Feather 2 ଓ 兆し 〜indication〜
次の日から、エリンシェの新しく学舎生活が始まった。エリンシェはまず初日の午前中に、魔術学と薬学の授業を受講した。
授業の席は自由制で、皆、合間を縫って小声で会話をすることで交流を深めていた。魔術学の授業ではそれを知らず、エリンシェはミリアと授業を受けた。
せっかくの隣同士だ、あの二人と仲良くしたい。そう思っていたエリンシェよりも先に、積極的なミリアが薬学の授業でカルドの隣に着席した。もたもたしていると、エリンシェの横には別の少女が座ってしまった。
おまけに、エリンシェには薬学の授業が難しく感じた。初日なので実践こそなかったものの、説明を聞いているだけでも必死だった。もちろん、横の少女に話し掛ける余裕もない。ミリアの方を見ると、カルドと仲を上手く深めている様子だった。……エリンシェの気分は最悪だった。
そして、授業が始まってから数日が経った。
エリンシェはその日、午前中に魔術学、午後からは世界学の授業を受けることになっていた。昼食を取った後、少し休憩時間があったので、一度エリンシェはミリアと寮に戻り、準備もしてから教室へ向かうことにした。しかし、新しい生活に慣れていないせいなのか、エリンシェは手間取ってしまった。
「ミリア、先に行ってて」
教科書や筆記用具をカバンに詰めながら、エリンシェはそう声を掛ける。うなずいたミリアが出発するのを視線だけで見送った。その少し後、学び舎の案内図で教室の位置を確認し、寮を急いで出た。
「……っ!!」
走っていたエリンシェだったが、ふと、視線を感じて息を呑む。……あの、まとわりつくような嫌な視線だ。そのまま足を止めずに走り続けたが、視線も離れずついて来ていた。――誰かに尾けられている。
怖くなって、エリンシェは教室に急いだが、あと少しというところで、突然、一人の少年が彼女の前に立ち塞がった。黒髪に紫色の瞳をしたその少年はエリンシェをじっと見つめていた。
あの視線――尾けていたのは彼だ。すぐにそう気付いて、エリンシェはその場を離れようとするが、上手く足が動かない。何故か分からないが、その少年が恐ろしく感じた。
「やあ、君がエリンシェ・ルイングだね? ボクはヴィルド・バルクス。 以後よろしくね」
唐突に、少年――ヴィルドが口を開いて、近付いて来る。思わず、無理やりに足を動かして、エリンシェは後ずさる。まるで、その反応を愉しむかのように、ヴィルドがにやりと笑みを浮かべ、更に足を進めるのだった。
ଓ
「何考えてる」
ふと横に座るカルドに声を掛けられ、ジェイトは我に返る。無意識に、世界学の教科書をめくっていたらしく、いつの間にか適当なところで止まり、開かれていた。そのページにあった、羽の生えたヒトの挿絵をちらりと見た後、ジェイトは教科書を閉じぼそりと呟いた。
「……十月四日だって」
「親父さんの話に出て来た娘と一緒だな」
あの時、エリンシェが感じたもう一つの視線の主は、ジェイトだった。彼は父親から赤子の時のある話を聞かされていた。その内容は、彼ととある「女の子」の間に縁を感じて、印象深かったというものだった。「女の子」の誕生日がエリンシェと同じだったので、あの時ジェイトは思わず驚いて、彼女を見つめたのだ。
ジェイトの父親は忘れっぽく、覚えていたのは「十月四日」――誕生日と、うろ覚えの愛称だけだった。幼い頃からその話を何度も聞かされ、耳にする度、ジェイトはいつしか、「女の子」に不思議な感情を抱くようになり、また追い求めるようになっていた。
もう一つの手掛かり、愛称もエリンシェに似ていた。「エリ……? 何だったかな」と父親は話していた。彼女はエリンと呼ばれており、誕生日も一致している。
「あの子、なのかな」
