猫と学園交響曲 三嶋 詩織編
この話は 猫と学園交響曲 白井 優奈編 の続編にあたります。これだけでも楽しめるとは思いますが……作者的には前作を読んでからの方をお勧めいたします。
「はい、じゃー呼ばれたらこのプリント取りに来てー」
先生がプリントを配り始めた。内容は……まあ要約すると『校舎の敷地内に動物を持ち込むな!』ってとこだ。理由は多分白井のシロが敷地内で怪我したから、だろ。なぜかクロも一緒に居たし。そうそう、白井もあれからちゃんと学校に来ている。今年の春に転校してきた身としてはすぐ隣に話す相手がいる、ってのは何とも心強いわけだ。
「えーと次は……白井……三嶋、三嶋ー、三嶋はいないのか、これで3日目だな……」
白井が来るようになったと思ったら次は三嶋とかいうのが休み始めた。三嶋は席の都合上顔もよく分からない。教室でもそんなに話す方でもなかったんじゃないか?
白井さんがプリントを手渡された。どうやら休みの人に届けろ、ということらしい。シロの怪我の罰、ということなのだろう。
『はあー、ご主人サマには悪いことしちゃったわ、私のせいで……』
『ま、まあ仕方がないよ、飼い猫の不始末は飼い主の責任、人間はそう考えるらしいからね』
ここはいつもの木の上。シロの腕は幸いヒビが入っていた程度で、すぐによくなり、今日は退院後初めての学校だ。木に登る時にはヒヤヒヤしたが何ともないようで安心した。
「あ、あの……プリント……」
ホームルームが終わり、席から立ち上がりかけると白井が話しかけてきた。どうせ一人で行くのが心細いから一緒に来てくれ、って言うんだろ?まあ今回は俺も一枚かんでるし、手伝ってやるか。
「あいよ、ところで三嶋の部屋ってどこなんだ?」
ご主人様達が三嶋さんの部屋の前に着いた。何と三嶋さんの部屋は白井さんの部屋のすぐ隣にあった。
『そういえば最近三嶋さん、休んでるね』
『そうなの?私は病院にいたから……』
『そうか、もう3日目かな、とくに先生に連絡もいってないみたいだし、今までは休んでいるところでなんて見たことなかったけれど……』
ピンポーンとご主人様がインターホンを押した。数秒後、ドアが少しだけ開き、住人が顔をのぞかせた。
「何?」
「これ、プリント。あと休む時は連絡入れろって、先生がさ」
「……そう。ありがと、でももう来ないで」
それだけ言ってドアを閉めてしまった。
『何よ、せっかくご主人サマが届けてくれたのに』
『まあまあ、何か事情があるんだよ、きっと』
まあ何か事情でもなければこの学校には居ないわけだけども。それにしてもなぜ突然不登校になったのだろうか。私が見てきた5ヶ月間は休んでいる姿なんて見なかったし、素行も良かったはずだ。……いや、詮索はよそう。誰にも踏み込まれたくない領域はあるものだ。この学校の生徒ならば尚のこと。……もちろんご主人様にも。
「じゃー俺はこれで、あんまり女子寮に長居するのもまずいしな」
「うん」
そうしてご主人様は男子寮のへ、白井さんは自室へと帰っていった。
「三嶋、三嶋ー、ったく、白井、今日も頼む」
今日も三嶋さんは休みらしい。そこで例によって白井さんが、そして白井さんに頼まれたご主人様も一緒に三嶋さんの部屋に赴いた。今日は白井さんがインターホンを押す。
「もう来ないでって言ったのに」
「お前なあ、こっちだって来たかねーよ、でもしょうがないだろ?」
そう言ってご主人様は三嶋さんにプリントを押し付け、さっさと帰ってしまった。
翌日、学校のない土曜日。唐突にシロが部屋に飛び込んで来た。
『クロ、クロ、助けて!』
『ど、どうしたんだい?』
『ご主人サマが大変なの!』
私はまだ寝ているご主人様をたたき起こし、白井さんの部屋までシロと二人で引っ張った。
「お、おいどうしたんだよ」
白井さんの部屋に入ると中は煙で真っ黒だった。ご主人様は慌てて窓を開ける。
「か、火事か?」
「ち、違うの」
煙の向こうから白井さんの声が聞こえた。
『何が起きたんだい?」
『実はね……』
「料理、焦がしちゃって……」
