11、会合
いつぞや活動報告で「少女小説風です」と申しましたが撤回します(震え声)
泣きすぎたあげく起きた途端頭痛がする。などという経験を、まさか自分がする羽目になるとは思いもしなかった。
頭を押さえ、ついでに昨日の昼から何も入れていない腹を押さえながら、ティーゼは起き上がった。すでに日は高く昇っていた。
夜から朝にかけて雨が降り続いていたのか、緑の下生えはつやつやと光っては露を弾き、裏手からは轟々と流れる川の音がした。
部屋にはベッドと小さなソファーと机しか置かれていない。同室のルチルダの姿も見えなかったため、ティーゼはひとまず廊下に出ようとした。そこを見咎められた。
「あ! 駄目だよ、部屋に戻っておくれ」
強い口調で言われたため、慌てて室内へ戻った。
一緒に部屋の中に入ってきたルチルダは、嘆息すると申し訳なさそうに「今日は一日部屋を出ないでおくれ」と頼んできた。
「食事は私が運んでくるし、不便はかけないから、我慢してちょうだいな」
「はい。それは構いませんが……」
「理由はジジに聞いとくれ。ボス直々の命令とあっちゃ、あたしは逆らえないからねえ。こんないい天気に、ちっとくらい散歩したっていいだろうに」
「はい。でも、ジジの言う事でしたら、きっとわけがあるんでしょう。……ジジは、出かけているのですか?」
「そうそう。ユーリィを連れてね。どこへ行ったかは知らないけど、今日中には戻って来るってさ」
「はい。教えて下さってありがとうございます」
ティーゼは窓辺に寄って、外の景色を眺めることにした。ここからは、山の麓まで見下ろすことができる。ジジたちは山を下りたのだろうか。
階下を見つめていたティーゼは、ふと引っ掛かりを覚えて視線を巡らせた。
(昨日は確か二階の部屋に泊まっていたはずだったのに……)
窓の下に見えるのは、三階分の距離であった。
(気のせいかしら)
不思議に思いつつも、ティーゼは遠くを見渡した。当然ながらジジとユーリィの姿は見えるはずがなかったけれど、早く帰ってこないだろうかと、二人の帰還に思いを馳せた。
そんな少女の視線を送られているとは露ほども知らず、ジジとユーリィは二人並んで歩を進めていた。
ティーゼの予想通り、二人は山麓まで下りた後、馬を走らせて西へ八キロほど行った先にある別の岩山まで来ていた。
岩山の一部は、包丁でも振り下ろして切断した断面のように切り立った崖になっており、無数の洞窟の入り口が覗いている。中は入り組んでいて、慣れない者が入るとそのまま白骨になるまで日の目を見られないことも珍しくない場所であった。
二人は数ある洞窟の内のひとつを潜り、右左右右……といった具合に足止めを食らうことなく奥へと進んだ。外からの光がめっきり差し込まなくなってしばらく経った頃、目の前がひらけ、切り取ったような空間が出現した。
海底にいるような冷たい空気が二人を足元から吹き上げていた。砂利を踏む音が、薄氷を削っているような気分に陥らせる。
前方の明りを目指そうとした二人に二本の槍の穂先が突きつけられた。
槍を構えた護衛兵たちがジジたちを阻んでいたが、その向こう側からそれを制す声があった。
「そいつはオレの古馴染みだ。通せ」
護衛たちは警戒心をむき出しにしたまま、ゆっくりと穂先を下げ、ジジとユーリィを先へ通した。ユーリィが背負った長い袋に疑るような目線が送られたが、ユーリィはへらへらと笑ってそれを受け流した。
黒い岩の壁と蝋燭の光だけで形成された薄暗い空間には、二十人ほどの屈強な男たちが輪になって座り込んでいた。その中でもひときわ異彩を放つ褐色肌の大男が、片手を上げてジジに挨拶する。
「ようジジ。久々じゃねえか」
「ボニガン、悪いな突然」
「まあ他の奴らなら門前払いするところだが、てめえなら話は別だ。良いってことよ」
下履きしか身に着けていないように見える異国風の男は、豪快に笑って、ジジとユーリィを迎え入れた。他の男たちの中にもジジを知っている者が多いのか、概ね寛容に受け入れられた。
