3、盗賊のジジ
ティーゼ姫は、呆然としていた。
一体何が起こったのだろうと思っていた。
護衛が天井に穴を開け、その穴から男が一人降ってきたのだ。驚かないはずがなかった。全身黒ずくめの、イモリのように影の薄い男であった。その男の上に馬乗りになり、首を絞める護衛の姿を認識したところで、ティーゼは我に返った。
「お止めください」
「あ?」
護衛がティーゼをねめつけた。視線を真下でもがき苦しむ男に戻し、不信感丸出しの声を出す。
「なんだコイツ。王宮からずっとお前の様子を見張ってたぜ。味方……にしちゃあ、助ける様子を微塵も見せねえ」
「その者は陛下の遣わした監視役です」
「かんしやくぅ?」
「はい、私がおかしな行動をしないか見張る任務を言い渡された者です。私を助けることはせず、ただありのままを陛下にご奏上するためだけにおります。ですから、害はありません」
懸命に説明し終えてから、ティーゼはさらに我に返った。何を懇切丁寧に説明してしまっているのだろう、この得体のしれない男に。
(まだ、その監視役の方が信用できるというのに、何をこうもペラペラと話しているのかしら……)
だが、言葉を交わしたことはないとはいえ顔を知っている人間が殺されるのをみすみす見過ごすことなど出来なかった。先程の凄惨な光景を思い出し、ぎゅっと拳を握る。ユーリィが死んでしまった、ティーゼのせいで。あの優しくて美しいメイドを死なせてしまった。
ユーリィからは血がたくさん流れていただろうか。その血の分だけティーゼからも血の気が引き、顔が微かに青ざめた。
「お願いですから、どうかその人を殺さないでください」
「……ふーん。まあいい、分かった」
そう約束した舌の根が乾かぬうちに、護衛は監視役の首筋に手刀を叩き込んだ。あっけらかんとして、
「殺さねえけど黙らせるくらいならいいよな」
約束は破られていなかったので、ティーゼは「はい」と首を振り、律儀に礼を言った。あとはこの監視役が自分で何とかするだろう。
あっという間に二人を沈めたとはいえ、騒ぎをかぎつけたものがいたらしい。屋敷の中がにわかに騒がしくなる。ティーゼは身を固くした。こんなところを男爵に見つかれば、それこそこの護衛と揃って殺されかねない。
そんな状況にも関わらず、護衛は呑気に服に手をかけ、武装を解きはじめた。
「あの、急がないと、男爵が……」
「あー? いーのいーの、向こうからきてくれるならありがてえこった。それより俺はこの重たい鎧からさっさと解放されてえんだよ。動きにくいったらありゃしない。水を吸った服じゃ泳げねえだろ? それと同じこった」
「はい。なるほど分かりました。ではお待ちしています」
納得したティーゼはくるりとうしろを向いて、淑女らしく男の着替えが終わるのを待っていた。内心は多少はらはらしていたが、男があまりにのんびりと構えているので、何らかの突破口を携えているのだろうと予見したのである。
(この殿方は、私の味方になってくださるのかしら)
王宮の追手だろうか。でも、それにしては行動が大胆不敵すぎるし、ティーゼに対する態度が不遜に過ぎる。では、雇われ者だろうか? それならそうと名乗ればいいものを。
(でも、別にどちらでも構わない……物事はなるようにしかならないと陛下が仰っていらした。私がここにいる限り、陛下にとっての事態が好転することはないのだから)
着替えを終えた男は、監視役と似たような黒い服に身を包んでいた。分厚い鎧でかさを増していただけであって、意外にも体格は並であったが、均整のとれた体つきをしていた。目も髪も一見真っ黒であったが、光が当たると茶色に透けた。彫りの深い野性的な顔立ちであった。
深い森林の中が似合いそうな山猫のような男は、値踏みするようにティーゼをとくと眺めた。
「おいガキ」
「はい」
