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14、最初の声



 外界から遮断された冷暗室で、ティーゼはじっとその時を待っていた。

 しじまの中で思考を巡らせる。

 奇妙な程に、頭は落ち着きはらっていた。

 かび臭い匂いと、冷たさしか与えてくれない両横の壁が、落ち着きを助長したのかもしれなかった。


 ――ジジも、ヤントンも、皆勝手なことを言うものだ。


 瞼を上げたまま暗闇と対峙し、ティーゼはこの見えない敵に頭の中で語りかけていた。


 ――皆、出会って間もないティーゼを、命を賭して助けてくれると言う。自分たちが助かる方法はあるのに、ティーゼを助けると言って聞かない。


 当たり前のように彼らが命を散らしていくから、それがティーゼのためだと言うから、言い出せずひた隠しにしていた想いがあった。


(悔しい)


 体中にまとわりついて離さない闇を穴が空くほど見つめた。


(ジジたちの気持ちは嬉しい。でも、こんな助け方は悔しいばかりだ。ジジは私の肝が据わっていると言うけれど、私は皆を犠牲にしてまで生き残って、のうのうと暮らしていけるような神経は持っていない)


 何だろう、腹の奥がぐらぐらと煮えて、そこから沸き上がってくるこの気持ちは。少女の無表情がどんどんと冷たさを纏い、冴えわたっていく。

 ティーゼは怒っていた。

 恩知らずだと罵られようが、強いられた状況に辛酸をなめさせられていた。

 なぜって理不尽だ。

 確かに自分は非力だ。戦ったところで皆の足手まといになるだろう。だからといって、どうしてティーゼの気持ちを置いてきぼりにして、勝手に去っていってしまうのだろう。ティーゼに残されているものは、もう数少ないのに。その数少ないものたちまで去っていくことをどうして許すことができると言うのか。

 少女の瞳の中で、青い炎が静かに燃え盛っていた。内側からあぶられた薄氷がひび割れ、湖面のような眼球のきらめきが増した。

 遠くで、一発の銃声が聞こえた。決闘が始まったのである。

 ティーゼはむくりと起き上がり、慎重に冷暗室の蓋をずらした。そうっと抜け出て、薄暗い部屋の中を見回した。

 理性は先ほどから、ジジの言葉に従えとうるさい。

 以前、王宮からさらわれた時は、理性の声に従った。どうしても殺されるわけにはいかなかったから。あの時のティーゼには、父も兄も姉もいた。仲の良い家族ではなかったけれど、ティーゼは家族を愛していた。それだけで、生きる理由には十分であった。

 

 ――でも、今は?


 家族も亡くして、その上ジジたちまで失って、生きる意味などあるのだろうか?

 これから先、ずっと追い回されて、敵に怯えながら一人で生きていくなんて、真っ平御免であった。

 ティーゼの水色の視線が、部屋の隅に置かれた暖炉に留まった。屋根の上から生えていた煙突のことを同時に思い出す。

 灰かき棒で灰を退けると、小さく咳をこぼして煤まみれになりながら暖炉の中を覗いてみた。予想通り、煙突掃除をするための梯子が上までつづいている。

 四角く切り取られた光が、頭上に見えていた。

 あれに手を伸ばしたら、もう元のようには生きられない。ただの首振り人形ではいられない。

 でも、ここから逃げ出して、震えながらユーリィの助けを待てなんて、そんな言葉に「はい」と返すのは、血反吐を吐くような思いがする。

 ティーゼは何の迷いもなく、鉄の梯子に手をかけた。全身を煤で真っ黒にしながら、息を殺して、一段、また一段と上っていく。


 ――聞き分けの良さと肝の太さが取り柄? ならば今すぐ、聞き分けの良さはかなぐり捨てよう。その分度胸を倍にして、私はジジのもとへ行こう。


 難なく助けられるなんて、甘い考えは持っていない。助けに行ったところで迷惑だと一蹴されるだけかもしれない。


(だけど、私に頷く以外の選択肢を与えてくれたのは、他ならぬジジ自身だ)


 煙突を中程まで上って、ティーゼは懐からリボルバーを取り出した。まばゆい金色の銃身をまじまじと眺める。あと一発だけ、弾薬が残っていた。

 銃身は冷えきっている。けれどその下で何かが胎動している。この金の銃は、ジジからティーゼへ贈られた新しい可能性そのものであった。

 理性ではなく、その奥の、誰にも侵害されないティーゼだけの領域が、はじめて言葉をくれた。


 ――ジジのもとへ行きなさい。


 ティーゼは敢然と頷いた。これまでで一番、意思と力を込めて、自分の心の声に首を縦に振った。


 ――ジジたちが惜しげもなく私に命を懸けてくれるなら、それで良い。それは、胸が苦しくなるほどに嬉しいことだ。だから、代わりに私も、ジジたちに私の全部を賭けることにする。


