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最後の戦い 5



 広間を抜けてしばらくいくと、大きな中庭が広がっていました。

 そこには一頭の巨大な竜が眠っていました。城にも似た巨体が、丸まって瞳を閉じています。体表は黒紫色の鱗に覆われていますが、大部分が罅割れていて、剥がれ落ちていて、焼け焦げていて、控えめに言って満身創痍でした。

 誰がここまでオウルウを傷つけることができたのでしょう? ……まあ考えるまでもありませんでした。ルイ=ライズ以外にはありえません。めちゃくちゃですね、あの小僧っ子。さすがに勝てはしなかったようですが。同時に私はルーちゃんが逃げることを選ばなかったことに対して、苦い思いがこみ上げてきます。彼は結局アトーさんと私とカナンを逃がすために最後まで抵抗し、オウルウに殺されたのでしょう。私は苦い感情を無理矢理飲み下しました。

(先手は取れそうですが、どうしますか)

(待ちたまえ。私の唱えることのできる、最大最強の攻撃呪文で仕掛ける)

(! 空圧呪文ですか?)

(いいや、準備さえ惜しまなければわたしにも、もう少しましな攻撃呪文はあるのだよ)

 カナンは逆巻き蛇の杖を通じて魔法力を増幅させます。増幅された可燃性の魔法力が、魔法陣を作りオウルウの周囲に等間隔で撒き散らされます。オウルウがこちらに気づき、身を起こしました。しかしどうみてもカナンの呪文が炸裂するほうが先。

(旋風呪文で防御したまえ。こちらにまで影響が出る)

 頷いて返します。オウルウと我々にはおおよそ四十歩分以上の距離がありましたが、カナンはこの呪文にそれなりの自信を持っているようです。唇を舐め、小さく息を吸い込み、呟くようにその名を唱えます。

「煉獄呪文」

 ばら撒かれた魔法陣が一斉に光を放ちました。次の瞬間、大火がそれらの魔法陣をすべて呑みこみました。実に1300℃に及ぶ超高温がオウルウの巨大な全身を包みます。作成していた魔法陣自体は「加燃呪文」という術式によって作り出されたものだそうです。この呪文はその名の通り火炎呪文の効果を増幅させる、燃料の役割を持つ呪文です。それをばら撒き、一斉に火をつけるのがこの煉獄呪文。煉獄の名に相応しい炎界の地獄が展開されています。

 しかしこれだけ強力な呪文であっても、地上最大の攻撃であるドラゴンブレスの温度にはまったく及んでいないのが悔しいところですね。

「倒せますかね?」

「まさか」

 カナンは険しい表情で言いました。

「竜族の鱗は元々炎に強い耐性を持つ。罅割れて、剥がれ落ちているとはいえ、この程度ではびくともせんだろう。少しでも効果があれば儲けものと言ったところだ――な……?」

 否定的な見解を吐き出すカナンの言葉とは裏腹に、竜は炎界の中でのたうっていました。炎から脱出しようと身を捩りますが、加燃呪文によって生み出された燃料が体表にまとわりついていて剥がれ落ちません。雄たけびをあげて、オウルウはその竜体を脱ぎ捨てました。荒い息を吐く老人が、炎の中で立ち上がります。その姿はまるでくたびれていて、かつての威容はどこにもありませんでした。

「めちゃくちゃ効いてますね」

「そんなはずは……」

 カナンは自分の齎した戦果に戸惑っています。おそらくはオウルウの負傷が予想以上だったということなのでしょう。竜鱗に覆われていない肉から火炎が侵入し、付着した燃料によって鎮火もできずにオウルウの竜体を蝕み続けた。その結果がカナンの予想を超えた模様。さておき。

「ねえさま。あれが魔物の親玉だよ。あれを殺せばきっと魔物は総崩れだ。そしたらもっとたくさん殺せるよ」

ロバートがはしゃいだ声で言います。ええ、そうですね。私は微笑みました。

「だから殺そう。ねえあのふざけたトカゲをぶち殺そう。行こうねえさま!」

「はい、行きましょう」

 私は傍らのロバートに微笑みかけます。割り込むようにカナンが私の頭を撫でました。水を差された気分になって私は「なんですか」と訊ねました。「……」一方でカナンは自分のしたことに戸惑っているようでした。ひどく儚げな目で私を見たあと「少し冷静になれ」とだけ言いました。でもきっとそんなことを言いたかったのではないのだと思います。

 ともかく私とカナンは覇竜オウルウとの最後の決戦に臨みました。


 臨んだ、つもりでした。


「流星呪文」

 老人の唇が動きました。流星呪文の術式が発動しました。遠い宇宙をたゆたう無数の流星が、この地上の遥か上空に召喚されます。流れ星というのは大抵、大気圏に激突して地上に到達する頃には燃え尽きているのですが、上空に直接召喚されたために損耗をほとんど受けていませんでした。

「あ」

 私の膝から力が抜けました。

 カナンも呆然として空を見ています。

 どうすることもできないことがわかってしまったのです。無限に空を覆い尽くす、大きいものでは直径数キロはありそうな岩石の塊が光の筋となって地表に落ちてきます。いまさらになって大気摩擦で燃え上がりながら、秒速数十キロの速さで殺到。気まぐれに神様が放り投げた石ころ。死神の群れ。

あれは地上のあらゆるものを一挙に破壊するでしょう。舞い上がる粉塵は空を隠し、太陽の光を遮り、地上を長い冬の時代へと、魔族の領域へと変えてしまうでしょう。

なんてことはありません。戦う前から我々は敗北していたのです。

 かつて精霊王ゼミスでさえも滅ぼしたという破滅の魔法が降ってきました。石ころがすべてを破壊していくのをただ見ているだけのことしかできないでしょう。

 ですが、勝手にそんな絶望していたのは、私だけだったのです。


「いやいやいや、クソ魔族の分際で」


 大陸全土から魔法力の光が立ち上りました。どうやったのかはわかりません。きっと世界中の国々を地道に説得したのでしょう。万魔殿の新たな代表となった彼女には、一応そのパイプを使うことができましたから。そして古呪文の専門家である彼女はフィールドワークで世界中のあらゆる国々を訪れていて、現地の魔法使い達との繋がりを持っていました。そして『万魔殿』から『ヒフミンファンクラブ』に名を変えたことにより激増した会員数がそれを可能にしたのです。

ともかくすべての国々のすべての人間が祈りを捧げ、そこから搾り出された魔法力が魔法陣を構築していました。

 ――限界突破呪文。

その魔法力を一手に引き受けたのは、天地雷鳴士と異名を取る序列四位の魔法使い、クロノ=リシュリオンでした。大陸全体を包む魔法陣が立ち上がり、それが超高速で回転します。莫大な魔法力が莫大な電力に変換されていきます。

「人間、舐めんじゃ、ねえええええええええ」

 限界突破・極大邪雷呪文が、無数の流星を斬り裂きました。

 成層圏の彼方まで電撃が突き抜けて、すべての隕石を焼き尽くしました。あとに残っていたのは晴れやかなどこまでも青い空だけ。

 余談ですが、クロノさんはこの呪文のフィードバックによって死ぬことを覚悟したそうです。

 ですが彼女の元に反動として降ってきた雷は、そのすべてが遠い海洋で消え失せていきました。

「……せん、ぱい?」

 極大の魔法力を放ったことで、閉じそうになる意識の中で、クロノさんは自分を見つめる誰かの優しい目を見ました。




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