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鵜飼君の話

僕の実家が祖父の代から、この町で病院をしていることは君も承知の話です。今は小児科ですが、祖父の代は整形外科だったそうですよ。

君も覚えているでしょうが、僕がこの町にやって来たのは、中学生になる前、小学六年になる年の初頭でした。君も僕もまだ、純真一途なきらきらと輝く瞳をしていましたねぇ。え?気色の悪いことを言うな?そう照れずに。


それ以前は父が勤務していた長野にいました。日本の屋根と言われる日本アルプスのある長野ですよ。僕が蕎麦に煩いのは、信州で美味い蕎麦を食べて育ったからですね。細胞の幾分かは、蕎麦で出来ていると言うぐらいに蕎麦を愛しているのは、そこにルーツがあるわけですねぇ。


父はこの頃は救命救急にいたように記憶しています。その後、祖父が体調を崩し気味になったので、実家の跡を継ぐために父は僕らを連れて帰郷したのです。


そうして、僕らは出会い後に僕と君と羽仁はにの鶴城北中学三銃士が、結成されたのでしたか。そういえば羽仁は今、何をやっているんでしょうか?え?北海道の大学で講師をしている。また、馬鹿に寒いところに行きましたねぇ。気が知れませんよ。


で、我ら鶴城北中学三銃士は誓ったのを覚えていますか?


「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは…」


え?それは三国志演義の桃園の誓い?

そうでしたか?

まあ、いいじゃないですか。要は互いのために生きましょうって誓ったわけですから。

そして僕らは気の置けない友になったのでしたねぇ。


ちょっと、何を怒っているんですか君は?

ああ、君と羽仁が我らがクラスの華、

舞坂悠里さんへの誕生日プレゼントにと、

夜の学校に忍び込み外壁に彼女の好きな芸能人の絵を、スプレーで書いてサプライズしようとしたのを先生に相談したことですか?

密告?人聞きが悪いですねぇ。


僕は君らのために断腸の思いで、相談したのです。まぁ、その間に屋上から美術部に依頼して製作してもらった舞坂嬢の好きなアーティストの絵を吊るしたことで、誕生日プレゼントは間に合いましたね。


当時、僕らは先生方にマークされてました。特に生徒指導の久和先生は執念を燃やされて、虎視眈々と一網打尽にする機会を狙っていましたからねぇ。久和先生は運動会の校長の頭髪借り物競争強奪事件以来、僕らの尻尾を掴みたがっていました。ですから、あの夜の動きが漏れていると気づいた僕は、ああするしか無かったのですよ。囮?


イヤイヤ、一人は皆のために、皆は一人のために、じゃないですか。

All For One、One For Allの精神ですよ。僕のための君たちの自己犠牲は忘れられない、美しい思い出ですねぇ。


もういいから、本題に入れ?

なんでしたか、ああ僕が空っぽだという話でしたねぇ。


君が言う通り、確かに僕は場の空気を読むのが、得意です。いえ、得意だったと言うべきでしょうかねぇ。大学生活の半ばから、僕にとって空気を読むことは、息をすることと同義になってきたのです。極めてオートマティックに、人と関わるときには相手の呼吸に合わせている自分に気付きました。空気を読むというのは、どういうことだと思いますか。


今、自分の周囲にいる人がどんな顔をしているのか。その表情がどんな心情や気分なのか?また社会全体、あるいは自分の属する組織のなかの力関係を、鋭く機敏に察して流れに身を任せるのが、僕です。


いや、もちろんそれは悪いことではありませんよ。人間関係においては、むしろ肯定的に推奨されるべきでしょう。集団の和を乱さないことは、一つの美徳と言えますからねぇ。


ですが、それが行き過ぎれば、蝙蝠の如き、変わり身ばかりの生き様ですよ。己れの信念なんてありません。ただその場、その場で相手に合わせてくるくると向きを変える、風見鶏なわけです。


そんな生き方に、自分なんて必要でしょうかねぇ。大きくなるにつれて、その傾向は強くなり、僕は自分がどんな人間なのか解らなくなってしまいました。


はっきり言わせてもらうと、僕は君らとの学生生活にしたところで、どれだけのことを自分から望んで行ったのか、僕自身にも解らないのです。一見、能動的に見えて、その時の状況に反応している全くの受動的人間なわけですよ。


今日、僕が語ったかなりの部分は、嘘です。戯言です。蕎麦は嫌いかもしれないし、長野で生まれてもいないのかもしれません。また、君と僕が親友で在ると言う言葉さえ、気分や流れで言っているのでしょうねぇ。


そんな僕の空虚さを、子どもは見抜くでしょう。子どもは親の背中を見て育つと言いますよね。親を周囲の人を模倣して、やがて自分というものができるのではないですかねぇ。


そんな子どもに僕のような人間が、見せられますか?自分が空っぽだと言いながら、彼らの瞳に映る自分を見ることが、恐ろしいのですよ。本当に自分が空っぽだと、確信を得るからです。周囲に合わせて、ただただ悲しみ無きように、悲しみ無きように、と繰り返す、どうしようもない存在の軽さ。


そんな僕は子どもたちに笑えるでしょうか?病気と闘え、負けるな、精一杯生きろ、などと言えるでしょうか?死んだらそこで終わりです。自我は消えて、肉体は物体となり何も残りません。魂などという曖昧で、視えない物は存在しません。肉は焼かれ、骨と灰になります。わずかな骨を墓に納めて、どうするのですか。そこには、もう誰もいないじゃないですか。


