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――幼い頃の〝彼〟のことを思い出すと、一番最初に、頭に浮かぶのはさみしそうな背中だった。
〝彼〟の両親は旅に出て、長い間家を留守にすることが多かった。そんな時いつも、〝彼〟は独りぼっちでさみしそうにしていた。特に、何の断りもなく両親が旅に出てしまった時は、〝彼〟の背中はいつもにも増してさみしそうに見えた。
そんな〝彼〟の様子を見かねて、彼――カルドの両親は〝彼〟のことを自分の子供と同じくらい可愛がった。両親がいない間、〝彼〟を家に招き入れ、歓迎した。そうして顔を合わせているうちに、カルドと〝彼〟はまるで兄弟のように育ち、自然と、お互いを親友と呼べるほど仲が良くなっていた。
せめてものお礼にと、〝彼〟は両親が留守の間に覚えた料理を、時々振る舞うようになった。……たとえそれがどんなに美味しくなくても、カルドはいつだって全部それを平らげ「おいしい」と優しく微笑んだ。
――そしていつしか、〝彼〟の背中から少しずつ、さみしさが消えていった。
長い間一緒に過ごしているうちに、優し過ぎる〝彼〟を、カルドは少し頼りなく思い、心配するようになった。
そんな〝彼〟を見て、カルドはそっと心に誓った。――ずっと〝彼〟のそばにいて、〝彼〟のことを見守っていこう、と。
なのに……――。
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〝彼女〟を一目見た時、カルドに「衝撃」が走った。
「初めまして、エリンシェ・ルイングです」「あたし、ミリア・フェンドル」
寮室が相部屋になり、いわゆるお隣さんになる少女二人の自己紹介を聞きながら、カルドはその「衝撃」を拭えずにいた。
特に、〝彼女〟――エリンシェの存在が気になって仕方なかった。……そして、なぜか、その隣に立つ彼女――ミリアのことも気に掛かっていた。
「よろしくお願いします。 僕はジェイト・ユーティス、こっちはカルド・ソルディス」
黙っているカルドの代わりに、〝彼〟――ジェイトが自己紹介をする。――二人とも、女の子という存在にはあまり関わったことがなかったが、特にカルドが女の子というものに苦手意識を抱いているのを知っていて、ジェイトはカルドの自己紹介も引き受けたのである。
そんなジェイトの優しさに内心ほっとしつつ、同時に心配にもなりながら、カルドは会釈をして、エリンシェの方へ歩み寄り、手を差し出した。
次の瞬間、ミリアの方から威嚇するような視線が飛んで来た。……あぁ、やはりそうか。ミリアはカルドと「同じ」なのだ。――彼女もエリンシェのことを守ろうと心に誓っているのだ。
そんなミリアに親近感のようなものを抱いて、ほんの一瞬彼女の方をちらりと見た後、カルドはそっとエリンシェの手を優しく取ると少し握手をして、「よろしく」と短く挨拶をした。
すると、エリンシェがくすっと笑いをこぼして、可笑しそうに「よろしくね」と挨拶を返した。
――その笑顔を見た瞬間、カルドに再び「衝撃」が走った。
はっと息を呑んで、カルドは思わず、ジェイトの元へと向かうエリンシェの後ろ姿を目で追った。それと同時に、ジェイトのことも気に掛かり、〝彼〟の方にもちらりと目をやる。
だが、それが一体何を意味するのか、その時にはまだ分かりそうもなかったので、カルドは仕方なく、ふたりのことを気にしつつも、ミリアと握手を交わすことにした。
『よろしく』
偶然にも挨拶の声が重なり、カルドは一瞬ミリアと目を合わせる。その一瞬、なせか胸が高鳴った……ような気がしたが、すぐに彼女から目をそらし、ジェイトとエリンシェの様子をうかがうことにした。
――握手を交わしていたはずのふたりが手を止め、お互いを見つめ合っていた。
そんなふたりの姿を見た瞬間、カルドに再び、先程と同じ「衝撃」が走る。それと同時に、カルドは突然、ふたりが結ばれる「運命」にあるのだと悟った。
……あぁ、ジェイトはエリンシェを守っていくことになるんだな。そんなことを思った瞬間、カルドはどうしようもない「さみしさ」を感じた。
だが、カルドは「さみしさ」を感じたのと同時に、ジェイトのことが心配にもなる。……果たして、優し過ぎる〝彼〟は〝彼女〟を守り抜くことができるのだろうか? ――ふたりの「運命」を悟っても、未だ「衝撃」を拭えずにいたカルドは、なぜかふとそんなことを思ったのだ。
