千獣王 13
クロノさんが死んでいました。暗い目をして、内臓をぶちまけて、一面を血のどす黒い赤色に染めています。見渡すとスーライルが死んでいました。白髪を血で染めて、いつも調子よく喋る舌がだらりと伸びていました。死体、死体、死体。一面の死体の中で私は立ち尽くします。水色の髪の毛が揺れて、私はそれを抱き起こそうと手を伸ばしました。
「お前のせいでみな死んだのだ」
蝿と蛆の集る暗い眼窩で私を睨みつけ、口の奥から呪いの声が絞り出されました。
……という夢を見ました。
見回すとどうやら城壁の上の模様。兵士達が弓を絞っていました。
カナンが「きみもまた悪い時に目覚めたものだな」と言いました。少なくともさきほどの夢がまだ現実となっていないことに、私は安堵します。
「というと?」
私は下を覗き込みました。城壁のすぐ近くまで魔物が迫っています。兵士さんたちは奮戦していますが、ウォーパンサーの突撃力。呪文さえ扱う獣人達の対応力。大蛇や虫魔物の特殊能力を前に次々にやられていきます。敵軍の後方にはドラゴンの頭が見えました。行軍速度の遅い泥魔物などが押し寄せています。
人側の不利をダメ押ししたのが天馬の存在。空からの攻撃に対して人間は抗う術を持ちませんでした。クロノさんが一人で奮戦したところで大した意味はないのです。
特別な修行を重ねたのでなければ、人間は一対一の戦いでは魔物に敵いません。だからこそ人は集団での戦闘術を磨いてきました。ですが今度の戦いでは敵が集団での戦闘術を使って襲ってくるのです。元々個の力の高い魔物達が連携を駆使した際の恐ろしさは目に瞠るものがありました。
「これもう負けてるんじゃないですか」
数時間もすれば拳の国のときのように城壁を越えて街の中に魔物が溢れるでしょう。
そうなればあとはいかに素早く他国に亡命するかです。が、決戦の期日を経たいまとなっては瞬間移動呪文が再び封じられています。逃げることも満足にできないでしょう。
「いいや、まだなのだよ」
私にはここから逆転の目があるとは思えませんでした。
あくびをしながらのんびりと階段を登ってくる人間がいました。この緊迫した状況でそんな呑気な真似をしていられる人間は、無論スーライルでした。
「やあカナン。元気かい?」
「来たならさっさと働け阿呆」
「うーわーいまのでやる気なくなった。どーしよーかなー」
嘯きながら城壁の端まで行って、下の状況を見ます。
「うん、いい感じに死んでるね。じゃあそろそろはじめようか」
スーライルは腰のベルトからナイフを抜き、自分の指先をわずかに切りました。下に向けて血が滴り落ちていきます。なにをしているのでしょう? 落ちていく血の行方を追うと、地面に触れて、魔法力を帯びた血液がじわりと広がって半径6メルトル前後を黒く染め上げました。
「死者蘇生呪文」
彼が呟くと、黒く染め上がった地面から人間の腕が這い出しました。淵に掴まって自分の体を引き上げます。もう片方の手には剣が握られています。それが幾体も黒い沼の中から湧き上がってきます。「ぅぅぅぅ」低い唸り声をあげて、それらの群れが魔物達に襲い掛かりました。それの動きは緩慢でした。敏捷性に優れたウォーパンサーが先制してそれの喉を食い破ります。爪が心筋を引き裂きます。致命傷でした。が、意にも介さずにそれはパンサーの背を、自分ごと剣で貫きました。背中から切っ先が突き出ています。剣を抜きとウォーパンサーがずるりと落ちました。死にました。ですが死沼から起き上がった兵士はなにごともなかったかのように次の敵を求めて再び歩き出します。背中の傷からは桃色の筋肉が覗いていました。そこからどろりと血が流れて、彼らの足元からさらに沼が広がっていきます。さきほどのウォーパンサーや、戦死した人間や獣人の持っていた武器と防具、それから死体が沼に引きずり込まれていきます。そして再びそれが湧き上がってきたときには、スーライルの黒い魔法力に染まった死体人形と化していました。
“死体人形士”スーライル。
聞いたところによると正確なジョブは僧侶だそうです。
また禍々しい僧侶もいたものですね。
