最後の戦い 3
鋼竜と化したアモンの鱗が黒い魔法力の蛇に削り取られる。ミルファの氷嵐呪文は広範囲にばら撒くような呪文であるがために、ヴァルオンの黒蛇を殺しきるような威力はない。
(とはいえ、子供の体にこの冷気は意外と堪えますね)
ヴァルオンは極大火炎呪文を放った。魔法力によって作られた吹雪が、灼熱の火炎によって解けていく。雨へと変わり、地面に水溜りを作る。火炎に強いアモンの竜体が接近してきたのを蛇の尾が打ち払う。両腕で防いだが、鱗が剥ぎ取られる。
ヴァルオンはレンクウほど綿密には相手の調査を行わない。アモンのこともミルファのことも風の噂で知っていた程度だ。だからミルファと戦うときに「火炎呪文だけは絶対に使ってはいけない」ことを知らなかった。
「あらあらあら、手間が省けたよ」
ミルファの周囲で水が持ち上がった。「!」ヴァルオンが蛇を手元に引き戻す。「流水呪文」研磨剤として砂を含んだ高速流動する水の刃――ウォーターカッターが、ヴァルオンに向けて放たれた。(水の呪文……?!)直線状の物を両断しつつ、ヴァルオンを守るように巻きついた黒蛇の体表を削り、弾けて散る。鋼竜がその向かいで大きく息を吸い込む。地上最大の攻撃であるファイアブレスが放たれようとしていた。
舌打ちしながらヴァルオンは蛇の鱗を掴む。ヴァルオンの体を隠しながら蛇が上昇、ファイアブレスから逃れるべく空中を泳ぐ。水の刃がそれを追って行く。上昇時に揺さぶられたヴァルオンの体が蛇の守護面積からわずかにはみ出て、水刃がその臑から下を切り飛ばす。魔法具を組み合わせて作られたヴァルオンの肉体の硬度は決して低くない。凄まじい切断力だった。
アモンの口からファイアブレスが放たれた。摂氏3000度にも及ぶ煌々とした炎が空を染め上げる。ヴァルオンが炎の軌跡から逃げる。黒蛇の尾を炎が掠める。腹が白く染まり、次に真っ赤に爛れて、黒く焼け落ちる。蛇を消失させたヴァルオンが落下。アモンもまたファイアブレスを維持できなくなり、ぜえぜえと荒い息を吐く。竜の体組織を真似たところで元は人間、摂氏度にして3000度にも及ぶファイアブレスを長く放てばフィードバックで自分の内臓が焼け爛れていく。
落下するヴァルオンを超速度の水刃が追い討ちする。ヴァルオンは魔法力で強化した手足を振って、水刃を払う。が、幾筋も打ち出された水の刃を相殺しきれずに左肩が切断。無数の魔法具の組み合わせによって作られているヴァルオンの体が左腕と右足の臑から下を失ったことでバランスを欠く。統制する魔法力が揺らぐ。舌打ちする。
(本来の肉体であればこの程度の相手――)
「極大海嘯呪文」
ミルファがこの場にある水をすべて掻き集めて、近くの河川を枯らして、天空から雲を構成する水分を地に落として、その呪文を放った。
ミルファの前に大きな水の壁が立ち上がる。それがヴァルオンに向けて一挙に殺到した。地表の何もかもを飲み込んで高波がその場のすべてを塗りつぶしていく。
「この程度の相手」などとんでもない。この絶壁の魔術師、ミルファ=アウローラこそがヒフミやスーライルに次ぎ、天地雷鳴士クロノや賢者カナンの上に立つ、世界三位の魔法使い。魔物との戦いの最前線の一つである北からの侵略を一手に食い止める超級の魔術師だ。
そしてその濁流に乗って、鋭利な角を持つ海竜へとその肉体を変化させたアモンがヴァルオンへと突っ込んでいく。水流にきりもみにされて、土砂や流木による殴打をめちゃくちゃに受けたヴァルオンの小さな体が、アモンの一撃を食い止める手段はなかった。水中で一角竜の姿を認めて、ヴァルオンは覚悟を決める。
(いやはや正直言って想像以上でした。“勇者のパーティ”ですらない相手にここまでやられるとは。……やるほかありませんか)
ヴァルオンの全身が蠕動する。不完全なこの肉体でやれるかどうかは甚だ疑問ではあったが、無理矢理ヴァルオンは自身の“真の姿”を解放した。青い外皮がヴァルオンの肉体を覆う。その皮膚の下で強靭な筋肉が蠢く。黒蛇の尾が生える。それと似た黒い皮膜を持つ翼が生える。「悪魔」というシンプルなイメージに最も近い魔族が、この魔王ヴァルオンだろう。迫り来る一角竜の角を両の腕で掴む。アモンが体内に溜め込んだ水を後方に向けて噴射し加速。押し切ろうとする。水の流れに逆らうヴァルオンと、それに倣うアモン。加えて竜体変化呪文は人間と魔族の膂力差を埋める。アモンの一角がヴァルオンの肉体を突き破った。濁流に赤い血が混じる。「か、はっ」苦鳴に口を開いた拍子にしこたま水を飲む。ようやく極大海嘯呪文の発動が止まり、凄まじい量の水流は指向性を失って散っていく。
