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2、美しいメイド



 モルザック男爵は、それ以降も姫を高貴な人質として扱う気はさらさらないようであった。

 デイリッヒ伯爵は丁重にもてなすと言っていたはずであるが、今となっては真っ赤な嘘としか思えない。この酷な生活はモルザック男爵の独断によるもので、伯爵は関与していないという可能性もあった。どちらにせよ、王宮の生活とは天と地ほどの差がある生活が姫に強いられた。

 姫の世話役、という名の監視役には老メイドが一人つけられた。いつも陰鬱な顔をして、事あるごとにため息をついている。一緒に居るだけで気が滅入りそうな老女であった。

 昼と晩。地下室の鍵が開けられるのは、一日の内その二回だけであった。老メイドによって、パンと具のないシチューだけがのった貧相なお盆が差し入れられた。

 王宮から探索の手はかかっているのだろうか。地下にいては地上の様子はまるで聞こえてこない。地下という名のどこより厳重な檻の中で、姫はじっと大人しくなさっていた。一日中ベッドに腰掛け、人形のようにお座りになっていた。逃げようという素振りさえ、一度たりともお見せにならなかった。


 人質となって一月後、男爵が姫の首に枷を取り付けた。


 ――喜べ、王宮から追手がかかったようだぞ。あの豚伯爵から連絡があった。一月経っても音沙汰なければ人質の価値なしと見なし、お前の首を跳ねても良いという話だったのだが、誠に残念だ。

 ――はい、わざわざ教えて下さって、ありがとうございます。


 ふんっと鼻息を吐き出すと、男爵は首枷から壁に繋がった鎖を強く引っ張った。ベッドに腰掛けていた姫の体が、いとも簡単に崩れ落ちる。眉ひとつ動かさない姫の態度が気に障ったらしい、突然右手を振り上げたかと思うと、姫の左頬を殴打した。


 ――気に入らんな。うるさい女は嫌いだが、俺を見て恐怖もしない泣きわめきもしない女はさらに気にくわん。

 ――はい、申し訳ございません。

 ――王宮での渾名は事実だったらしい。父親の傀儡と化した木偶人形だな、まるで。

 ――はい、私の身も心も陛下の御意のままに。私の言動は全て陛下の御為に……。


 言葉尻は右頬と共に張り飛ばされた。

 男爵の手中から太い鎖が滑り落ちる。すでに姫から興味を失ったようであった。振り返ることなく、再び地上に戻っていった。

 姫のお体は、無気力に床に横たわっている。王宮からの追手がかかったという事実も、姫の心を軽くすることはなかった。


 翌日から、世話役が交代された。老メイドとは打って変わって、今度やって来たのはうら若い女であった。

 美しい女であった。すらりとした長身に、明るい栗色の髪をしている。いかにもあの男爵が好みそうな張りのある体型を白いエプロンに押し包んで、姫の前に膝をついた。


 ――はじめまして、姫さま。ユーリィと申します。


 魂がどこかに逃げて行ってしまったようにぼうっとしていた姫が、その声に意識を引き戻されたようであった。

 溌剌とした声で、美しいメイドは食事を差し出した。このような質素なものしかお出しできずに申し訳ないとまで言った。久方ぶりにこのような明るい声を聞いたからであろうか、珍しく姫が答えに逡巡された。が、すぐに平坦な声でお答えになった。


 ――はい、ありがとうございます。質素などと、お気になさらないで下さい。十分なものをいただいております。

 ――人質としては、ですか?


 ユーリィは茶目っ気を交えて大胆に返した。姫が首肯すると、可愛らしく唇をとがらせる。感情のこもらない答えが気に入らなかったらしいが、一国の姫の前で度胸のある態度である。余程肝が据わっているらしかった。


 ――また夜に参りますね。そうだ、何か書物でもお持ちいたしましょうか?


 姫がこくりと頷いたのを見届けると、ユーリィは満足そうに帰っていった。

 それからも毎日二回ずつ、ユーリィは地下へと下りてきた。

 その度に男爵への愚痴や、姫を気遣う言葉、仲間内でのいざこざを、幾分脚色を加えて面白おかしく話した。どうやって持ってきているのか分からなかったが、懐に隠して書物や甘い菓子を差し入れてくれることもあった。いわく、男爵は虐げられない人質には興味はないので、ちょろまかすことは容易らしい。男爵のこれまでの数々の悪行を話した後、「ご身分が高くて良かったですわね」と明るく言われて、姫は無言で頷いていらした。心臓に毛が生えているという点で、気の合う二人らしく、姫の目にも大分生気が戻りはじめていた。


 人質生活も、そろそろ三か月目に入ろうかという頃合いであった。

 その夜、姫はベッドの裏にこっそりとつけた爪の跡で、今日が入牢して何日目かを数えていらっしゃるところであった。


 ――姫様。


 扉の向こうから声がした。ユーリィの声である。


 ――姫様、どうかそのままお声を出さず、扉の側へ近づいてきてください。私は今、扉の鍵を持っておりません。メイド長が管理している時間帯なのです。


 呼ばれるままに扉に近寄りながらも、姫は訝しんでいらっしゃるようであった。順番通りにいけば今は朝のはずであるが、いつもより随分と早い。腹はまだ空腹を訴えてはいなかった。

