8、夜会への招待状
ティーゼがジジたちのアジトで平穏に過ごしていた頃、ユークナ領主館にてデイリッヒ伯爵もほくほくとして顔をほころばせていた。
手には一通の書簡を開いている。
書斎の中で一人きりである今、笑みがこぼれてこぼれて仕方がないという様子であった。
太鼓腹を揺らしながら、くつくつと低く笑う。
「ついにあの狸爺も年貢の納め時を悟ったというわけか」
自身も立派な狸爺であることを棚に上げて、デイリッヒ伯爵は国王を不遜にもそう呼ばわった。
その手中に握られ、腹の贅肉と一緒に揺られているのは、国王リービ=イヴ=ヴィルカラムからの招待状であった。
内容は簡潔である。
改革派の主だった面々を二週間後の夜会に招待する。
表向きはそう記されていたが、少し裏を読めば和睦への申し入れとすぐに分かった。
デイリッヒ伯爵はご満悦である。月光を浴びる禿げ頭も、いつもより一層冴え冴えと輝いていた。
「私の三年前の賭けは、ついに勝利を迎えるわけだ。時間はかかったが、その分見返りは膨大なものとなる。実にめでたいことだ」
このデイリッヒ伯爵と言う男、見ての通り、六十を過ぎても意気軒昂な俗物である。
デイリッヒ伯爵家と言えば百五十余年の歴史を誇る名家であり、伯爵位の中でも別格と見なされているが、当代の主は他に追随を許さぬほどの金の亡者として知られていた。モルザック男爵も金遣いが荒いが、この男の比ではない。
お世辞にも高尚とは言えないこの老人は、こと金に関すること、利益が生み出される場所を嗅ぎ当てる能力には大層すぐれていた。金のためならば異常に頭が回り、労力も惜しまぬといういっそ天晴な性格をしていたのである。
そこに目を付けたモルザック男爵が、己のもくろみを隠しつつ、三年前に改革派の旗印として立ってくれるように申し入れてきた。
他の高位貴族たちならば「主君に背くなど」と一蹴するような提案を、伯爵は三日考えただけで承諾したのである。
金のためならば人殺しもいとわぬ男であるが、それでもやはり人の子である。彼の正義のためとはいえ、弑逆しないですむに越したことはない。
国王からの実質の和睦申し入れは、願ってもない好事であった。
何より伯爵の気分を良くしたのは、モルザック男爵がこの夜会に招待されないという事実であった。
モルザック男爵は爵位こそ低いものの、ずばぬけて回る頭脳と立派な体躯から少なからぬ貴族からの信望の的となっていた。中には、デイリッヒ伯爵はただのお飾りで、モルザック男爵こそ改革派の旗印と考えている輩までいる。
デイリッヒ伯爵にとっては、それが面白くない。
「いつもいつも出しゃばりおって……あの姫のことも私の屋敷に閉じ込めておくはずが、あの男のせいで上手くいかんかった」
デイリッヒ伯爵にティーゼ姫を預け、ふと魔が差して金儲けに使われ人質として機能しなくなる、という事態を憂慮したモルザックの英断であったが、伯爵はそのことを知らない。
「だが、いくら慕われていようと、爵位ばかりはどうにもならん。男爵位では王宮に招かれるはずもない。これを機会に、あやつも己のいやしい出自を思い知らされるがよいわ」
ふと、男爵にもこの夜会のことを知らせようかと思い立った。
自慢してやれ、という気持ちが沸き起こったのである。
だが、「いや」と思い直して、すぐに首を横に振った。
黙っていて、あとから事実を知った時の男爵の間抜けな顔を笑ってやった方が胸がすっとするに違いない。
他の招待客にも男爵には伝えないように言い聞かせておかなければ。
伯爵は革張りの椅子から立ち上がると、背後を振り返って窓の外を見上げた。下弦の月と伯爵の口角の吊り上った唇の形が重なった。
高らかな笑い声が、星たちを揺らしながら夜空に吸い込まれていった。
*****
ジジから銃の使用法を伝授されてから、さらに十日が経過した。
季節は秋に差し掛かっていた。
その日は朝から、ティーゼは近くの町まで出かけていくことになっていた。女盗賊のルチルダとヤントンという少年に付き添っての外出であった。