この場に集まった男たちは、王都周辺を根城とする山賊団や盗賊団のボスたちである。こういった荒くれ者たちは、横のつながりを意外なほどに重要視している。縄張りが隣り合った場合など、小競り合いを起こさずにいかにうまく立ち回るかが、ボスに求められる資質でもあった。
ジジの盗賊団は小規模である。にも拘わらず、それなりの地位を築き、尚且つ疎まれることが少ない理由は、偏にジジの顔の広さにあった。
「飛び入り参加の身ですまねえが、よければ大方の情報を聞かせてもらえるとありがてえ」
「構わんよ、なあ皆。今は国の一大事だ。平民も貴族も俺たちも生き残るのになりふり構っちゃいられねえのは分かってる」
他のボスたちが各々頷くのを確認すると、ボニガンは無精ひげの生えた顎を撫でた。
「まあ、ここらでいっちょ情報をまとめておくのも悪かねえ。一昨日の王宮の事件は既に皆の知る所であるが、首謀者は分からん。あれだけの大火事じゃ、証拠も残らねえからな。……だがまあ、夜会に招待された貴族とそれ以外、ここ最近の情勢を鑑みれば、自ずと答えは出るだろう」
「はいはーい」
場違いな間延びした声が響いた。ユーリィである。
「それって具体的には誰のこと?」
「……あまりでけえ声では言えない名前だから伏せてるんだがな」
ボニガンの呆れた声も、ユーリィにはまるで効き目がなかった。
「でけえ声で話しても大丈夫な場所を選んでるんだから、伏せても意味ないじゃん」
ボニガンへの不遜な態度に、周りのボスたちが殺気立った。ジジがユーリィの頭に拳骨を落とし、文字通り地面に沈めた。
「ジジよお、部下の躾がなってねえみたいだな」
「すまん。コイツは俺の手に余る大馬鹿もんでな」
「……まあ良い。確かにそいつの言うことにも一理あるからな。――この事件の黒幕は、おそらく王宮の主、国王陛下自身だ。目的は王権派と改革派の腐った奴らの一掃と見た。デイリッヒ伯爵をはじめとして、大した能力もねえくせに金や権力にがめつい奴らが根こそぎあの事件で消息不明となっているのがその証拠だ」
ボスの一人が手を挙げた。ツヅリと呼ばれたその男は、抑揚のない口調で話し出した。
「他の奴らの生死はそれほど重要ではない。問題は国王陛下の消息であるはずだ。陛下が首謀者なのだとしたら、生き残っているのか否かによって事件の意味も変わってくる」
「確かにそうだ。俺もそこが気になっている」
ボニガンが思慮深げに頷いた。
それまで黙って話に聞き入っていたジジが、おもむろに口を開いた。
「第三者の介入が考えられるな」
「何?」
ボニガンの目の色が変わり、剣呑な光を宿した。
「あの国王がなまっちょろいことをするはずがない。根拠が俺の勘ってところが申し訳ねえが、多分あの王が王権派を壊滅させようと試みたならば、必ずわが身も滅ぼそうとしたはずだ。しかし、改革派の主力部分も同時に壊滅させちまったら、この国は二つに割れるどころか立ち行かなくなる。王侯貴族の半分がやられたんだ。ならば、考えられることはひとつ。国王陛下はこの国の舵を取ってくれる相手を他に用意している」
場がしーんと静まり返った。ユーリィだけが、事態の深刻さを理解していないようにへらへらと笑みを浮かべたままである。
ボニガンの指の関節が、コツコツと岩の床を叩いた。
「なるほど、そういうわけか……その第三者はギブメーゾ国に違いねえ」
「何故そう言い切れる」
ジジの問いかけを、ボニガンは無視した。よどみのない口調で続ける。
「ところでよお、てめえ、数か月前にでけえ依頼を受け負ったそうだな」
「……ああ、たんまり儲けさせてもらって、最近は毎日宴会だ」
「そりゃ羨ましい」
ガハハハハと野太い笑い声を挙げ、ボニガンの両隣のボスたちもうっすらと笑った。
ジジが表情を変えずに泰然としているのを見て、ボニガンは手を変えてきた。
「ジジよお、俺らの付き合いも長くなるな。俺はお前がちっちぇえ頃から知ってるし、何かと気にかけてやった。てめえのことは気に入ってるんだぜ。ここにいる奴らも、てめえには一目置いてる」
「何が言いてえんだ。回りくどいことはお互い嫌いな性質だろう」