 ユーリィは囁くように早口で事情を説明した。小声であるのに壁越しにはっきりと伝わってくる、不思議な話法であった。


 ――王宮からの追手が本格的に迫ってきたようです。男爵邸のことはまだ突き止められていないようですが、時間の問題でしょう。


 絶好の機会です、とユーリィは畳み掛け、少々興奮気味に己の立てた計画を打ち明けた。


 ――今夜、新しい監禁場所を整えるため屋敷から人手が出されます。その分、こちらの警備は少しですが甘くなります。その隙にここから逃げましょう姫様。


 姫の内心は分からないが、思案したのち、はっきりと計画を受け入れる旨の返事をされた。その際に、あなたは大丈夫なのかと聞くことも忘れなかった。

 壁の向こうのユーリィが、軽く胸を叩いたようであった。


 ――だーいじょうぶです。私はこの通り器量よしですから、ここから逃げ出したってどこででも雇ってもらえますよ。それに、王宮まで姫様を送り届ければ、姫様の女官にしてもらえるかもしれませんし。


 そう断言されてしまえば、それ以上口をはさむことはできなかった。

 今夜、夕食を終えた三時間後に、と二人は約束した。


 ユーリィは、数時間後、何食わぬ顔で朝食を運んできた。なぜ食事を運んでくるときに計画を伝えないのかという疑問は、ここで氷解した。ユーリィは厳つい護衛を伴ってやって来たのであった。

 護衛は姫の首枷がきちんと嵌っていることを確認すると、ユーリィと共に帰っていった。なるほど、あの護衛の目を盗んで計画を打ち明けることは難しいにちがいなかった。

 夕食も朝と同じように提供された。姫はその間、いつも通りの魂の抜けた人形のように座り込んでいらした。

 護衛とユーリィが出て行ってからも、まるで動かない。そうすることが使命であるかのように、じっとなさっていた。時計も窓もなく時間は知れなかったが、姫は耐えることだけは昔から得意でいらした。

 ふいに、扉の向こうの地下通路で、闇がざわめいた。影を縫うようにして、ひたひたと迫ってくるものがある。姫の視線が扉を向くのと、扉が開錠されたのはほとんど同時であった。


 ――姫様!


 姫が大人しく部屋に収まっていることにほっとした様子で、ユーリィが静かに駆け寄ってきた。後ろ手に扉を閉めたが、音を立てないためか、わずかに隙間が空いている。そこから暗い影が覗いていた。

 ユーリィはスカートに隠した麻袋の中に必要な道具を詰め込んできていた。まずは袋からメイドのお仕着せを取り出して、手早く姫を着替えさせる。メイドに成りすまして、闇に紛れて逃げるというのがユーリィの計画であった。計画は単純な方が良いのだと、彼女は言う。


 ――さてと、あとはその首枷ですね。

 ――はい、ですがどうやって……。

 ――鍵は男爵が管理しているから、借りることは無理ですしね。


 そうぼやきつつも、ユーリィはにやりと笑って、道具袋から針金を二本取り出した。


 ――私って手先もとっても器用なんですよ。


 自慢げにそう言っている間に、さっさと首枷の錠を外してしまう。素晴らしい鍵開けの腕前であった。姫は子犬のようにぶるりと身を震わせ、長らくぶりの自由の身を堪能したようであった。


 ――さあ、姫様参りましょう。


 まるでお茶会に招くような調子でユーリィは手を差し出した。

 姫はその手をおずおずと取られる。

 はじめて、姫からユーリィにお声を掛けた。


 ――……本当に、大丈夫なのですか。

 ――だーいじょうぶですって、大船に乗った気持ちでどーんとお任せください。

 ――私などのために、あなたの身を危険に晒して、本当によろしいのですか。


 神妙な声音に、ユーリィは驚いていた。姫の口がいつになく回ることに驚いたのかもしれなかった。メイドは満面の笑みを浮かべると、姫を安心させた。


 ――姫様とっても良い子なんですもん。こんな物騒な場所に置いておきたくないって私の勝手な希望なんです。


 純粋な自信に満ちた言葉に姫が頷かれない道理はなかった。


 ――はい。

 ――じゃあ、私の後についてきてくださいね。


 ユーリィは扉の取っ手に手をかけた。

 姫は全幅の信頼をおいて、ユーリィの後に続こうとしておられた。メイドの紺色の背中に注がれていた視線が、何気なく廊下の外に伸びた。扉は、先程からわずかな隙間を覗かせたままであった。その黒々とした口の中に、一瞬だけチカリと光るものを見つけ、姫は反射的にユーリィの袖をお引きになった。


 ――待ってください、ユーリィ。何か……。

 ――え? 何です?


