丈夫、顔ちょっと怖いけど、意外と優しいから」
――そんな提案をエリンシェにした。親しげに「あいつ」呼ばわりしているところをみると、ミリアとカルドのふたりはとても気が合うらしい。エリンシェは羨ましく思えた。……そのくらい、彼――ジェイトと仲良くできれば良いのに。けれど、まだ、ヴィルドから助けてもらったお礼すら、言えていない。
「……早く仲良くできたら良いのにね。 そのためにも、ほら、まずはカルドと話してみたら? きっと力になってくれるよ」
エリンシェの考えていることを読み取って、ミリアがそんな一言を呟いて、もう一度提案をした。エリンシェはうなずく。それを見たミリアも、うんうんと満足そうにうなずいてみせた後、「ところで」といたずらっぽく笑いながら話を切り出す。
「コンディー先生とはどうなってるの?」
「……なんで、そこにせんせいが出て来るの。 ただ色々教わってるだけだよ、関係ないでしょ」
探りを入れるミリアに、エリンシェはそっぽを向いてみせながら、顔が少し熱くなるのを感じた。世界学のことを教えるガイセルの表情は、真剣そのものであり、どこか優しくもある。そんな彼に、一度くらいはひかれたこともあるが……。それがどうしたというのだろう。
「……ふ〜ん、なるほどね」
いたずらっぽく笑うのを止めずに、ミリアがからかうようにそう呟く。……また考えていることを読まれているかもしれない。そう思って、エリンシェは誤魔化すかのように、口を開いたのだった。
「ほ、ほらっ。 もう行こう!」
そして、次の薬学の時間。エリンシェはミリアの提案通り、カルドと座ることになった。
カルドの表情が固く、エリンシェは思わず怯んで、最初は二人の間に沈黙が降りてしまった。けれど、このままではいけないと考え直して、エリンシェは思い切って声を掛ける。
「あ、あの、ソルディス君。 今日はよろしくね」
「カルドでいいよ。 俺もエリンって呼ばせてもらうから。 薬学、苦手なんだって? 助けてやるから、俺に任せとけ」
そう言って、カルドが微笑んでみせる。その表情を見た瞬間、エリンシェはミリアの言った通りだと思った。カルドがエリンシェを見つめる表情は、相手を見守るかのように優しい。そして、どこか頼りがいがある気がした。
「ありがとう。 ソル……――違った、カルドって怖い人なのかと思った」
「よく言われる。 俺は普通の顔してるつもりなんだけどな」
エリンシェが笑いをこぼすと、カルドも釣られて笑う。少しの間笑い合うと、合間をぬって、小声で他愛もない話をした。
そうしている内に、授業が少し難しい部分に差し当たった。エリンシェが困っていると、すぐにカルドが分かりやすく説明をして助けに入った。カルドのおかげで、エリンシェは授業をいつもより理解することができていた。
「なぁ、エリンってあいつのこと、どう思ってる?」
ふと、カルドがそんなことを尋ねた。彼の言う「あいつ」とはジェイトのことだ。エリンシェは前方に目をやる。そこには、ジェイトと座っているミリアがいる。二人が時々会話を交わすのを見て、エリンシェはまた羨ましく思った。
「……分かんない。 でも、仲良くしたいとは思ってるの。 私、彼に言いたいことがあって、話ができたら良いなって……。 ねぇ、そういうカルドはどういう関係なの?」
「俺とあいつか? ……そうだな、かなり深い関係だとは思うけど。 俺にとって、あいつは小さい頃からずっと一緒で、幼なじみでもあり兄弟のような存在でもある、親友ってとこかな。 エリンとミリアも大体そんな感じだろ」
ジェイトのことを話すカルドは、それまでとは違った、穏やかで優しい表情をしていた。その表情を見て、カルドにとって、ジェイトがとても大切な存在だと、エリンシェはすぐに分かった。きっと、その逆も同じなのだろう。もちろん、エリンシェにとっても、同じくらい、ミリアが大切な存在だった。
