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第55章 決戦前夜 ――帰りを待つ人々――



翌日のゼリア王国への出立を控えたウィルは、その報告のためエドワード国王の執務室を訪れていた。


「明日、出立いたします」


「……あぁ。お前のことだ、大丈夫だとは思うが、くれぐれも気をつけろ」


エドワードは弟を見つめた。


「セシリオ殿下からの報告では、重臣や軍の切り崩しもかなり進んでいます。最悪の事態にまではならないかと」


「そう願いたいな」


少しの沈黙が流れる。


「万一、アリス王女にまで危険がおよび、お前がアリス王女を連れて帰国することになれば、すぐに伝令を送れ。セシリオ殿下との取り決めどおり文書を送る」


「承知しています。ゼリア側も同様と」


エドワードは頷いた。


「……本来であれば、国賓として正式な手続きを経て帰るのが一番だが——」


「えぇ」


ウィルはわずかに視線を伏せた。


「これ以上、アリスを傷つけたくない」


アリスを案じる弟の言葉に、エドワードは思わず目を細めた。


―――――――――――――――


ウィルがエドワードとの面会を終え、王宮の廊下を歩いていると、後ろから小さな足音が近づいてきた。


「おじさま!」


振り返ると、エレナが嬉しそうに駆け寄ってくる。その後ろを、ルーカスとナタリアがゆっくりと歩いていた。


「エレナ、ルーカスか」


ウィルは足を止める。


「おじさま、この間は剣の稽古を見てくれてありがとう」


「あぁ」


短く答えると、ウィルはナタリアへ軽く一礼した。


「こんにちは、ウィル様」


「えぇ」


エレナがウィルの袖をちょんと引っ張る。


「ねぇ、おじさま。アリス姉さまは、まだ帰らないの?」


その言葉に、ルーカスは思わずナタリアを見上げた。


ナタリアは何も言わず、首を横に振る。


ウィルは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに口元を緩めると、エレナの頭を優しく撫でた。


「エレナは、アリスが好きなんだな」


「うん! だって、お姉さまみたいだもん。それに、お菓子を一緒に作るって約束したの。忘れちゃったのかな……」


最後の言葉は少しだけ小さくなり、エレナは寂しそうに俯いた。


「アリスも、エレナとお菓子を作るのを楽しみにしていた」


「本当?」


俯いていた顔がぱっと上がる。


「あぁ」


そのやり取りを見ていたルーカスは、袖をまくり、手首に結ばれた守り紐を見せた。


「アリス様と作った守り紐、今日はつけてるんだよ」


ウィルは小さく頷く。


「それにさ、アリス様が結婚式のドレスを着たところ、見てみたい」


「だって、エレナが『ふわふわで、きらきらですごく可愛かった』って、何度も話してくるから」


ルーカスは照れくさそうに笑った。


その言葉に、ウィルの表情がわずかに和らぐ。


「そうか。近く、アリスとともに、またここへ来る」


何でもないことのように告げられたその一言に、ナタリアはウィルを見つめた。


「本当!? 約束ね!」


エレナはぱっと笑顔を咲かせる。


「あぁ」


ウィルは兄妹へ優しく頷くと、ナタリアへ向き直り、一礼した。


「では、ナタリア様、失礼します」


「えぇ。くれぐれもお気をつけて」


―――――――――――――――


翌朝。


屋敷の玄関前には、クララをはじめ、テリー、バラク、イメルダたちが揃っていた。


出発の支度を終えたウィルは、彼らへ視線を向ける。


「万一、アリスがそのまま戻ることになったら、準備を頼む」


「承知しております」


クララは小さな包みを差し出した。


「こちらを」


「……これは?」


「アリス様のお着替えでございます。本来であれば、ご不要となるはずのものですが、念のためお持ちください」


ウィルは包みを受け取り、頷いた。


「助かる」


続いてテリーが一歩前へ出る。


「旦那様、一つ確認させてください。アリス様がお戻りになられましたら、婚姻式の日程はどのようにお考えでしょうか」


「アリスが戻り次第、なるべく早く挙げるつもりだ」


「承知いたしました」


テリーは頭を下げる。


「進められる準備は整えております。ご本人にご確認いただくものや、お出かけいただく必要のある準備もございますので、ご負担にならないよう進めてまいります」


今度はバラクが口を開いた。


「アリス様がお戻りになったら、料理にも腕をかけて、食後にはお好きなイチゴのタルトも焼きませんと」


イメルダも続く。


「お庭も、気づけばアリス様がお好きな花ばかりになってしまいました。鈴蘭も咲き始めたんですよ。きっと、喜ばれます」


思わず庭へ視線を向ける。


様々な色の花々が、朝の柔らかな風に揺れていた。


ウィルはもう一度皆を見渡した。


「行ってくる」


「行ってらっしゃいませ」


使用人たちに見送られながら、ウィルは踵を返し、屋敷を後にした。


―――――――――――――――


夜遅く、ウィルたちトルシアの騎士七名は待機場所へ到着した。


そこは塔から一キロほど離れた場所にある小さな小屋だった。


最近は周辺の見回りの経路からも外れており、人目につきにくいことから、セシリオが待機場所として指定した場所である。


エリオットを部隊長とするミルバーグの騎士五名もすでに到着しており、簡単な食事の支度を始めていた。


馬車が小屋の前で止まると、エリオットはすぐに歩み寄り、一礼する。


「ウィル殿下、お待ちしておりました」


「待たせたな」


「いえ。問題なく到着しております。食事も簡単なものですが、ご用意しております」


「助かる」


ウィルは隣へ立つ男性へ視線を向けた。


「こちらが今回帯同するザイル医師だ」


「ザイルと申します。よろしくお願いいたします」


「エリオットです。よろしくお願いいたします」


二人が挨拶を交わす間に、ジョンは周囲を見回した。


「馬と馬車は目立たない場所へ。夜明けまで動かすな」


「はっ」


騎士たちは馬を引き、小屋の周囲へ散っていく。


エリオット隊の馬も、すでに林の各所へ分散して待機させられていた。


ほどなくして全員が小屋へ集まり、簡単な食事を囲んだ。


腹を満たすことだけを目的とした短い食事を終えると、机の上へ塔の見取り図が広げられる。


ウィルは全員を見渡した。


「これが最後の確認だ」


部屋の空気が引き締まる。


「我々の目的は救出ではない。王女に危険が及んだ場合のみ介入する」


全員が無言で頷いた。


「基本はこれまで確認してきたとおりだ。王女が襲撃を受けた場合は、制圧班は敵兵の足止め、救出班はオレとともに塔へ向かう」


ウィルは見取り図へ視線を落とす。


「塔で起こり得る事態は一通り想定し、三度にわたり合同訓練を行っている。これまでどおり動けばいい」


騎士たちの表情に迷いはない。


ジョンが口を開く。


「丈夫な布と縄は馬車へ積み込んであります」


「あぁ。万一、塔から飛び降りることになった場合にも対応できるよう準備しておけ」


「はっ」


ウィルは全員を見渡した。


「他に確認事項はあるか」


誰一人として口を開かなかった。


「夜明け前に出発する。それまで交代で休め」


「はっ」


騎士たちはそれぞれの持ち場へ散っていった。


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