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親を思いて泣く蛙

「あんたたち、蛙が泣くわけを知っているかい?」


すっかり酔っ払った僕と鵜飼君が、勘定を済まそうと席を立ったとき、ガマガエルの置物を磨いていたおかみさんが、そう言った。


むかしむかしある所にカエルの親子がすんでいました。しかし子ガエルは大変なあまのじゃくで、親ガエルの言いつけと反対のことばかりしていました。

いよいよ死ぬという時に、親ガエルは(墓が流されないように、山の上に墓を作ってもらいたい。しかしこいつは言いつけと反対のことをするから…)と一計を案じて「墓は川のそばに建ててくれ。」と言い残して死んだのよ。

ところが子ガエルはこの時になって反省し、「遺言は守らなければならん」と、本当に川のそばに墓を建ててしまったの。だから雨が降りそうになると「親の墓が流される」と泣くんだってね。


「なんですか、馬鹿な蛙ですねぇ。いつも通りにしていれば、良かったのに。教訓は信念を貫きなさい。」

「それは違うだろう。普段からへそ曲がりな行動は慎めってことだろう。」

「ふふん。しかし、人間は無駄を悟って泣かなくなったのに、蛙は泣くのですねぇ。」


そんな僕たちのやり取りを、おかみさんは楽しそうに聞いていたが、ふいに寂し気な顔をしてぽつりと漏らした。


「でもねぇ、あたしはこの話の子ガエルが、少し羨ましいのよ。」

「え?何故です?」

「子ガエルは雨が降るたびに、親を思って泣くんだよ。そのたびに親ガエルに会えるんじゃないかと思うのよ。明るく前を向いて歩いていくのは、良いことよ。でもね、悲しまず、パーっと葬式をして死んだ人を忘れちゃうのは…どう言ったらいいのかねぇ。何かが足りない気がするんだよ。ゴメンねえ、よくわからないこと言って。」


おかみさんは、そう言ってからお土産にと携帯のストラップを僕たちに渡してくれた。木彫りの中々、コミカルな顔つきのガマガエルである。

そのガマガエルには三本しか足が無かった。

なんでも蛙の仙人が連れていて「青蛙神」とか「青蛙将軍」、「金華将軍」などと呼ばれ、縁起物として信仰されているらしい。なんとも偉そうな蛙である。


かわずの寝床を出ると、もう陽がとっぷりとくれていた。酔いを醒ましながら、僕らはぶらぶらと歩き出した。


「鵜飼君は、おかみさんの言ったことが、解ったかい?」

「あのねぇ、君。存在しないものに、どうやって会うんですか。幽霊じゃないですか。」

「…思うたびに会える。」

「つまり想い出の中の故人に会うということでしょう。感傷に浸るわけですねぇ。」

「僕らが今日、トナカイ先生の思い出を語り合ったことも、感傷から、懐かしさからだと思うけどね。」

「ええ、それは認めますがねぇ。感傷に溺れることは無いでしょう?何事も過ぎれば、毒ですよ。」

「…でも、涙が無意味なら何故、昔の人たちは涙を流したんだろう。」

「今日はえらく拘りますね。」

「鵜飼君は気にならないのか?ずっと昔から気になっていたんだ。爺ちゃんの時代には涙は確かにあったんだよ。」

「必然的に失われたのでは?生きていく上で不必要な機能だからじゃないですかねぇ。」

「……」


そうだろうか?泣くことも、涙も不必要だから失われていくのだろうか。鵜飼君は本当に、幼い従姉妹の死に囚われず生きて来れたのだろうか。それともささやかな幻想として、彼の中に根付いているのか?


「鵜飼君…従姉妹の話をしたとき、君はなんとも感じなかったのかい?」


緩々と歩いていた僕らは、ピタリと足を止めた。僕は鵜飼君の顔を見つめた。その中に何かが、浮かび上がらないかと、


「そんなに見つめちゃ、いやん。」

「ええい、鬱陶しい。くっつくなよ」


何時もの如く、おどけて肩を寄せてきた鵜飼君をかわす。


「君ねぇ、僕が空気を読むことが上手いと言ったのは君ですよ。僕は君が求めているように振る舞っただけです。」

「僕が?」

「そう、僕は空気のように如何様にも変わる男ですから。」

「そうかな…そうかもしれない。」

「そうですよ。」


それきり、僕らは黙って夜道をあるいた。田んぼの脇道を通ると、蛙たちががぁがぁ、げェげェ、とないていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



夢を視た。

僕と鵜飼君が、肩を並べて歩いていた。

かわずの寝床からの帰り道。

田んぼの脇道に差し掛かったとき、道を塞ぐ影があった。それは両の掌を足しても乗らないような、巨体をした蛙であった。皮膚は赤茶色のまだら模様で、ボコボコとイボがある。飛び出した眼が、グルグル動きギョロリとこちらをみた。どうにもふてぶてしい雰囲気であった。


