泥棒猫と罵倒されましたが、私は猫泥棒です
「この泥棒猫!」
夕飯用のパンを買い、店を出たところで馬車から下りて来た知らない令嬢に突然そう怒鳴られて、私は思わず自分の手元を見た。
もちろん、私の腕の中に猫はいない。
今買ったばかりのパンの入った袋があるだけだ。
「……私、ですか?」
「あなた以外に誰がいるのよ!」
目の前に立つ令嬢は、怒りで頬を真っ赤にしていた。
ものすごく美しい顔立ちが釣り目で台無しだ。
「あなたが王太子殿下の大切なものを盗んだのでしょう!」
「大切なもの……?王太子殿下……?すみません、何のお話だか……」
私には、まったく心当たりがない。
そもそも私は、王太子殿下とは住む世界が違う。
城の夜会にもこんな下級男爵家の娘では、同世代とのデビュタントの時にしか参加したこともなく、もちろん王族の方々と言葉を交わすなどあり得ないのだ。
「返しなさい!」
「ですから、何をでしょう?」
「王太子殿下の猫よ!」
「……猫?」
言われて、私は家にいるあの子のことを思い出していた。
三週間前に雨の路地裏で拾った灰色の子猫が、今、家にいる。
名前は泣き方がみーみーと可愛かったので、ミーシャと拾った翌日につけた。
うちのミーシャが王太子殿下の猫!?
「あの……なぜ、王太子殿下の愛猫があんな雨の中に?」
もっともな私の疑問に、令嬢が一瞬怯む。
「いいから返しなさい!早く戻さないと、わたくしが……!!」
あ、このご令嬢、何かやらかしたんだ。
とピンときた私は、このご令嬢に返したらミーシャがまたひどい目に遭う、という確信を元に拒否することにした。
「お断りします」
「はぁ!?何ですって!?下級男爵の娘ごときが、王太子殿下の婚約者であるこのダメーヌ・フォン・テンラーク侯爵令嬢に逆らうと言うの!?」
「もうあの子はうちの子です。どうしてもとおっしゃるのなら、王太子殿下をお連れ下さい」
「どうして殿下を連れてくる必要があるのよ!」
「王太子殿下の愛猫だとおっしゃられるのなら、私にはこの国の臣下として、正しい飼い主に返す義務があるからです」
当然だろう。
私も、私の家も、この自称侯爵令嬢の臣下ではない。
この国の臣下だ。
ならば、臣下として正しいことをしなければならない。
目の前の令嬢がまた何かわめこうとした時、背後から冷静な声が響いた。
「連れてくる必要はない」
令嬢の後ろから、どう見ても上級貴族そのものの青年が現れた。
「で、殿下……」
令嬢の顔から、さっと血の気が引く。
殿下って、待って、この人王太子殿下!?
「ダメーヌ。こんな街中で大声を出して何をしている?」
「こ、これは……」
「私の猫を返してもらいに来た、と聞こえたが」
「はい、そうです!この娘が殿下の大事な猫を盗んで――」
「盗んだ?」
王太子殿下が私を見る。
「あなたが?私の猫を?」
「いいえ」
私は即答した。
「私の家には確かに灰色の子猫がおりますが……あの子は3週間前に拾いました」
「……拾った?」
「3週間前、雨の日に路地裏で。ひどく濡れて、震えていたので置いていけませんでした」
「なるほど」
殿下は私の顔を見たあと、少しだけ視線を下げた。
「その猫は、今どこに?」
「我が家にいます。私が買い物に出る前は、暖炉の前で眠っていましたので、まだ眠っているかと」
「そうか」
そこで殿下が、初めて少しだけ表情を変えた。
「……生きていたのか」
安堵の笑みだった。
「すまない、私の猫が世話になったようだな。名を教えてもらえるか?私は、ラインハルトだ。この国の王太子の地位を陛下より賜っている」
「私はミレーヌ・フォン・データと申します」
「おお、データ男爵の令嬢か」
「はい。このような下級の家名をご存じでいていただけて誉でございます」
これを知ったらたぶん、お父様もお母様も泣いて喜ぶわ。
「ところで、ミレーヌ嬢はどうしてここに?」
どうしてって……。
近所ですから……。
「ご近所のパン屋に、散歩がてら夕飯用のパンを買いに来ただけです……」
「そうか」
