Feather 9 ଓ 別離 〜separation〜
ଓ
……苦しい。息が……できない。
メレナは息を切らしながら、地面に転がり、あがいていた。
レスカは〝彼女〟をとらえるための「舞台」を用意した後、何を思ったか、メレナの寮室へと戻ってきた。そして、彼女を床に投げ出すと、姿をあらわし、言い放ったのである。
【――あの娘に最期の挨拶をさせてやる】
……嘘だ。そんなことを言って、本当は自分を〝彼女〟をおびき寄せる囮にするつもりだろう。
一度レスカに長い間乗っ取られた身体は、もうメレナの言うことを聞かなくなっていた。勝ち誇った【カノジョ】の顔を睨みつけることもできず、メレナは歯を食いしばることしかできなかった。
囮にされるくらいなら、このまま消えてしまいたい。お願いだから、放っておいてほしい。そんなことを思う反面、メレナは〝彼女〟に会いたいと思わずにはいられなかった。――いやむしろ、〝彼女〟なら助けに来てくれるという確信があった。
せめぎ合う心に翻弄されながら、メレナは肩で息をする。……だんだん目の前が暗くなってきた。
――もう……時間が……な……い。
「メレナ!!」
なくなりそうだったメレナの意識を、聞き覚えのある声が呼び戻す。
あぁ……来てしまったか。どちらともつかない涙をつと流しながら、メレナは顔を上げた。
ଓ
「――メレナ!!」
エリンシェは床に横たわるメレナの元へと駆け寄る。
今にも消えてしまいそうな表情で、メレナが顔を上げる。もうほとんど出ない声で、彼女がエリンシェの名前を呼び、小さく首を横に振った。
――来ちゃだめ。そう訴えているかのようだった。
「大丈夫だよ、メレナ。 私はそんなに弱くないから。 ねぇ……私、どうすればあなたを救える?」
それでも、エリンシェは食い下がらなかった。ペンダントを掴み、必死にメレナに訴え掛けた。
エリンシェのその問い掛けに、再びメレナが首を横に振る。――どうしようもない。そう言っているかのようだった。
「そんな悲しいこと言わないで。 メレナ、お願いだから諦めないで。 私、私……――」
ふと、メレナが目を細める。――その言葉だけで十分。そんな気持ちが伝わってくる。満足そうな顔を浮かべた彼女はそのままうなだれていく。
(どうしよう……。 このままじゃ、メレナが……)
救いたいのに救えない。その上、どうしたらいいのかも検討がつかない。
『エリンシェ!』
そこに、ジェイトとアリィーシュが駆けつけ、エリンシェに声を掛けた。
思わず、エリンシェはアリィーシュを振り返り、ジェイトの腕にしがみつく。
「……彼女ね」
「ねぇ、アリィ。 私、どうすることもできないの?」
藁にもすがる思いで、エリンシェはアリィーシュに問い掛けるが、彼女は悲しそうな表情を浮かべると首を横に振った。
……そんな。エリンシェは絶望して涙を浮かべ、メレナに振り返る。
「ごめん、メレナ! 私、あなたを救うことができなかった!」
エリンシェの言葉が届いたのだろうか、再びメレナがもう一度顔を上げる。嬉しそうでありながら、涙を浮かべた彼女は最期の言葉を残した。
――ありがとう。
ふっと力が抜け、地面に倒れていくメレナの動きが突然ぴたりと止まる。かと思いきや、そのまま彼女から黒い【気】が放たれ、宙へと浮かんだ。
「――……ずいぶんと粘ったものだな、メレナ。 この私――レスカを抑えたことに関してはほめてやろう。 その功績をたたえ、一つ良いことを教えてやろう。 いいか、メレナ。 人間というものは決して、生まれ持つ運命に抗えないものなのだ」
メレナが別の声――自分のことをレスカと呼ぶ【誰か】の声でそう話し始める。
その瞬間、ジェイトとアリィーシュがエリンシェに向かって手を伸ばし、「メレナ」から〝彼女〟を遠ざける。
「そんなことない! たとえ、どんな運命だろうと人は立ち向かっていける!」
二人にされるがままになりながらも、エリンシェは前のめりになり、抗議の声を上げる。
そんなエリンシェを嘲笑うかのように、「メレナ」がふっという息を漏らす。
「果たしてそれはどうかな? お前も【聖力狩り】であるこの私に喰われる運命からは逃れられないのだよ!」
「メレナ」がそう言い終えた瞬間、左手の痣――【証】から妖しく、赤黒い【瘴気】が放たれ、「彼女」を包み込んだ。
「メレナ!!」
それでも、エリンシェはメレナの名前を呼んだ。彼女に向かって手を伸ばそうとするも、ジェイトとアリィーシュにより引き止められる。
【瘴気】が消え去ると、そこにはメレナの姿はなかった。――彼女が居たであろう宙には、赤と紫の瞳を持ち、漆黒の翼を広げた【オンナ】が浮かんでいた。
メレナと共通していたのは左手の【漆黒の片翼】を背景に、燃え盛る紫の炎の【証】。エリンシェはその【証】を目にした瞬間、【オンナ】に向かって叫んでいた。
「返せ! ――メレナを返せ!!」
「返せだと? さっきも言っただろう。 ――運命からは逃れられない、と。 この娘は呪われた血族に産まれた以上、私に身体を明け渡す運命からは逃げることはできなかったのだよ。 恨むなら、お前自身が現在の時代に生まれたことを恨むのだな。 お前がいなければ、メレナがこうなることはなかったのだから」
【オンナ】がまたもやエリンシェを嘲笑い、平然とありもしないことを口にする。
怒りが沸々と湧き上がり、エリンシェは顔を赤くして、【オンナ】を睨みつける。
「その顔、実にいいぞ。 怒り、絶望、恐怖は獲物をより一層引き立てる。 ――それでこそ、狩りがいがあるというものだ!」
高笑いをする【オンナ】のその言葉に、ジェイトとアリィーシュがより一層力を込め、エリンシェを後ろに下がらせる。
「そんなに警戒しなくても、今はまだその娘を狩りはしない。 ……もっとだ。 ――もっと徹底的にその娘を絶望の淵へと落とし、最高の状態に堕ちてから喰ってやる」
【オンナ】の宣戦布告に、エリンシェは思わず息を呑む。つい先程までは怒りに燃えていたというのに、今度は全身に恐怖が駆け巡る。……だが、それでも、メレナだけは助けなければならない。
エリンシェの表情を見て満足げに微笑み、【オンナ】が翼を羽ばたかせる。
「あぁ……そうだ。 そう言えば、まだ名乗っていなかったな。 私の名はレスカ。 この世で唯一の【聖力狩り】だ。 ――そして、お前を喰らう者だ!」
高らかに名乗りを上げると、レスカは窓からそのままどこかへ飛び去っていった。
その瞬間、エリンシェはジェイトとアリィーシュを振り払い、カノジョの後を追う。そして、もう見えなくなってしまったその後ろ「姿」に向かって、呼び掛けていた。
「メレナ――――!!」
けれど、エリンシェの声が「彼女」に届くことはない。
涙があふれ、エリンシェはその場に崩れ落ちる。……間に合わなかった。――救えなかった。悔しくて、自分自身を責めていると、隣にジェイトが並んだ。〝彼〟に肩をそっと抱かれ、エリンシェは思わずその胸にしがみついていた。
――これから先、どうすればいいんだろう?
未来に待ち受けている不安に、今はまだどうすることもできず、エリンシェはただ涙を流すことしかできないのだった。




