決戦の日まで 4
カナンはいろんな場所に私を引きずりまわしました。
山に覆われたドルクインの城。雲よりもわずかに低い標高に位置するそこから見渡す世界の広大さ、美しさは私の心を奪いました。しばらく眺めたあとで、カナンが私を城の中へと導きました。そこは主が長い間留守にしているために、すっかり緑の蔦に覆われて古びていました。なにもかもが通常の城よりも二周りほど大きく作られていて、私はきょろきょろとあたりを見渡します。「竜の王女の城だ」とカナンが言いました。
「竜の王女?」
「遥か昔の話になるが、ドラゴンというのはモンスターの一種とは数えられていなかったのだ。彼らは精霊に近しい存在として崇められていた。契約によって人間に手を貸すこともあった」
「どうして敵になってしまったんですか」
「密漁が原因だ」
「……」
「ドラゴンに薬を盛り、眠らせて、殺して、鱗と肉を売りさばいた人間が少なくない数いたのだ。当然ドラゴン達は激怒した。人に反旗を翻し、人の領域を去って行った」
「愚かな人々ですね」
「まったくだ。敬意を表すべき盟友に手をかけて、その信頼を失ってしまった。そうした過去の積み重ねの結果、現在の我々には我々自身と勇者しか頼みとするものがない」
呆れて言ったくせにカナンはすぐに「だがね、それでも彼らだけを愚かと断じるのは間違っているのだよ」と付け足しました。
「どうして?」
「ドラゴンの鱗と肉を売りさばいたのは、当時の貧困層の中でもどん底にいた人間だ。わかるかね。飢えと渇きから脱却するためなら人間はなんだってやるのだよ」
「そうですか」
「そして彼らには貧困から自力で脱出する手段はなかった。当時は教育水準が低く、学校教育など夢のまた夢のような話だった。女は体を売るしかなく、男は低い賃金で辛い肉体労働を行うしかなかった。病が蔓延し、それらの最下層の人々は薬を買う金もなく死んでいった。竜の鱗と肉というのは彼らにとっては振って沸いたチャンスだったのだろうな」
「……」
「なにをするにも貧困を取り除く必要がある、と、こいつが考え始めて作り上げたのが現在の教育課程の原形だよ」
カナンがとんとんと自分の額を叩きました。賢者のことを言っているのでしょう。
「……学校教育の創設者?」
「ということになるのだろうな」
控えめに言って偉人ですね、それ。
私は「賢者」について悪印象を持っていました。寿命という神の定めた摂理から逃れようとしたもの。魂を玩弄し擬似勇者を作り出すという私の宗教観からすれば許しがたい愚行。ですが、いいこともちゃんとしていたんですね。……当然ですか。人には二面性があります。善い面と悪い面。切り離すことはできないのです。戦いを喜ぶ私の影に、戦いに怯える私がいたように。
日の傾きが変わったのでしょうか。ステンドグラスから差し込む鮮やかな陽光が私を照らしました。
「かつてこの光は天界に通じていると言われていたのだが、真偽はどうだったのだろうな」
「……通じてたんじゃないですか」
この光の中にいると、なんとなくそんな気がしました。
いえ、あと一歩踏み出せば吸い込まれそうな感触があったのです。
「意外にロマンチストなのだな」
カナンがからかうような口調で言いました。
「もう」
私は頬を膨らませます。
それがおかしかったのかカナンはけらけらと笑い出しました。
いつものように蹴っ飛ばそうとして、やっぱりやめておくことにしました。
決戦の前に仲違いするような真似をすることもないでしょう。
「一説によると天界への道を封じたのはゾルアだと言われている。勇者のパーティがあれを倒したいまとなっては、再び道が開いているやもしれんな」
「……いい加減にしないと怒りますよ」
私は光の中から抜け出しました。
「場所を変えようか」
「まだどこかへ行くんですか」
「ああ、せっかくだからもっとこの世界を君に紹介しよう」
再びの瞬間移動呪文によって、私とカナンはアイスラムトにある聖域へとやっときました。そこには小さな祠があります。周りは雪に埋もれているにも関わらず、その祠の周囲だけは暖かい不思議な魔法力に守られていました。なかにはいると周囲の寒さからは想像もつかないやわらかな空気が私たちを包みます。
六つの台座、それから中央には虹色に輝く大きな球体が置いてあります。
はて、なんでしょう。
カナンがそれを指差して「ラ・ルミアの卵だ」と言いました。
「はい? これが?」
「ああ」
「ここ、魔物が入ってきて割ったりしないんですか」
「聖域というのは魔物が易々と踏み込める地ではないのだよ。ここは魔物にとって、さらには心悪しき人間にとって存在しない場所なのだ。つまりここに立ち入れただけでも、君の心はそれなりに清純だったと判断されたということだな」
「はぁ」
正直言って自分が清純だとか言われてもいまいちピンと来ません。
私の全身は魔物の返り血で汚れています。肌は戦いのために入れた刺青によって荒れていて、それはいわゆる女性らしい清純さとはかけ離れたものです。私とて年頃の女です。その清純さにまったく興味を持っていないわけではありませんでした。ですが時代がそれを許さなかったのです。王家に魔物と戦う力を。勇者が死してなお、魔物に立ち向かう旗印を。
「はぁ」
私はもう一度ため息を吐きました。あのエロジジイ、カザナギ=フーメイへの弟子入りを拒んでいれば私にはどんな人生が待っていたのでしょうか。この刺青と魔物の血によって穢れた体がなければ私の生きる道は。……ああいえ、すぐに想像がついてしまいました。そうであれば私はロバートと共にあの日、あの時、魔物に食い殺されていたでしょう。そのほうが幸せだったのか、いまのほうがまだましだったのかはわかりませんでしたが。
「触れてみるかね?」
カナンが卵を指差しました。
私は気のない返事をしました。手を伸ばし、虹色に輝くラ・ルミアの卵に触れます。と、途端に私の意識は光に包まれました。心地いい浮遊感が私を満たします。くいくい、と私は下から服を引かれました。簡素な布を被った虹色の少女が私を見上げていました。パクパクと口を動かしますが、音になっていないようで私の耳には届きません。私は注意深く彼女の唇を見ました。
「ダ・メ・だ・よ……?」
でしょうか?