ガキと呼ばれたのははじめてだったため、ティーゼは新鮮な気分に浸った。
「俺のこと覚えてるか」
まるで覚えていなかったが、万事肯定主義を貫いてきたティーゼであったので、ここは迷わず首肯したが、
「嘘を吐くな」
と、あっさり看破されてしまう。これまでも何百回と理解もしていない言葉に「はい」と頷いてきたティーゼであったが、面と向かって嘘つきと言われたのははじめてであった。先程から、はじめて尽くしである。
元護衛――今はもう護衛を装うことは止めていた――は、右腕をティーゼの方に差し出し、手のひらを上に向けた。ティーゼにはわけが分からなかった。それを見越していたのであろう、元護衛は物覚えの悪い子どもに言って聞かせるような調子で話した。
「お顎をどうぞ、姫君」
おかしな言い回しに、ティーゼの脳髄が刺激された。あ、と声には出さずに叫び、記憶をよみがえらせる。
「……誘拐犯さん」
「俺は盗賊だ。不愉快な呼び方してんじゃねえよ」
「はい、では、盗賊さん」
「ジジだ」
「ジジさん」
いちいち生真面目に言い直すティーゼを鼻で笑うと、元護衛――ジジは、差し出したままの手をひらひらと振った。
「再度恐縮ですがね姫君、俺にまたさらわれてくれませんか。前の時は知ってのとおり改革派、というよりモルザックに頼まれた仕事だったが、今度は俺の私情で」
またさらわれるのか、とも思ったが、連れ出してくれると言うならば願ったり叶ったりであった。モルザック男爵には唯々諾々と従っていたティーゼであったが、ユーリィを殺した男の側にいたいはずがない。男爵よりはまし、というだけでティーゼは即断した。
「はい、喜んで」
ぽん、とジジの手のひらの上に自分の顎をのせる。
「……今は両手が自由でしょう?」
「はい、ですが顎をどうぞと仰られたので」
ジジも今度は呆れなかった。呆れることに疲れたのかもしれなかった。ユークナへの旅の間に、ジジは飽きるほどティーゼの図太さを目にしていたので。
ジジは手のひらにのったティーゼの小さな顎を掴むと、ぐいっと引き寄せ、自分の背中に隠すようにした。
「それじゃあ遠慮なくさらわせてもらうぜ。ガキ、まずはだな」
「はい」
「大人しく引っ込んでろよ」
それはティーゼが何より得意とすることであった。
ジジはティーゼを隠したまま、前方に向きなおった。騒がしい足音がすぐそばまで迫っていた。廊下の奥から憤怒の形相で闊歩してくる腐れ縁の男を認めて、極上の笑みを浮かべる。
「よーお、モルザック。長らくぶりだな、元気にしてたか? 花街で腹出して寝ちまってねえか。俺はもう心配でよお」
「ジジ、貴様……!」
額にびしばしと青筋を立てて、モルザックはジジの前に仁王立ちした。頭から湯気をだし、そのまま憤死しそうな勢いで怒り狂っている。モルザックの巨体の前では、ジジは子猫のように見えた。
「何をのこのこと現れおった。この間の報酬は支払ったはずだ!」
「おうよ、そりゃあたんまりいただいたぜ。おかげさまで当分は生活に苦労しなくてすみそうだ。ありがてえこった」
「ならば邪魔立てするでない! そのガキを置いて、とっとと巣に帰れ!」
「それは聞けねえ相談だな」
それまでのへらへらとした軽い笑みが掻き消えたかと思うと、ジジの口が大きく横に裂けた。かろうじて笑みと言えたが、唇の端から火を吐きそうな、猛烈な怒りを灯していた。
「モルザックよお、確かに俺らは任務を遂行して、それに見合う報酬をもらった。獲物はてめえのもんだ、どうしようとてめえの勝手さ。てめえが改革派なんつーもんに肩入れしようが構わねえし、すかした口調で貴族やってるてめえを高みの見物するのもおもしれえ」
「ならば、なぜ今更」
ジジは口を挟ませなかった。
