邪神降誕 6
カナンとヨヨが出て行ってから少しあとのことだった。
エルピスト商会に一人の客が訪れた。赤髪の若い女性。半袖のシャツとショートパンツからしなやかな肉が露出している。
「おっじゃまっしまーす」
高い声が告げる。
「はいはい、いらっしゃいま、」
それの顔を認めて、奥から顔を出したヴィストが凍り付いた。
「やあ邪神礼拝士ヴィスト。お前を殺しにきたよ!」
赤髪の若い娘――アルトゥが肉食獣の笑みを見せる。興奮に震えて自らを抱くように両手を交差して腰に回し、二本のナイフを抜く。「賊です。殺しなさい」とヴィストが商店の護衛に向けて冷たい声を出し、自分は退こうとした。護衛が「はい」と答え、屋内戦に向いた短槍で、ヴィストの背中を突いた。槍の穂先が心臓の位置を正確に射抜く。
「な」
「あんたには懲り懲りだ」
男が火炎呪文を唱えた。ヴィストの全身に火がつく、が、大した威力ではなかった。ヴィストが魔法力を放出すると火炎が吹き飛ぶ。ヴィストは身体を半回転させて、男に肘を見舞おうとした。男は半歩下がって肘を回避。続くヴィストの爆裂呪文を、手近な盾を手繰り寄せて防ぐ。「言われたとーりか。心臓ぶち抜かれても死なないんですねえこいつ」冷たい目がヴィストを見る。「魔族だからねー」とアルトゥが間延びした声で答えた。同時に軽業師のように飛んで、棚の上に着地した。目にも止まらぬ速さだった。口の端に髪の毛を咥えている。髪の下に繋がっているのは、ヴィストの首。首が切り離された胴体が倒れる。
「核があるのは頭があやひいかな?」
驚いた顔でアルトゥを見たその頭部にナイフをぶち込む。皮肉げに歪んだ口元が「はずれです」といった。首のない身体が跳ね上がり、店の出口へと向かう。あと半歩で外に出る、というところでヴィストの身体は足を引っ掛けられて転倒した。ヴィストが護衛に雇っていて、今日は非番のはずの男が武器を持って立っている。手にしているハンマーで腹を叩く。
「参りましたね、どうやって彼らを?」
アルトゥの手の中にある首だけのヴィストが訊ねた。
「パパは滅ぼした国が持ってた金銀財宝を溜め込んでたんだ。それを使ってあなたが払ってる額の十倍のお金を渡したら、あなたの護衛はみんな裏切ってくれたよ。ヴィストって人徳ないね?」
「なるほど」
ヴィストが胴体に新たに口を作り、火炎呪文を放とうとした。アルトゥがその口の中にナイフを投擲する。舌を貫かれて唱えきることができずに呪文が消失。男が手にしたハンマーが虱潰しにヴィストの身体を砕く。(これは、負けますね)三対一。護衛二人はヴィスト自身が選んだなかなかの手錬れだ。そしてなによりアルトゥ。速さに特化している猫の獣人。まだ全力を振るってはいないがおそらくは上級魔族に匹敵する能力を持っている。
「やれやれ、まだ少し早かったのですが、これではやむを得ませんか」
ハンマーが踵に移動させていたヴィストの核を叩き潰した。ヴィストの肉体が結合を失って溶けていき、ただの泥へと変わる。アルトゥが核を確認しようと、遺体の傍に屈みこむ。
「……これ」
半分に割れていて、ハンマーで叩き潰されたために全体に皹の入っている核を指先でつまみとる。球形で掌に納まる程度の大きさだ。
正確にはそれはマッドマンの核ではなかった。単なるオーブだ。魔法式が無数に描かれている。レンクウに踏み割られて大部分が機能不全を起こしていた。ヴィストの正体は“遠隔操作で動かせる作られたマッドマン”、ではこれを動かしていた本体は? 「荷物」「はい?」「こいつってなんか荷物持ってない? 人に絶対触らせないようなやつ。移動するときには持ち歩いて、そうでないときは金庫にでも放り込んでるもの」「ああ、なんかそんなやつがありましたね」「案内して」早口で捲くし立てたのと、おぞましい魔法力がエルピスト商会の商店を埋め尽くしたのが同時だった。強すぎる魔法力に当てられて男二人が泡を噴いて倒れこんだ。オウルウに匹敵する魔法力。店の奥から小さな子供が顔を出した。髪も瞳も吸い込まれそうな黒に包まれた少年だった。皮膚の下が歪な光を放っている。