なるほど、台所にはまだ中で何かがくすぶっている鍋があった。
「何でこんなことになったんだよ……」
「じ、実はね……三嶋さんに何か持って行こうと思ったんだけど……」
どうやら隣の三嶋さんが気になるが話すきっかけがない。というわけで何か料理を作って持って行けば、と考えて慣れない料理に手を出した、ということらしい。
「ふーん、で、何を持って行くつもりだったんだ?」
「……」
「え?」
「カレー」
「……」
ご主人様だけではなく、この黒い塊がカレーの出来損ないだとわかる人間はそうはいないだろう。それにカレーといえばお手軽な料理の定番だ。
「あの……もし、よければ……」
「わかったよ、俺も手伝うって」
そんな訳でご主人様と白井さんは近くのスーパーへ材料調達に出かけた。
『それにしてもどうして白井さんはあんなに三嶋さんを気にかけるのかわかるかい?」
これは率直な疑問だった。白井さんはこの5ヶ月間ずっと学校を休んでいたのだ。しかもそれと入れ違いで三嶋さんが休み始めた。ということは一昨日がほぼ初対面だったはずだ。
『ご主人サマはね……多分休んでた頃の自分と重ねてるのかもね……ご主人サマは確かに重度の人見知りだけど、それだけ人とのつながりに飢えてたから……』
「普通のカレーでいいんだろ?じゃあ……」
別に俺だって料理が得意なわけじゃない。でも寮では毎日自炊してるから人並みにはできるつもりだ。スーパーを漁って材料を買い揃える。まずはオーソドックスなジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ニンニク、肉は豚肉が特売だったからそれにした。ルーは……まあバー◯ンドカレーでいいか、後は……
「お前部屋にローリエってある?」
「ろーりえ?な、無いです……」
じゃあそれもカゴに入れ、レジに向かった。
「あの……」
「ん?」
「ろ、ローリエって……?」
「うーん、早い話乾燥させた葉っぱ。これを一緒に入れると肉の臭みが取れるって誰かが言ってたんだよ」
家に着いた。律儀にクロもシロも中で待ってて安心した。
「白井ー、野菜切っといて」
白井に野菜切りは任せて俺はフライパンを出す。すると、
「え?カレーってフライパンで作るの?」
何か書道って筆ペンでもいいんですか的なノリの質問をされた。いやこれが普通だろ。
「野菜を炒めなきゃいけないだろ」
そんなしごく当たり前な回答をすると、
「……」
硬直。まさか下処理を何もせずに鍋に入れててたのか?そりゃ失敗するわ……
フライパンにオリーブオイルを垂らしてニンニクを炒める。その後白井が涙をダラダラ流しながら切ったタマネギを入れる。タマネギがあめ色になったらニンジンを入れて軽く炒める。野菜を炒めてる間に鍋に水を4カップ入れ、炒めた野菜も入れて沸騰するまで待つ。その間にさっきのフライパンで豚肉を炒める。鍋が沸騰したらアクを取り、ハチミツ大さじ2杯、塩コショウ、ローリエを入れて10分くらい煮込む。そして火を止めて肉を入れ、さらに5分煮込む。5分経ったらまた火を止めてルーを半分入れる。トロミがついてきたら完成だ。我ながらいい出来だと思う。
『あなたのご主人サマ、凄いわね』
『シロのご主人様は料理はしないのかい?』
さっきの会話を聞くにとても料理をしているようには見えないが……
『しないわね』
時刻は丁度お昼時、白井さんの部屋から出ると丁度三嶋さんは外出から帰ってきたところだった。
「またあなた達?」
「う……うん、か、カレー、作ってきたの、一緒に食べない?」
「いらない」
「そう言うなって、せっかく作ったんだし、2人じゃ食べきれないんだよ」
「いらないって言ってるでしょ!」
三嶋さんがカレーの入った鍋を払った。白井さんの手から鍋が飛び、カレーが廊下にぶちまけられる。
「あ……」
「もう私に構わないで!」
『あの女!』
私はシロを抑えるのに必死で状況がよくわからなかった。再び現場の方を見るといつの間にか白井さんの姿はなく、ご主人様は一人で廊下のカレーを掃除していた。
