甘粕先輩現れ語る 前編
狐に摘ままれたような気分で、少しの間、僕はその場に立ち尽くしていた。
そこに声を掛けてきたのは、今時珍しい陶器の酒瓶を肩にさげた甘粕先輩だった。甘粕先輩は僕の通っていた専門学校の一期上で、確か一年浪人していたので二歳上になる。
甘粕先輩の周囲の評価は、
変な人につきる。
今時、20代の若者が甚平に下駄履き、さらに酒瓶を腰に吊るして歩いているのだから、多様な人々のいる都市部ならともかく、この片田舎の地方都市では目だつことこの上ない。
ちなみに先輩は僕と同郷で、この町の生まれだ。実家は造り酒屋で地味だが、酒好きの間では中々、有名な蔵元らしい。ちなみに酒の名前は笑天、笑顔で極楽に逝ける酒だというが、日本酒を呑まない僕は今のところその味を知らない。
先輩はその造り酒屋の後継ぎなのだが、本人に気がないのか学校を卒業後、実家にもどらず母方の祖父にあたる人が遺した一軒家に住んでいる。
本人曰く、
「万能の天才である俺が、何か一つに才能を費やすのは罪なのだ。まぁ、飯も食わんといけないから、副業もするがな。」
その副業に関して、いつもたずねるのだけれと、学生時代からやっているとしか教えてもらえない。
だが先輩が食うに困っているのは、見たことがない。それなりに儲かっているのだろう。
「ナキ女?」
話を聞いた先輩は腕を組みナキ女、ナキ女と繰り返し、まるで吠える前の犬のように唸りだした。大きな身体を丸めて唸る先輩は、獰猛な猛獣にしか見えない。
ちなみに場所はうつって、先輩の行きつけの食事処清廉亭である。
店の奥の座敷である。いつ来てもこの座敷は空いている。
暫くして注文した岩牡蠣丼がくると、先輩は黙って掻き込み始めた。丼の中にはでっぷりと肥った岩牡蠣が卵とじにされて黄色い衣をまとい、さぁ、食えと言わんばかりに湯気を上げている。さらに彩りを添えるのがアサツキの力強い緑と、細かく刻まれて卵の衣を飾るトマトの赤い輝き。
僕は母なる海から、引き揚げられて人間に食われる、岩牡蠣を気の毒に思った。しかし、彼等は僕たち人間の生命活動を維持するための尊い犠牲なのである。その人間がどれほどしょうもない人間だとしてもだ。僕なんぞに食われる不運を呪っているかもしれないが。
さておき、この岩牡蠣丼が滅法美味い。絶妙な火加減で、卵も岩牡蠣も濃厚に混じり合い、和風出汁に使われたオイスターソースとトマトの酸味を受け止めて旨味が膨れ上がる。さらに微かにピリリ、と山椒が爽やかだ。毎年、夏はこれを食べる。この町では鰻より需要が多いかもしれない。
僕が岩牡蠣丼を堪能していると、さっさとたべ終えた先輩が、グズグズするなとばかりに眉間に皺を寄せていた。
「で、そのナキ女は何処の誰なんだ?」
そう聞かれて、僕は頭をかいた。先輩はその仕草で、概ね理解したようで、呆れた声をあげた。
「お前、聞いてないのか。全く、昔から変わらん奴だなぁ。」
「それは、まぁ、僕もうっかりしてました。ただ、彼女が泣いていたのが驚きで…」
「ナキ女か。ふむ。」
先輩は勿体ぶった口調で言葉を一旦きって、おかみさんが用意した食後のお茶をすすった。僕もそれにならう。いつもながらちょうどよい湯加減で、淹れられたお茶は、食後の胃を慰労するようにまろやかで心地よい。
さて、先輩の様子を見る限りこれからナキ女について、なにやら一席ぶつつもりであることは明白であった。その脳髄に無駄に溜め込んだ、本人曰く知識と経験からなる真理を現す我楽多曼荼羅が先輩の心には描かれていて、あらゆる事柄はその曼荼羅を見つめれば理解できるのだという。何故、我楽多なのか。無価値な物や無意味でくだらないことに、情熱を注ぐことこそが、楽しみや幸多き人生を歩み生きることだという先輩の信念から、我楽多曼荼羅はできているらしい。
甘粕先輩が変わり者である事は先に記したが、より先輩の変わり者ッぷりを伝えるエピソードがある。聞いて驚く、いや呆れるなかれ先輩は、以前に大狸の弟子だったことがあるのだ。
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いや、いやいや、ちょっと皆さん、そっぽを向かないで聞いてもらいたい。まだ僕達が学生の時分である。いっとき、先輩が姿を消したことがあった。
とは言っても、東奔西走、ちょっと行ってくると断っては南は沖縄、北は北海道を越えて(この場合、南奔北走と言うべきか。)北方領土付近でロシア軍にヨットを拿捕されて一週間、拘束された先輩である。なんでも「黒パンは飽きた。ウォッカぐらい出して、もてなしできんのか!