「聞いたぜえモルザック。てめえ、繋がってんのは改革派だけじゃねえようだな。今は王権派より改革派が優勢だ、だがいつ情勢が変わるともしれねえ。この先改革派が不利になった時、すんなり鞍替えできるように、このガキを手土産にしようとしたらしいじゃねえか」
「それがどうした。まさかそのガキに同情でもしたか」
「その方がてめえにとってはありがたかったろうなモルザック! 俺が心底気に入らねえのは、てめえが繋がってるもうひとつの派閥が山岳国ギブメーゾだってことだよ! それを聞いた時は耳を疑ったぜ。てめえ、それは俺が筋金入りのギブメーゾ人嫌いってことを知った上での狼藉だろうな? ああ?!」
すさまじい剣幕に、天井から床までがビリビリと震えた。モルザックの後ろに控えていた巨漢たちは、ジジの放つ殺気とも怒気とも区別がつかぬ圧倒的な力にひるみ、一歩後ずさる。
モルザック男爵は臍を噛んだ。
ギブメーゾ国は諸国に先立って共和制を敷いた国として知られている。つい五十年前まで国境線を争っていたため、デイリッヒ伯爵などは毛嫌いしているが、モルザック男爵は今後の改革派のためにとひそかに裏で手を結んでいた。
極秘事項であったためばれやしないと高をくくっていたが、ジジのギブメーゾ人嫌いは予想をはるかに超えていたらしかった。
ジジの激憤に触れて、空気が火花を散らしていた。
「俺の一団が奪ってきた得物を、俺の一番嫌いな奴らへくれてやるなんてこと、このジジが見逃すとでも思ったか!」
「しゃらくさい! たかだか盗賊団のボスに留まってる男が、俺に口出しするなんざ百年はええんだよ!」
「口調が昔に戻ってるぜモルザックよ! 所詮貴族の仮面なんてものは付け焼刃か!」
熊と山猫の壮絶な吠え比べであった。
先手を打ったのはジジである。
静かに成り行きを見守っていたティーゼの腰をさらい、肩の上に抱え上げ、くるりとモルザックに背を向けて走りはじめた。
「馬鹿め! そちらは行き止まりだ!」
早々と勝鬨を上げ、モルザック男爵と彼に雇われた男たちがジジとティーゼを追いかけはじめた。
一方のジジはと言えば、ティーゼを俵担ぎにしたまま、全速力で疾走している。モルザック男爵邸は、男爵位の貴族邸にしては広大であり、廊下も長い。しかし、前方にはすでに行き止まりの壁が見えてきていた。逃げ込む横道も階段も見当たらない。
「おいガキ! 驚いて舌噛まねえように、歯食いしばってろよ」
「はい、分かりました」
こんな時でさえ驚嘆すべき聞き分けの良さを発揮し、ティーゼは大人しく肩の上で揺さぶられていた。腹をジジの肩に乗せ、顔をジジの背中の方に垂らしているため、モルザックたちが迫り来る様子がよく見えた。
「楽しいか?!」
「はい、特等席ですね」
全力で逃げながらの会話とは到底思えなかった。実際、ジジの方が足の速さでは勝っていたので、ティーゼは現状を心底危機的だとはとらえていなかった。なるようになるだろうといつも通り考えていた。
モルザックが隣を並走していた男の一人から槍を奪い、ジジを猛然と追い始めた。距離が少しずつ縮まっていく。
「さっさと観念するんだなジジよ!」
ジジは無言で疾走しつづけ、行き止まりまでたどり着いたところで足を止めた。逃げ場をなくして足踏みしているように見える得物の姿に、モルザックたちは気分も高まったらしい。血気盛んに、いよいよ追いつめてくる。そのままジジたちに突撃し、壁との挟み撃ちで潰す算段らしかった。
モルザックたちの足はもう止まらない。
それを確信したジジは、大きく息を吸いこんで、
「ユーリィ!」
ティーゼはジジの呼びかけに驚き、
「はいよボス!」
耳に馴染んだ声が元気よくいらえたことに、二重に驚かされた。表情には出さず、静かに目を白黒させている。
ユーリィはそんな少女を振り返るとにいっと笑い、単独モルザックたちの一団に突っこんでいった。紺色のスカートと白いエプロンがひるがえり、下着が丸見えになる。
