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勿忘草   作者: 葉方萌生
1/13

1. 桜田時衣

「ねぇ、私と付き合わない?」

 凛とした声でそう言われた俺は、無意識のうちに頷いていた。


 俺、神崎凉が通う私立風流学院は、いわゆる世間で言う”秀才”が集まる名門校だ。しかも、私立というだけあって、そこらの貴族階級の奴らがわんさか盛り込まれている。要するに、ここに通う生徒のほとんどは金持ちということだ。もちろん、皆が皆そういうわけではないが。

 ちなみに俺の家は特別裕福というわけではない。ただ純粋に通いたくてここを受験しただけだ。そんなこんなで通い続けていたら、なんと俺の成績は一気に跳ね上がり、学年で2位になってしまった。

 まあ2位になるからには、1位がいるわけで、俺はどうしてもそいつを超えることができない。その1位のやつというのは、同クラス兼現在隣の席に座ることになている、桜田時衣だった。


 桜田時衣は、ショートカットで漆黒の目をした女の子だ。その聡明さゆえか、周囲とは違う高貴なオーラを漂わせている。見るだけで「あぁ、この人頭が良いんだろうな」と分かる。

 しかし、それにしても。

 彼女はズルいんだ。

 だって1回の授業だけですべてを暗記しているんだそ…。

 これではいくらコツコツ努力を積み重ね、地道に頑張ってきた俺でも適うわけがない。

 そう思っていたのに、言ってしまった。

「俺と勝負しないか、桜田」

 それは授業と授業の合間の、10分休みだった。

 彼女は目を丸くして俺を見た。そりゃ、彼女が驚くのもよく分かる。

 なにせ、俺と桜田は今まで一度も話したことがない。彼女とは今年初めて同じクラスになったからだ。

 特に親しくもないひとから突然こんな大胆なことを言われるとは思っていなかったのだろう、当たり前だが。

 ・・・・・・。

 しばらくの沈黙の後、ようやく桜田は口を開いた。

「いいけど」

 まぁそんなぶっきらぼうな返事だった。


 俺は勝負をかけた1学期中間テストの勉強に全てを捧げた。特に数学が最大の敵だった。範囲の広さに頭がくらくらするほどだ。

 しかし、当の桜田はというと、隣で教科書のページをめくっているだけでノートに一生懸命問題を解く様子も見られない。パラパラと紙をめくる音が優雅に聞こえてきた。しかも不思議なことに、その音は10分おきくらいにピタリと止まる。

 俺がちらりと横を見ると、桜田は思慮深そうに何かを考えていた。

「何してるんだ?」

 授業中にもかかわらず、俺は彼女に訊いた。

「10分で暗記するの。覚えたら頭の中で整理して終わり」

 桜田はこちらを見ることなく、小声で淡々とそう言った。 

 つまり、10分間教科書を見た後彼女が考え込んでいたように見えたのは、今見たことを頭で整理していたからなのか。

 それにしても、10分で覚えるなんて一体どんな記憶力なんだ。

「すげえな…」

 思わず口から漏れた俺の呟きに、なぜか彼女は目を丸くしていた。彼女はどちらかと言えば感情を表に出さない方だと思っていたのに、俺をじっと見て驚いている様子はどこか新鮮だった。

「桜田」

「は、はい」

 突然先生に名前を呼ばれて桜田は少しだけ狼狽えてる様子だった。俺はそんな彼女の意外な一面を見て笑ってしまった。もちろん、大声で笑ったわけではない。すなわち”にやにや”していたのだ。

「これは何か、言ってみろ」

 先生が桜田に問いかけた。黒板には、Ti、Niなどの数種類の元素記号と簡単なイラストが書かれていたが、俺にはそれが何を表しているのかさっぱり分からない。

 しかし桜田は、

「形状記憶合金」

 さらりと言ってのけた。

 なんだそのケイジョウなんとかって。

「形状記憶合金は、ある状態で形をつくられた合金を他の状態に変形しても、もとの状態に戻すと、再びもとの形にもどる合金のことを言います。黒板に書いてあるのは、二方向性記憶合金と言って、温度の高低の違いで、2つの形を記憶させることができます」

 桜田は知識をひけらかす様子でもなく、ただ”質問に答えただけ”というように説明した。彼女の説明を聞いた先生は待ってましたと言わんばかりのしたり顔だった。

「その通りです。よく分かりましたね」

 要するに、桜田なら完璧に答えてくれると思って当てたんだろう。

「これ、面白いんですよ」

 先生は嬉しそうに、手元にあった何やらかんやらを持ち上げて実験を始めたのだった。


 放課後課外が終わり、俺は帰宅の準備をしていた。

 今はテスト期間なので、俺の所属するサッカー部も活動していない。しかしこの教室に残っているのはたったの10人。どういうことかと言うと、この放課後課外というのは学年で成績の良い10人を集めて行う補習授業なのだ。

 成績序列制。

 うちの学院にはそんな言葉がぴったりだった。

「じゃあな、神崎」

「おう」

 そんなふうにして皆帰ってゆき、気が付くと教室に2人だけ残されていた。

 そのもう1人が桜田であるというのはお察しの通りだ。

「なんで帰らないの」

 2人だげ残された西日の差す教室で、彼女はつっけんどんにそう言った。

「なんでって…お前こそなんで帰らないんだ?」

「べつに」

 俺が逆に聞き返すと、彼女はむっとした声で答えた。

 なんだこいつ、訳わかんねー…。

「…さっき笑ったでしょ」

 ボソリと桜田が俺に言った。

「さっき?あぁ、あの時か」

 恐らく化学の授業で先生に不意打ちで当てられて狼狽える彼女を見た時、俺が隣でにやにや笑っていたことを言っているのだろう。

 彼女は小さく頷いた。あぁ、これは怒ってるだろうな。そりゃそうだ、男子が女子を見てにやけてたんだからなー。

「悪い。なんか面白かったからさ。お前もあたふたすることがあるんだってさ」

 俺が素直にそう言うと、彼女は先程と同じように俺をじっと見つめた。大きな漆黒の瞳に吸い込まれていきそうな勢いだった。

「神崎―――」

 桜田が何かを言いかけた。でも台詞は途中で止まってしまう。何だ、どうしたんだ?

「うぅっ…」

 見ると彼女は苦しそうに胸を押さえていた。顔なんてもう真っ青だった。

「お、おい…!」

 俺は慌てて彼女の体を支えて声を上げた。

「だ、誰かっ!誰か来てくれ!」

 その間に桜田はより一層力をなくしていき、やがて意識を失った。

 俺は背中を伝う汗でシャツがぐっしょり濡れていた。

 誰か―――。

 叫びすぎてもう声も出なくなり、無意味だと分かっていても心の中で何度も叫んでいた…。


 つづく


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