プロローグ
もしも、この世に地獄があるとするならば。
目の前に広がる景色こそ、そう呼ぶに相応しい光景なのだろうと私は思う。
焼け焦げた大地。
血にまみれた人々。
この世のものと思えぬ痛みに呻く声さえ、耳を傾ける者は誰一人として居ない。
死の匂いが辺り一面に立ち込めている。
絶え間なく銃声が響き、殺気に満ち溢れ、目の前の命を狩り取ろうと、獣のように人々が押し寄せる。
もはや、誰が味方で、誰が敵かも分からない程の混沌ぶりである。
残念ながら、それはただの例えに過ぎず、実際には味方など何処にも存在しないのであるが。
ただ一人、私だけがこの戦場に送り込まれ、全ての責任を負わされる状況もまた、地獄と呼ぶに相応しい惨状であった。
「怯むな!撃て!破滅の魔女を殺せ!」
誰かが、遠巻きにそう叫ぶのが聞こえた。
初めに言い出したのは一体誰だったか、まるきり記憶に無いけれど、一人戦地に立ち続けた私は、いつしかその名で呼ばれるようになっていた。
自ら進んで誰かの命を奪ったことなど、ただの一度も無いにも関わらず、恨みがましく呼ばれたのだけは今でも覚えている。
まるで、こちらが一方的に悪であるかのような口振りで、己の正当性を言外に主張しようとする性根の醜さには、反吐が出る程だった。
他人の血で染まった指先で、平然と相手を糾弾してしまえる様の、何とも愚かな事か。
結局、人という生き物はこんなにも醜いものなのだと、私は戦いに身を投じる度に痛感する。
どれだけ知能が高くとも、言葉を喋ろうとも、他のどの生き物より優れているのだと錯覚しようとも。力を誇示し、欲にまみれ、他者を蹂躙するその姿は、自然に生きる他の生き物と何ら変わりない。
それでいて、誰もがその事実に気付かないまま生きているのだ。
その光景が、私にしてみれば何よりも醜くこの目に映った。
——そもそもの話、どうして私が戦場に出なければならなくなったのか。
事の発端は、はるか昔より存在した魔法の存在が、ここ数十年で爆発的に普及したことにある。
魔法。神より授かりし、特別な力。
そう呼ばれていたのは、今となっては昔の話で、科学が発展し、研究によって仕組みが解明され、魔法と科学が密接に結びついた今となっては、誰もが扱える普遍的な力となった。
しかしながら、結果として齎された影響力は凄まじく、人々の生活にすっかり染み付く頃には、長年保たれていた世界のバランスをあっという間に崩してしまっていた。
魔法によって飛躍的に増した軍事力を、馬鹿の一つ覚えのように競い合い、おかげで今はどこもかしこもが戦争だらけである。何せ、ここ日本ですら、一年ほど前からアメリカと戦争状態にあるのだから。
沖縄に存在していた米軍基地も、すっかりもぬけの殻となっていて、どこぞの民間企業が跡地を買い取る予定だなんて噂も聞く。
アメリカという巨大な盾に守られて、時代を生き抜いてきた日本はもうどこにもいない。
この一年は私にとって、今すぐ逃げ出したくなるくらいに絶望にまみれた一年だった。
一人戦地に立ちながら、時には医者の真似事をし、時には誰よりも前線に立って、私は馬車馬のごとく働いて過ごしてきた。
魔女だからという、ただその一点だけで。
誰よりも魔法の才に溢れ、人並外れた力を持っているからだと言えば聞こえはいいかもしれないが、結局のところ私は、周囲の都合の良いように扱われていただけの女だったのだ。
「馬鹿だよなぁ、私」
思わず、そんな言葉が口をついて出る。
何もかも笑い飛ばして、全てを無かった事に出来たならどんなに良かったろうと、叶いもしない夢を僅かにでも見る自分が滑稽にさえ思えた。
果たして、これまでに私は、どれほど骨を折り続けたことだろうか。
何度も何度も押し寄せてくる敵を、傷付けないように、それでいて無力化できるように努力して。
実の所、この戦争において、死者の数など片手で数えられるほどしかいないというのに、平和に済まそうとすればするほど、状況は寧ろ悪化していくばかりだ。
おかげで私は、もう一年も、戦争なんて馬鹿みたいな所業を続けてしまった。情けをかけるだけ無駄だったのだ。
所詮は自分一人の自己満足でしかなかったとは言え、あまりに虚しくなるその現状に、私は嫌でも悟ってしまった。
——ならば本当に、魔女になってやろうかと。
もう手加減などするものかと。
全てを終わらせるために、一歩前へと歩みを進める。
地獄なんてものが本当にあるかは分からないけれど、どうせ落ちるのならば、ここにいる全ての罪深い魂も道連れに。
ただの一撃で、この悪夢を終わらせるために。
「さようなら。悪いけど、皆一緒に死んでよね」
小さく呟いた言葉は、誰に届くことも無く虚空に消える。
この一年続けてきた不毛な戦いに、今ここで幕を降ろそうと、私は一気に集中を高めた。
今となっては、勇敢に立ち向かってくる者は少ないが、それでも攻撃の嵐は止まない。
その全てを防ぎきりながら、破滅の魔女の名に相応しい最後の魔法を構築する。
間も無くして、耳を裂くような轟音と、凄まじい爆風が辺り一面を包みこみ、煙で周りが一切見えなくなった。
戦場に横たわる数多の死体は、大陸の一部ごと跡形もなく消え、破滅の魔女もまた、生きて故郷へと帰ることは二度と無かったと言う。
こんな出だしではありますが、シリアスばかりにする予定はないので、気軽に読んでいただければと思います。