ユーリィの手際は実に鮮やかであった。ナイフを投げて一人を仕留めたかと思うと、その巨体を投げ飛ばして、一気に二人を潰す。巨漢たちの肩から肩へ山猿のような身軽さで飛び移り、その下では意識を失った男たちの山が出来た。
戦女神のようなユーリィの手から逃れた巨漢たちは、しめたとばかりにジジへと矛先を向ける。その一人一人を、ジジは冷静に銃弾で撃ち抜いていった。
巨漢たちが残らず倒れ、あとにはモルザック男爵だけが残された。男爵の顔色は、赤を通り越してどす黒く染まっている。
ジジの手元を見て、銃には銃をと思ったらしい。胸元からすばやく六連式リボルバーを取り出して、ユーリィをむんずととらえるとそのこめかみに突き付けた。
「そうやすやすと奪わせるものか」
銃口でこめかみを強く押され、ユーリィが顔をしかめた。
「こいつは確か、てめえの右腕だったよなあ、ジジ。こいつが殺されたらこまるんじゃねえか」
「こっちには姫君がいるぜ、ユーリィを返すなら姫君を返してやろう」
ティーゼはジジとモルザックのやり取りに耳を澄ませた。どちらの男からも一緒に来いと言われた場合は、どちらにはいと頷けばよいのであろう。どちらにも頷いたら、さすがに命を失う気がした。
モルザックはジジの申し出をせせら笑った。
「甘い、あめえぞジジ。確かに俺はそのガキの身柄が欲しい。しかしな、どうしてもってわけじゃねえ。足手まといになるくらいであれば、切り捨てるなど造作もないわ。人質交換したいならば、まずは貴様がガキを引き渡すのが先だ。したらば、こいつをお前に返すか考えてやろう」
がははは、とモルザック男爵は下品な笑い声を立てた。しかし、その次に聞こえてきたジジの返答には、耳を疑った。
「いいぜ、ならユーリィを撃てばいい。その代わり俺はこのガキをさらっていくがな」
「何?」
ジジは銃口をモルザックの額にピタリと向けたまま、腕を下ろさなかった。
「確かにユーリィは大事だ。だが、俺の信条と天秤にかけるほどじゃねえ。俺にとっての最優先事項は、このガキをギブメーゾに渡すことの阻止、そこは譲れねえよ」
「ならば、こいつを殺して、自力でガキを取り戻すまで!」
モルザックはリボルバーの撃鉄を起こした。躊躇いなく引き金を引き、離した。無情にも銃声が轟き、ユーリィのこめかみに穴が空く、どくどくと熱い血が流れる、冷たくなるユーリィの肢体を想像して、ティーゼは堪らず声を上げようとした。
ところが、事態は想定外の方向へ進もうとしていたのである。
モルザックは首を傾げていた。銃声が一向に鳴らないのであった。カチカチと数度引き金を引き、だんだんと焦燥をにじませはじめた。
「このっ、なぜだっ、なぜ弾が出ん!」
「それはな」
ジジは一転、爽やかに笑った。それにユーリィが共鳴する。エプロンの胸ポケットから、小さな金属を六つ取り出し、手のひらで転がしてみせた。
「モルザック男爵様、恐縮ですがメイドからひとつご忠告ですわ。武器を使うときは、事前によーく確認しないと。でないと、自らの破滅に繋がりましてよ?」
「い、い……いつの間に――――!!」
火山が噴火するような咆哮を合図に、ジジとユーリィは一斉に動き出した。憤怒の余り動けなくなっているモルザックの横をすり抜けると、一目散に屋敷の玄関を目指したのである。当然、玄関の鍵は閉まっていたし、周辺を武装した男たちが固めていたが、ジジが男たちを片付ける間に、ユーリィが針金で鍵を開けるという華麗な連携のあと、同時に扉を蹴破った。モルザックの殺気が襲ってこないうちにと、着の身着のままティーゼだけを抱えて屋敷を飛び出した。
ティーゼの頭は、混乱を通り越して今は凪いでいた。戦いを見ている間にすっかり覚悟を決めてしまっていたのである。
(なるように、なる。そうですよね、陛下)
遠い王宮にいるはずの国王が、頭の中で穏やかに頷いた気がした。