 ジジは足に怪我を負っていたはずである。モルザック男爵の強さがどの程度かは分からないが、ジジに有利に戦いが進むとは考えにくかった。

 残り一メートル分を残して、ティーゼは梯子を上るのを止めた。

 頭上で激しく銃声が鳴っていた。屋根瓦を鳴らしながら、二つの足音が駆け回っているのが分かる。

 ティーゼは心臓の音さえ鎮めようと、呼吸を深くした。

 五感だけが研ぎ澄まされていく。

 出し抜けに、ジジの呻き声がした。煙突の後ろからだ。前方からはモルザック男爵の声。これで位置関係がつかめた。二人は煙突を挟む形で向かい合っているに違いなかった。

 やはり、戦いはジジが劣勢なようであった。

 モルザック男爵が嘲るような言葉を口にしながら、ジジに近づいているのが感じ取れた。


(狙うなら、モルザック男爵がぎりぎりまで近づいた時だ)


 一秒でもずれたら、命取りとなる。

 緊張に手が震えるかと思ったが、指はグリップに吸い付いて離れそうになかった。視覚と聴覚が限界まで研ぎ澄まされて、ティーゼの世界から無駄なもの一切が消えうせた。

 モルザック男爵の足音と、ジジの荒い息遣い。

 それだけが、時間の流れを告げている。

 固い靴底が屋根瓦を叩き、余裕のある足取りでこちらへ向かってくる。ジジは動かない。動けないのかもしれなかった。


 ――静かに息をしろ。気配を消せ。標的を油断させろ。


 記憶から蘇ったジジの教えが、鼓膜を内側からティーゼの全身を支配した。


 ――緊張と不安で早まるな、その時が訪れるまで耐え続けろ。


 そう、早まってはならない。待つことは何より得意なのだから。

 男爵の巨体の影が、煙突の淵に差し掛かったのが見えた。その顔には勝利を確信した笑みが刻まれている。


 ――一瞬の隙が生まれたら、


(躊躇いなく引き金を引け!)


 少女の足が鉄の梯子を踏み切り、銀の髪を振り乱しながら小さな体躯が煙突から飛び出した。

 忽然と現れた乱入者にモルザック男爵は顎を落として驚愕していた。その黒い瞳を見据えて、眉間を弾丸で貫いた。

 つもりであった。

 モルザック男爵が咄嗟に身を伏せて弾丸を避けたのは、まさにいくつもの死線をくぐり抜けてきた反射神経の賜物であった。


「このっ……どこに隠れていた、小娘が!」


 ティーゼは慌てて煙突の側から退き、襲い来るモルザック男爵の手から逃れた。ジジのもとへと駆け寄る。

 ジジの驚き様は、一口には言い表せないほどであった。口があんぐりと開いて、棒と間違えて蛇でも丸飲みしたかのような面持ちであった。


「おま、お前! なんでここに」

「度胸が取り柄とジジが言ったので、助けに来ました」

「はあああ?!」


 しれっと答えたティーゼに、ジジは勿論食って掛かった。

 こんな時でもなければ延々と続いていたやり取りであろうが、二人の会話が終わるのを待ってくれるモルザック男爵ではなかった。


「ジジ! 決闘に味方を乱入させるたあ、てめえの格も落ちたもんだなあ。そういうことなら、こちらも味方を投入させてもらう。ギブメーゾ国の兵士たちよ、この男は神聖なる決闘において規則を破った。捕まえて相応の刑に処せ!」


