葬儀にて僕、涙を見る
彼女を初めて見たのは、三カ月前、高校時代の恩師の葬儀での事だった。僕は高校生のときに美術部に入っていた。とは言っても、特段才能や情熱があった訳でなく、部活動をしていれば、少しは進学に有利に働くだろうという姑息な考えからであった。
美術部を選らんだのも、運動部で尊敬も出来ない先輩達から、云われも無く小突かれていた歳の離れた兄の卑屈な笑みを見て、自分はああなるまい、文系の部活動ならば何が何でも上を立てよと言わんばかりの上下関係はあるまいという思いと、他にくらべて絵を描くことは(端にも棒にも引っかからない無才な僕ではあるが)少なくとも嫌いではなかったからである。
あのとき、体育系の部活をしていれば、僕も兄と同じく、卑屈な笑みで三年間を過ごしていたであろう。残念なことに、僕たち兄弟は見た目もいざという時に、腰砕けになる惰弱さも、嫌になるほど似ていたのだから。
そんな訳で僕は三年間、これと言った成果を上げるでもなく適当に絵を描き、適当に友人たちと遊び、歌詞の意味もよく解らないながら洋楽を聴いては、ヘタクソなギターを掻き鳴らし、周囲の不況もどこ吹く風で過ごしたのだ。その後、美術関係の専門学校に滑りこみ、今では絵画の修復などを専門にして、地方の美術館に勤めている。
話しを恩師の葬儀に戻そう。先生は美術部の顧問で、丸い鼻が酒でも飲んだようにテカテカと赤かったので赤鼻とかトナカイとか呼ばれていた。
大学時代は美術史を専攻していたそうで、芸術家にはなれなかったがその知識の豊富さと雄弁な語り口には、引き込まれるものがあった。
当時で定年間近の白髪頭だったので、卒業10年後の訃報にもさして驚きはなかった。キレの良いタンゴにあわせて、三人の坊主が煌びやかな袈裟に身を包み、経を唱え始める。
トナカイ先生の遺影は、どうやら僕たちの美術部顧問の頃の写真のようで、僕の記憶と変わらぬ自信に溢れたからりとした笑い顏だった。葬儀場には爽やかな花の香りが満ちていて、遺影は七色の照明で眩いばかりにライトアッされている。抹香臭くもなければ、しめやかでもない。南洋を思わせるカラフルな花々が、祭壇を飾っていた。
陽気な銅鑼の音に、アップテンポな木魚のビート、お経は何処となくラップ調で坊主トリオはノリノリだった。 遺族も弔問客も口元に小さく笑みを浮かべて、瞑目するものや、足を踏み鳴らす人もいた。
これが近年の葬儀の形で、まぁ、今回は年輩者の葬儀でもあり、彼等が馴染んだ形式に近い葬儀を模している。僕たち若い世代の葬儀であれば、喪服よりもアロハシャツや派手派手しい色合いのスーツ姿の一群が、ギターやベースを掻き鳴らしドラムを打つ坊主を先頭に、パレードすることもあった。
ときにはダンサーまで加わり、さながらリオのカーニバルのような、天地をひっくり返さんばかりの騒ぎに発展する。そうなるともう、町をあげてのお祭り騒ぎである。僕が幼い頃、両親が事故で死んだときも親類縁者、両親の知人、友人、果ては道行く人達まで加わり、最後には打ち上げ花火が冬空高く、夏の花火よりも甲高い音を響かせて花咲いた事を覚えている。
僕を引き取って育ててくれた爺ちゃんは、得意の阿波踊りで「生きるワシラに、死ぬヤツら、生きているなら、踊りゃにゃ、損、損!
ほれ、お前らも阿呆にならんか!
それ、それ、それ、それ!」
そう言いたてて、僕と兄の背中を押してせきたてた。その手の感触を、ボンヤリと思い出すことがある。
さて、トナカイ先生の葬儀が、そろそろ喪主の挨拶に移ろうとしていた。喪主は先生の長男で赤い鼻ではなかったが、意思の強そうな太い眉が良く似ていた。彼は仰々しく、胸を張り周囲に礼をして破顔一笑、挨拶を始めようとした。もしかすると自慢の喉でも披露しようと思っていたのかもしれない。学生時代に先生が、息子は歌手になるかもしらん、と嬉しそうに語っていたからだ。
しかし先生の息子の歌声の程を、僕が知る機会は失われた。(別に知りたかったわけでもないが‥)
式場の両開きの扉が、ばんっと開いたかと思うと喪服の女が、式場の陽気な空気に爪をたてるように姿を現した。
彼女を見た誰もが、その姿に呆気にとられた。なぜなら彼女があまりにも、哀し気な顏をしていたからだ。場にそぐわない人物の出現に、喪主は言葉を失い口をパクパクさせていた。
艶やかな黒髪は腰の辺りまであり、化粧っ気はないが、鼻すじの通った顔立ちやその凛とした佇まいは一枚の絵のようだった。
唖然とした人々の間を、真っ直ぐ前を見据えた彼女が行く、その先でトナカイ先生の笑顔が待ち受けている。彼女は静かに歩みを止めて、周囲と親族に一礼した。それから送れて現れ場を乱した事を詫び、焼香をしたい旨を告げた。
喪主の息子が相変わらず、固まっているのを見かねた、先生の奥様が小さく会釈を返してぎこちない笑みと礼をいった。彼女はもう一度、皆に一礼してゆっくりと厳かに歩んで焼香をした。僕はその抹香を摘む彼女の指先の仕草を見つめていた。彼女の人差し指は中指と同じくらいに長くみえた。
先生の遺影を見上げた彼女の肩がふいに震えた。ちょうど彼女の横顔を斜めから見ていた僕の心臓は、止まりそうになった。
あり得ない光景‥
彼女の頬を伝って透明な、
水滴が流れ落ちた。
涙だ、誰かが小さくつぶやいた。
式場に流れていた故人を送るタンゴの歯切れのよいリズムが、途端に歯車が狂ったように
彼女の嗚咽と奇妙に混ざり合い式場を包み漂い流れていた。