……ひとまず、「さみしく」感じていることを、ジェイトに知られてはいけない。――こんな表情を見られたら、優しい〝彼〟はきっと心配するに違いないから。それだけは絶対に避けたい。ふたりの「運命」を知った今、カルドにできるのはしっかりと〝彼〟を見守っていくことなのだから。
カルドは気持ちを立て直すと、「……どうした、ジェイト?」と声を掛けた。すると、我に返ったジェイトがようやく、エリンシェから離れる。
まだ名残り惜しそうにしているふたりを見つめながら、カルドは、ジェイトがやはり心配になる気持ちと「さみしさ」の板挟みで、何とも言えない複雑な心情に陥っていた。
そんな中、カルドは自分のことを横目で見つめる視線に気が付いた。――恐らく、ミリアだ。彼女の存在も気にはなっていたが、残念ながらカルドには女の子と会話する心遣いなど持ち合わせていなかった。
……けれど、どこか似ているミリアと話してみたい。カルドはそんな思いを抱かずにはいられなかったのだった。
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そんな中、初日の授業でミリアの方から相席の申し出があった。カルドは承諾し、ミリアと話してみることにした。
ミリアは、カルドの「さみしそうな」表情を見かけたと話を切り出し、また、エリンシェとの関係を語り、ジェイトと〝彼女〟の「運命」すら見破ったことを打ち明けた。
どうやら、カルドがミリアに親近感を覚えたのと同じように、彼女の方も同じような感情をカルドに抱いたようだった。
そうだと知り、むしろカルドはミリアに、ますます親しみを感じるようになった。女の子というものとはあまり話をしたくないと思っていたカルドだったが、ミリアとなら、心を通わせられそうな気がした。そうして、カルドもジェイトとの関係を語り、〝彼〟とエリンシェの「運命」を悟ったことを打ち明けた。
「――じゃあ、あんたはどう思ってるの? ――あたしはあの娘が幸せなら、それでいいと思ってる。 だけど、あたし、ジェイトのことよく知らないから、とりあえず話をしてみたいって思ってる。 ……あんたは?」
すると、ミリアからそんな話を切り出され、カルドは少し物思いにふける。……どうと聞かれたら、真っ先に思い付くのは見守ることしかできないということだけだった。だが、エリンシェのことはまだよく知らないので、見守るべきかその判断がつかなかった。
――まずは〝彼女〟と話をして、エリンシェのことを知りたい。そして、その上で、本当にジェイトが〝彼女〟のことをおもう「時」が来たら、ふたりを見守り祝福したい。カルドは心からそう思った。
「俺も……同じだ。 ――ジェイトが決めた相手なら、見守って祝福したいと思う。 だから、俺もエリンシェと話してみたいと思ってる」
そう話しながら、カルドは正直、少々不安にも思えていた。――エリンシェも苦手な女の子というものだからである。だが、親近感を抱いたミリアが大切に思っている存在《相手》なら、きっと大丈夫だろうと彼女を信じてみることにした。
「――じゃあ、決まり。 近いうちに時機を見て、あたし、ジェイトと話してみるから、あんたはあの娘と話してみてくれない? ……あ、ちゃんと優しくしてあげてね? ――あの娘を怖がらせたりしたら承知しないんだから!」
こうして、カルドのミリアのふたりは協力し合うことになったのである。
……だが、「その機会」は中々訪れなかった。
代わりにその間、カルドは何度か授業でミリアと交流することが多くなった。お互いに、親近感を抱いていたせいか、少しずつ仲を深めていき、ついには軽口を叩き合う間柄にまで発展していた。
カルドが女の子とそこまで仲良くなれたのは、ミリアが初めてだった。たいていの女の子はカルドの険しい顔に怖いと言って、近付きすらしなかった。
……だが、ミリアだけは違った。彼女は本気でカルドと「心」を通わそうとしている。そんなミリアのことを、カルドは今や「友達」だと思っていた。ジェイトほどではないが、彼女のことも大切に思い始めていたのだった。
そんなある日のこと。
世界学の授業で、ジェイトが教科書をめくりながら、何かを思い悩んでいた。
「何考えてる」
カルドはそんなジェイトの様子に、少々心配になりながら声を掛ける。……とはいえ、実を言うと、カルドにはその原因が分かっていた。――式の帰りに、エリンシェ達が話し込んでいるのを見かけ、彼女達の話を耳にしてしまったジェイトはその内容に衝撃を受けたのである。
「……十月四日だって」