「そうしたら、そちらのご令嬢が……」
「……話は分かった」
殿下がパン屋の店先を見た。
「私も一つ買って帰ろう」
「殿下!」
ダメーヌ嬢が慌てて声を上げた。
「そのようなことをしている場合ではありません!殿下の猫を取り戻さなくては!」
「取り戻す?」
殿下の表情が変わった。
「私のルールーを捨てたのは、誰だ?」
「……!!」
「報告が上がっている。ダメーヌ、おまえがルールーを掴んで侍女に命じてルールーを王宮の外へ連れて行ったと……!」
「そんな、殿下!誤解です!!」
「おまえが猫を嫌いなのは知っていたが、まだ子猫のルールーによくそんな非道なことができたものだ。陛下にはこれから掛け合うが、婚約破棄になると心得よ」
「……!?」
殿下の後ろから王宮付きの護衛騎士が何人か現れ、ご令嬢を拘束して連れていく。
ご令嬢を守るはずだったであろうご令嬢のいた馬車にいた騎士たちも拘束され、一緒に連れていかれてしまった。
「ミレーヌ嬢」
「え、あ、はい」
「あなたの家に案内してもらえるだろうか?」
はい?
「ええと……私の家に、ですか?」
「ああ。ミレーヌ嬢の家にルールーがいるのだろう?」
「……ご案内します」
そして、ここからものの徒歩5分ほどのこじんまりとした邸宅へラインハルト様をご案内することになった。
何だ、これ。
私は夕飯用のパンを買いに出かけただけのはずなのに、何故我が国の王太子殿下を我が家へご案内することになったのか……。
「ただいま戻りました」
裏口には侍女のサンガが待っていた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。あら?そちらの方は……?」
私の後ろにいるラインハルト様にキョトンとした顔をするサンガにパンの袋を渡して、私はラインハルト様を案内して玄関へ回る。
ラインハルト様を暖炉のある居間までご案内する。
数少ない使用人たちが、私がどう見ても我が家より上級貴族のご令息を連れて帰ってきたことに驚いて固まっている。
……うん、私が一番、どうして?って思ってるから、そんな目で見ないで……。
そして居間にはお父様とお母様がいた。
お父様がミーシャを膝に乗せて寛いでいる。
「ミレーヌ?」
「そちらの方は……待て、まさか……!?」
「ラインハルト・フォン・クーデルである。此度は私の愛猫を保護してもらったとのことで心から感謝する」
王太子殿下!頭なんて下げないでください!!
「ルールー」
殿下の声に、お父様の膝にいたミーシャがピクンと耳を震わせて、目を覚ました。
それから、みゃあ、と鳴いてお父様の膝から飛び降り、この三週間で回復してきた足取りでラインハルト様の足元に寄ってくる。
うちに来て数日は立ち上がることもできなかった。
でも今はここまで回復してる。
本当に良かった……。
「ルールー……」
ラインハルト様がしゃがみ込み、ミーシャをそっと抱き上げる。
ミーシャは嫌がる様子もなく、その胸元に顔を埋めた。
「……よく生きていてくれた」
その声があまりにも安心して優しく嬉しそうだったので、私は胸の奥が少しだけ温かくなった。
この人は、本当にこの子を大切にしていたのだ。
猫が好きな人に悪い人はいない。
我が国の王太子殿下はとても優しい人なのだと、私はこの時確信した。
「ルールーを保護してもらった礼をしないといけないな」
「いりません、そんなの」
さらっと私が言うと、お父様とお母様が口をパクパクさせてる。
不敬ですか?
でも私はそんなつもりでミーシャを拾ったんじゃない。
「いらぬ?なぜ?」
「その子が王太子殿下の愛猫でなくても、私は拾って保護しましたし、大事に育てるつもりでいましたから」
「……そうか」
ラインハルト様は少し驚いたように私を見た。
「君は、変わったご令嬢だな」
「そうでしょうか?」
「私が王太子だからではなく、ただこの子を助けたのだな」
「はい」
「……そうか」
なぜかラインハルト様は、少し嬉しそうに笑った。
私、何か変なこと言った?