「まあ聞け。俺は確かにてめえを気に入ってるし、てめえが困っていたら何くれと助けてやっていた。だがな、それは何を差し置いてもてめえを優先させるというわけじゃねえ。俺には二百人の家族がいて、そいつらを何が何でも守らなきゃならねえ。他の奴らもそうだ。てめえもボスなら分かるだろう」
ジジは淡々とした声でボニガンと対峙した。
「つまり何が言いてえ?」
「物事には優先順位ってものをつけなきゃならねえってことさ。どれだけそれを拒みたくともな。ジジ、てめえは情に厚い。だがな、今回ばかりは厚すぎだ。悪く思うなよ、骨は拾ってやる」
それを合図に、ジジとユーリィ以外のボスが一斉に立ち上がり、二人を包囲した。瞬く間に二十の銃口が二人に突き付けられる。
ジジのこげ茶の瞳は、ここでは漆黒に塗り込められていた。光が灯らない感情の読み取れない目で、ボニガンを見上げる。
「何の真似だ」
「モルザック。――そう言えば、分かるな」
「てめえが奴の言いなりになるようなたまか」
「相手が奴だけなら、俺は迷わず断ってた。だがな、奴の背後にある国を相手に陣取って立ち向かう馬鹿はどこにもいねえよ」
「ギブメーゾの野蛮人が」
銃口の輪が一回り狭まった。苦々しく吐き捨てたジジは、一声「ユーリィ」とだけ呼びかけた。
「はいよ、ボス」
ユーリィが背中の袋に手をかけ、勢いよく中身を抜き取った。
しかし、その時には二十発の銃弾が彼らの体を蜂の巣にして――いたはずであった。
当然二人分の死体をこしらえたと思っていたボニガンたちは、平然としてのんびり立ち上がったジジに唖然とし、彼らの背後で音を立てたものを振り返って呆然とした。
「だめだなあ、銃はしっかり持って構えろって教わらなかったの?」
にこにこと言ったユーリィは、この場で唯一武器を手にしていた。ボスたちが一気に色めき立つ。
「てめえ……何だそのみょうちくりんな武器は!」
「人の愛銃をひでえ言い様だ」
ユーリィの手から伸びる銃は、彼らがはじめて目にする形状をしていた。弾倉の形から判断するにリボルバーであることは間違いない。だが、長さは一メートルを超え、まるで長銃と見間違えるほどであった。何より、台尻の形が尋常ではなかった。まるで鋸の片歯のような――。その時燭台の明りが当たり、台尻が鈍く光る様を目にして、ボニガンたちは思わず括目した。
ユーリィの銃の台尻の片側は、正真正銘、頑丈な刃物でできていたのである。
「これは改造銃。騎馬戦用の馬上銃を参考に、リボルバーを俺専用に作り直してもらったんだ」
信じられないことに、ユーリィはその大物銃を振り回して、ボニガンたちの手から一瞬で銃を弾き飛ばしたのである。ここにいるのは、腕に覚えのある強者ぞろいであることなど歯牙にもかけない様子であった。
ユーリィがいきなり発砲し、続けざまに二人を撃ち殺した。
ボニガンたちは懐に隠していた別の銃を手に、ユーリィを倒そうと躍起になった。
ジジも愛用の銃を取り出して応戦する。といっても、ユーリィの強さは常軌を逸しており、ほとんど独壇場であった。
「ジジぃ! こんな化け物を飼い慣らしてるとは初耳だぜ!」
ボニガンは目を血走らせながら咆哮した。
「こんな奴飼い慣らせるはずがねえだろう。せいぜい放し飼いだ」
「はっ、道理で余裕かましてやがると思ったぜ。なあおい!」
そう言ったボニガンこそ、ユーリィの強さに驚いてはいても焦燥を表してはいない。まだ何か隠している手があるようだ、とジジが警戒を強めた時であった。
この広間の唯一の出口から、見るからに屈強な男たちが一斉になだれ込んできた。三十人はいるであろうか。
「ジジ、モルザックの周到さは嫌ってほど知ってるだろう! 洞窟の外にも五十人、それからてめえのアジトに百人、てめえらが泊まってる宿に百人だ! モルザックは、第三王女を大人しく引き渡せば、命だけは助けてやるとよ。俺はできるならてめえを殺したくねえ。さっさと降伏しやがれ!」
「ざけんじゃねえぞ!!」
ジジが銅鑼のような大声で啖呵を切った。
「てめえらが家族が大事って言うなら、俺にとってもそうだ。あのガキのことを引き受けるってことは、満場一致で決まったことなんだよ! アイツはもう、俺らの仲間だ。仲間は死んでも見捨てねえってのが、うちの盗賊団の鉄則だ!」