「かもな」というカルドの相づちを聞きながら、ジェイトはエリンシェと初めて会った時のことを思い出していた。彼女と握手を交わしたあの瞬間、ジェイトの頭の中で、繋がれた小さなふたつの手がみえた……気がしたのだ。そんな不思議な現象と、一致している二つの手掛かり。それだけわかっていても、ジェイトはまだ確信に至って――いや、至れていなかった。
「好きなのか」
「……分からない。 ただ――――」
カルドの直接的な問いに驚きつつも、ジェイトは迷いながら答えて、思った。――ただ、気にはなっていた。
世界学の授業までもう少し時間があったので、もう少し物思いにふけろうとしていたジェイトだったが、ふと、教室に一人でやって来たミリアが目に入る。心なしか不安そうに後ろを振り返りながら、着席するミリアの様子に、思わずジェイトは首を傾げる。
すぐさまカルドが立ち上がり、ミリアの元へ向かい声を掛けていた。……顔が怖いせいで女性にあまり親しくされたことがないカルドが、午前中の薬学の授業だけで、そこまで仲良くなるとは。幼い頃から彼を知るジェイトには意外に思えた。もちろん、積極的そうなミリアの性格のおかげもあるのだろうが……。そこまで、カルドとミリアは気が合うのだろうか。
同時に、ジェイトはそんなカルドがずるくも羨ましくも思えた。薬学の授業の時、思い切ってエリンシェの隣に座ろうとしたが、別の少女に先を越されて声を掛け損ねてしまったのだ。
「先に行けって言われたけど、それにしては遅いってさ」
戻って来るなりカルドがそう報告して、何かを問いかけるようにジェイトをまじまじと見つめ始めた。――見透かされている、とジェイトは思った。気にはなる……が、まだ仲良くもないのに、頭を突っ込むのはどうなのだろうか。そう弱気になっていると、カルドが目配せをする。……今度は促されているような気がした。
「……ちょっと、行って来る」
誤魔化すかのように咳払いをした後、ジェイトは思い切って立ち上がり、そう言って教室を出る。そして、寮の方へ足を向けると、遠くない所でエリンシェの姿を見つけた。
見知らぬ少年に迫られ、彼女は怯えた様子で後ずさりしている。その様子を見た瞬間、考えるよりも先に、ジェイトの体が動いていた。――気が付くと、エリンシェを後ろでかばうようにして、ジェイトは少年の前に立っていた。背後からは彼女の驚いた視線を感じた。
「何だ、お前は?」
……全くだ、一体自分は彼女の「何」だというのだろう。少年の問い掛けに、皮肉にも同意して、ジェイトは答えられずに黙ったまま、彼をにらみ付ける。
そうしている内に、授業の始まりを告げる鐘が鳴り響いた。そのタイミングを見計らって、ジェイトはエリンシェの手を掴んで、少年の脇をすり抜けて教室へと走り出したのだった。
ଓ
掴まれた手は唐突に、教室に着く直前で離された。突然現れた彼は何も言わず、背中しか見せてくれない。教室の中に入っても振り向かずに、彼は自分の席へと着いた。その後ろ姿はどこか恥ずかしげにも見えた。
少し呆然としながら、エリンシェはミリアの隣に座る。まじまじと掴まれた手を見つめながら、エリンシェは思った。……どうして彼は私を助けてくれたのだろう。考えても理由は分からなかったが、エリンシェはとにかく嬉しかった。彼が――ジェイトが来てくれて、なぜかとても安心できた。
「エリン、もう始まるよ」
何も聞かなかったミリアが、エリンシェに呼び掛ける。もう一度手を見つめた後、準備をしながら、エリンシェは礼を言い損ねたことに気が付いて、今度必ずお礼を言おうと心の内で決心した。
少し遅れて、メガネを掛け、栗色の髪を一つにまとめた若い男性が壇上に上がった。その瞬間、その場にいる全員が、『こんにちは、先生』と挨拶をする。学び舎に通う者達は、賢者達のことを「先生」もしくは「師」と呼んでいる。
その男性は少しの間、全員を見つめる。ふと、エリンシェは彼と目が合った気がした。その瞳は蒼く、まるで海のようだと彼女は思った。