『もう家に帰った方がいいよ』
そう言ってシロを無理矢理家に入れる。これ以上ここにとどまっていると何をするか分からない。その時、ドアが開き、三嶋さんが部屋から雑巾を持って出てきた。
「私も手伝う」
2人の頑張りで程なくして廊下はきれいになった。それでもまだカレーの匂いは充満していたが。終始無言の中、最初に口火を切ったのはご主人様だった。
「白井……泣いてたぞ」
「……そう」
「無理矢理押し入ろうとした俺たちも悪かったけどさ、あそこまでする必要あったか?白井は……真剣にお前のことを思って……」
しばらくの間。その後に、
「入って」
三嶋さん自らご主人様を部屋に招き入れた。
「白井さんが真剣だってことは分かってるよ、凄く嬉しかった。でも……だからだめなんだよ」
「何で……」
「私は……もうすぐ死ぬから」
その言葉でご主人様は悟ったようだ。これを以上は踏み入ってはいけない領域だと。詮索してはいけない。それは暗黙のルール。
「……分かった」
そのまま立ち上がり、部屋から出る。
「白井さんには謝っとく」
「そうしてくれ」
数日が経った。ご主人様の隣には誰も現れない。私の隣にも。今日も来ないかと諦めて帰ろうとしたその時、ひょいと猫が枝に飛び乗った。体は黒と白と茶色の三毛。
『ああそんなに堅くならないでいいよ、ボクもそういうのは好きじゃないから』
『君は確か三嶋さんの家の……」
『うん。ボクはミケ、ご主人は三嶋 詩織だよ、君のご主人はたしか玄野 一哉、だったよね』
『ああ』
『この前のこと、ご主人を責めないであげて欲しいんだ、最近、ちょっと情緒不安定でね……』
『私も、ご主人様も責めてなんていないさ、それよりも死ぬ、というのは……』
無駄を承知で聞いてみる。
『そう、ありがと、ご主人のことはご主人様が自分で言ってからじゃないと僕の口からは言えない。ごめんね、君だってそうだろ?』
寮のベッドに倒れこむ。あれ以来白井も、三嶋も姿を現さない。まあどっちも不登校は今に始まった話じゃないけど。白井の『もうすぐ死ぬ』
ってのが気にはなるけど深入りする気にはなれない。
「何か作るかな」
そう立ち上がりかけた時、インターホンが鳴った。
「玄野君!開けて!」
「白井?」
ドアを開けてみるとそこには白井が立っていた。相当焦ってるらしい。何せパジャマのままだし。
「これ、見て」
白井が握りしめていた一枚の紙。しわを解いて見てみるとそれは三嶋からの手紙らしかった。
この間はごめん、私、待ってるだけなんて嫌だから、ごめん
そう書かれてた。
「白井、もう一度カレー作って待ってろ」
とだけ言って家を飛び出した。制服のまま。
「自殺なんてさせねえぞ……」
それにしても、白井は三嶋の話を聞いていないのにこの手紙の意味に気づいた。よっぽど心配なんだな。
心当たりといえばこの辺で唯一の駅、芒野学園前駅しかない。そこに居なかったらお手上げだ。あとは当てもなく捜すしかない。
ビンゴ、丁度電車に乗り込む所だった。あと10秒遅れてたら手遅れだったな……
「何で……」
俺も同じ電車に乗る。三嶋の斜向かいに俺は座った。
一駅、二駅……もう何駅目かな、10を越えた辺りから数えるのをやめた。もう空は真っ暗だ。相変わらず会話は無く、電車が揺れるガタンゴトンという音だけが響く。乗った時はそれなりに混んでいたが、乗客はもう全員降りて乗っているのは俺と三嶋だけだ。ふと窓を見ると外は海だった。夜の海。ガラス越しでも吸い込まれてしまいそうになる。海ってそんな魔力を持っているんじゃないか、いやそんな訳あるかよ。
「なあ、いつまで乗ってるつもりだ?」
「あなたが勝手に付いてきたんじゃない」
「終点ー、終点でーす」
そんなアナウンスが流れ、電車が止まる。当然降りた。三嶋も。このまま車庫に入るのはごめんだ。かなり寂れた駅だった。無人だし。運賃を払って駅を出る。少し歩いているとまた海が見えた。さっきまでは雲に隠れていた月明かりが反射してキラキラと光っている。どこか幻想的な光景だった。駅から少し離れるとそこはもう真っ暗だ。街灯もまばら。崖の方に歩いて行くと危うく落ちそうになった。
