表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

夕顔の君

背中を押す祖父の手の温もり。

僕たち兄弟はその日、父母を失くした。


生きるワシラに

死ぬヤツら、生きているなら

踊りゃにゃ、損、損!

ほれ、お前も阿呆にならんか!

それ、それ、それ、それ!


冬空高く咲いた花火の下で、祖父はどんな顏をしていたのか?

僕は憶えていない。

阿呆の如く笑っていただろうか?

そして、自分はどんな顔をしていただろう?


僕は眠りに落ちる間際、

いつもあの時の事を考える。

彼女の涙を見た日から。


あれからもう一度、僕は彼女にあった。仕事帰りの初夏の夕方のことだった。夏の夕焼けは、青い空に長く伸びやかな橙の光がぼぅ、と滲んで混ざりこんでいた。

葬儀を終えたらしい人々の群れから、遠ざかるように歩く彼女の後ろ姿を見つけた。遠目ではあったが、なんとなく、彼女だとおもった。


後を追いかけ、呼び止めた僕を彼女は不思議そうに見つめた。ちょうど登り坂の半ばで、彼女は夕焼けを背負い、その影が方に伸びている。僕がなんと言おうか、迷っていると彼女は、傍らの屏に目を向けた。。つられて見ると、屏に蔓を這わせた緑の中に、一輪の白い花が咲いていた。


「黄昏草。夕顔。」


五つに分かれた花弁の輪郭をそっと指先で、なぞりながら彼女は、そういった。

夕顔…

源氏物語にそう呼ばれる女性が登場したはずだ。源氏の君と契ったばかりに、他の女性に嫉妬され、その生霊に憑かれて死んだ。儚く悲劇的な運命を辿ったのが、夕顔である。


それと…


「夕顔と言えば、実を干すとかんぴょうになるじゃなかったかな…。」


僕はそう言ってから、何故、よりによってそれを言うのかと、自分が恥ずかしくなった。花の話をしていて食べ物の話題にする。花より団子の見本みたいではないか…


「え、かんぴょう?かんぴょう巻きの?」

「えーと、鉄砲巻きとか言います。あ、これこれ。」


夕顔の蔓に覆われた屏の下の地面は、煉瓦で囲いをした花壇になっていた。その夕顔の根元にどっしりと丸いスイカ程の、緑色の実が出来ていた。


「これがかんぴょうになるの?」

「この実を削って干したのがかんぴょう。」

「ふ〜ん…」


彼女はそのそばにしゃがみ込んで、夕顔の実を指先で、とんとん、と突ついた。そういえば、名前も花の姿も朝顔に似ていて素適なのに、この大きな実が不格好でぶち壊しだ、と言う話もあったかな、と僕は彼女に言った。いや、違うだろう。僕は別にそんな話をするために、彼女を呼び止めたわけでは無いのだ。


「夕に咲き、朝には花閉じる。

夕闇のなかでひっそりと咲いているなんて、健気よね。」

「そう?僕は朝顔の方が好きだな。誰も見ていないのは寂しくない?」

「でも朝顔は萎んで閉じていく様子まで見られちゃうのよ? そんな所まで、見られるのはイヤよね。」

「まるで自分が花のようにいうんですね。」


彼女は柔らかな笑みを浮かべたまま、朗々と澄んだソプラノを響かせた。


「花の命は短くて苦しきことのみ

多かりき。」


「命短し、恋せよ乙女」


と、僕の口からそんな言葉がついてでた。


彼女はクスクス、笑いながらこちらを見る。

その様子は初めて見たときの、どこか陰をもった凛とした彼女ではなく、どこにでもいる普通の女性に見えた。

でも、彼女は涙を流せるのだ。


「どちらも女を花に例えてるでしょ。若さだけが女の価値みたい。」

「そうかな?」

「そうよ。もうこんな時間。行かなくちゃ」


さよなら、と踵を返した彼女に僕は慌てた。

聞かないと‥

焦った僕は普段なら絶対しなかったであろう行動にでた。

彼女の腕を掴んで引き留めたのだ。やってから、後悔が冷や汗の如く噴き出してきた。変質者扱いされても仕方ない行為だ。非紳士的行為で退場処分である。


「えぇ、と‥」


口ごもる僕を、嫌がる風もなく彼女の切れ長の瞳が見つめてきた。その静かな凪の海のような瞳を見つめ返した途端、言うべき言葉が零れだした。


「何故、涙が流せるのですか?」


それを聞いた彼女はにっこり笑って、


「だって私はナキ女だもの。」


まるで世界の真理を語るように、はっきりとそう言ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