我に返ったジェイトがぽつりとつぶやく。〝彼〟が思い浮かべているのはとある「女の子」のことだった。――昔から、ジェイトは父親から、彼が深い縁を感じたという、赤子の時に出逢った「女の子」の話をずっと聞かされていた。そのうちに、ジェイトはその「女の子」に強い憧れを抱くようになっていた。だが、その「女の子」の手掛かりはほとんどなく、はっきり分かっているのが誕生日だけだった。
偶然にも、エリンシェが誕生日を口にしているのを耳にしたジェイトは衝撃を受けていたのだ。――憧れの「女の子」とエリンシェの誕生日が一致していたからである。
「親父さんの話に出て来た娘と一緒だな」
当然、ジェイトからその話を聞いていたカルドはそう相づちを打ちながら、思っていた。……おそらく、〝彼〟の憧れの「女の子」とエリンシェは同一人物なのだろう。ふたりが結ばれる「運命」にあると悟ったカルドは、ほとんどそうだと確信していた。
「あの子、なのかな」「かもな」
悩ましげにつぶやくジェイトに再び、相づちを打ちながら、カルドは〝彼〟の様子を見守った。そうは確信していても、「それ」を口にすべきではないと、何となく思ったからだった。それにまだ、カルドはエリンシェのことをよく知らなかった。まずは〝彼女〟のことを知ってからどうしていくか考えたいと、カルドはそう思っていた。
「好きなのか」
ふと、ジェイトがエリンシェのことをどう思っているのか気になって、カルドは試しに、〝彼〟にそんな直接的な質問をぶつけてみる。
分かりやすく、ジェイトはぎょっとした後、少し迷う素振りを見せながら、口を開いた。
「……分からない。 ただ――――」
――ただ、気にはなっているのか。同感だと、カルドは思った。彼自身もエリンシェのことをもっと知りたいと思っていたが、中々その機会は訪れそうになかった。
そんなことを考えていると、不安そうなミリアが後ろを振り返りながら、教室へとやって来たのが、カルドの目に入った。彼女の隣には、いつも一緒なはずのエリンシェがいない。カルドは不思議に思って、眉をひそめた。ジェイトもミリアのことが気になって仕方がないようだった。
カルドはすぐさま立ち上がって、ミリアの元へと急いだ。
「どうした、ミリア」
「『先に行ってて』って言われたんだけど、エリンシェが来ないの! もう追いついてでもおかしくないはずなのに。 それに、何だか嫌な予感がして……」
そう言って不安そうにしているミリアを気にしながら、カルドはちらりとジェイトの様子をうかがう。……〝彼〟が何を考えているかは、カルドにはすぐ分かった。
――……果たして、ジェイトにエリンシェが守れるのだろうか?
カルドは少し迷って、ミリアに「とりあえず座って待ってろ」と声を掛けて、ジェイトの元へと急いだ。そして、〝彼〟の元に着くなり、報告をすると様子をうかがうようにジェイトをまじまじと見つめた。
「先に行けって言われたけど、それにしては遅いってさ」
それを聞いて、ジェイトがぴくりと反応する。すぐにでも、エリンシェの元へと飛んで行きたそうだった。けれど、カルドとミリアは違って、ジェイトは入学式以来エリンシェと話をしておらず、〝彼女〟と仲が良い、というわけでもない。そのせいで行動すべきか、迷っているようだった。
……あぁ、もうすでに、ジェイトはどうしようもなく、エリンシェにひかれ始めている。そうだと分かると、カルドはジェイトの背中を押さないわけにはいかなった。――いいから行ってこいと、〝彼〟に目配せをする。
「……ちょっと、行って来る」
カルドの思いが伝わったのだろう、ジェイトが咳払いをすると、教室を出て行った。その背中をじっと見つめながら、カルドはまたどこか「さみしく」感じていたのだった。
ジェイトが戻って来たのは授業の直前だった。
「……ジェイト」
カルドが声を掛けても、ジェイトは顔をそむけるばかりで何も話そうとしなかった。――顔を赤らめ、何かを思い詰めているような、複雑な表情を浮かべている。少しの間そんなジェイトを見つめていたが、カルドはエリンシェの方をちらりと振り返った。〝彼女〟もまた、ジェイトを見つめながら、どこか不思議そうな、複雑な表情を浮かべていた。
……ちゃんと守れたのか? そう問い掛けたいところだったが、カルドはぐっとこらえ、何も聞かないことに決めた。その一方で、これからどうしていくべきか、カルドは迷っていた。
やはり、エリンシェと話すのが先決だろう。そんなことを考え、複雑な思いを抱きながら、カルドはしばらくジェイトをじっと見つめていたのだった。