「うん、そうだね。 私も小さい頃から、ミリアとはずっと一緒。 元々はお母さん達が親友同士なのがきっかけで、仲良くなったの。 今でも二人とも仲良しでね、いつもお母さん達見て、『私たちもずっと同じくらい親友でいようね』って約束してるんだ」
「いいな、それ。 ……なぁ」
そんなことを話して、笑い合っていると、カルドがそう切り出す。エリンシェはすぐに首を傾げて、応えてみせる。
「次の授業でジェイトと話してみるか?」
「えっ、いいの?」
思わず、エリンシェはカルドの提案に嬉しくなって、顔を赤らめた。そしてすぐに、ジェイトと話したいと思った。話すことができたら、あの時のお礼もできる。
「あぁ。 そうでもしないと、話すきっかけすらできないみたいだから、手伝ってやるよ。 まずは……ちょっとあいつら見てみろ」
カルドに言われて、エリンシェはミリアとジェイトに注目する。ただ、会話を交わしているだけに見え、エリンシェはまた首を傾げた。
「普通に見えるだろうけど、あれはミリアがあいつを引っ張って成り立っているようなもんだ。 ミリアの性格は、エリンが一番良く知ってるはずだから、分かるだろ? ジェイトの方はな、昔から女ってものに慣れてないし、それに元々自分から話し掛けるような性格でもないんだ。 要するに、ミリアくらいじゃないと、ああはなれないってことだ」
確かに、ミリアは性別や年齢を問わず話し掛けられる上、誰とでも仲良くなれる性格だ。エリンシェはもう一度二人に注目すると、カルドの言った通り、ミリアの方から話し掛けているのが分かった。
「たぶん、あいつは恥ずかしがると思う。 エリンも中々話し掛けられないんだろ。 けど、それじゃ駄目なんだ。 ――どっちかが勇気を出さないと。 ……きっかけはいつだって作ってやれる、あとはお前ら次第だ。 できるか、エリン?」
「うん、私、やってみる!」
カルドの言った「勇気」という言葉に、エリンシェは動かされていた。きちんと、あの時のお礼を言おう。ジェイトと少しでも距離が縮まるよう、できるだけのことはやってみよう。そう、決心したのだ。
「あいつのこと、よろしく頼むな」
何に対してそう言ったかは分からないが、またあの穏やかで優しい表情を浮かべながら、カルドが呟くようにそう言った。その表情に、エリンシェはうなずかずにはいられなかった。
そんなことを話している内に、授業が終了した。エリンシェはカルドに礼を言い、また次の機会に話せるように彼と約束をした。そして、彼女は次の授業に臨むのだった。
ଓ
そのすぐ後のこと。ジェイトはカルドに、次の予知学の授業で会わせたい人物がいると言われ、一人席に着いていた。それが誰なのか検討が付いて、思わずどぎまぎしていた。
少し前には意味ありげに笑みを浮かべ、ミリアが脇を通って行った。そして、当然のように、隣同士で座るミリアとカルドを見ながら、どうしてあんなに仲が良いのだろうと、ジェイトは疑問に思っていた。
――そして、授業が始まる少し前、ついに〝彼女〟がやって来た。
「こんにちは」
少し顔を赤らめながら、微笑みながら言うエリンシェに、ジェイトはかろうじて会釈を返した。……情けないことに、それが精一杯だった。隣に座った彼女を横目で見つめながら、ジェイトは自分が緊張していることに初めて気が付いた。何だか、息が詰まりそうだ。
「あの、この間は助けてくれてありがとう」
何とかして口を開こうと試みていると、エリンシェの方からそんなことを言われた。……あの時はとにかく、いてもたってもいられない気持ちになったのだ。未だに、ジェイト自身の中でもその理由は分からなかった。そんなことを考えながら、ジェイトは首を横に振る。
「いや、いいんだ」
「私ね、あなたが来てくれて何だか嬉しかったの。 だから、ずっとお礼を言おうと思ってたのに、遅くなってごめんね」