ルチルダは五十がらみの恰幅の良い女で、盗賊として働くことはあまりなく、アジト内の家事全般を一手に引き受けていた。アジトに来てからのティーゼの世話係を務めているのもルチルダである。
気風の良い母親のような彼女に、アジトの皆は頭が上がらない。
「ヤントン、昨晩は眠れなかったんじゃないかい」
「え? 隈でもできてますか」
「隈なんて出来てなくても分かるさ。この日を迎える新入りってのは、皆そうだったからね」
ヤントンはふくれっ面になった。
この少年は、盗賊団の中でも最年少でティーゼがやって来る二カ月ほど前に加入した新入りらしい。
年もティーゼより二つ上というだけであったので、二人はよく一緒くたにまとめられ行動をともにすることが多かった。
「からかうのはよしてくださいよ。すげえ緊張してるんですから」
「あはは、これも新入りの義務だと思ってからかわれてな」
「あーあー! 皆、お姫様のことはいじめたりしないのに。オイラだけ不公平じゃねえか。ねえ姫様?」
「はい。そうかもしれません。ですが、ジジは私のこともからかいますよ」
「ボスは別だよ。ボスと話せるならいくらでもからかわれてやるって!」
キラキラとした瞳で、ヤントンはうっとりとした。この少年は山で餓死しかけていた所を通りがかりのジジに拾われたため、すっかり心酔しているのである。
「ボスを慕うのは良いけど、破天荒な所まで真似しないでおくれよ」
ルチルダのぼやきはもっともで、ティーゼもコクコクと同意した。
三人は連れ立って、町の刺青屋に行った。
ジジの盗賊団は入団してから三カ月たつと盗賊団員の証である刺青を彫るのが習いなのである。ヤントンはこの三か月まんじりともせずこの日を待ちわび、刺青を彫るのが待ちきれない様子であった。
「親父さん、いつものように頼むね」
「場所は?」頑固おやじの代表のような刺青屋の主人が尋ねた。
「ヤントン、どこに彫るつもりなんだい」
「背中さ! 男は背中で語るって言うだろ」
えっへんと胸を逸らすヤントン。
そういう意味じゃないと思う。
という冷水を浴びせるようなことを言う者は、この場にはいなかった。
「それじゃ、あたしらは終わるまで町をぶらついてるとしようか」
「はい、ルチルダさん」
「姫様は本当に良い子だねえ。他の奴らときたらボスをそっくり写し取ったようなはねっかえりばっかりでさあ。と言ってもボスやユーリィほど飛び抜けたのはいないけれど……」
二人は民家が一室を解放して営業している店に入り、昼食をとりながらヤントンを待った。ルチルダの話は尽きることがなく、怒涛のような言葉をティーゼは相槌を入れながら聞いていた。愚痴を垂れ流すには、ティーゼはもってこいの聞き役なのである。
話題が一周した頃、ルチルダは刺青に話を戻した。
「姫様は刺青なんて見たことないだろ?」
「はい。はじめてです」
「やっぱり。王宮へ帰ったらきっとお目にかかる機会なんて一生ないだろうねえ。どれ、あたしので良かったら存分に見ておくれ」
周りに客はいなかったので、ルチルダは豪快に袖をまくって二の腕にある刺青を見せた。
ナイフと拳銃を十字に交差させ、その上に山猫の顔をあしらった紋章が、ノマ盗賊団の印であった。
ルチルダはつらつらと他の団員の刺青について教えた。
「ユーリィは太腿、あとの奴らも腕とか足とか……ああ、ダイツの野郎は頭だねえ。アイツ若いころから禿げててさ。笑えるだろ」
「はい、とても笑えます」
女同士の会話は実に容赦がなかった。ティーゼにいたっては悪気がない分たちが悪かった。
喋りつづけるルチルダを前に、ティーゼはもぞもぞと身じろぎした。話を聞いていて、少し気になることがあったのである。しかし、自分から言い出すことはできない性分で、何となくもどかしい思いを味わっていた。
ルチルダがそれに気付いた。
「姫様、何か聞きたいことがあるんじゃないかい? 遠慮せず、言ってみな」
「はい……。あの、ジジは……ジジの刺青はどこにあるんでしょうか」
他の盗賊たちの刺青は見える所にあったけれど、ジジのものは見かけたことがない。純粋な疑問であったが、その質問を受けたルチルダは眉根を寄せた。
