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第2章 4



「十一歳差? 結構やな」



 カキン、と乾いた音でボールが空高く上がった。ラインの外からどよめきが上がるも、惜しくもファウル。


 六月初週、今日は学年の球技大会だった。二人はグラウンドの隅に並んで、他クラスの試合を眺めていた。


 クラス対抗のトーナメント戦、悠希のチームは早々に敗退して、凌空は次の試合待ちである。



 フェンスに寄りかかった凌空が尋ねた。

「再婚相手との子供なんやろ。鬱陶しくないの?」



 悠希は自虐的な笑みを浮かべた。

「鬱陶しがられてるの、こっちだから」



 バッターは盛大な空振りを見せた。三振で攻守交代。チームから激励の声が飛んだ。


 悠希は腰を下ろした。日陰のグラウンドはひんやりと心地いい。普段から室内に籠もってばかりいる身に、真昼の太陽は少しばかり眩しすぎた。



「ずっと女の子が欲しかったんだって」

「誰に聞いたん」



「本人。友達と話してるの聞いちゃった」



 母は父の不在時、よく地元の友人と電話をしていた。

 主に旦那への不満をこぼす中には、たびたび悠希に関する愚痴も挟まれていた。男の子は靴下が臭いから嫌だとか、反抗期がストレスだとか、本当は一緒にショッピングやカフェを愉しめるような娘が欲しかったとか。

 絵名は、再婚後、数年かけてようやくもうけた念願の女の子だった。その頃には既に父の暴力は目立ち始めていたが、相対的に機嫌のいい日も多く、週末に夫婦連れ立って出かける光景も見受けられていた。子作りのために耐え忍んできたのかもしれない。


 中々点が入らないままイニングは進んだ。途中で凌空のチームメイトが駆け寄ってきた。



「山本くん、次ショート頼むわ」

 片手を上げて応じた凌空は、得意げに傍らの悠希を見下ろした。



「花形任されちゃったわ」

「ショートって難しいの?」



「守備範囲広いしな。はる、あんまり野球興味ないねんな」



 凌空の言葉に、悠希は恥ずかしげに俯いた。先程から悠希が野球に纏わる無知を曝け出すので、凌空は辛抱強く解説を続けてくれていたのだ。


 

 視線の先で、解けかけた靴紐に気がついた。普段は目に入らない足首の青白さに、我ながら呆れてしまう。



「家族で日本シリーズ見たりとかせえへん?」

「ないない。テレビ見てたら怒られるもん」



「なにそれ」

 凌空が鼻を鳴らした。



「勉強してないとサボるなって言われるから、なるべくすぐ自分の部屋に籠もるようにしてる」



 家族の団欒の輪に、悠希が入る隙間はなかった。家にいると常に、勉強しろ、だらけんな、と叱責が飛ぶ。両親とも、悠希が持って帰る成績や試験の点数にしか興味がないのだ。



「妹も英才教育受けてるん?」

「ううん、絵名は伸び伸びしてるよ。まだ小さいのもあるしね」



 絵名が産まれてからは一層、母の悠希への関心は薄れていた。父の暴力から庇ってくれることも減っていった。


 ようやくヒットが出た。グラウンドは俄かに色めき立ち、ラインの外から声援が飛んだ。しかし勢いは続かない。

 結局、両者無得点のまま試合は終了した。


 人影がまばらになったグラウンドから目を逸らし、凌空を見上げて尋ねてみた。



「兄弟欲しいって思うことある?」

 凌空は首を傾げた。



「弟いるしな。一応」

 そろそろ出番なのに隣にしゃがみ込む。



「まだ実感ないけど」

「うん。一緒」

 二人は目線を合わせて笑った。



 ほどよく焼けた凌空の肌は、悠希とはまるで正反対に健康的だ。もともと茶色がかっている瞳は、降り注ぐ陽光でさらに透き通って見えた。


 グラウンドの整備が終わった。凌空はぎりぎりまでだらけていたが、やがて億劫そうに体を起こした。


「じゃ行ってきます」

「ホームラン期待してる」



「はじめ守備やで」

 笑いながら悠希とグータッチを交わすと、凌空は軽やかに陽光の下へ駆け出して行った。



 悠希は一人、その眩しい背中を見送った。白く輝く、まだ新しい体操服。


 凌空には一緒に住む兄弟はいない。両親すらいない。それはそれで寂しさもあるだろうけれど、今はひたすらに、そんな立場が羨ましい。

 悠希は小さなため息をついて、足元の石ころを蹴飛ばした。



 その日、更衣室で着替えている途中のことだった。不意に凌空が、ぎょっとした表情を浮かべた。



「どうしたん、これ」



 露わになった悠希の背中を指差している。

 悠希は体をよじってみた。心臓がどきりと鳴った。


 左の腰骨あたりに、青い痣が広がっていた。この間、階段で蹴り飛ばされた時のものだ。


 急いでシャツを引き下げた。凌空はまだ愕然とした表情で、



「どうしたん」

 と、同じ問いかけを繰り返す。



「……ん、ちょっと」

 悠希は言葉を濁した。



「痛くないの」

「うん。もう大丈夫」

 笑いかけてみても、その表情は晴れなかった。



 

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