第三章
絶望から始まった高校生活は、なんやかんや楽しかった。心残りもない。恋愛もなかったが、そこまで気にすることではなかった。香帆以外に深く分かり合える人間なんて、いないって薄々気づいていたからだ。そんな高校生活を終え、大学生活が始まる。しかし、ここで一言謝罪をしたいのだが、私は大学時代の記憶がほとんどない。全く何もなかったわけではないが、断片的な記憶しかないため、非常に薄っぺらい大学時代の話をする。申し訳ない。
大学受験は失敗し、望んではいない大学であったが、そんなに嫌ではなかった。入学式。あまり記憶がない。しかし、ここでも斜に構えるスタイルは変わらずで、部活動やサークルの勧誘には一切振り向かず、そのままその日は大学を後にしたことは覚えている。そして、実際、部活動にもサークルにも入らなかった。私は経済学部であったが、もちろん社会科目が苦手な私にとっては、中々厳しい勉強であった。しかし、私が行った大学は、世に言うFラン大学で、ちゃんと勉強する人がそもそも少なかったため、勉強をしっかり頑張れば、ある程度の成果が出やすく、大学一年から勉強は頑張った。そして、同じくらいの熱量で勉強を頑張る人間に出会うこともできた。英語の試験によってクラスが分けられたのだが、そこで同じクラスになった 薫 である。彼女はいわゆる変わり者で、入学式は金髪、その後紆余曲折を経て、緑?青?色の髪にするなど、やりたいように生きている人間であったが、勉強に対する熱量は高く、よく図書館で一緒にTOEICの勉強をしたり、定期試験の勉強をした。お互いがお互いの理解者ではいられなかったものの、熱量の高さはお互いに認め合えたため、私の勉強意欲も、彼女によって高まった部分は大いになるかもしれない。おかげで、ある程度定期試験も良い結果を残すことができたし、英語力の方も徐々に高まってきた気がする。しかし、彼女とはあくまでお勉強をする仲。ここでも彼女はできなかった。というか、香帆以外の人間を受け付けられなかった。この時期にやっていたことと言えば、勉強とゲーム、そして、今までお世話になっていた塾で塾講師のアルバイトも始めさせてもらったくらいだ。塾講師を始める前になってようやく英語の文法というものを理解した。遅すぎる。そうしてここでも漫画を描かずに一年を終える。
大学二年を迎える。相も変わらず勉強とゲーム、そしてバイトな生活であったが、この時期は一味違った。人生に情熱を持って生きたいという意識がとても強く、筋トレと読書を始め、メンタリストDaigoさんの動画や本を見漁っただけでなく、当時流行った自己啓発書はある程度読み漁った。人生を変えるには行動するしかないってことは良く分かった。どうしてこうまでして人生を変えたかったか。香帆に良い顔したかったから。それだけだ。しかも大学二年次は丁度成人式を控えていた。香帆に会える。それだけを希望に勉強や運動をし、少しでも格好の付く自分で在りたかったチャレンジ精神が旺盛で、大学で開催されていた英語合宿にも参加した。そんなこんなで情熱に溢れたまま時間は過ぎ、待ちに待った成人式の日がやってきた。何を思ったか、朝早くから近所の床屋さんに行き、成人式なんで髪セットしてくださいとお願いしたらパーマ風にしてくれたが、なぜかラメをかけてくれた。ラメは何が何でもやりすぎではないかと思う。しかし、ネタになるから良いかと自分を納得させ、友人と共に成人式に向かった。香帆に会うことだけを成人式に望んでいた。そして、ようやくその時が来る。気持ちがざわついた。会場に着くと、久々に会う面々に早速髪のラメをいじられた。香帆にも早くいじってほしい思いが強く、周りを見渡したが、香帆の姿がない。どれだけ探しても、香帆はいなかった。心がキリキリと痛み、絶望の波が押し寄せてきた。香帆がいない空白の五年間。その答え合わせがしたかった。間違えていないと思いたかった。五年間、何をやったかと言われれば、何も残らないかもしれない。でも振り返れば確かに道ができていた。この道が正しいと。ただそう思いたかった。そのために生きてきたつもりだった。その希望が打ち砕かれたのだ。成人式後の打ち上げのようなものも心ここにあらず。家に帰ったら、西野カナの「涙色」を聴きながら大泣きした。どうしようもなかったが、とにかく悔しかった。こうして、大学二年は幕を閉じるが、成人式のことから、過去に無いような無力感に襲われ、とても耐えることが難しかった。精神の支柱をまだ見つけられないまま、まだ見失ったまま、大学三年を迎える。
大学三年は就職活動に向けて、六月から、インターンシップや会社説明会に足を運んだ。当時は一日インターンシップという、簡単な説明会とグループワークをする場を様々な企業が設けてくれていたため、家でゆっくりできる日が無いくらいインターンシップを飛び回っていた。大学二年次にTOEICは一応695点獲得できていたため、ひとまずこれくらいあればある程度差別化できるだろうと考え、就職活動に専念しようと思えた。しかしこれがまあ大変であった。インターンシップは基本都内で行われ、私はまず行くだけで二時間かかる。帰りはともかく、行きの電車は満員電車でおしくらまんじゅうだ。そんな苦行に耐えていざ会場に行くと、いかにも意識高い系の大学生に囲まれグループワークを行う。自分なりの意見を言えたと思っても、それを評価してくれる人もいれば、それを否定してくる人もいる。ただ、非常に良い体験で合ったことは間違いない。インターンシップは基本審査が無いから行こうと思えば行ける。もし採用試験であったら書類選考で落ちていたかもしれないような大企業に実際に行って、空気を感じることができた。こういう熱がある場所で働くことができたらと希望の光が少し見えた。行動が早かったこともあってか、内定は大学三年の冬には一社いただくことができた。そして、大学三年が終わる頃、ニュースで新型コロナウイルスという言葉が出てき始めた。このときには、まさか世界がこんなに大きく変わるなんて思いもしなかった。こうして漫画を描くことを忘れて就職活動に没頭した大学三年が終わった。
新型コロナウイルスの流行で始まった大学四年は、迂闊に外出できない、大学もオンライン授業、就職活動もオンライン面接になり、様々な出来事が一気に様変わりした。大学の単位は大体取り終えており、ゼミにも入っていないおかげで、卒業論文とかいう難題もなかったので、就職活動が頭を悩ませる程度であった。内定は幾つかもらっていたが、どこも自分が働くイメージが湧かなかった。というより、香帆に次会えたとき、胸を張って会えるか、そんな自分で居られるかを考える。内定をいただいた企業には悪いが、あまり胸を張れない自分が想像できてしまったのだ。悪戦苦闘する中、市役所の試験の情報が目に入った。正直、その市は、自分が通っていた高校があり、また、香帆との思い出も少しだけある程度の関係であったが、市役所なら香帆に胸を張れるのではと思い、申し込んでいた自分がいた。公務員試験の勉強は2か月程しか時間が取れなかったが、SPI試験の勉強をしていただけあって、試験は難しくなかった。こうして筆記試験、小論文試験を突破し、一次面接、最終面接と進み、市役所から内定をいただいた。中々精神的に厳しい時期もあったが、何とか耐えて勝ち取った内定。これで少し胸を張れる気がした。そう、そんな気がしていただけである。私はこのとき、ただ浮かれていた。これから始まる生活が地獄とも知らずに。




