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12、モルザックの逆襲



「ひいい! 勘弁してくだせえ!」

「ならばとっとと王女が泊まってる部屋を吐きやがれ!」


 みっともなく泣きさけぶ宿の主の襟元をさらに締め上げて、モルザック男爵は恫喝した。


「こっちとしては、部屋をしらみつぶしにしても良いのだぞ! 銃弾で全ての部屋を台無しにされては困るだろうと思って、親切に聞いてやっているのだ!」

「で、ですから、そのようなお小さいお嬢さんは……ましてや王女さまなんてここにはいらっしゃいません。旦那の勘違いでございやす」


 ジジから口止め料をもらっているため、宿の主は気丈な態度を保っていた。恫喝されるたびに口を割っていては、こんな辺鄙な場所で宿屋など営んではいられない。

 モルザックは苛立たしげに舌打ちすると、胸元から銃を取り出して、男の口内に突っこんだ。宿の主の顔色がみるみる青ざめ、額を脂汗がしとどに濡らした。


「もう一度聞く。王女はどの部屋にいる」

「お、お教えします! ですから、命だけは」


 鼻水と涙で顔中をぐしゃぐしゃにしながら、宿の主はティーゼ姫の居所を吐いた。それを聞いた途端、モルザック男爵は用済みだとばかりに主人を床に転がし、腹を蹴り飛ばした。


「さっさと吐けば良いものを。この愚図めが。……おい、行くぞ。十五人ほどついてこい」


 後ろの兵士たちに合図する。鎧兜に身を固めた男たちは、隣国ギブメーゾから派遣された兵士たちであった。かつての主君の血に刃を向けることは身を裂かれるような思いでいたしますが、我が国のことは自分たちで蹴りをつけまする、と殊勝に申し出たモルザック男爵の高尚かつ悲痛な態度に感動したギブメーゾ国の議会が派遣してくれた――という名目にはなっているが、実質は男爵の監視役であった。

 忌々しい、と内心悪態をついているが、これだけの手勢を用意してくれたことはありがたかった。精々こき使ってやるわ、と思いながらモルザック男爵は山腹の宿屋の階段を上がっていった。巨漢たちの重さに耐えかねて、床板がぎしぎしと悲鳴を上げ、宿の主人に同調する。

 階段を上りきって廊下に出ると、見知った顔が笑顔で待ち構えていた。


「よう、モルザック」

「……ルチルダか」

「久しぶりじゃないかい。随分立派になったって聞いてたけど、やんちゃなところは変わってないね」

「そういうアンタは、随分といい暮らしをなさってるようだ」


 若い時分より一回りも二回りも横に広がったルチルダの体を一瞥して、モルザック男爵は彼女を押しのけて目的地に向かおうとした。

 ルチルダは自らの体を盾にして、それを阻んだ。


「……ルチルダ、賢いお前らしくねえな。ここまで来ちまったら、あのガキを差し出した方が懸命だと猿でも分かるだろうに」

「相変わらず口が悪いねえ」


 ルチルダに退く様子はなさそうであった。しかし、ここではいそうですかと引き下がるようなモルザック男爵ではない。先程宿の主人を脅したばかりの銃を取り出し、ルチルダの眉間に突き付けた。


「俺は昔馴染みをあまり殺したくはねえんだがな」

「どの口が言ってんだい」


 凶悪な眼光と熊のような巨体にもひるまず、ルチルダは余裕さえ見せて対峙していた。モルザック男爵はルチルダに立ち退く気が一切ないのを見て取ると、これ以上は時間の無駄だと、引き金を引いた。

 銃弾を発射した時、悲鳴を上げたのはルチルダではなかった。後方の味方から野太い呻き声が上がったのである。


「なんだ?!」

「て、敵襲です!」


 いつの間に潜んでいたのだろうか、鎧兜の兵士の一人が、他の兵士たちを撃ち殺し、体当たりしては武器を取り上げ、その数を着実に減らしていた。


「無駄なことを……!」


 ここに集まった兵士の数は百人。ジジたちの仲間はわずか十人にも満たないはずである。普段ならば捨て置き、自分だけで目的を果たすところだが、ギブメーゾから預かった手前、兵士を無駄死にさせるわけにもいかなかった。