「私ね、クローンなんだ」
岸壁に腰を下ろし、唐突にそう三嶋は切り出した。
「クローン?」
ヒツジや牛のクローンならよく聞く話だ。そういやこの前カレーに入れた豚肉もクローンだったっけ。でも人間のクローンなんて聞いたことがない。確か人権が何とかって言って廃止になったはずだ。
「そう。でもクローンは体組織が不完全だから最初から生きられる時間が決まってるんだって」
「それがもうすぐだってのか?」
三嶋は立ち上がってこっちを振り返った。
「あなたに分かる?誰からも必要とされず、初めから決まった時間を過ごすだけの私の気持ちが!お父さんも、お母さんも、兄弟もいない、ひとりぼっちの気持ちが……だから誰とも関わらなかった!私が死んで悲しませたくないから!なのに……なのに……」
「それでも探して欲しかったんだろ」
「え?」
「手紙。本気で死のうなんて考えてるやつはこんなもの書かないんだよ」
手紙を破って海に投げ捨てる。あーすっきりした。
「ほら、帰るぞ」
こんな火曜ワイド劇場みたいな崖に長居なんてしたくない。
「……嫌」
半ば自暴自棄になってる。こりゃ引っ張ってでも連れて帰るしかしないかな……時間的にも。
「ほら、立て!」
三嶋の腕を引っ張る。三嶋は反対に引く。無理矢理立ち上がらせるとそのまま引っ張る。三嶋も抵抗して思い切り腕を後ろに引く。するとどうなるか、後ろは崖、落ちるよね。
「きゃあっ」
間一髪、三嶋の腕を右手でつかみ、岸壁に左手で捕まる。つまり宙づり。そうなると左手に俺と三嶋の全体重がかかるわけで、かなりキツイ。でも……離すわけにはいかない。
「離して!私はどうせ死ぬんだからいいの!あなたまで巻き添えになることない!」
「うるせえ!離せるわけねえだろ!」
「もう……いいんだよ……私は……ひとりなんだから……」
そう言ってヘアピンを俺の右手に刺す。痛みを与えれば手の力が弱まるとでも考えたんだろう。でも俺には効かない。
「残念だったな、俺の右腕は義手なんだ」
「でも左手は……」
岩を持つ手に血が滲む。その通り、こっちはちゃんと生身なんだよ。
「あと、お前どうせひとりなんだからとか寂しいこと言うなよ、少なくとも2人と1匹がお前を必要としてるってこと、忘れんな」
「白井さん……玄野君……ミケ……」
「分かったか?クラスにもお前を待ってる奴、きっといるぞ、そいつらのために限界まで生きてみようとは思わないのか?」
「……なさい」
俺の手を握る三嶋の手に力が入る。
「ごめん……なさい」
「よっくできました」
三嶋はちゃんと謝った。ならあとは俺が頑張ればいいだけ。右腕に渾身の力を込めて三嶋を抱き寄せる。
「おい!目と鼻、塞いどけ!」
三嶋を素早く左腕に持ち替える。すると何も支えがなくなった俺と三嶋は真っ逆さまに落ちる。右手を岸壁に引っ掛け、勢いを少しでも弱める。義手が壊れかかってるけど気にするか、それでもこのまま落ちたら海面からせり出た岩に串刺しになる。だから右足で岸壁を思い切り蹴り、海面と水平に飛ぶ。これで垂直に落ちるよりはマシなはずだ。
ザパーン‼︎と派手に水飛沫を上げて水と衝突。水は冷たいし、背中はすげえ痛いし、右腕の義手はボロボロ、右足だって義足だったから良かったようなものの、生身だったら大変なことになってたはずだ。
岸に着いた途端、泳ぎ疲れて地面にへたり込んだ。隣で三嶋もゼイゼイ息を荒げている。でもとにかく助かった。今はそれだけを喜ぼう……。
どうも!前作に続き猫と学園交響曲です。短編とか言っておきながら続編を出してしまいました。申し訳ありません……
さて、作中に出てくるカレー、書いててお腹が空いてきたので実際に作ってみました。とても美味しかったです。ちなみにレシピはクックパッド先生からお借りしました。また気が向いたら次作を書くつもりです。読者様も気が向いたら覗いてみてください!
交響曲←気にしないで!