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勿忘草   作者: 葉方萌生
3/13

3. 揺らぎ

「おはよう、時衣」

 あれからさらに一週間が過ぎ、俺たちは名前で呼び合うようになった。平日もできるだけ早起きをして一度病院に寄ってから学校に行くようにしている。

「凉、おはよう」

 時衣は命の危険にさらされているなど感じさせず、明るく振舞っていた。でも、その気丈な振舞いに無理をしているのではないかと俺は心配になった。

「いつもごめんね。毎日来てくれなくてもいいのよ」

 以前よりずっと素直な話し方になった時衣は、前より感じも良くなったと思う。

「そういう時は、来てくれてありがとうって言えよ」

 俺はわざとらしくそう言った。すると時衣は顔を赤く染め、ボソリと呟く。

「…ありがと」

 まさか素直にそう言われるとは思っていなかった俺は、逆に恥ずかしくなってしまう。

「と、とりあえずもう行くわ!じゃ、じゃあな!!」

 赤くなった顔を彼女に見られたくなくて、その場を立ち去ろうとした。

「あ、凉!」

 時衣が俺を呼び止めた。俺は病室の扉に手をかけていたのを話して振り返る。

「いってらっしゃい」

 美しく微笑む彼女の淡い表情が胸に深く刻み込まれた。


「なぁ、白状しろ神崎。お前さぁ、時衣ちゃんと付き合ってるだろう?」

 同じクラスで、サッカー部の友人でもある尾木智輝が昼休みに妙なことを言い出した。お茶を飲んでいる最中だった俺は、それを吹き出してしまう。

「!!お、お前何言って…!」

 しかもなぜ”時衣ちゃん”なんて親しげに呼んでるんだよ!

 内心そうツッコミながら拳を握った。

「お前な~、時衣ちゃんに手を出したらダメだぞ。何しろあんだけ美人なんだからなぁ、男子全員を敵に回すようなものだぞ」

 尾木は夢見がちな女の子のように語っていた。

 結局どうしたいんだ、こいつ。

「で、付き合ってんの?」

 彼は俺に顔を近づけて再び問いかけてきた。俺はそんな尾木から距離をとり、そっぽを向き頬杖をつきながら答えた。

「だったら何だ」

 その途端、尾木はニヤリとし、また質問してきた。

「へぇ~やっぱりな。んで、どこまで進展したんだ?デート行ったのかぁ~?」

 彼がおかしそうにふざけて言ったので、俺の頭の中は怒りで熱くなった。

 デートなんか行けるわけないだろ…、勝手なことばっか言いやがって。

 俺は机をバンッと両手でたたいて言った。

「うるせーっ。適当なこと言うなっ!お前には関係ないだろうっ!!」

 そうだ、関係ないじゃないかっ…。

 俺が誰と付き合おうと、彼女がもうすぐ死んでしまうとしても…!!

「お、おい、どうしたんだ……」

 俺の表情が殺気立っていたせいだろう、尾木が慌てた様子でそう訊いてきた。

無理もない。だって彼にしては高校生のよくあるノリで訊いたことなのに、俺がまともにその言葉を受け取って逆切れしたのだから。

 それに、俺以外の誰も彼女の病気のことを知らない。担任の佐々木先生も、彼女の欠席を「家の事情」とはぐらかしている。もちろん生徒の中には彼女の欠席が本当は「家の事情」なんかじゃないのではないか、と薄々気がついている人もいるだろうが、まさか彼女が余命宣告を受けているなんて誰も思ってもないだろう。

 そう、だからここで怒っている俺がおかしいのだ。落ち着け、冷静になれ…。

「…すまん…もうほっといてくれ…」

「神崎…?」


 どうしたんだ俺…。

 前はこんなことなかったのに。時衣のことを考えるだけで胸がチクチクと痛み、息が苦しくなる。

 あいつのこと…好きなんかじゃなかったのに…。

 今はなぜだか、とても苦しいんだ…。


 いってらっしゃい、凉。


 時衣…。

 お前はあと2週間で本当に消えてしまうのか…?

 そうしたら俺は2週間前に戻って、また部活や勉強を一心不乱にやるだけの毎日を送るのだろうか。以前と変わらぬ毎日の中で、もう成績が2位になることもなく、トップでい続けるだろうか。

 そうしていつか、お前の顔も、声も、微笑みも、ぶっきらぼうな話し方も、全て忘れていくんだろうな…。

「俺…どうすればいいんだ…」

 病院へと続く道の中で、時衣のことをずっと考えていた。


 ガラッ――

 扉を開けると、時衣はいつものように窓の外を眺めていた。相変わらず整った綺麗な横顔だけがこちらから見えた。

 彼女は俺が入ってきたのに気づいて、その美しい顔を俺の方に向けた。

「おかえりなさい」

 時衣はもうぶっきらぼうな話し方ではなく、自然な声で出迎えてくれた。

「…ただいま。調子はどうだ?」

 うん、まあまあかな、と彼女は言った。

 このところ、余命の割には調子が良くて、あと2週間でいなくなるなんて、とても考えられない。余命は彼女が俺をつなぎとめるために言った口実で、本当はそんなの全然なくて半年後も一年後も、けろりとした顔で教室にいるんじゃないかって。

 だけど、鼻をつく薬品の匂いが、俺に現実を突きつけているようだった。

「凉、こっちに来て」

 時衣が手をこまねいて微笑む。

 もう日は暮れかけて、夕方のあらゆる光が無機質な部屋に色を置いてゆく。

 彼女の白い肌が真っ赤に染まり、茜色に溶け込む。

「今日は学校どうでした?」

 彼女はにこにことしながら、わざとらしく敬語でそう訊いてきた。俺は彼女の顔を直視できず、彼女から視線を反らして答える。

「まあ普通だよ」

 こんな当たり前で日常的な会話をしているだけなのに、何か悲しい特別さを感じた。彼女の瞳は依然として澄んでいて、自分の隣に死があることを感じさせない光を宿していた。

 それから二人で病室から外の世界を見ていた。時衣はこの病室から、こうやって外の世界を眺めることしかできない。毎日俺が学校に行っている間は、ずっとそうしているのだろう。

「ねぇ」

 窓の外を眺めていた時衣が、俺の方に向き直り、透き通るような声で言った。

「私、海に行きたい」

 しんと静まり返った病室に、彼女の台詞は浮きだって聞こえた。俺にはその願いが、彼女の最期の願いのように聞こえてならなかった。

 彼女の命はいつ絶えてしまうか分からない。今日かもしれない。明日かもしれない。それがいつかなのかは不確かだ。けれどもう長くないことだけは確かで、

それだけは変わらなかった。

「海か…」

 できるなら、彼女の願いを叶えてあげたい。彼女のたった一つの望みを叶えてあげられるのは、自分しかいないのだから…。

「だめ…かな」

「いや、いいよ。行こう、海に。俺が連れてってやるよ」

 俺の言葉を聞いた彼女は、瞳を輝かせて「うん!」と頷いた。

 その笑顔があまりに綺麗で、この娘を守りたいと思った。


 つづく

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