 役立たずが! 油断大敵という言葉を知らんのか! 口汚く罵りながら、ちょこまかと兵士を攪乱するジジの手下を葬った。

 ようやく敵を片付けたモルザック男爵は、今度こそ目的の部屋へ進もうと一歩踏み出した。ぐにゃりと、爪先に柔らかいものが当たった。視線を落として、それが絶命したルチルダの体であると気付いた。

 モルザックたちの注意を一身に引きつけるため、この女は一度も恐怖を見せずに囮役を演じ切って見せたのである。

 銃弾を浴びた時さえ、悲鳴ひとつ上げなかった。


 ――ギブメーゾの兵士たちより、こちらの方が余程上等だな。


 皮肉に笑いながら、ルチルダの体を足で退けて、モルザック男爵は突き当たりの部屋の扉を蹴破った。


「…………」


 何とも形容しがたい声が、男爵の歯の内側で口蓋を震わせた。

 ティーゼ姫がいるはずの部屋は、既にもぬけの殻であった。





 一発目の銃声が聞こえた。

 そして、連続して二発の銃声が鳴った。

 合計三発の合図を耳にして、ヤントンは静かに立ち上がった。

 ここは三階の突き当りの部屋である。モルザック男爵たちが乱闘しているのは、直下の二階であった。


「ボスの言う通り、部屋を移動しておいて正解だったな」


 顔色をなくしたティーゼに微笑みかけ、ヤントンはそっと廊下に出た。廊下の突き当りには出窓があり、その向こうに、同じ高さの窓が見えた。

 この宿は二棟構造になっている。全く同じ形状の建物が、二つ横に並んでいるのであった。

 二階では仲間たちが派手に暴れまわっていてくれる。そうして、注意をひきつけている間に、ティーゼを逃がす算段であった。

 ヤントンは注意深く外のひと気を確認し、窓を開け放った。まずは自分が隣の棟へ飛び移った後、向こうで立ちすくんでいるティーゼに手を差し伸べる。


「早く」


 囁きに反応して、ティーゼが思い切って飛び移ってきた。それを抱き留めると、ヤントンはティーゼと共に、再び部屋の中へと隠れた。

 銃声はまだ続いている。しかし、あまり時間がないことは確かであった。

 ヤントンは早口でティーゼにこれからの手順を説明した。


「お姫様、よく聞いて。この宿屋から北東へ山を越えたところに山小屋がある。暖炉の灰をどけると地下トンネルに繋がる扉が出てくる。扉の中に入ったら、なるべく灰を元のように戻して、気付かれねえようにするんだ。トンネルをずっと歩いてくと、オイラたちの根城のひとつに繋がってる。あばら家みたいなとこだけど、そこで助けを待つんだ。ボスがぜってえ助けに来てくれるから。分かった?」

「……はい。でも、ヤントンは?」

「オイラはじゅーよー任務を任されてっからさ。ここに残らなきゃ」


 鼻の下をこすったヤントンは誇らしげでさえあった。少年が部屋の窓から外を覗き見はじめたのを見て、ティーゼは嫌な予感に捕らわれた。忍び寄ってくる不吉の影が、ティーゼの心を重くする。

 いよいよ窓を開けようとしたヤントンの服の裾をわしづかんで、ティーゼは彼を食い止めようとした。先程聞こえた十何発の銃声が、ティーゼを恐怖の谷に突き落とそうとしていた。


「待って、ください。あの男たちは、モルザック男爵の手のものですよね? でしたら、私が目的のはず。どうぞ私の身柄を差し出してください」

「今更だよお姫様。アンタはもうオイラたちの仲間で、オイラたちは仲間を敵の手に差し出すような真似はしねえ。特にアンタはちっちゃい女の子なんだから、守られるのが当然なんだ」


 有無を言わさぬ口調で説き伏せられ、ティーゼは半ば呆然としながら頷いた。

 こんな時にまで条件反射のように動く首が恨めしかった。足はこんなに重くて、心臓は悲鳴を上げているのに、どうして自分は頷いているのだろうか。嫌なのに、誰にも死んでほしくなんてないのに。ジジが仲間に迎え入れてくれたのは本当に嬉しかったけれど、それはこんな風に皆を危険に晒すためではなかったはずだ。