ヴァルオンが水の中から身を起こした。肺腑の底まで入り込んだ水を苦しみながら吐く。その尾に、一角の水竜を掴んでいる。
「てこずらせて、くれますねえ」
胸の傷に手を当てて、ヴァルオンは回復呪文を唱えた。表面上が皮膚に覆われて出血が止まる。思い出したかのように尾が水竜を締め上げた。ごきごきごき。と骨の折れる嫌な音がした。竜体変化呪文が解かれ、人間の姿に戻ったアモンは全身の骨が砕かれて絶命していた。
「……」
ミルファの眼差しが絶望で濁る。
いくら彼女が強くとも、前衛の援護なしで魔王級の魔族を相手にできるほどではない。未だげろげろと水を吐いている相手のほうもどうみても万全には見えないものの、それでもなお大きな隔たりがある。
「ミルファ先輩」
ふと少女の声が耳元で聞こえた。
通信呪文による天地雷鳴士クロノの声。自分を超え得るだけの才覚を持つくせに、一人のうのうとこの戦いに参加せず傍観を決め込む小娘。事情を詳しく知らないミルファはクロノのことをそう思っている。
「戦況は?」
「最悪。死にそう」
「助っ人を送ります。離脱してください」
「は? あんたなにいってんの?」
ミルファが顔を顰めたのを無視して、瞬間移動呪文の魔法陣がミルファの目の前に現われた。そこから赤髪の間からぴょこんと猫耳を生やして、両手にナイフを持った獣人の女が現われる。ミルファを振り返る。
「というわけで、この戦いはアルトゥが引き継いだよ。おばさん、帰っていいよお」
「な」
頬が引き攣る。助っ人と称して魔族を送ってきたクロノに内心で呆れる。自分に襲い掛かってくるのではないかとミルファは一瞬身構えたが、アルトゥはたしかに自分を無視してヴァルオンのほうに向かっている。
「あなたも大概しつこいですねえ」
「ん。暇人は敵に回すと恐ろしいのだ」
にっこりと笑ったアルトゥがその“真の姿”を解放した。人間に似ていたアルトゥの姿が、完全な獣のそれと化す。全身が赤茶けた体毛に覆われ、頭部には大きな巻き角が生える。手足に生える巨大な爪は、もうナイフのような貧弱な武器を必要としていなかった。アルトゥはどちらかと言えば母方の影響を強く受けている。アルトゥの母はしなやかで流動的な魔法力を持つ、呪文の素養の高いバフォメットの魔物だ。アルトゥは獣系上級魔族同士の間に生まれたサラブレッドだった。呪文、肉体、その両方の素質を受け継いだ異彩の魔物。
傍でその異様を見ていたミルファは少なくともいまこれを相手にする必要がなくてよかったと強く思った。いまはまだ魔王級には及ばないだろうが、少なくともそれに匹敵する潜在能力を持っている。
対してヴァルオンは、魔王級の魔族でこそあるもののその力はまだ不完全。アモンの一撃で軽くない傷を負っている。
(逃がして、は、くれないでしょうねえ)
決着は一瞬で着いた。
離脱する隙を探そうとヴァルオンは視線を周囲に走らせた。それは本来、隙というほどの隙ではなかったが、アルトゥがその一瞬で地面を蹴って強襲。ベースが雌獅子の魔物であるアルトゥは敏捷性に特化している。ヴァルオンが尾でアルトゥの爪を受ける。翼で振り払おうとするのを逆の手で引き裂く。首筋に向けて口が開く。獅子の鋭利な牙が頚動脈に触れる。そこまで近づけてから「極大火炎呪文」ヴァルオンが火炎で迎撃。破格の敏捷性を誇るアルトゥであってもこれだけ近ければ、そして攻撃態勢に入っているがために避けきれない。これだけ近距離であればヴァルオン自身も火炎の影響は避けられなかったが、やむを得なかった。
「極大旋風呪文」
アルトゥは圧縮空気を身にまとって、それを後方噴射した。超加速したアルトゥの遥か後ろで火炎が爆発する。(これは、あの刺青女の……!?)頚動脈に食いつく顎に力が篭る。ヴァルオンは咄嗟に獅子の喉を掴もうとした。膂力の勝負ならばヴァルオンにも分がある。
「流水呪文」
しかしミルファが放った水の刃が、伸ばした腕を切り飛ばした。腕の断面から。そして食いちぎられた首から血が噴き出る。「か、かいふく……」呪文を唱える隙は与えられなかった。再び圧縮空気の噴射によって加速したアルトゥの爪がヴァルオンの頭部を吹き飛ばした。内部の魔法具に致命的な損傷を与えた。
アルトゥは食いちぎった首の肉を一噛みして、顔を顰めた。ぺっ、と吐き出す。「うげぇ。まっずう」本来、魔法力を味として感じる機能を持つ魔族の舌は同族の肉を美味だと感じる。しかしアルトゥの舌はそうではなかった。
ごろごろと転がったヴァルオンの頭部が水溜りの中を跳ね回って、泥まみれになって止まった。