「あのガキ一人のために、仲間全員を危険に晒すのか」
「ああ?」
ジジの体から、殺気と怒気が膨れ上がり周りを威圧した。
「あんまりうちの団をなめるんじゃねえぞ。モルザックの手勢やギブメーゾ人を蹴散らせねえほど柔くねえ。精々地団太踏んで悔しがる準備でもしておけっつーんだ! 行くぞユーリィ!!」
「はいはいっと」
勢いよく飛び出し、鬼神のごとく敵を蹴散らしながら広間を脱出した二人であったが、いかんせん狭い洞窟内での戦いである。普段ならこの自然の迷宮を利用して撒いてやっても良かったが、そんな悠長なことをしている暇はなかった。
洞窟の外にも敵が待ち構えていることを考えると、袋叩きにされる可能性が高い。
どう切り抜けるか、ジジは頭を悩ませた。
「ジジ、あのさ」
「何だユーリィ、今喋りかけんな」
「ここから抜け出す方法、ひとつだけ思いついたから聞いてよ」
「ああ?」
ユーリィは息ひとつ乱すことなくその方法を説明した。
「俺を囮にすればいい。ジジはここの地形に詳しいんだろ? 二手に分かれて、ジジは目立たないようにここを脱出しなよ」
ジジは舌打ちした。囮作戦は真っ先に浮かんで、即座に切り捨てたものだったからである。
ジジが却下と言う前に、ユーリィはボスの懸念を笑い飛ばした。
「あのねえ、ジジ。俺とあの宿屋に残ってる戦力の差考えてみなよ。どう考えたって二手に分かれて、片方だけでも姫様を助けに行った方が正しいって分かるだろう」
「そんなことてめえに言われねえでも知ってらあ。俺だって、数十人程度だったら、てめえを置いてとっとと脱出してる」
「ひっでえ!」
「うるせえ。だが今回ばかりは不味いぞ。とりあえず啖呵は切っておいたが、相当追い詰められた状況だ」
とりあえず、であの大胆不敵な啖呵を切る所が、ジジのジジたるゆえんであった。
二人は背後の気配を伺った。土煙を上げながら、怒涛の勢いで迫ってくる集団の足音と怒号が聞こえる。前方にも敵の気配が近づいていた。このままでは挟み撃ちにされる。
「確かに、俺よりここの地形に詳しい奴はボニガンとボス連中だけだ。あいつらさえどうにかすりゃあ、ここを抜け出せる」
「じゃあ、迷う必要なんてないな。横道から逃げろ。あとは俺が引き受ける。多少の取りこぼしは許せよ」
ジジは、併走する己の右腕を見た。ユーリィの青い瞳は、こういう局面に陥る時ほど、不思議と凪いでいた。
「……任せていいか」
ユーリィはちらとも揺るがなかった。
「何のための副ボスで右腕だと思ってんだよ。それに、俺って死ねない体になっちゃったから、安心して」
「何だそれ」
うろんな顔つきになったジジの背中を、ユーリィは折よく出現した横道に突き飛ばした。自身は止まることなく、走り続ける。後ろで、ジジも同じように走り出した気配を感じて、ユーリィはホッとした。ジジは猫のように静かに走るため、横道にそれたことに気付かれるまで多少は時間が稼げるはずである。
本当に、情に厚いところが欠点だ。ユーリィの使いどころなど、こういう場所以外ないのというのに。
ユーリィの命を投げ出すことを厭わない戦闘狂いな性格を知っているからこそのジジの懸念であったが、今回ばかりは的外れと言うべきであった。
――だって、俺、絶対に死んじゃいけない体になっちゃたんだよ。俺一人の体じゃなくなったというか。
そう心の中で呟いて、誤解を招く言い回しだなと一人で笑った。
脳裏をよぎったのは、悲鳴のような痛切な声で「死なないで」と懇願したティーゼの涙であった。
「嘘は吐くけど、真剣な約束は破らない主義なんだよねえ」
――死んでも構わないと戦闘に興じるのも良いけれど、生きなければならないという制約をつけて戦うのも結構楽しいかもしれない。
全力疾走していた両足を、ユーリィはピタリと止めた。靴底が凹凸のある岩を擦る音が鳴った。前方と背後から敵の気配が迫っていた。
「百人かあ、腕が鳴るね」
静かに凪いでいた海色の瞳が、みるみる輝きを増しはじめた。全身に闘気をみなぎらせて、ユーリィは愛銃を構える。吹き上げる風に栗色の髪がぶわりと浮き上がる。
いざ勝負、と力強く引き金を引いた。