 その時には、ユーリの腕は取っ手を内側に引いて、扉を開け放ってしまっていた。

 耳が割れるような破裂音が炸裂した。

 姫の方を振り返りかけた体勢のユーリィは、しばらくその中途半端な格好のまま動かなかった。ようやく姫の方に体を傾けたかと思うと、ずるり、と滑るように床に倒れ伏した。

 姫はようやく、今さっきの破裂音が、銃声であると理解された。声にならない声で、動かないメイドの名を呟かれる。うつろな目で、メイドを挟んだ立ち向かいに立ちはだかる人物を見上げられた。


 ――愚か者めが。このような杜撰(ずさん)な計画が上手くいくとでも思ったのか。


 モルザック男爵は、尖った靴先でユーリィの体を部屋の隅に転がした。手には黒光りする銃身をぶら下げている。メイドの体は、糸が切れた人形のように動かない。すでに事切れているようであった。

 ユーリィの体をどけることで、姫と男爵の間を隔てるものはなくなった。


 ――はい……。

 ――何に対しての返事だ。

 ――私が、愚か者であるとの……。


 姫の唇が小刻みに震えているのを見て、男爵は嗜虐的に笑った。


 ――自覚しているならば結構。救えん馬鹿ではないようだ。ならば、自分のすべきことが分かるな。

 ――はい。……あなたに、従います。今後は、このような甘言にのることはいたしません。

 ――結構。人形にも人の死を悼む心はあるようだ。


 男爵は姫の両腕を背中に回しねじり上げると、そのまま地下室から追い立てた。廊下には暗く目を光らせる護衛が二人待ち構えていた。


 ――これからお前を別邸に移送する。どうやら王宮側は、お前のことをさほど重要だとは思っていないようでな。追手がかかったものの、いっかなこちらまで近寄ってこん。したがって、今度の移送先ではここよりは退屈しない生活を送らせてやれそうだ。


 それが意味するところを察せない姫ではなかった。ユーリィが話していたことが脳裏に蘇る。男爵は、抵抗できない囚人をいたぶり無様な様を見物することが何より好きであると。

 姫の二本の足が先へ進むことを躊躇されたようであった。しかし、両側を武装した男二人に挟まれていては、大人しく従うよりほかはない。身を守るための最善策を姫は選択された。無残にも殺されたユーリィのことだけが気にかかった。


 地下階段を通じ、姫たちは地上へ戻った。姫にとってはおよそ三カ月ぶりの外の空気であったが、今は夜のため日光を浴びることは叶わなかった。

 男爵は他の使用人たちに指示を出すため、護衛二人に姫を任せてすたすたと廊下の奥へと消えて行った。移送する準備が整うまで、姫は別室に閉じ込められるらしい。護衛たちは、その部屋へ向けて姫を歩かせる。両腕は相変わらず後ろ手にねじり上げられ、護衛の一人が手首をしっかりと握っていた。

 地下階段のある部屋からしばらく歩いたところで、それまで無言を貫いていた護衛の一人がおもむろに口を開いた。


 ――お前、あの地下室から逃れようとしたらしいな。


 姫の左側にいたもう一人の護衛が、咎めるように片割れを見たが右の護衛は口を閉じなかった。


 ――馬鹿なことをしたものだ。あんな頭の弱そうなメイドの言葉にのるとは、人形姫は自分で思考すると言うことをしないらしい。男爵の目はあらゆるところに行き届いている。逃れられるはずがなかろうに。伯爵からお許しが出たらしいからな、移送先では散々になぶられるだろうよ。


 姫は黙っておられたし、左の護衛の眼光もきついものになっていたが、まくしたてるような声は止まらなかった。


 ――先ほど、このような甘言には二度とのらぬと述べていたが本当か? また良いように流されて、今回と同じ事を仕出かすのではないか。

 ――おい、もうそこいら辺にしておけ。着いたぞ。


 左側の護衛が腰にぶら下げていた鍵を、鍵穴に差し込んだ。特別性の鍵なのか、開けるのに多少の時間を要すらしい。がちゃがちゃと金属が擦れる音が鳴る。

 右側の護衛は余程腹に据えかねているのか、単純に嫌味を言うことが好きなのか、姫の耳元に顔を寄せ、囁きかけてきた。


 ――本当に、甘言には二度とのらないと誓うのか。


 あまりのしつこさに耐えかねてか、姫が固い動きで首を縦に振られた。


 ――はい、誓いますから……。

 ――それは困る。


 はて? 姫は小首を傾げなさった。


 ――てめえにはこれから俺の甘言にのってもらわねえといけねえからよ。


 姫が訝しまれたが、すでに護衛は前方に向き直っていた。

 問い詰める暇もなく、護衛の足が、鍵の開錠に成功し振り向いた相方の腹にめり込んだ。つづいて、片肘が鳩尾に叩き込まれる。呻くこともなく、相手は床に倒れた。

 突如暴挙を繰り広げた方の護衛は、つづいて、天井を仰いだ。

 豪快な足蹴りで天井をぶち破ると、わたしの、うで、を……、


「で、てめえは一体何なんだ?」




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