「皆さん、初めまして。 僕はガイセル・コンディー、世界学を担当する賢者です。 ……さて。 今日は初めてということで、簡単に世界学のことを知ってもらおうと思います。 じゃあ、ちょっと教科書を開いてみて」
指示された通り、エリンシェは教科書を開く。その瞬間、彼女の心は大きく揺さぶられた。文章や挿絵の一つ一つに、ひき込まれるようだ。その上、なぜかは分からないが、とても懐かしい気がした。
「世界学というのは、この世界・テレスファイラのことを理解するものなんだ。 どうやってテレスが創られたか、歴史を知る。 他の世界と繋がりがあるのか、関係を知る。 そして、時には神々やその世界のことを知る。 あまり馴染みがないから、難しく感じるかもしれない。 けれど、少しでも理解ができるよう、世界学を学んでもらおうと思います」
皆が教科書を開いていると、ふと、賢者・ガイセルがそう語り出した。顔を上げ、話を聞いていたエリンシェは、そんな彼の目がどこか優しいように思えた。
「じゃあ、少し教科書を読んで行こうか」
そう言って、ガイセルが教科書の導入部分を解説しながら、教科書を読み始める。その場にいる全員が、初日の疲れもあってか、眠そうに彼の授業を聞いていた。
けれど、エリンシェだけは違っていた。やはり、教科書やガイセルの授業の内容に、心が魅了された。一つ残さず聞き漏らすまいと、熱心に授業に臨んでいた。
「……やっぱり難しいね、今日はこの辺にしようか。 次までに少しで良いから、教科書を読んで来て下さい」
皆の反応を見て、ガイセルが苦笑を浮かべた。彼の言葉を聞いて、ほとんど全員がその場を後にする。エリンシェだけは変わらず、彼をじっと見つめ続けた。そうしていると、今度ははっきりと、ガイセルと目が合った。その瞬間、彼が優しく微笑み掛けてみせたので、思わずエリンシェは顔を赤くする。
もう少し、話を聞いてみたい。エリンシェはそう思わずにはいられなかった。初日の授業はそれで終わりだったので、ガイセルと話してみようと決心する。
「エリン、後で迎えに来るから、行っておいでよ」
先程の件があったので、一人になるのは避けたいと少し迷っていると、エリンシェの気持ちを察したミリアがそう言って、彼女の背中を押した。
「ありがとう。 ……って何笑ってるの。 ただ興味あるだけだよ、からかわないで」
見ると、冷やかすようにミリアがニヤニヤと笑いを浮かべていた。エリンシェが少し怒ってみせると、ミリアが「はいはい」と生返事をして、その場を後にする。エリンシェも席を立って、真っ直ぐにガイセルの元へ向かう。
会釈をして、エリンシェはガイセルの前に立った。もう一度、ガイセルが彼女に向かって優しく微笑み掛ける。彼を見つめていると、エリンシェはまた胸が高鳴り始めた。それを止めようと深呼吸をして、エリンシェはやっとの思いで口を開く。
「あ、あの、コンディー先生。 先生のお話、すごく興味深かったです。 だから、その、もう少し聞いてみたいなって……」
「珍しいね。 どこが気になった?」
ガイセルにそう聞かれて、エリンシェは少し考え込む。一番心ひかれたところ、それは――――。
「――神々の部分です」
答えた瞬間、なぜかガイセルが一瞬、複雑そうな表情を見せた。エリンシェは不思議に思って、見つめていると、ふっとその表情を消して、彼がまた微笑んでみせた。
「実はそこが僕の一番得意分野なんだ。 今知られるべきなのはそこなのに、中々理解してもらえない。 それは特に……とても奥深い知識。 君も知りたいかい?」
真剣な眼差しで語ったガイセルの問いに、エリンシェはすぐに大きくうなずいてみせる。
「名前は?」「エリンシェ・ルイングです」
何かを考えるかのように、ガイセルは黙り込む。少し経ってから、一人で納得するかのようにうなずくと、エリンシェに「おいで」と呼び掛ける。
「僕の研究室へ案内しよう」
ガイセルに言われるがまま、エリンシェは手招きする彼に続き、その場を後にしたのだった。