「ごめんねえ、それはちょっと答えらんないね。いや、別に変なとこに彫ってあるわけじゃないし、とりわけ隠してる訳でもないんだけどね」
辺りを見渡して確認した後、ティーゼの耳元に顔を寄せた。
「そのさ、ジジの刺青ってのはちょっと特別なんだ。普段は見えない所にあって、あたしらはノマに入る時にそれを見せてもらえる。ジジの刺青を見せてもらって、その三か月後に今度は自分の体に同じ刺青を入れることで、正式な団員になれるのさ。教えて上げられなくて悪いねえ。今度ボスに聞いてみな。ボスから直接教わるんだったら誰も文句は言わないさ」
「はい」
ティーゼはそう答えたけれど、このことをジジに聞くつもりはなかった。教えてもらえないに違いないと半ば確信していた。ティーゼは客人で、ジジたちは盗賊、という一線を彼は明確に引いていたから。
「さて……そろそろヤントンの方も終わったかねえ。これから何回か通わなくちゃならないから、痛くて泣いてたらからかってやらなくちゃ」
「はい。でも、ヤントンは痛くても嬉しいと言いそうですね」
「あの子はボスにべた惚れだからねえ。ボスのことを神様みたいだと思ってんのさ」
二人はヤントンを迎えに行くと、再び連れ立って町を出た。
アジトへ帰ると、数日前に出かけたきりだったジジが戻ってきていた。
犬のようにじゃれつくヤントンをあしらい、ジジはティーゼを手招く。家の裏手まで回って二人きりであることを確かめると、ジジはいきなり切り出した。
「段取りが整った。明日ここを発ち、てめえを王宮に返す」
ティーゼは息を呑んだ。咄嗟に返事が出来ず、数秒遅れて転がり出た「はい」という声が間抜けに響く。
実にあっさりとした幕引きであった。
ジジは後ろ手に隠していたものを差し出した。
「ガキ、これは餞別だ」
いつも練習に使用していたカメレット・リボルバーである。ティーゼは黙ってそれを受け取った。ジジがどうしてこれを渡してくれたのか分からなかった。
「お前、前に言ってたろ。俺に大人しくさらわれたのはそれ以外策がなくて、それが最善だったからだって。だからこの銃をやる。今度誘拐犯が現れたら、それで撃ち殺すなり脅すなりすりゃあ良い。そうすりゃ、はいはい誘拐犯についてく以外の選択肢も見つかるだろう」
ティーゼは思わず顔を上げた。
ジジの穏やかで楽しげな茶色い瞳が待っていた。
ジジはいつも通り笑っている。
「うちに帰れるんだ。嬉しいだろ?」
唇を噛み締め、小さく応えて頷いた。これ以上の声量で喋ったら、今まで踏みとどまってきた何かが壊れてしまうと思った。
――以前感じた、ジジの側は居心地が良いということ。
その理由がやっと分かった。
ジジは、一度もティーゼを馬鹿にしなかった。
王宮では、周囲はティーゼに子供らしさを求めた。もっと元気に、もっと表情豊かに、もう少しわがままに、もっと可愛げをもって。
そうやって子どもらしくあるように迫るくせに、ティーゼがその要求に上手く応えられずにいると、出来損ないのように扱うのである。大の大人が失敗した時のように厳しく糾弾するのである。
ジジはティーゼをガキだと言った。
実際、子どもとして扱った。
けれど、子どもらしくないティーゼの性格を、ティーゼらしさだと受け入れてくれた。
ジジがそうやって扱ってくれたから、このアジトでも受け入れられたのだと、敏いティーゼは理解していた。
ジジは、ティーゼをあなどらなかった。
ちゃんと、向き合ってくれた。
ジジの隣は、とても居心地が良い。だから、こんなにたくさんの人が集まるのだ。
それに……。
ティーゼの中のジジに対して抱いていた既視感が、ここで形を成した。
(ジジは、陛下に少し似ている。いつも笑ってばかりいるところがそっくりで、でも全然似ていない……。私が、王女ではなかったら。陛下も、兄上も、姉上たちも、皆いなかったら、そしたら、ジジについて行きたかった。一緒にいたかった)
でもそれは、言葉にしてはならない願望であった。
ティーゼは深呼吸して、深々と頭を下げた。
これよりほかに、ジジへの感謝を伝える方法を知らなかった。