「では、礼ではなく、頼みがある、ミレーヌ嬢」
「はい、何でしょうか?」
「時々、王宮に来て、この子の遊び相手をしてもらえないだろうか?」
はい?
「お、王太子殿下!?」
お父様が素っ頓狂な声を挙げる。
「ルールーもご令嬢のことが好きみたいだ、ほら」
殿下の腕の中から必死に短い手を私に向かって伸ばしてくるミーシャ、じゃなくて、ルールー。
可愛すぎてつらい。
「……この子の遊び相手として、私に王宮で仕事を、ということですか?」
「ああ。君も見た通り、この子を街に捨てたのは恥ずかしながら私の婚約者の立場だった侯爵令嬢だ。以前から猫が嫌いだとは言っていたし、この子に近寄ることもなかったから油断していた。まさかこんな非道なことをするとは、私も甘かった。なので、改めてルールーに手を出されないようにしたいが、この子の生活自体はちゃんと管理できる人間が必要だと改めて思った。なので、ミレーヌ嬢にその仕事をお願いしたい」
いや、王太子殿下からの申し出を断るとか我が家の家格ではありえないから……。
「……分かりました、お引き受けします」
「そうか、ありがとう!陛下には私から話をしておく。今日のところは、ルールーはこちらに預けていいだろうか?明日にでも改めて正式に引き取りに来る」
「かしこまりました。いいですよね、お父様、お母様」
二人は青くなったり白くなったりしながら何度も頷いている。
まあ、こんな下級男爵家の小さな邸宅にいきなり王太子殿下が来るとかまずありえないからね……。
ミーシャ、じゃない、ルールーは殿下の腕の中でマイペースにあくびしてるけど。
それから翌日の午後には護衛騎士の皆さんとラインハルト殿下ご自身が立派な馬車で我が家にいらっしゃり、何ごとかと集まるご近所からの視線は無視することにした。
私はそのまま一緒に馬車に招かれ、デビュタント以来の王宮に足を踏み入れることになった。
そして案内されていく最中にすれ違ったのが、あの侯爵令嬢だった。
「あ、あなた!なんでここにいるのよ!」
なんでと言われましても……。
「あなたのせいよ!わたくしと殿下の婚約破棄を陛下から言い渡されたわ!わたくしほど王太子妃に相応しい令嬢はこの国にいないのに!この泥棒猫!!」
いや、私は泥棒猫じゃなく、猫泥棒なのでは……?
ダメーヌ侯爵令嬢を見送った私は案内されるままルールーの部屋へ到着した。
そこには当然だが、ラインハルト様もいた。
「よくいらしてくれた、ミレーヌ嬢」
「お呼びと伺ったので……」
「ああ、ここがルールー専用の宮なので、ここでルールーの遊び相手をしてほしい。私もできるだけ顔を出そうと思う」
いや、王太子殿下、国の仕事ありますよね……?
と考えたところで、はたと気づく。
そうだ、お忙しいからこそ、ルールーという癒しがこの方には必要なのだ。
そう納得して、私はルールーを抱き上げた。
「ほら、殿下。ルールーが呼んでいますよ」
「私を?」
「はい」
ルールーは私の腕の中から、ラインハルト様へ短い前足を伸ばしている。
「……そうか」
ラインハルト様が笑って、こちらへ手を伸ばした。
私はその手にルールーを渡そうとしたのだけれど――。
ルールーは、私の腕から出ようとしなかった。
「あれ?」
「……ふふ」
「殿下?」
「いや。どうやらルールーは、君と私の両方と一緒にいたいらしい」
「……そうですね」
私は笑った。
その日から、ルールーは私と殿下の間を行ったり来たりするようになった。
私はルールーと遊ぶ。
殿下はルールーを撫でる。
そして気がつけば、私たちはいつも三人で話をしている。
――猫が好きな人に悪い人はいない。
だから私は、今日も王宮へルールーに会いに行く。
……どうしてか、最近はルールーよりも私を待っている殿下のほうが先に出迎えてくださるのだけれど。
終
泥棒猫と猫泥棒って文字入れ替えたら意味変わるよねえ、なんて思って書きました。