「ガマガエルですよ、君。おや、三本足だ。金華将軍様ですねぇ。」


鵜飼君が妙に浮かれた声で、指差した。確かに前脚が一本しか無い。千切れたとかではなく、最初から無いのだ。金華将軍様はすぐにこちらに興味を無くしたようで、ビィよん、と跳ねて田んぼの畦道に降り立った。


「あ、お待ち下さい金華将軍様。ねぇ、ちょっと。」


鵜飼君は妙にへりくだった態度で慌てて声を掛けたが、金華将軍様はまた跳ねて、畦道を進んで行く。鵜飼君がそのあとを追っていく。


「鵜飼君、待てよ。どうするつもりさ。」

「何を悠長な。金華将軍様は幸運のシンボル、縁起物ですよ。僕らに幸運を授けて下さるんですよ。」

「幸運?どんなさ?」

「具体的にお金でしょう」

「俗過ぎる!夢とか希望を持てるロマン輝く物を期待しようよ⁈信頼と実績のロマン輝く物!」


あれ?ロマン輝く…駄目だ、それでは某宝石販売会社になるじゃないか。


「夢とか希望とか、はっきり見えないものは信用なりませんねぇ。まあ、面白ければいいんですよん。」


そんな遣り取りをしながら、僕らは畦道を行く。鵜飼君は、


裏の畑で蛙鳴いたら、帰ろ帰ろ、おうちに帰ろ〜、大判小判がそ〜らか〜ら、ざっくざく


と何やら色々、混ざったデタラメな歌を口ずさみだした。前を行く金華将軍様は、測ったように一定の間隔でビィよん、と跳ねる。それほど早い動きでもないのに、気がつくと距離が開いている。そのうち僕らは走り出していた。

畦道はぐねぐねと、まるで蛇のようにのたくっていた。僕の記憶だとその畦道は、真っ直ぐ山の中へと続いていたはずだが…まぁ、夢だから、そんなものかもしれない。月明かりしかない、闇の底のような畦道をどれぐらいの間、金華将軍様を追いかけただろう。

夢だからなのか、僕の意識は時に二つに分かれて遠くから、その光景を見つめてもいた。

終わらない追いかけっこをする、一匹と二人のシルエットは、影絵がくるくると回り続ける回り灯籠を思わせた。回り灯籠の別名は走馬灯だったろうか。僕が小学生の頃、祖父の家の庭に面した板間に、回り灯籠が置かれていた。

回り灯籠は木枠が内外と二重になっていて、内の軸に人や動物の絵を切り抜き貼り付ける。外枠には紙が貼り付けられていて、灯籠に明かりを灯すとその紙に人や動物のシルエットが浮かび上がる。つまり影絵と同じ仕組みになっている。これが何故、回り灯籠と言われるのかと言うと、明かりの熱で暖められた内部の空気が上昇気流となり、内枠の上に付いた風車が回転する。それに合わせて影絵も回る。

もちろん小さな頃は、そんな理屈は理解していなかった。ただ、戸を閉め切った板間の暗闇の中で、暖かな色の光に浮かび上がった影が、静かに回り続ける様は僕を魅了した。それは飽くことのない、光と影の密やかな舞踊。未来永劫、無くならない世界の秘密を覗き見するような、奇妙な心地よさがあったように思える。


どこまでもいつまでも、くるくる、くるくると……過去も未来も現在もなく……

無限に…永遠に…果てなく…終わりなく…

くるくる、くるくる、くるくる、くるくる、くるくると回り続ける。


いつしか静かに、雨粒が僕たちに降り注ぎ始めた。するとどこかで小さく囁くように、蛙がナイた。最初は間延びしていたが、次第にナキ声は密度を増して、やがて畦道の両脇から僕たちを挟み込むように迫ってきた。蛙は雨が降るたびに、親を思い泣くのか?僕はかわずの寝床のおかみさんの言葉を、思い出した。


子ガエルは雨が降るたびに、親を思って泣くんだよ。そのたびに親ガエルに会えるんじゃないかと思うのよ。明るく前を向いて歩いていくのは、良いことよ。でもね、悲しまず、パーっと葬式をして死んだ人を忘れちゃうのは…どう言ったらいいのかねぇ。何かが足りない気がするんだよ。


何が足りないのだろう。

泣くこと、涙すること、

蛙は何故、悲しむ。何故、涙は在る。


そして僕と鵜飼君が、金華将軍様を追いかける後から、

どんちゃん騒ぎをする人々の群れが続く。

悲しみ無きように、悲しみ無きように、と歌うように皆で囁き合い、

死者と共に悲しみや涙をこの世から、

完全に葬り去ろうと行進していく。

それらが一つの影絵となり、

回り灯籠は回っていた。


どこまでもいつまでも、くるくる、くるくると……過去も未来も現在もなく……

無限に…永遠に…果てなく…終わりなく…

くるくる、くるくる、くるくる、くるくる、くるくると回り続ける。







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