おい、お前退屈だ。ロシア民謡の一つも歌ってみせろ!」といった調子だったそうで、さぞロシア人も扱いに困ったことだろう。
そんな人だから、ひと月が過ぎても誰も心配していなかった。さらにひと月が過ぎると、さすがにこれは変だ、と皆が言い出した。
やれ、BBCのニュースに写っていたとか。東京墨田区で建設中の某電波塔に腰掛けて一杯やっていたぞ、いや俺は富士の樹海で嬉々として自殺志願者に説教しているのをみた、いやベッドの下で酒をもって隠れている(都市伝説でもあるまいに…)、などなど皆が口々に噂しあった。そして、三ヶ月がすぎた頃、先輩はふらりと帰ってきた。
最後に僕と会った行きつけの蕎麦屋を出た時と変わらぬ、濃紺の甚平にハンチング帽(鳥打ち帽、あのイギリスの名探偵が被っているやつだ。まあ、実際、作品の中では鳥打ち帽をそれほど頻回には被っちゃいないけど。)といういでたちだった。違っていたのは酷く汚れて、髭も髪もざんばらに伸び放題で妖怪ケウケゲンのごときあり様だったことだ。そして汗や垢の入り混じった酷い臭いを漂わせていた。異臭騒ぎが起きかねない。臭いの暴力、いやもうこれは兵器並みの臭いだ。僕は後退り鼻をハンカチで覆った。
「先輩、甘粕先輩じゃないですか。一体、今迄どこにいたんです?」
「ほうほう。なんだいまさか心配してました、なんて言うんじゃないだろうな。」
「え、あぁ、そうです。今、まさに先輩の家にガサ入れに入る相談をしてた所でした。」
「かかっ、大方、貸した物を返せだとか騒いでいたんだろう。了見の狭い奴等だ。世の中の物なぞ、すべからくシェアリングすりゃ良いんだ。下手に物なぞ集めるからいらん欲がでる。世の争いの種だ、分け合って今日、明日に必要な分を弁えていれば楽と言うもんだ。」
さながら煩悩や物欲を捨て去った修業者のような物言いであったが、先輩の部屋は床も抜けんばかりに、種々様々な物がひしめいているのを僕は知っていた。
まずLLサイズのアロハシャツを着たあの有名な狸の信楽焼が部屋の一角を占有している。さらに借りたか、買ったかしれない本が山脈を作り、焼酎、ウィスキー、日本酒の酒瓶が麓で森の木々の如く乱立している。中でも某社のだるま(あるいは地域によってはタヌキという)と愛称で呼ばれる丸くて恰幅の良いウィスキーの瓶が多かった。また、年中、放りっぱなしの万年床やいつから掃除されていないのか解らないジメジメして、妙な茸でも生えてきそうな台所。そもそも、畳自体がなんだか吸い付いてくるような気がする。まぁ、一人暮らしの貧乏な学生の暮らしであるから、あまり小綺麗な部屋の有り様を求めるのは難しいだろう。僕にしたところで、人様に部屋が汚いなどと言えるものではなかったし、綺麗にしたところで、見目麗しい女性が訪ねてきてくれるわけでない。自然、部屋の中は混沌とした自堕落な男子学生の内面を映す鏡のような有り様になるのだった。
ともかく、一度貸した物は、生涯二度と陽の目を見ることは無い、その界隈の学生の間で通称・四畳半ブラックホールと恐れられるのが、先輩の部屋であった。だいたい、部屋の主の先輩にしたところで、何を誰から借りたか一々覚えていないのである。催促してもどこ吹く風、暖簾に腕押し、さらには貸す気が無くてもいつの間にか、欲しい物を持っていく先輩。
四時半ブラックホールがあるなら、ホワイトホールがあるのではないか?そう考えたある学生が、先輩の部屋に侵入して失踪したなどと、奇妙な噂が立つほどであった。実際に先輩の顔見知りの十和田とかいう大学生が、同時期に行方不明になったので噂に拍車がかかった。十和田という大学生が行方不明になった真相は、その後聞いた憶えはない。
「それで先輩、今までどちらに。」
「うむ、故あって千葉、群馬、愛媛に出向いていた。」
「は?千葉、群馬、愛媛?」
僕が首を捻っていると、先輩はウウム、と不機嫌な唸り声をあげて察しの悪い弟子だ、と吐き捨てた。僕はいつから先輩の弟子になったのだろうか。