もう一度首を横に振りながら、ジェイトは顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしく思えて、より一層口が開けなくなってしまった。
そんな中、予知学の賢者が水晶玉を配り始める。前回までは理論を学んでいたが、今回からは実践を交えて授業が展開されるようだ。
「えっと、ユーティスくん。 一つ、聞いても良い?」「あ、うん」
エリンシェの問いかけに、ジェイトはすぐにうなずく。彼女は「あのね」と照れくさそうに前置いて、ためらいがちにこう言った。
「ジェイト、……くんって呼んでいい?」
「いいよ、もちろん」
答えると、エリンシェがとても嬉しそうに笑った。彼女の笑顔に思わず胸が高鳴るのを感じながら、ジェイトは思わず目を反らす。……こんなの反則だと思った。
「あ、あの、僕もエリンって……――」
何とか気持ちを抑え、ジェイトは慌てて、そう尋ねる。だが、運悪く、目の前に水晶玉が置かれる。かろうじて、エリンシェが小さくうなずいたのが見えた。
「試しに、水晶玉の中を覗いてみて下さい。 初めてなのでそうそうないとは思いますが、もしも何か視えたら教えて下さい」
更に賢者から指示が出され、話すのが難しくなった。……どうやら、呼ぶ機会を失ってしまったようだ。仕方なく、ジェイトは水晶玉を覗き込む。
初めは賢者の言った通り何も視えなかったが、しばらく眺めていると何か視えて来る――ような気がした。思わず真剣になり、ジェイトは目を細めて、水晶玉を覗き込んだ。
そうしていると、何か黒いものが水晶玉の中に視え始めた。ジェイトは少し考えて、それが黒雲だと気が付く。今にも雷を落としそうだと思いながら、その黒雲の下には何かあるのかどうか、探るようにしてまた覗き込む。続けていると、また新しいものが視え始める。今度は……人だ。金色の髪の若い女性が黒雲の下でうずくまっている。その女性が誰かに似ているような気がした。考えていると、だんだん顔がはっきりと視えるようになった。やがて、ジェイトはそれが誰なのかはっきりとわかって、息を呑んだ。
――その刹那。ジェイトが水晶玉で視ていたものが唐突に、早送りのように動き始める。黒雲から雷が放たれ、まっすぐにその女性へと落ちて行く。かと思うと、突然、〝彼女〟の身体から眩い光が発せられた。そして、雷もろとも光が消えると、その背中には真っ白な〝羽〟が生えていた。……まるで、〝天使〟のように。
苦しそうな〝彼女〟の顔が一瞬視えたのを最後に、水晶玉は沈黙するかのように何もうつさなくなった。先程視たものが信じられず、ジェイトは戸惑いながら、隣に座る〝彼女〟を横目で見つめる。
時折悩ましげに唸りながら、〝彼女〟は水晶玉を覗き込んでいた。そんな〝彼女〟をみて、ジェイトは確信する。〝あの女性〟は間違いなく、〝彼女〟――エリンシェだった。水晶玉で視えたものは本当に起こり得るのか、疑問に思った。
すぐに、予知学の賢者に言おうとして、ジェイトは思いとどまる。あの視たものをどうやって説明すれば良いのか。果たして信じてもらえるだろうか。ましてや、「本人」が隣にいるのだ。事実になり得るかどうかは定かではないが、不吉であることは確かだった。そんなことを聞いてしまえば、不安にさせてしまうのではないか。
「……っ」
そう考え、ジェイトは固く唇を結んだ。言っては、いけない。賢者が「初めてなのでそうそうない」と言っていたではないか、ひょっとしたら自分の気のせいかもしれない。自分に言い聞かせるようにそう思いながら、視たものを胸にしまい込んでも、ジェイトは嫌な予感を拭い切れずにいたのだった。
ଓ
一方。とある森の中にある石碑に、はめられた珠の一つが太陽の光を受け、一瞬光り輝いた。
そして、その隣にある珠の一つが対抗するかのように、赤く染まり、小さく揺れた。やがて、その森の上に黒雲が立ちのぼる。
――「何か」が起ころうとしていたのだった。