 高らかに叫んだモルザック男爵は、満面の笑みを浮かべた。兵士たちを参戦させる口実を相手方がわざわざ作ってくれたのである、当然のことであった。

 ジジは口許を引きつらせながら、ティーゼを抱えて脱兎のごとく逃げ出そうとした。しかし、突然眉根を寄せて顔をしかめたかと思うと、ひとつ呻いてうずくまってしまった。

 ティーゼは小さく悲鳴を上げた。


「ジジ、足が……!」


 ジジの両足には穴が空き、そこから赤黒い血が流れ出していた。片足の怪我に気付いたモルザックが、もう片方の足にも弾丸を撃ち込んだのであった。

 額に脂汗をにじませながら、ジジは掠れた声で言った。


「とにかくてめえは逃げろ。ユーリィが後から追ってくるはずだ。時間を稼げば助かる道はある」


 ティーゼはぐっと歯を食いしばり、反射的に頷きかける首を精神力で留めた。そして、生まれてはじめて首を横に振った。


「嫌です!」


 胃の辺りがざわざわとする。

 もう一度繰り返した。自分の心にも、目を丸くしているジジの心にも刻みつけるように。


「絶対に嫌です! 逃げるならジジも一緒でないと嫌です!」


 ジジが歯茎をむき出しにした。


「てめえ、いつもの聞き分けの良さはどうした?!」

「先ほど捨てて参りました!」


 すっぱり言い切ったティーゼは、絶句したジジの体を何とか動かそうと苦心した。だが、成人男性の体を小さな少女が担げるはずもなかった。

 モルザック男爵と屋根に上ってきた兵士たちが、固まって座り込む二人に銃口を向けた。


「今度こそ、観念しやがれ」

「やなこった」


 モルザックが苛立ちのままに撃った一発目を、剥がれた屋根瓦を盾にすることでどうにかしのぐと、ジジは傍らで立ち往生しているティーゼの片手を握った。

 片足をつき、ティーゼの手を支えに上半身を持ち上げる。

 ジジの顔を覗き見たティーゼは、予想と真逆の表情に拍子抜けしてしまった。

 ジジは笑っていた。

 捨て鉢な笑いでも不敵な笑いでもなく、心底おかしいと言いたげに肩を震わせていた。

 ティーゼだけでなく、モルザック男爵もジジの様子を怪訝に感じたようであった。


「何だてめえ。死を目前にしてついにぶっ壊れたか」

「いいや、まさか。てめえじゃあるまいし」

「何だと?」


 いきり立ったモルザック男爵の顔面に、ジジは手にした瓦を思いっきりぶん投げた。だが、男爵はあっさりとそれを避けてしまう。ジジの銃にはもう弾が残っていないのか、ジジの手の中で真鍮製の銃は沈黙していた。


「終わりだ、ジジ」


 男爵の言葉を合図に、兵士たちが一斉に引き金に指をかけた。

 ジジもティーゼも、一巻の終わり覚悟を決めた、その時である。

 ぐらり、と男の体が傾いた。

 銃声は鳴らなかった。

 倒れたのは兵士の一人であったが、撃ったのはジジでもティーゼでもモルザック男爵でもなかった。

 兵士たちの群れの中から、再び苦痛の悲鳴が上がった。頭を撃ち抜かれて血を流しているが、今度も銃声はなかった。


「何だ?!」


 突然の事態にモルザック男爵が辺りを見回した。

 だが、どこにも人間の気配はない。

 それなのに、兵士たちは脳髄を吹き飛ばされて、バタバタと倒れていく。どこかに狙撃主がいるはずなのに、まるで正体が見えない。得体の知れない敵の登場に、兵士たちが色めき立ち、モルザック男爵側の動きに乱れが生じた。それを見たジジが、気力を振り絞ってふらりと立ち上がった。今にも倒れそうな様子で、額から玉のような汗を流している。

 そこへ、どこからともなく無機質な声が飛んできた。


「走りなさい」


 馴染みのない、しかし何故か安堵を覚える声に背中を押され、ティーゼはジジの手を引いて傾斜の大きい屋根を駆け出した。

 二人が逃げ出したことに気付き、背後からあられのように銃弾が降ってくる。無数の弾がジジとティーゼの肌を掠っていったが、二人の足は止まるどころか勢いを増していった。ぐんぐんと風を切っていく。

 目の前で屋根が途切れている。その先には、肌色の地面と深い谷、増水した川の奔流が待ち構えていた。

 足を止めようにも既に時機を逸していたし、ジジは楽しげで全く止まる気配を見せなかった。

 迫りくる地面と水面を目前に、ティーゼは目を瞑った。


(なるように、なる!)


 二人は転げ落ちるように川の濁流へと飛び込んだ。鉄板の上に叩きつけられるような衝撃が全身を殴打し、息が止まった。

 昨晩の雨のせいで茶色く濁った水を頭から被った後、ティーゼは水面から顔を出した。ジジが中々上がってこないことに焦り、濁った水中に潜って、沈みかけていた青年の腕をどうにか掴む。

 ジジは意識を失っていた。両足を銃弾で撃ち抜かれながら痛みを押して走り、あまつさえ三階分の高さから川に飛び込んだのだから、当たり前であった。

 怒涛のような水の流れが、二人の体を押し流した。

 逆らうことなどできるはずもなく、気絶したジジの体を支えながらティーゼは必死に息を吸った。酸素とともに、泥の混じった水を飲み込んでしまい咳き込んだ。側を流されてきた丸太を掴むことで、何とか体勢を立て直した。

 モルザック男爵たちの怒声が聞こえるが、それもどんどんと遠ざかって行く。彼らの手を逃れることには成功したらしいが、この濁流から逃げ出すことはティーゼ一人には不可能であった。

 さらにティーゼは、川の音が微かに変わるのを耳にした。

 高波を被りながら薄目を開け、先の状況を読み取ろうとする。波に揉まれながらティーゼが目にした光景は、絶望的なものであった。

 ほんの数十メートル先で、川の流れは途切れていた。

 その事実に安心するどころか、心底ぞっとした。

 滝である。

 水音から考えて、かなり高さのある滝が二人を待ち構えていた。流れに二人を飲み込んで、滝壺に叩きつけて木っ端みじんにしようと画策していた。

 今更どうあがいても、自然の猛威からは逃れようがない。それを痛感していたティーゼは、ぐったりとしたジジの体にしっかりとしがみついて、固く目を瞑った。


 ――どんな目に合おうと、ジジのことは絶対に離さないでいよう。


 そう誓った次の瞬間、束の間濁流から放り出され、再び茶色い魔物に捕えられたかと思うと、全身の臓腑が一斉に浮き上がる感覚に襲われた。

 悲鳴も上げられないままに、ティーゼとジジは滝壺に吸い込まれていった。




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