 それでも、長年染み付いた習性はティーゼの内なる悲鳴を抑えつけ、ヤントンの言葉に従わせた。

 ヤントンは再度外の気配を確認し、三階からひらりと飛び降りた。上手いこと受け身をとって立ち上がると、宿屋の裏口を見張っている男たちを背後から急襲しようと忍び寄る。幸い、彼らの注意は隣棟の騒乱に向けられていた。

 ティーゼは食い入るようにヤントンの姿を見つめていた。ヤントンが裏口の男を叩きのめしたら、ティーゼも窓から飛び降りて、一人ここから逃れなければならない。


(どうして、こんなことになってしまったんだろう)


 望んだことなんて、大して多くはなかったのに。ただ、陛下に自分を見てほしくて。誰かに振り向いてほしくて。

 それだけだったのに、どうして、こんなにたくさんの大切な人たちが、ティーゼのせいで命を落としているのだろう――。

 おこがましいことを考えたせいかもしれなかった。

 家族を失って弱っていたから、ジジの誘いを嬉しいと思ってしまった。

 もっと冷静に考えれば分かったはずである。ユーリィが最初に言っていたではないか。王女などという身分は厄介な荷物にしかならないと。


(断ればよかった。こんなことになるなら)


「大丈夫だからね」と言いおいて去っていったルチルダの微笑みが蘇る。あの銃声は、誰の体を貫いたのだろうか。


 ――嫌だ、これ以上考えたくない。


 けれど、こんな状況だからこそ頭は冷静に働いて、これから取るべき最善の道を示している。ヤントンの言葉に従えば良い。そうすれば、きっと助けが来るだろう――。


(ジジにさらわれた時と同じだ)


 従う以外、術がなかった。外には大勢の敵がいて、下手な真似をすれば殺されてしまう。少しでも生き残る確率の高い方に掛けた方が正しい。それは嫌というほど理解しているのである。

 なるようになるはずだ。

 陛下の言葉は正しくて、その言葉にティーゼは導かれて生きてきた。だから、これからも私はただの首振り人形であれば良い。それが一番正しいのだから。

 ふいに視界の左端に影が差した。

 それが敵の姿であると認めて、ティーゼは危うく声を上げそうになる。ヤントンは前方の敵の様子を伺うことに夢中で、背後の影に気付いていない。


(ヤントン!)


 窓枠をギリギリと掴んで、ティーゼはヤントンの背中に必死に念を送った。声を出すわけにはいかない。そうしたら、囮作戦もルチルダたちの犠牲も何もかも水の泡に帰してしまう。

 ヤントンの背後の敵が、下劣な笑みを浮かべて銃口を向けた。ティーゼと年の変わらない少年が、若い命を奪われようとしている。

 目の前の少年と、ここまでの犠牲。

 目の前の少年と、これからの犠牲。

 天秤はぐらぐらと揺れて、一向に静まらない。

 揺れ惑う心に反して、ティーゼの細い指先は、胸元に隠したカメレット・リボルバーを取り出していた。

 ヤントンの命を奪わせてはならない。

 けれど、ここまでの皆の犠牲を無駄にすることもならない。

 どちらが正しいのか、分からなかった。

 いつものように誰かに命令してほしかった。そうすれば、はいと頷いて、それに従うだけで良いのに。

 敵はまだティーゼに気がついていない。ここで銃を下ろして大人しくしていれば、ティーゼの居場所はばれずに済む。時間をかせげば、ジジとユーリィが助けに来てくれるかもしれない。

 ティーゼはぎりりと下唇を噛み締め、リボルバーのグリップを握り直した。

 そうだ、この手を下ろせば良い。ヤントンが言った通りにすれば良い。皆だって、ティーゼに大丈夫と言っていたじゃないか。大丈夫、すぐにジジが助けに来てくれるから。自分たちも必ず戻って来るからと。

 強く目を瞑る。視界からヤントンの姿も敵の姿も消えた。

 窓の外に向けていた銃口を、震える手でゆっくりと下ろした。


 ――私は、なんて……。


 五秒後、一発の銃声が、空に鳴り響いた。




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