いつのまにか少女の幻は消え去り、私は元の雪原の中の祠にいました。カナンが「どうかしたのかね」と私の顔を覗きこみます。もう一度卵に触れてみますが、暖かい感触を返してくるだけ。
「いえ、いま女の子が……」
「女の子? ああ、ラ・ルミアの幼体はそんな姿をしているそうだね。わたしは見たことがないが。機嫌がいいときはそのへんを走り回っているのをみたというやつがいたな」
「そうなのですか」
機嫌ですか。なんていうか、ルミアというのは結構いい加減なものなのですね。
ふとルミアに関して、積年の謎とされていたことをこの賢者ならば知っているのではないかと思いました。
「ねえ、カナン」
「なんだね」
「ルミアについてなのですが、
ア・ルミアは聖なるあなたの魂。――勇者。
カ・ルミアは気高いあなたの心臓。――魔王オウルウにかけられた呪い。
サ・ルミアは射すくめるあなたの瞳。――魔を払う光玉。
タ・ルミアは力強いあなたの腕。――双剣と言われていますね。
ナ・ルミアは世界を支えるあなたの背骨。――世界樹。
ハ・ルミアは人を守るあなたの皮膚。――鎧でしたっけ。
マ・ルミアは魔物寄せ付けぬあなたの足跡。――光の国のある聖域。
ラ・ルミアは大空を翔るあなたの翼。――不死鳥。
王家には八つのこの伝承しか伝わっていません。
九つに分かたれた最後の一つ、『ヤ・ルミア』とはいったいなんなのですか」
カナンは少し考えました。それから困った顔で「本当に聞きたいかね?」と言いました。
「む。わりと軽い気持ちで訊いたのですが」
「それを誰かに伝えることは、それを知るものの禁ではあるのだよ。私を含めて数人の人間しか知らない」
「……なんかそう言われると余計に気にはなりますね」
もう少し考えてから「まあいいだろう。ただし口外は無用だ」と言います。私は頷きます。
「ヤ・ルミアは呪い吐くルミアの舌、『言葉』と言い換えてもいいかな」
「言葉?」
一瞬、想像がつきませんでした。ルミアの舌、言葉、それはいったいなにを示すものなのでしょうか。分かたれたルミアの多くは魔族に対抗するための武器となるものです。現在の人間の使う魔族に対抗する武器で、言葉。
「……呪文、ですか? 人間に魔法力を与えたのはルミアだということですか?」
「君は妙に察しのいいところがあるな。その通りだ」
「え、でも、待ってください。元々魔族が人間を襲い始めたのは、魔法力を味として感じる彼らの舌が人の魔法力を美味だと感じるからだと……」
「それもその通りだ。魔族と人間がいまのような明確に敵対関係になったのは、ルミアの死から後の話だ。だからこそヤ・ルミアの正体は人間に対しては秘されている」
「では、ルミアはある意味諸悪の根源ということですか?」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言えるな。だって呪文がなければ我々は魔族にまったく抗し得なかっただろう? 抗し得ないということはどうなるのか。答えは君も知っているだろう」
「……」
支配されていた。奴隷のように扱われていた可能性が高いですね。誇りも尊厳もなく。我々人間はただ魔族に諂い、機嫌を損ねれば殺されるような、犬畜生にも劣る存在としてあったことでしょう。
呪文の力がなければ、魔族に対してまったく戦うことができません。比較的呪文の恩恵の少ないといわれている戦士でさえ、硬化呪文や加速呪文、加撃呪文による加護は必須なのです。
「はぁ」
そうだったのですか。
そうだったのですね。
なんかしっくりきたような、そうでもないような不思議な気分でした。
不意に冷たい空気が祠のなかに流れ込んできました。
「風が出てきたな。ここに影響は少ないが、吹雪く前に戻ろうか」
「はい」
私はカナンの手を取りました。
そうしてもう二箇所ほどのカナンの知るこの世界の美しい場所を回りました。
高い塔の雲間から大地を見ました。
水平線に浮かぶ夕日を見ました。
私はカナンが「戦うのはやめないか」と幾度か言いかけて、それを飲み込むのがわかりました。もしもその言葉が吐き出されていたら、私はどうしていたのでしょう? 今度こそ幻想のロバートの手を振り捨てて、現実のカナンの手を取ったのでしょうか。そして年頃の少女のように彼に甘え、彼の胸に抱かれたのでしょうか。わかりませんでした。
ですが結局カナンはそれを口に出しませんでした。
私もそれを感じていながら何も言いませんでした。
そうして私とカナンは部屋に戻り、一日を回復にあてました。
すべての準備が整い、決戦の日がやってきました。