「もう少しヴィストとして遊んで居たかったのですが、いやはや残念です」
少年の大きな瞳がアルトゥを見た。
「自己紹介くらいしておきましょうか。ヴァルオンと申します。邪神です。以後お見知りおきを」
こいつの正体は彼自身が礼拝するとか言われていた邪神そのもの。
正体は二代勇者とその仲間達が激闘の末に封印したといわれている破壊の神。
「やれやれ、もう少し時間と資金があればまともな姿で復元できたものを」
ヴァルオンが嘆息する。彼の肉体の大部分は魔法具で構成されている。無数の魔法具が皮膚の下で蠢いている。エルピスト商会の利益の大半を注ぎ込んで買い集めていた物だ。無論、人間が作ったものである。魔法力そのものは魔族のほうが高いが、呪文の周辺技術においては力任せの魔族よりも、魔族に対抗しようと研究を続けてきた人間のほうが高かった。金に任せてヴィストはその技術をかき集めた。そうして封印されていた自分の体と組み合わせて新たな肉体を組み上げたのだ。完成は間近だった。ヴァルオンを封印した忌々しい“犬女”の力を弱めることに成功していた。彼の主要な資金源であるアレキサンドラがレンクウの手にかからなければ、既に完成していたかもしれない。完成さえすればヴァルオンはこの肉体に全盛期のそれさえ越える可能性を感じていたのに。
「まったくうまくいかないものです」
アルトゥが飛び掛った。猫科の特徴を持つ獣人であるアルトゥは跳躍力と速力に優れている。加えて無数に足場のある狭い屋内はその跳躍力を生かすことに適している。屋内戦は本来アルトゥの独壇場だった。壁を蹴って立体的に動き、一瞬でヴァルオンの背後に到達したアルトゥが短剣でヴァルオンの首を薙いだ。ぐきん。と硬質な音がした。黒い魔法力が壁となって短剣を防いでいる。「っ……」ヴァルオンが手を翳す。アルトゥが床を蹴って跳躍。黒い魔法力がそのまま放たれて商店の壁を大きく破壊した。破壊から逃れたアルトゥは一旦距離をとった。自分を攻撃したなにかの全容を見る。
ヴァルオンの周囲に黒い魔法力がまきついている。蛇の形をしている。正体は闇刻結界の亜種である。物理的な破壊力を持つほどの超々高密度の魔法力の塊だ。それを再度アルトゥに向けて放ちかけて、ヴァルオンは舌打ちした。足音が迫っている。賢者カナンが彼の魔法力を嗅ぎつけて戻ってこようとしている。邪神として復活したいまとなっては、あの程度の相手に負けるとは毛頭思わないが、時間を稼がれてこの国の騎士団を丸ごと相手にするのはまだ避けたかった。
「背中を刺されて死ぬ、ですか。ほんとうにそうなってしまいましたねえ」
ヴァルオンは手足の伸び切ってすらいないこの身体を眺める。本来の彼の肉体は覇竜たるオウルウにも劣らないものだ、が、この身体は見た目通りのもので到底そこまでの威力はない。魔法具によって無理矢理繋いだだけの肉体なので“真の姿”の解放もできるかあやしい。結局戻ったのは全盛期の三分の二ほどの魔法力だけ。並みの人間や上級魔族を圧倒するには充分だが、勇者級の敵を相手にするには心もとない。無論それでも“邪神礼拝士ヴィスト”に比べれば遥かに強力ではあるが。
ヴァルオンは短い手足で黒蛇によじ登った。蛇はまた飛び掛ろうとしたアルトゥを一薙ぎして吹き飛ばし、ついでに周囲の物資を回収してから一挙に易の国の上空にまで伸びる。眼下に駆けつけてきた賢者の姿を見つける。
「カナン、あなたの話は実におもしろかった。ごきげんよう、またどこかで会いましょう。その日を楽しみにしていますよ」
笑みを向ける。
あちらは引き攣った表情で呪文を構えている。
ヴァルオンの乗った魔法力の蛇は空中を泳いで、黒の大地のほうへと去っていった。