「きょ、教会に知られたら異端審問官が山のように送られてきそうな呪文ですね……」
「二十人くらいは返り討ちにしたっけ?」
「わたしが知るだけで五十人は越えていたはずだが」
「えーそんなにいたっけ。まあ最後はボクを殺せる戦力はないけど出頭しろーって言ってきてあれ笑えたよね」
「笑っていたのはお前だけだったがな」
至極真面目な声色でカナンが言います。
「貴様のせいでニナの一門全員が罪状を問われかけた。ウルゼンが尽力しなければ我々は牢の中だったかもしれん」
「ああ、そんなこともあったかなぁ」
スーライルが目を逸らします。
それから不意に空に視線を向けます。その先には戦場を切り裂く天馬の群れ。百頭前後という私の見込みは甘かったようです。二百、いえ、三百はいるでしょうか。
「あー、カナン、天馬を落として。やれるよね」
「ああ」
カナンは手を振り上げました。
地上に描かれた魔法陣と、もう一つ、天高くに浮かぶ魔法陣がカナンの魔法力に呼応。
「私のこれは一発きりだぞ。逃すなよ」
「誰に言ってるのさ」
スーライルが手を上げると、死体達が長槍を拾い上げ、真上に向けて突き上げるように掲げました。
「いいよ」
合図と同時に「空圧呪文」とカナンが唱えます。天空から地上の魔法陣に向かって降り注いだ魔法力が、摩擦によって上空の空気をしこたま連れてきます。それによって生まれた超強力な下降気流が天馬達の上に圧し掛かりました。そして天馬が叩き落とされた先には長槍を構えた死体達。串刺しになって天馬の群れが死にます。ヴィストを倒した時よりも範囲を広めにとっているからか、地上にはまではさほど影響が出ていない模様。撃ち落された天馬は地上の兵士達に嬲り殺されていきます。そして死沼に沈んでいきました。
「クロノちゃんは?」
スーライルが目を擦って目脂を払いました。
「……呼びましたか」
ほとんど単独で天馬を倒し続けていたクロノさんが、不満げな目つきでカナンを見ていました。あんなことができるなら早くやれよと言いたげ。ですが、やったところでスーライルによって下を制圧していなければ撃ち落した天馬を殺すことができずに充分な効果は得られなかったのでしょう。クロノさんもそれがわかっていたので直接文句は言いませんでした。
「魔法力の残量は」
「ちょっと使いましたけど大丈夫です」
「君が鍵なんだから無茶しないでよ」
「あたしがいなくてもスーライルがいればなんとかなるでしょう」
「まあそうかもね。あっはっは」
実際スーライルの呪文は圧倒的でした。死者蘇生呪文。死んだ兵士達が、はたまた倒した魔物達が、スーライルの操り人形となって蘇ってきます。
下はすでにほとんど地獄でした。
魔物達は必死に抵抗しますが、死体が死体を増やし、それが加速度的に連鎖していきます。ついには黒い魔法力に染まったウォーパンサーや獣人の群れまでもがスーライルの支配化にあります。
スーライルは多対多数戦において絶対的な力を誇る、と以前カナンが言っていた意味がよくわかりました。「戦闘」ならばともかく「戦争」においてこれより強力な呪文は存在しないでしょう。
「どういう原理の呪文なんですか、あれ」
「人間の体は脳みそからの電気の刺激による命令で動いてるんだ。だから脳みそが直接破壊されるか、脳みそに栄養素を送る血が止まるか、濁るか、足りなくなれば、脳みそが機能しなくなって死ぬ。それが“死体”だ。だったら魔法力で脳みそのようなものを作ってそこから命令を与えてやれば死体だろうが動かせるだろう? それがボクの呪文だよ」
気だるそうにあくびをしながらスーライルが答えてくれました。
……ぶっちゃけよくわかりませんでしたがつまりなんかすごい呪文なんですね。
死者の行進が魔物の群れを飲み込もうとしていました。レンクウは自分を殿にして軍勢を下げます。さきほどまではいつ突破されてもおかしくなかったような城壁は、死者の群れに囲まれて堅く守られていました。
しかしたった一人の魔法使いの力でこうも戦局が変わるのですか。
「ボクの魔法力が切れるまではこっちが勝ってるだろうけど、問題はその先だね」
「ではいまこの優位を築けている間に」
「うん、レンクウを殺そう」