「もういい、風呂だ、風呂に行くぞ!」
そう宣言すると、先輩は下宿先を出て行った。先輩の下宿するボロアパートには、風呂はなかった。向かった先は、近所の商店街にある銭湯である。
その道行きで、甘粕先輩の脇を通った野良犬が、ギャウン⁈と鳴いてよろめいたかと思うと、白目を剥いて悶絶した。さらには塀の上を気取った足取りで歩いていた猫が、ビクリと硬直して転落、そのうち鳥が落ちてくるのではなかろうか。とんだ最臭兵器である。道行く人も、なんとも言えない視線を先輩に送っていた。僕は昼寝ように持参していた耳栓を、鼻に押し込んだのでなんとか耐えられていたが、これは辛い。
そんなこんなで、周囲に悪臭と悪評を振りまきながらも、甘粕先輩は一向に気にすることなく銭湯に辿り着いた。銭湯内では、悪臭に悶絶した客が死屍累々と積み重なったが、番台にいた百歳になろうかという干物のような婆様は、甘粕先輩の異様な姿と臭いも気にすることなく、平然と座っていた。それが年の功から来るものなのかと思うと、恐るべしである。
浴場で伸び放題の髪を持参した鋏でざっくざくと切り落とし、髭を剃り落とすとようやく見慣れた顔があらわれた。体を洗うと、垢や何やら解らない汚れが、滝のようにしたたりタイル張りの床に汚濁の流れを作って排水されていった。
「ぷはぁ、風呂は良いもんだ。」
すっかり以前の甘粕先輩に戻り、湯に身体を深々と浸して満足そうに体をゆすった。
「それで千葉、群馬、愛媛と言うのはどういうことなんですか?」
「わからんか?」
「えー…落花生、あんこう鍋、旅がらす、水沢うどん、みかん…」
「馬鹿野郎、食い物ばかり…?旅がらすってのはなんだ?」
「群馬の銘菓です。ゴーフルに似てます。こうサクッとした薄焼き煎餅でクリームをサンドした、日本茶にも会う菓子ですよ。」
ちなみに落花生は千葉、旅がらすと水沢うどんは群馬…あんこう鍋は…茨城だ。間違ったチバラギ、いや茨城や千葉の方、ご勘弁して頂きたい。
「なんで旅がらすなんだ?群馬と言うと国定忠治がいたな。」
甘粕先輩は突然、
赤城の山も今夜限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て、国(故郷)を捨て、可愛い子分のてめえ達とも 別れ別れになるかどでだ。
と、やり始めた。生憎、僕は良く知らないのであったが浴場にいた老人が、
「親分!」
と、たらいをカポンと叩いて合いの手を入れた。
「国定忠治の旅立ちの場面でな、北に向かって渡り鳥が飛んで行くのだ。日本人の叙情をくすぐる名場面だな。それで旅がらすなのか、厳鉄よ?」
「違いますよ。確か八咫烏を旅の守り神として、旅の土産に名付けたらしいです。先輩、群馬に行ったのに土地の銘菓の一つも、食って来なかったのですか。」
誰が厳鉄か。そもそも厳鉄とは誰か。国定忠治と言えば、我が知識の泉(漫画喫茶)で全巻読破した気は優しくて力持ちが主人公の某有名野球漫画に群馬県赤城高校のエースで、出てくるが関係があるのだろうか?
「なんだあの三本足の化け烏か。ふん、俺はお前と違って食い意地ははっとらんのだ。」
甘粕先輩にかかると神話において神武天皇を案内したという神の使いも、化け猫などと変わらぬ扱いである。
「じゃあ、結局何をしに行ったのです?」
「證誠寺の狸囃子、分福茶釜、八百八狸。千葉、群馬、愛媛で語られる狸伝説だ。日本三大狸伝説とも言われている。」
先輩がふいに立ち上がったので、僕の目の前に見たくもない、風に揺られてぶーらぶらな、ジョニーと黄金を包む袋があらわれた。
「はぁ…たんたんたぬきですか。」
「その通り、俺は我がルーツを求めて巡礼の旅に出ておったのだ!」
甘粕先輩は周囲の人々の視線を受け止めて、高邁な演説をするように全身を使って、大きく身振りをしてみせた。
かぽ〜ん、と洗い桶が気の抜けた音を響かせご近所のご老人が、なんだか知らんがはじまったぞい、と拍手を響かせる中で甘粕先輩の狸噺が続いていくのだった。