誰もがそう言いますよね。子どもを喪った親に、さあさあ、もう子どもさんはいませんよ、嘆いたところで帰りはしません。

悲しみ無きように…

悲しみ無きように…

そんな言葉を人に投げかけ、笑い合うたびに自分のあまりの空虚な心は、周囲の空気を吸い込み、虚しく膨らむのですよ。


そして、いつしか僕は空気そのものになり、

消えていくのです。


僕がこんな自分に気づいたのは、高校一年の春が間近な雪の日でしたねぇ。僕の従姉妹にけいちゃんという、まだ五歳になったばかりの可愛らしい女の子がいました。


蛍ちゃんは、何故だか妙に僕に懐いていました。名前を呼ぶと、とととっ、と駆け寄ってくるその可愛らしい様子に、親戚の誰もが顔を綻ばせていましたねぇ。


そんな蛍ちゃんが…神様がいるとして、何故、そんな運命をあてがったのですかねぇ…病を背負ったのです。父の病院では対応出来ない状態で蛍ちゃんは、ある病院の小児病棟に入院しました。


酷な話です。病と闘うと言いますが、

幼い子どもに笑顔で、精一杯生きることを説く医師の姿に僕はなんとも言えない気持ち悪さを感じました。そして医師に合わせて同じように、励ます自分にも…


僕は自分の言葉が、失われていることに初めて気がついたのです。悶え苦しみながら、僕たちに応えて、笑顔を浮かべる蛍ちゃんに、かけた言葉は、常に誰かの模倣でした。


それは雪の降ったある日のことでした。


雪だね、あんなに降ってくるよ、雪だるまが作れるね、雪合戦ができるね、きれいだね、しゃんしゃん、しゃんしゃん、お空から落ちてくるよ…行きたいなぁ…


病室には、僕だけがいました。僕は、

また雪遊びが出来ますよ、

と嘘をつきました。

その頃の蛍ちゃんは、もう歩くことすらできませんでしたねぇ。


どれ、僕が雪のひと塊りなりとも、とって来てあげますね。そう言って雪をマグカップに詰めて、帰って来ると蛍ちゃんに小さな雪だるまを作ってあげました。


かわいいね、ひゃっ、冷たい…ヒロにぃ、ありがと…ありがと…


もう今にも消えいりそうな声で、そう言う蛍ちゃんに、僕はいつものように笑って応えました。


その夜、蛍ちゃんは息を引き取りました。

そして、皆が笑い合いながら、

悲しみ無きように、

悲しみ無きように、

そう囁きあっていました。僕もその中にいました。


僕たちが高校生の頃、こんなことを話しましたね。

花は枯れるし、乙女も老いる、盛者必衰は

全く世の常ではあるけれど、美しいものを美しいままに終わらせたいと思うのも、人が抱く常なるささやかな幻想なのだ、と力説した君は…

なんです、恥ずかしい若気至り?いやいや、確かに君には度々、赤面したくなるやれやれ、なエピソードが多いですが、あのとき僕は君の言葉に一片の真実を見たような気がしたのを憶えています。


可愛らしいままに、命を散らした蛍ちゃんの姿は僕の中で、ささやかな幻想になったのですよ。


それで良かったのだと、僕は思いました。だから生きている僕らは、

悲しみ無きように、と言い合うのだと。


けれど、父は蛍ちゃんの手を静かに握り、瞑目していました。


思えば父が、悲しみ無きように、と口にしたのを聞いたことがありません。


あのとき、

父は、悲しんでいたのではないか?

父は涙を、流しているのではないか?

子どもは親の背中を見て育つ、といいますが、僕は何を見てきたのか。僕には悲しみが解りません。何故、人が泣くのか解りません。死は終着駅で、その先に道は無い。何をどうしようと、現実は変わらないのですから、悲しみ嘆くだけ無駄じゃないですか。時間は有限です、さっさと前を向いて歩きだせばいいんです。


トナカイ先生の葬儀に現れた彼女は何者でしょうか?何故、悲しみ、泣くのでしょう?

蛍ちゃんの手を静かに握り、瞑目していた父の背中が思い出される度に、僕はそうなれない自分の姿を見つけて、自分の何者でもない姿を見せつけられるのです。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



話が終わりに近づくに連れて、

鵜飼君は淡々とした表情になっていった。

つきあいは長いが、彼がこんなにも自分の内面を無防備に晒すのは、初めてではないだろうか。僕は空気の読めない駄目さから、彼の世渡りの上手さを羨んでいたけれど、彼には彼の生きづらさが、あったということだろうか。


鵜飼君はぐいっと麦酒をあおると、ふひひ、と笑った。


「冗談ですよ、冗談。あまり本気にしないでくださいよ。」

「全く。飲み過ぎじゃないか。」

「でも、本当にあの女性は誰なんですかねぇ。トナカイ先生の知人でしょうか?中々に美しい人でしたねぇ。君の好みでしょう?昔から綺麗な黒髪に弱いですよねぇ。」

「う、そんなことはないさ。ま、まぁ、涙を流したことには、興味があるけど…」


いつものやり取りになって、僕は少しほっとしながらも、そんな鵜飼君の話をこのまま終わらせて良かったのだろうか、とアルコールで幾分、ぼんやりとした頭で考えていた。

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